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【連載版】戦国に転生した五十一歳、兵糧係から成り上がる 〜刀は振れないが、腹を満たせば兵は立つ〜  作者: あちゅ和尚


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第4話 村の腹

 南の藪で鳥が飛んだ。


 門の上の見張りが声を張り、足軽たちは槍を掴んだ。竈の前にいた者まで手を止め、煙の向こうへ目を凝らす。


 久住宗介の腹の底も冷えた。


 また来るのか。


 昨日のように、腹が空き、水が足りず、足が震えたまま敵を迎えるのか。


 だが、藪から飛び出してきたのは、槍を構えた敵ではなかった。


「開けてくだされ! 南谷の者でござる!」


 泥まみれの百姓が二人、息も絶え絶えに坂を駆け上がってきた。


 ひとりは額から血を流している。もうひとりは背中に小さな袋を背負い、途中で転んだのか膝が破れていた。


 門の足軽が槍先を向けた。


「止まれ!」


「南谷の者でござる! 敵ではありませぬ!」


 宇平次が門の内側から怒鳴った。


「槍を下げるな。名を言え!」


「善助でござる! 南谷村の善助! こっちは太吉!」


 宗介は門の脇に置いた水桶を見た。


 半分より少し多い水が残っている。


 昨日なら、誰がどこへ水を置いたか分からなかった。今は違う。門の左右にある。走る邪魔にはならない。


「水を一杯だけ。飲ませすぎるな。むせる」


 宗介が言うと、与吉がすぐに椀を取った。


 宇平次がちらりとこちらを見た。


 反発ではない。


 確認の目だった。


 宗介は小さく頷いた。


 善助と名乗った男は椀を受け取ると、一気に飲もうとした。与吉が慌てて止める。


「ゆっくりだ。ゆっくり飲め」


「村が……村が危うい」


 善助は喉を鳴らしながら言った。


「川向こうの連中が、夜を待っておる。南谷の米を寄越せと。渡さねば、火をかけると」


 周囲がざわめいた。


 片瀬弥四郎が櫓の下から歩いてきた。鎧の袖には木屑がついたままだが、顔は静かだった。


「南谷の者か」


 善助と太吉は慌てて土に手をついた。


「若様!」


「顔を上げよ。村はどうなっている」


「皆、逃げ支度をしております。けれど、米を置いて逃げれば食えませぬ。米を背負えば足が遅うなります。年寄りもおります。子もおります」


 善助の声は震えていた。


「城へ入れてくだされ。米も、人も、牛も、持てるだけ持って参ります」


 足軽の一人が舌打ちした。


「城に入れるだと? そんな人数を養えるか」


「だが、村を焼かれれば終わりだ」


「なら米だけ城へ入れろ。人は山へ逃がせ」


「米だけ取れば、村の者が恨むぞ」


 声が重なった。


 宗介は黙って聞いていた。


 城に入れる米。


 村に残す米。


 逃げる者。


 残る者。


 井戸。


 薪。


 牛。


 荷車。


 考えるものが一気に増えた。


 頭が追いつかない。


 だが、ここで誰かが強引に決めれば、たぶん壊れる。


 村を空にすれば、城は次の米を失う。


 城に米を集めすぎれば、村は飢える。


 村人が恨めば、道も井戸も薪場も教えてもらえなくなる。


 戦は、城の中だけで済まない。


 城の外にも腹がある。


「若」


 宇平次が進み出た。


「敵が夜に動くなら、南谷の米は城へ入れるべきです。敵に奪われるくらいなら、こちらで守った方がよい」


 喜兵衛も険しい顔で頷いた。


「米は命でございます。今の蔵も楽ではありませぬ。南谷の米が入れば、しばらく持ちます」


 それは正しい。


 宗介にも分かる。


 だが、正しいだけでは危ない。


 弥四郎はすぐには頷かなかった。


 善助と太吉を見る。


 それから宗介を見た。


「宗介。お前はどう見る」


 急に言われ、宗介の背筋が固まった。


 全員の目がこちらを向く。


 またか、と思った。


 怖い。


 正直、城の中だけでも手一杯なのに、村のことまで背負えるはずがない。


 それでも、南谷の二人の顔を見れば、黙れなかった。


「米だけ城へ入れれば、今夜は助かるかもしれません」


 宗介はゆっくり言った。


「ですが、村が空になります」


「空になれば、何が悪い。敵に焼かれるよりよかろう」


 宇平次が言った。


「田を見る者がいなくなります。井戸を守る者も、薪場を知る者も、道を知る者もいなくなる。牛を失えば、次の荷が動きません。村人が城を恨めば、次に知らせが来なくなります」


