表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】戦国に転生した五十一歳、兵糧係から成り上がる 〜刀は振れないが、腹を満たせば兵は立つ〜  作者: あちゅ和尚


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/8

第3話 減る米、消える水

 竈の火を落とすな、と宗介は言った。


 その一言だけなら、誰にでも言える。


 問題は、その火を保つ薪がどこにあり、誰が運び、どの鍋で何を煮て、誰へ先に配るかだった。


 笠森城の庭は、昼を過ぎても落ち着かなかった。


 折れた木柵を引きずる音。


 井戸の釣瓶が軋む音。


 竈に薪をくべる音。


 呻く怪我人の声。


 その合間に、足軽たちの低い不満が混じっている。


「また粥か」


「昨日から腹が落ち着かねえ」


「戦う者より、寝てる奴へ先に食わせるのか」


「流れ者が偉そうに」


 聞こえていた。


 聞こえないふりはできなかった。


 宗介は木桶の横で、炭の欠片を握っていた。手のひらは黒く汚れ、爪の間には米粒と泥が入り込んでいる。


 逃げたい。


 正直に言えば、まだそう思っている。


 敵が夜に動くかもしれない。そんな話を聞いて、平気でいられるはずがない。


 だが、怖いからといって座り込めば、もっと悪いことになる。


 飯が遅れる。


 水が届かない。


 腹が減った者が怒鳴る。


 怒鳴れば、場が荒れる。


 荒れたところへ敵が来る。


 それは、宗介が一番見たくない流れだった。


「久住」


 喜兵衛が低い声で呼んだ。


 宗介は振り向いた。


 喜兵衛の後ろには、小者が四人立っていた。若い者が二人。少し年のいった男が一人。もう一人は、痩せた女だった。腰に縄を巻き、袖をたすきで留めている。


「人を出せと言ったな」


「はい」


「こいつらだ。水に彦六と佐助。飯運びに与吉と、おきぬ。印をつける者は……」


 喜兵衛は少し迷ってから、横にいた少年を顎で示した。


「市松。字は下手だが、数はごまかさぬ」


 市松と呼ばれた少年は、まだ十四、五に見えた。顔に煤がつき、目だけが妙に鋭い。


「字は少なくていい。丸と線が分かれば足ります」


 宗介が言うと、市松は怪訝そうに眉を寄せた。


「丸と線で、兵糧方が務まるのかよ」


「務まるようにする」


 宗介は板切れを地面に置いた。


 そこに炭で大きく三つの印を書く。


 門。


 竈。


 怪我人。


「今夜までに、ここだけは切らさない。門には水と干し飯。竈には火と米。怪我人には粥と湯。全部やろうとすると、全部半端になる」


「門だけでよかろう」


 後ろから声がした。


 足軽頭らしい男が腕を組んで立っていた。額に古い傷があり、顔つきが厳しい。


 喜兵衛が小さく舌打ちした。


「宇平次」


「聞いておったぞ。流れ者が飯の順を決めるそうだな」


 宇平次は宗介を上から下まで見た。


「戦う者が先だ。槍を持つ者に食わせねば、城は守れぬ。寝ている怪我人や、竈の周りにいる者へ先に回すなど、話が違う」


 周囲の足軽たちが、ちらりと宗介を見た。


 同じことを思っている者は多い。


 無理もない。


 槍を持って門へ立つ者が一番危ない。それは宗介にも分かる。分かった上で、全員へ好きなだけ食わせる米はない。


「門の者を軽く見ているわけではありません」


「なら、先に食わせろ」


「先に食わせます。ただし、腹いっぱいではありません」


 宇平次の目が険しくなった。


「何だと」


「腹いっぱい食えば、眠くなります。動きも鈍ります。今夜動くかもしれないなら、門の者には持って歩ける干し飯と、味噌握りを小さく。水は近くに置く。粥は冷えた者と怪我人に回します」


