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【連載版】戦国に転生した五十一歳、兵糧係から成り上がる 〜刀は振れないが、腹を満たせば兵は立つ〜  作者: あちゅ和尚


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第四十三話 槙尾の庭

 槙尾へ持っていくものは、米俵ではなかった。


 木札。


 濡れた塩。


 偽水札。


 和木原札。


 源蔵から出た紙片。


 濡れ荷改めの板。


 槙尾の写し。


 商人の帳。


 どれも軽い。


 米俵一つより、ずっと軽い。


 だが、久住宗介には、そのどれもが妙に重く感じられた。


 笠森城の庭で、喜兵衛が一つずつ包みを確かめる。


「濡れ塩は少しでよいな」


「はい。全部持つ必要はありません。濡れた外側と、残った中心が分かる分だけ」


「偽札は」


「二つ。井戸と薪の偽物、それと炭と鳥の偽物」


 市松が横で顔をしかめた。


「俺の鳥の偽物か」


「そう」


「あれは偽物の方が上手かった」


「真似しやすい上手さと、真似しにくい下手さがあります」


「それ、褒めてるのか?」


「かなり」


 市松は納得していない顔だったが、偽札を包みに入れた。


 片瀬弥四郎は、その様子を静かに見ていた。


 若い城主の衣は、いつもより少し整えられている。だが、派手さはない。小城の主として、無理に大きく見せようとしていない。


 宇平次は槍を持つ者を二人だけ選んだ。


 多く連れていけば、和木原に警戒される。


 少なすぎれば、侮られる。


 その間を取る。


 宗介は、自分が持つ包みを見た。


 木札と板。


 槍ではない。


 刀でもない。


 だが、今日の場では、これが笠森の武器になる。


「宗介」


 弥四郎が声をかけた。


「はい」


「槙尾の場では、聞かれたことに答えよ。だが、余計に喋りすぎるな」


「分かりました」


「お前の言葉は、荷のように見られる。軽く投げるな」


 宗介は喉を鳴らした。


「はい」


 怖かった。


 水場で敵と向き合うのも怖い。


 増えた川を見るのも怖い。


 だが、今日の怖さはそれとは違った。


 槙尾の庭で、笠森と和木原が向き合う。


 言葉を間違えれば、笠森の水札は勝手な支配だと見られる。


 濡れ荷改めは商人の荷を奪う仕組みだと言われる。


 降った者を働かせていることも、賊を養っていると変えられる。


 現場で積み上げてきたものが、言葉一つで別物にされるかもしれない。


 それが怖かった。


 出立前、小六が門のそばに立っていた。


 牛渡しの渡し役である。


「俺も行かなくてよいのですか」


 小六が問う。


 弥四郎は首を横に振った。


「お前は牛渡しを見る。今日も水は高い」


「はい」


「槙尾で誰かが牛渡しを使えと言っても、お前が駄目と言えば駄目だ。そのために、お前は残る」


 小六は目を伏せ、深く頭を下げた。


「承知しました」


 宗介はその姿を見て、少しだけ胸が熱くなった。


 槙尾に連れていくことだけが重用ではない。


 現場に残すこともまた、信用だった。


 笠森から槙尾への道は、雨の名残で泥が多かった。


 水場のそばを通るたび、宗介は足を止めたくなる。


 南谷外れ。


 槙尾西沢。


 古炭道の湧き水。


 それぞれに印と決まりがある。


 少し前まで、ただの水場だった場所が、今は笠森と槙尾と商人の信用を支える場所になっていた。


 槙尾の館へ着くと、すでに和木原の者が来ていた。


 和木原主膳。


 初めて見る男だった。


 年は四十を越えたくらいか。細い顔に、薄い笑みを浮かべている。衣は笠森よりよい。供も整っている。


 その横には奥田弥五郎が控えていた。


 柔らかい笑みの男。


 宗介は、彼を見るだけで胃が重くなった。


 槙尾左馬助は、庭に面した広間の上座にいた。


 年配の男で、派手なところはない。


 だが、目は鋭かった。


 安西新蔵がその脇に控えている。


 弥四郎が礼を取る。


 和木原主膳も、形だけは丁寧に頭を下げた。


「片瀬殿。此度は、少々騒ぎが大きくなりましたな」


 主膳の声は穏やかだった。


 だが、その穏やかさが逆に怖い。


 弥四郎は短く答えた。


「水と荷の話だ。大きくもなる」


 槙尾左馬助が口を開いた。


「今日の場は、槙尾が預かる。笠森も和木原も、まずは言い分を述べよ。だが、怒鳴り合いは許さぬ。ここは槍場ではない」


「承知」


 弥四郎と主膳が同時に答えた。


 先に口を開いたのは、和木原主膳だった。


「笠森は、このところ水札なるものを出し、商人の通行を選んでおります。さらに、牛渡しに札をつけ、濡れ荷改めと称して商人の荷に関わっている。これでは、小城が勝手に道の掟を作っているようなもの」