 善助が顔を上げた。


 宗介の言葉を、信じていいのか分からない顔だった。


「では、どうせよと」


 喜兵衛が低く問う。


「全部は無理です」


 宗介は、またその言葉を口にした。


 万能の答えなどない。


 笠森城は小さい。


 米も人も足りない。


 だが、全部を一つにしなければ、少しは守れるかもしれない。


「南谷の米を三つに分けます」


「三つ?」


「一つは村に残す米。年寄り、子、逃げ遅れる者、今夜の飯に必要な分です。これを奪ってはいけません」


 足軽の何人かが不満そうな顔をした。


 宗介は続けた。


「一つは城へ入れる米。敵に奪われては困る分。これは城で預かる。ただし、誰の米か印をつける」


「預かる?」


 善助が食いついた。


「奪うのではなく、預かるのですか」


「今はそうしないと、村は城を信じません」


 宗介は弥四郎を見た。


「城に入れた米は戻らない。そう思われたら、村人は米を隠します。隠した米は腐るか、敵に奪われるか、逃げる途中で捨てられます」


 弥四郎は黙って聞いていた。


「三つ目は?」


「すぐ運べる飯です。干し飯、味噌握り、粥にできる割れ米。逃げる者、見張る者、荷を運ぶ者に持たせます。米俵を背負って走るより、今夜動ける飯を先に作った方がいい」


 宇平次が腕を組んだ。


「きれいごとに聞こえるな」


「きれいごとではありません。全部を城へ入れようとしても、今夜までに運びきれません。道で詰まります。詰まったところへ敵が来れば、米も人も取られます」


「では、半分だけ運ぶのか」


「半分かどうかは、村の数を見ないと分かりません」


 宗介は善助へ向き直った。


「南谷に、飯を食う者は何人いますか」


 善助は戸惑った。


「何人、と申されても……」


「大人、子供、年寄り。動ける者、動けない者。牛は何頭。荷車は何台。井戸はどこ。薪場はどこ。逃げ道は山側か、川側か」


 善助は目を白黒させた。


「そ、そんなことを急に言われても」


「急だから、今聞きます」


 宗介は声を荒げないようにした。


「分からなければ、見に行くしかありません」


 周囲が静まり返った。


 喜兵衛が眉をひそめる。


「お前が村へ行くのか」


「はい」


「敵が近いのだぞ」


「分かっています」


 分かっているつもりだった。


 本当は、分かっていないのかもしれない。


 敵が近い村へ行く。


 現代の感覚なら、ありえない。危険なら逃げる。専門の者に任せる。自分が行く必要などない。


 だが、この城に専門の者はいない。


 いるのは、槍を持つ者と、腹を空かせる者と、米を数え始めたばかりの自分だけだ。


 弥四郎が宗介を見た。


「無理に行く必要はない」


「見ずに決めれば、間違えます」


「敵と遭えば死ぬぞ」


「はい」


 喉が鳴った。


 怖さが、はっきりと声に乗った。


「行きたくありません。けれど、村の米と人の動きを見ないと、城の米も守れません」


 弥四郎はしばらく宗介を見ていた。


 やがて、宇平次へ言った。


「兵を多くは出せぬ。門が薄くなる」


「はっ」


「宇平次、お前は城に残れ。門を固めよ」


「承知」


「喜兵衛」


「はっ」


「宗介について行け。蔵を見る目と、村を見る目は違うかもしれぬ。だが、米を扱うならお前も見ておけ」


 喜兵衛は苦い顔をしたが、逆らわなかった。


「承知しました」


「足軽は二人。小者を一人。善助、太吉、道を案内せよ。深追いはするな。戦いに行くのではない。見るために行く」


 弥四郎の声は若いが、決断は早かった。


 無理に大勢を動かさない。


 城を空けない。


 それでいて、村を見捨てもしない。


 宗介は、この若城主の横顔を見た。


 未熟でも、見えているものがある。


「宗介」


「はい」


「村から米を奪うな」


 宗介は頷いた。


「はい」


「だが、敵に渡すな」


「難しいです」


「知っている」


 弥四郎はかすかに笑った。


「だから、お前を行かせる」


 南谷村は、笠森城の南の谷間にあった。


 城から見れば近い。


 だが、歩いてみると遠い。


 坂はぬかるみ、道は細く、竹藪の陰は暗い。荷車を通すには曲がりがきつく、雨が降れば車輪が取られるだろう。宗介は何度も足を滑らせた。


 足軽の一人が舌打ちした。


「おい、大丈夫か」


「大丈夫です」


 大丈夫ではなかった。


 息が上がる。


 胸が痛い。


 五十一年生きた感覚が、無理をするなと訴えている。だが身体は妙に軽く、逆に加減が分からない。


 この身体をまだ使いこなせていない。


 知識があっても、足元の泥一つで転ぶ。


 それが悔しかった。


 喜兵衛が横を歩きながら言った。


「村など見て、何が分かる」


「城へ運べる米の量が分かります」


「米俵を数えればよい」


「俵だけでは足りません。道の幅。坂。水場。薪場。逃げる者の足。荷車が通れるか。牛が怯えないか。夜に松明を持てるか」


「ずいぶん見るものが多い」


「多いです」


「お前、本当に兵糧方か」


「昨日なったばかりです」


 喜兵衛は鼻を鳴らした。


 怒ったのかと思ったが、そうではなかった。


「昨日なったばかりの者に、蔵と村を見られるとはな」


「すみません」


「謝るな。腹が立つ」


 宗介は黙った。


 少し歩いてから、喜兵衛が低く言った。


「だが、蔵の底は確かに悪かった」


 宗介は横を見た。


 喜兵衛は前を向いたままだ。


「長く見ているつもりで、見ておらなんだ。上の俵ばかり見て、下が湿っていることに気づかなんだ」


「一人では、全部見られません」


「慰めか」


「本当です」


 宗介は足元の泥を避けながら言った。


「一人で全部を見ると、どこかが抜けます。だから、分けます。蔵を見る人、水を見る人、薪を見る人、配る人、印をつける人」


「人が足りぬ」


「足りません。だから、少ない人で回るように置き場を決めます」


 喜兵衛は返事をしなかった。


 だが、聞いていないわけではなかった。


 南谷村に着くと、そこはすでに荒れていた。


 家々の戸が開き、庭には縄で縛った荷が置かれている。女が泣く子を抱え、老人が杖をついて座り込んでいた。若い男たちは俵を動かそうとしているが、どこへ持っていくか決まっていない。