「怪我人が槍を持つのか」


「持てません」


「ならなぜ食わせる」


「死なせないためです」


 場が静かになった。


 宇平次の頬がぴくりと動く。


 宗介は怖かった。


 この男は、昨日の空腹で荒れていた足軽とは違う。人をまとめる立場の男だ。言葉を間違えれば、ただの生意気な流れ者として叩き出される。


 それでも、言わなければならない。


「怪我人が死ねば、運ぶ者が要ります。泣く者が出ます。寝場所も乱れます。臭いも出る。生きて戻せる者を戻さなければ、次の小競り合いで槍を持つ者が減ります」


「理屈は立つな」


 宇平次は鼻で笑った。


「だが、腹は理屈で膨れぬ」


「その通りです」


 宗介は頷いた。


「だから、見せます」


「何をだ」


「この城の腹です」


 宗介は市松に目を向けた。


「石を集めてくれ。小さいものでいい。百に届かぬくらい」


「また妙なことを」


 市松はぼやきながらも、庭の隅から小石を集め始めた。


 宗介はその間に、板切れをもう一枚出した。


 喜兵衛が黙って見ている。


 宇平次も、帰ろうとはしなかった。


 やがて、市松が石を抱えて戻ってきた。


 宗介は地面に線を引き、石を並べた。


「これは、城の中で飯を食う者です」


 足軽の石。


 怪我人の石。


 小者の石。


 女衆の石。


 人足の石。


 近習の石。


 ひとつひとつは小さい。


 だが並べると、庭の土の上に思ったより長い列ができた。


 足軽たちの顔が少し変わった。


 普段は「城の者」とまとめて見ている数が、目の前に形を持ったからだ。


「これだけいるのか」


 誰かが呟いた。


「まだ正確ではありません」


 宗介は言った。


「ただ、飯を食う口はこれだけある。水を飲む口もこれだけある。粥を待つ口も、握りを欲しがる手も、これだけある」


 宗介は次に、米を量る升を借りた。


 一升分の米を木の皿へ入れる。


 白くはない。


 少し欠け、少し割れた米だ。


 それでも、米は米だった。


「昨日のように、腹が減った者へその場で渡せば、誰がどれだけ食ったか分からない。多く食える者は食う。遅れた者は食えない。怪我人は取りに来られない。門の者は離れられない」