 主膳は穏やかな顔のまま続けた。


「和木原は、渡しを持つ家として荷を改め、渡し賃を取ってきました。そこへ笠森が横から札を出せば、商人は迷う。道が乱れます」


 宗介は、思わず口を開きかけた。


 弥四郎が、わずかに手で止める。


 まだだ。


 主膳はさらに言った。


「加えて、笠森は灰原の流れ者を抱え、水と粥を与え、働かせております。賊を養い、その手を使って道を押さえる。周辺の者が不安に思うのも当然でしょう」


 庭が静まる。


 言い方が上手い。


 水札。


 牛渡し。


 濡れ荷改め。


 降り人。


 全てを一つにつなげて、笠森が勝手に道を支配しているように見せている。


 槙尾左馬助は、表情を変えずに弥四郎を見た。


「片瀬殿」


 弥四郎は頷いた。


「笠森は、道の掟を作ったのではない。水場を荒らさせぬ手順を作った」


「言い方の違いでは」


 主膳が挟む。


 弥四郎はそちらを見た。


「違う。和木原の札は、笠森の水場まで使えると言った。だが、何人で、どれだけ水を汲み、どこで荷を下ろすかは書いていない。水場を守る気がない札だ」


 主膳の笑みが少し薄くなる。


 弥四郎は宗介へ頷いた。


「出せ」


 宗介は包みを開いた。


 笠森の水札。


 和木原札。


 偽水札。


 それらを並べる。


 札だけなら小さな木片だ。


 だが、並べると違いは見えた。


 笠森の札には、その日の印がある。


 水場ごとの返し印がある。


 使った水場を残す板と結びついている。


 和木原札には、和木原改め済みと大きく刻まれているだけだった。


「笠森札は、水場ごとに使い方を決めました」


 宗介は言った。


 声が少し震えた。


 それでも続ける。


「南谷外れは竹筒二本まで。火は使わない。槙尾西沢は荷を下ろす場所を決める。古炭道の湧き水は、汚された後、使えない日は使わせない。札は、通すためだけではありません」