 牛が一頭、苛立ったように鼻を鳴らしていた。


 竈の火は消えかけている。


 井戸のそばには桶が転がっていた。


 宗介は村を見て、胃が重くなった。


 城と同じだ。


 いや、城より悪い。


 怖さで、誰も全体を見ていない。


「善助!」


 村の奥から、白髪の男が出てきた。


 庄屋だろう。痩せてはいるが、背筋は伸びていた。


「城は何と」


 善助は弥四郎の名を出し、宗介たちを紹介した。


 庄屋は宗介を見た。


「流れ者が、米を見ると?」


 声には疑いがあった。


「はい」


「城は米を取りに来たのではないのか」


「取りに来たのではなく、分けに来ました」


 宗介はそう答えた。


 庄屋の目が細くなる。


「分ける?」


「村に残す米。城で預かる米。今夜動くための飯。その三つです」


「預かると言うた米が、戻ったためしは少ない」


 庄屋の言葉は鋭かった。


 周囲の村人たちも、同じ目をしている。


 城への不信。


 当然だった。


 戦になれば、城は米を求める。


 求めるだけならまだいい。奪うこともある。兵を食わせるためと言われれば、村は逆らいにくい。


 だが、米を失えば村は冬を越せない。


 宗介はここで「必ず返す」とは言えなかった。


 約束しても、自分に返す力はない。


 だから、違うことを言った。


「誰の米を、どれだけ城へ入れたか、印をつけます。庄屋殿と城の者、両方で見ます」


「印で腹が膨れるか」


「膨れません」


 宗介は頷いた。


「だから、村に残す分を先に決めます」


 庄屋は黙った。


「今夜、村で飯を食う者は何人ですか」


「……動ける者が二十と少し。年寄りが八。子が六。女衆も合わせれば、五十に届くかどうか」


「牛は」


「二頭。だが一頭は脚が悪い」


「荷車は」


「一台。もう一台は車輪が割れておる」


「井戸は」


「ここに一つ。奥の家の裏に一つ。だが奥の井戸は浅い」


「薪場は」


「北の斜面。乾いたものは少ない」


 宗介は聞きながら、地面に木の枝で印をつけた。


 人。


 牛。


 荷車。


 井戸。


 薪。


 道。


 村人たちは不思議そうに見ている。


 喜兵衛も黙って見ていた。


「今、城へ運べる米俵は多くありません」


 宗介は言った。


「道が狭い。荷車は一台。牛も一頭しか使えない。背負って運べる者も限られます。無理に全部動かせば、道で詰まる」


「では、米を置いて逃げろと?」


 若い村人が噛みついた。


「置く米と、動かす米を分けます」


 宗介は地面の印を指した。


「まず、湿気そうな米、敵に見つかりやすい米、すぐ運べる米を城へ。奥に隠せる米、村の者が今夜食う米、動けぬ者の分は残す。ただし、一か所に置かない。火をかけられたら全部燃えます」