 宗介は石の前に、少しずつ米を置いていった。


 足軽へ。


 小者へ。


 怪我人へ。


 女衆へ。


 人足へ。


 見る間に、皿の米が減った。


 宗介はもう一升、足した。


 それもまた減った。


 三度目で、宇平次の眉が動いた。


「おい。そんなに減るのか」


「腹いっぱい食わせれば、もっと減ります」


「だが、これでは少ない」


「少ないです。だから、粥にする。握りを小さくする。見張りには持てる分を渡す。働く者には、働く時刻に合わせて渡す。全員を同じに扱うと、足りない上に揉めます」


 宗介は米の残った皿を持ち上げた。


「米を増やす前に、減り方を知らなければなりません。減り方が分からない蔵は、底に穴の空いた桶と同じです」


 その言葉に、喜兵衛がわずかに目を伏せた。


 兵糧方として、刺さるものがあったのだろう。


 宇平次はまだ納得しきっていない顔だった。


「米は分かった。水はどうする」


「同じです」


 宗介は井戸の方を指した。


「水は井戸にあります。ですが、井戸にある水は、門の兵の喉には入りません。誰かが汲み、運び、置かなければ、水ではない」


「当たり前だ」


「当たり前のことが、昨日できていませんでした」


 宇平次は黙った。


 昨日、門で水を求める声が上がっていた。


 それを覚えていない者はいない。


 宗介は木桶を二つ並べた。


「満杯にすれば重すぎます。こぼします。運ぶ者の足も遅くなる。半分なら二人で何度も運べる。門の左右に置けば、真ん中を走る者の邪魔にならない」


「水桶の置き場まで決めるのか」


「決めます」


 宗介は即答した。


「置き場を決めないと、必要な時に探します。探す間に、喉が渇きます。喉が渇けば、怒鳴ります。怒鳴れば、場が荒れます」


「何でも荒れるに繋げるな」


「荒れるからです」


 宗介は宇平次を見た。


「腹と喉は、人を荒れさせます」


 その言葉に、宇平次は返さなかった。


 代わりに、柵を直していた足軽の一人がぽつりと言った。


「昨日、俺は隣の奴の椀を奪いかけた」


 周囲がそちらを見る。


 若い足軽だった。


 頬がこけ、目の下に隈がある。


「粥の匂いがしたら、もう何も考えられなかった。先に食われたら、自分の分がなくなると思った」


 気まずい沈黙が落ちた。


 宗介は頷いた。


「だから、先に決めるんです」


 喜兵衛が低く言った。


「誰に渡したか、印をつける」


「はい」


「二度取りを防ぐためか」


「それもあります。でも、それだけではありません。渡していない者を見つけるためです」


 喜兵衛の目が動いた。


「渡していない者か」


「はい。奪う者を責めるだけでは、場は悪くなります。届いていない者を見つけて、先に届ける。そうすれば、奪う前に止められます」


 宇平次が少しだけ顎を引いた。


 完全に認めた顔ではない。


 だが、ただの反発ではなくなっていた。


 その時、片瀬弥四郎が庭へ降りてきた。


 修繕の指示を終えたばかりなのか、袖に木屑がついている。若い城主は、地面に並んだ石と米を見て足を止めた。


「これは何だ」


 喜兵衛が答える前に、宗介が頭を下げた。


「城の飯を食う口を、石で並べました」


「飯を食う口」


「はい。米がどれだけ減るか、水をどれだけ運ばねばならないか、見えるようにしています」


 弥四郎はしゃがみ、石の列を見た。


 若い指が、足軽の石、怪我人の石、小者の石へ順に触れる。


「これほどか」


「正確には、まだ違うと思います」


「だが、少なくはあるまい」


「はい」


 弥四郎はしばらく黙っていた。


 風が吹き、皿の米粒が一つ転がった。


 弥四郎はその一粒を見た。


「槍を持つ者ばかり数えていた」


 小さな声だった。


 だが、宗介には聞こえた。


「槍を持たぬ者も、米を食う。水を飲む。薪を使う。怪我をすれば、手を取られる。逃げれば、田が荒れる」


 弥四郎は顔を上げた。


「宗介」


「はい」


「この石の数を、夕刻までにもう少し正せ」


「承知しました」


「宇平次」


「はっ」


「足軽の数を出せ。門、柵、見張り、休む者。持ち場ごとに分けよ」


 宇平次は一瞬、宗介を見た。


 それから弥四郎へ頭を下げた。


「承知」


「喜兵衛」


「はっ」


「蔵の俵も同じだ。すぐ使う米、残す米、怪しい米。分けて印をつけよ。宗介の言うことを全て鵜呑みにせよとは言わぬ。だが、見ずに退けるな」


 喜兵衛は深く頭を下げた。


「承知しました」


 弥四郎はさらに言った。


「飯を惜しみすぎて兵が倒れれば、米を守ったことにはならぬ。食わせすぎて蔵が空になれば、これも守ったことにはならぬ。難しいな」


 その言葉に、宗介は胸の奥で少し驚いた。


 弥四郎は若い。


 未熟なところはある。


 だが、今の言葉には芯があった。


 米をただ出せばいいわけではない。


 ただ守ればいいわけでもない。


 その難しさを、この若い城主は掴もうとしている。


「難しいです」


 宗介は答えた。


「ですが、見えれば少しだけ間違いを減らせます」


「少しだけか」


「はい。少しだけです」


 万能ではない。


 石を並べても敵は退かない。


 米を数えても、米は増えない。


 水桶の置き場を決めても、矢は飛んでくる。


 それでも、少しだけ間違いを減らせる。


 その少しが、人の命を分けることもある。


「ならば、その少しをやれ」


 弥四郎は立ち上がった。


「今夜までに、できる限りだ」


 城主の言葉が落ちると、庭の空気が変わった。


 嫌々ながらも、動く者が出た。


 宇平次は足軽を呼び、門に立つ者、柵を直す者、夜に見張る者を分け始めた。喜兵衛は蔵へ戻り、小者を使って俵の位置を確かめる。市松は板切れを抱え、石の数と人の数を合わせようと走った。