 槙尾左馬助が問う。


「通すためだけではないとは」


「止めるためでもあります」


 宗介は赤い止め札を出した。


 牛角の上に赤い横線。


 渡るな、の印。


「牛渡しは、使える日だけ使います。水が増えた日は止めます。小六という南谷の者が川を見て、渡れない日は止める。昨日も止めました」


 主膳が静かに言う。


「そのせいで商人の荷が遅れた」


「和木原の渡しでは、止めずに荷が流れました」


 宗介は言った。


 庭の空気が一段冷えた。


 主膳の目が細くなる。


 宗介は逃げずに続けた。


「笠森が止めた牛渡しでは、荷は流れていません。和木原が通した渡しでは、荷が流れました。怪我人も出ています」


「和木原の渡しで何があったか、笠森はすべて見たわけではあるまい」


 奥田弥五郎が柔らかく言った。


 弥四郎が答える。


「だから、見たものだけを持ってきた」


 次に出したのは、濡れ塩だった。


 外側が溶けかけた塩。


 中心が残った塩。


 捨てた干物の印。


 救った縄の印。


 そして三つの帳。


 笠森の板。


 槙尾の写し。


 商人の帳。


 安西新蔵が槙尾の写しを示した。


「槙尾は、この濡れ荷改めに立ち会いました。笠森が勝手に荷を抜いた様子はございません」


 伊助もいた。


 腕にはまだ布が巻かれている。


 商人として、この場へ呼ばれていた。


 伊助は膝をつき、はっきり言った。


「和木原の渡しで荷が流れ、笠森の者が縄で引き上げ、濡れたものと助かったものを分けてくれました。荷は、私と彦七のものです。和木原の荷ではございません」


 槙尾左馬助は伊助を見る。


「笠森に荷を奪われたか」


「いいえ」


「濡れ荷改めの賃は」


「先に決めました。助かった塩の小包み一つと、縄一本です。こちらから渡しました」


「高いか」


「高くはございません。むしろ、荷が助かった分を思えば安い」


 主膳は黙っていた。


 宗介は、心臓が強く打つのを感じていた。


 三つの帳。


 現物。


 商人の証言。


 それらが、主膳の言葉を少しずつ押し返している。


 槙尾左馬助は、今度は弥四郎へ問うた。


「灰原の降り人はどう扱っている」


 弥四郎は即答した。


「武器を持たせず、水運び、薪割り、縄干し、溝さらいに使っている。粥は半椀から。名を板に残している」


「賊を養っているのではないか」


「働かせている。逃がせばまた和木原や他の者に使われる。斬れば手は減るが、情報も減る。笠森は、使える手を見張りつきで使う」


 宇平次が続けた。


「下の者を矢で射た源蔵は別に押さえております。甚内も同じ。誰も同じ扱いにはしておりませぬ」


 源蔵の紙片が出された。


 南谷の井戸。


 渡し。


 荷車。


 和木原へ回せ。


 その文字が、場へ置かれる。


 主膳の顔から、完全に笑みが消えた。


「それは、源蔵が勝手に持っていたもの。和木原の意ではない」


 弥四郎は静かに答える。


「では、源蔵を和木原の者ではないと認めるか」


 主膳は一瞬、言葉を止めた。


 源蔵を切れば、責任は軽くなる。


 だが、源蔵が和木原の者ではないとなれば、和木原は源蔵の引き渡しを求める理由を失う。


 弥四郎はそこを突いた。


 槙尾左馬助の目が、少しだけ動いた。


 主膳は答えを避けた。


「その件は、後日改める」


「なら、今日の水と荷の件も、源蔵の紙を抜きには語れぬ」


 弥四郎は言った。


 静かだが、押していた。


 宗介は、その横顔を見た。


 数日前まで、弥四郎は若い小領主だった。


 今も若い。


 だが、米と水と荷の現場を見続けたことで、言葉の重心が変わっている。


 槙尾左馬助は、しばらく黙った。


 そして、ゆっくり口を開いた。


「今日のところ、槙尾はこう見る」


 全員が顔を上げる。


「笠森の水札は、少なくとも南谷外れと槙尾西沢において有効とする。ただし、槙尾西沢では槙尾の立ち会い印を残すこと」


 安西新蔵が頷く。


「はっ」


「牛渡しは、南谷の渡し役が水を見て止める日を決める。笠森はその判断を支える。和木原は、牛渡しを無理に通せと商人へ触れてはならぬ」


 主膳の眉が動いた。


 だが、左馬助は続けた。


「和木原の渡しは和木原のものだ。渡し賃を取ることまでは否定せぬ。だが、笠森札を持つ荷という理由だけで賊荷と呼ぶことは認めぬ。荷改めをするなら、その場で商人へ理由を示せ」


 主膳は低く言った。


「槙尾殿。それでは、和木原の渡しの面目が」


「荷を流した渡しの面目は、水位を見て立て直せ」


 左馬助の声が少しだけ重くなった。


 庭が静まった。


「濡れ荷改めについては、笠森、槙尾、商人の三つの帳を認める。ただし、改め賃は先に決めること。勝手に荷を抜けば、笠森の責とする」


「承知しました」


 弥四郎が頭を下げる。


 主膳は黙っていた。


 完全な勝ちではない。


 和木原の渡しは残る。


 和木原札も、和木原の内では消えないだろう。


 だが、笠森の水札は槙尾の場で認められた。


 牛渡しの止め札も、濡れ荷改めも。


 小さな城の手順が、外の場で形を得た。


 宗介は、膝の力が抜けそうになるのをこらえた。


 その時、主膳が静かに言った。


「では、次は尾張筋の商人にも聞かねばなりますまい」


 弥四郎の目が細くなる。


「何をだ」


「笠森札を選ぶと言う商人がいるなら、その商人たちにも責を負わせるべきです。津島筋、清洲筋へも話が及ぶなら、いずれ大きな家の耳にも入る」


 主膳は薄く笑った。


「小城の庭では済まぬ話になりますな」


 宗介の背中に冷たい汗が流れた。


 やはり、和木原は退かない。


 槙尾で押されたなら、次はさらに外へ場を動かす。


 尾張筋。


 津島。


 清洲。


 大きな家。


 水札の噂が、遠くへ行くほど、笠森だけでは抱えきれないものになる。


 槙尾左馬助は主膳を見た。


「それはまた別の話だ」


「ええ」


 主膳は頭を下げた。


「今日のところは、槙尾殿の裁きを受けましょう」


 その言い方には、まだ棘があった。


 協議は終わった。


 笠森は、水札と止め札と濡れ荷改めを守った。


 だが、次の影も見えた。


 尾張筋の商人。


 その向こうの清洲。


 さらに大きな力。


 帰り道、宗介は包みを抱えて歩いた。


 持ってきた札は軽くなっていない。


 むしろ、重くなった気がした。


 弥四郎が隣で言った。


「宗介」


「はい」


「今日は、腹を見せたな」


「はい」


「だが、全部は見せていない」


「はい。隠すものは隠しました」


「よい」


 弥四郎は前を見た。


「次は、尾張筋だ」


 宗介は足を止めそうになった。


 だが、止まらなかった。


 道は濡れている。


 水場はまだ増水に気をつけなければならない。


 和木原は退かない。


 それでも、笠森の札は槙尾の庭を越えた。


 小さな木札が、また少し遠くへ進んだ。


第四十三話─了

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