 庄屋が少しだけ身を乗り出した。


「どこへ置く」


「床下、土間の端、井戸近く、裏の藪。ですが、湿る場所は駄目です。鼠に食われる場所も駄目。重ねすぎるのも駄目です」


「城の者が、村の米を隠せと言うのか」


「敵に全部取られるよりは」


 宗介は村人たちを見た。


「それと、城へ入れる米には印をつけます。縄の結び方を変える。庄屋殿の前で、喜兵衛が数える。城へ入った分を板に書く」


 喜兵衛が驚いたようにこちらを見た。


「わしがか」


「兵糧方ですから」


「勝手に決めるな」


「すみません」


 だが、喜兵衛は強く否定しなかった。


 庄屋は喜兵衛を見た。


「喜兵衛殿が数えるなら、少しは信じられる」


 宗介は胸の奥で息を吐いた。


 自分は信用されていない。


 それでいい。


 信用のある者を使えばいい。


 段取りは、自分が前に出ることではない。物と人が動くようにすることだ。


「逃げる者は、どこへ」


 宗介が聞くと、庄屋は山側を指した。


「北の竹藪を抜ければ、小さな祠がある。そこから尾根に出られる」


「年寄りは通れますか」


「厳しい」


「なら、年寄りと子は先に動かします。荷を持たせすぎない。干し飯と水だけ。布団や鍋を持たせると遅れます」


 女の一人が声を上げた。


「鍋がなければ、どうやって食うのです」


「全部捨てろとは言いません。持つ鍋を決めます。一家に一つでは重い。三家で一つ。水桶も同じ。持つものを減らさないと、足が止まります」


 不満の声が上がった。


 当然だ。


 家の物を置いて逃げるのは、命を削られるようなものだ。


 宗介も分かる。


 だが、全部を持てば逃げられない。


「若い男は米。女衆は子と水。年寄りは先に。足の速い者は二度戻る。荷車は米俵だけで埋めない。怪我人や歩けぬ者を乗せる場所を残す」


「荷車に米を積まぬのか」


 庄屋が問う。


「全部米にすると、人が遅れます。人が遅れれば、米を守る者もいなくなります」


 宗介は善助を見た。


「太吉のように膝をやった者が出ます。歩ける者も、途中で歩けなくなる。荷車に少し空きを残すべきです」


 太吉が膝を押さえ、気まずそうに目を伏せた。


 庄屋は長く黙った。


 その間にも、南の方から風が吹いてくる。


 煙の臭いはまだしない。


 だが、いつ来てもおかしくなかった。


「……城へ入れる米は、十俵までだ」


 庄屋が言った。


 村人がざわつく。


「庄屋様!」


「残す米がなければ、村は冬を越せぬ。だが敵に奪われれば、それも同じだ。十俵を城へ。残りは分けて隠す。今夜食う分は別にする」


 喜兵衛が頷いた。


「十俵、確かに数える」


 宗介はすぐに言った。


「縄の結びを変えましょう。城へ入れるものは二重。村に残すものは一重。今夜使うものは縄を短く」


 若い村人が問う。


「何のためだ」


「暗くなっても間違えないためです」


 宗介は答えた。


「字が読めなくても、手で触れば分かる。急ぐ時に、いちいち中を開けずに済む」


 庄屋の目が少し変わった。


「手で触って分かるように、か」


「はい。夜は目が利きません」


 その言葉で、村の空気が少し動いた。


 命令ではなく、動き方が見えたからだ。