 宗介は竈の前に戻った。


 おきぬが粥をかき混ぜている。


 煙で目を赤くしていた。


「焦げそうか」


「底が重い」


「火が強すぎる。薪を一本抜いて、細いのを足す。焦げると食える分が減る」


「粥まで数のうちかい」


「焦げた分だけ、腹に入らない」


 おきぬは呆れたように笑った。


「本当に飯のことばかりだね」


「飯のことばかりです」


 宗介は同じ答えを返した。


 おきぬの笑いは、少し柔らかかった。


 それから宗介は、味噌握りを作る場所へ行った。


 若い小者たちが飯を丸めている。大きさがばらばらだった。大きいものは握った者が自分で食うつもりなのかもしれない。


「大きさを揃える」


「またかよ」


「大きいものを一つより、小さいものを二つ。門の者が片手で食えるように」


「腹が膨れねえ」


「今夜は腹いっぱいが目的じゃない。倒れないことが目的だ」


 小者は不満そうに唇を尖らせた。


 だが、手の中の握りを少し小さくした。


 その横で、市松が板に印をつける。


 門へ五つ。


 柵へ六つ。


 怪我人へ粥。


 水桶は門の左右に二つ。


 文字ではなく、丸と線。


 雑だ。


 だが、何もないよりはずっといい。


 午後が傾くにつれ、城内の音が変わってきた。


 ただ騒がしいだけではない。


 水を汲む音。


 薪を割る音。


 粥を混ぜる音。


 俵を動かす掛け声。


 まだ乱れている。


 まだ遅い。


 だが、どこかに向かって動いている。


 宗介は一瞬だけ、息をついた。


 その時、蔵から喜兵衛が出てきた。


 手には黒ずんだ藁を持っている。


「久住」


「はい」


「湿った俵が、思ったより多い」


 宗介は口を結んだ。


「どのくらいですか」


「奥の壁際が悪い。すぐ食えるかどうか、開けてみねば分からぬ」


「今夜使う分とは分けましょう。怪しいものを混ぜると、全部怪しくなります」


「分かっておる」


 喜兵衛は苦い顔で言った。


 その声には、朝のような刺々しさはなかった。


「……蔵の底など、長く見ておらなんだ」


 ぽつりと漏れた言葉だった。


 宗介は何も言わなかった。


 責めれば閉じる。


 今は責める時ではない。


「今から見れば、間に合うものもあります」


 それだけ言った。


 喜兵衛は少しだけ宗介を見た。


「間に合わぬものもある」


「あります」


「正直だな」


「嘘をついても、米は乾きません」


 喜兵衛は鼻を鳴らした。


 笑ったのか、呆れたのか、宗介には分からなかった。


 日が傾いた。


 空の色が鈍くなり、城の影が伸びる。


 門の左右には、水桶が置かれた。満杯ではない。半分より少し多いくらい。運ぶ者が何度も往復できる重さだ。


 門番には小さな味噌握りと干し飯が配られた。


 怪我人のいる場所には、薄い粥が運ばれた。


 柵の修繕に出た者には、少し塩気の強い握りを渡した。


 足りない。


 誰も腹いっぱいではない。


 それでも、誰がまだ食っていないか、市松の板を見れば分かる。


「市松、門の左は?」


「水は行った。握りはまだ二つ足りねえ」


「与吉、門の左へ二つ」


「へい」


「怪我人の粥は?」


「おきぬが持ってった」


「印をつけろ」


 宗介の声は枯れていた。


 それでも、動きは止められない。


 その時、南の方で鳥が飛び立った。


 一羽ではない。


 ばさばさと、藪の上から黒い影がいくつも上がる。


 門の上にいた見張りが身を乗り出した。


「南の藪、動きあり!」


 庭の空気が一気に締まった。


 足軽たちが槍を掴む。


 宇平次が門へ走る。


 弥四郎が櫓の下へ出てくる。


 宗介の腹の底が冷えた。


 来る。


 今度こそ、夜の前に来るかもしれない。


 いや、日暮れを待っているのかもしれない。


 どちらにせよ、もう時間はない。


「火を落とすな!」


 宗介は叫んだ。


「門の水桶を確かめろ! 握りを持っていない者を探せ! 取りに来させるな、持って行け!」


 自分の声が震えているのが分かった。


 だが、震えていても声は出る。


 おきぬが鍋を押さえた。


 市松が板を抱えた。


 与吉が味噌握りを布に包んで走った。


 喜兵衛が蔵の戸を閉め、縄をかけた。


 宇平次が門で怒鳴る。


「槍を持て! だが持ち場を離れるな! 水は左右にある、慌てるな!」


 昨日とは違う声だった。


 水の場所を、足軽頭が知っている。


 飯を持っていない者を、板で探せる。


 それだけのことだ。


 それだけのことでしかない。


 だが、昨日より一つ、城は崩れにくくなっている。


 宗介は竈の前で、薄い粥の鍋を見た。


 火は消えていない。


 米は少ない。


 水も薪も余裕はない。


 けれど、まだ熱いものを腹へ落とせる。


 夜までに間に合うかどうかは分からない。


 敵がどこまで来るのかも分からない。


 それでも、宗介は炭で汚れた手を握った。


 戦は槍だけではない。


 蔵の底からも崩れる。


 ならば、蔵の底から支えることもできるはずだ。


 南の藪で、もう一度鳥が飛んだ。


 笠森城の小さな庭に、煙と緊張が満ちていく。


第3話─了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