 庄屋が手を叩いた。


「聞いたな。十俵を出せ。だが家の飯まで出すな。年寄りと子は北の祠へ先に向かわせる。荷は減らせ。鍋は三家に一つ。水は持てる分だけ」


 村人たちが動き始めた。


 まだ不満はある。


 まだ恐怖もある。


 だが、泣き声だけだった村に、手を動かす音が戻った。


 米俵を転がす音。


 縄を結ぶ音。


 水を汲む音。


 子供を叱る声。


 牛をなだめる声。


 宗介はその音を聞きながら、少しだけ膝の力が抜けそうになった。


 喜兵衛が横に来た。


「お前、村にも嫌われるぞ」


「もう嫌われていると思います」


「違いない」


 喜兵衛は短く笑った。


 それから、声を低くした。


「だが、米だけ奪えば楽だった」


「今夜だけなら」


「明日からは苦しいか」


「はい」


 宗介は十俵の米を見た。


 たった十俵。


 されど十俵。


 城にとっては命。


 村にとっても命。


 どちらかだけを見れば、どちらかが死ぬ。


「村が残らないと、城も残りません」


 宗介が言うと、喜兵衛は黙った。


 南の藪の方で、また鳥が飛んだ。


 今度は近い。


 足軽が槍を構える。


 村人たちの動きが止まりかけた。


 宗介は反射的に叫んだ。


「止まるな! 手を動かせ! 米は二重の縄! 水は子と年寄りへ! 荷車に空きを残せ!」


 自分でも驚くほど声が出た。


 怖い。


 膝は震えている。


 だが、止まれば終わる。


 止まった荷は詰まる。


 詰まった道は逃げ道ではなくなる。


 善助が米俵に縄を巻いた。


 太吉が膝を引きずりながら、子供へ干し飯を渡した。


 庄屋が祠へ向かう者をまとめた。


 喜兵衛が十俵を数え、板へ印をつけた。


 城から来た足軽二人が、荷車の前後についた。


 宗介は井戸のそばへ走り、転がっていた桶を脇へ寄せた。


「ここを空けろ! 水を汲む者の足場を塞ぐな!」


 女衆が慌てて荷を退ける。


 井戸の周りに少しだけ空間ができた。


 それだけで、水汲みの動きが早くなる。


 小さなことだ。


 だが、小さなことで人は転ぶ。


 小さなことで、人は助かる。


 夕暮れが近づいていた。


 南谷村から笠森城へ向かう細い道に、十俵の米と、少しの荷と、怯えた人々が動き出す。


 全部は救えない。


 全部は運べない。


 全部は守れない。


 それでも、村を空にしない。


 城だけを満たさない。


 今夜死なないための分を、城と村に分ける。


 宗介は泥のついた手で汗を拭った。


 遠く、笠森城の小さな旗が見える。


 その下には、まだ薄い粥の火があるはずだった。


 この米を、あそこへ届ける。


 だが、全部は届けない。


 村にも腹を残す。


 それが正しいのかどうか、宗介には分からない。


 分からないまま、選ぶしかない。


 南の藪の奥で、何かが動いた。


 足軽の一人が低く言った。


「来るぞ」


 宗介の喉が鳴った。


 荷車の車輪が、泥を噛んで鈍く回り始める。


 米も、人も、水も、火も。


 止めるわけにはいかなかった。


第4話─了

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