表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】戦国に転生した五十一歳、兵糧係から成り上がる 〜刀は振れないが、腹を満たせば兵は立つ〜  作者: あちゅ和尚


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
38/49

第三十八話 渡しの値

 油屋宗八が槙尾へ抜けた翌朝、笠森城には二つの知らせが届いた。


 一つはよい知らせだった。


 宗八の荷は、槙尾を通り、尾張筋へ戻ったという。


 偽水札の話も、和木原札の話も、津島筋の商人たちに伝わり始めているらしい。


 もう一つは悪い知らせだった。


 和木原が、川向こうの小渡しで荷を止め始めた。


 笠森札を持つ荷は、渡し賃を二倍にする。


 槙尾を通った荷は、さらに荷改めをする。


 和木原札を持つ荷だけを優先して通す。


 そういう触れが出たという。


 久住宗介は、板の前でその知らせを聞き、胃の奥が重くなるのを感じた。


 和木原は、笠森の水札を潰せなかった。


 なら、次は水場ではなく渡しを締める。


 水と道の次は、川だ。


「渡しを押さえられると、塩も針も遅れます」


 宗介は言った。


「油や干物もです。尾張筋から来る荷だけでなく、こちらから戻す炭や縄も止まる」


 喜兵衛が腕を組む。


「荷が止まれば、商人は来なくなる」


「はい」


「笠森札を選んだ商人が損をする形になるな」


「それが狙いだと思います」


 宇平次が低く唸った。


「なら、渡しを奪うか」


 宗介はすぐ首を振った。


「それは危険です。渡しは和木原の近くでしょう。そこで戦えば、和木原に兵を出す口実を与えます」


「では、どうする」


 片瀬弥四郎が問うた。


 若い城主の目は静かだった。


 宗介は板を見た。


 笠森。


 南谷。


 槙尾。


 西沢。


 古炭道。


 尾張筋。


 和木原の渡し。


 水場は守った。


 札は選ばれ始めた。


 だが、渡しで止められれば荷は詰まる。


 荷が詰まれば、商人は別の道を探す。


 別の道がなければ、和木原札へ戻る。


「渡しを一つにしないことです」


 宗介は言った。


「和木原の渡ししかないと思わせるから、向こうは値を上げられる。小荷なら、別の浅瀬や小舟を使える道を探す」


 善助が顔を上げた。


「南谷の下に、古い牛渡しがあります」


「牛渡し?」


「昔、牛を引いて川を渡した浅瀬です。今は使っておりませぬ。水量が増えれば危ない。荷車は無理です。ですが、人と小荷なら、時を選べば渡れます」


 弥四郎が善助を見る。


「なぜ今まで使わなかった」


「遠回りになります。足場も悪い。渡った先に休む場所がなく、雨の後は使えませぬ」


 宗介は頷いた。


「なら、常用ではなく、和木原の渡しが止められた時の逃げ道にできます」


 宇平次が眉をひそめる。


「また逃げ道か」


「はい。ただし、今度は本物の逃げ道です。大荷は無理。小荷だけ。水札を持つ商人の中でも、使える人を絞る」


 喜兵衛が言った。


「渡し札も要るな」


 宗介は少し顔をしかめた。


 また札。


 また手順。


 だが、必要だった。


「はい。ただ、増やしすぎると混乱します。水札の裏に渡しの印を足す形がいいと思います」


 市松が板を抱えていた。


「裏にも彫るのかよ」


「小さい印でいい」


「今度は何の印?」


 弥四郎は少し考えた。


「牛の角」


 市松は真顔で固まった。


「牛、彫れるかな」


「角だけでよい」


「角ならいける」


 市松は少し安心した顔をした。


 弥四郎はすぐに命じた。


「牛渡しを見に行く。善助、案内せよ。宇平次、佐太、宗介をつける。槙尾にも知らせる。商人にはまだ広めぬ」


「承知」


「和木原の渡しに対抗する道だ。軽く扱うな」


 宗介は頷いた。


「はい」


 また外へ出る。


 怖い。


 だが、今回は急がなければならない。


 和木原の渡し止めは、すぐに商人の足を鈍らせる。水札が信用を得始めたところで足を止められれば、笠森の道はまだ細いまま折れる。


 昼前、宗介たちは南谷の下へ向かった。


 善助。


 宇平次。


 佐太。


 南谷の若者二人。


 太助。


 そして宗介。


 太助は炭道だけでなく、川辺の湿った薪の見分けもできるため、連れていくことになった。


 牛渡しへ向かう道は、想像より悪かった。


 草が伸び、石が転がり、途中で一度小さな沢を渡る。


 荷を背負って歩けなくはない。


 だが、足を取られやすい。


 雨の後は危険だろう。


「ここを商人に使わせるのは、簡単じゃありません」


 宗介は言った。


「分かっている」


 宇平次が答える。


「だが、和木原の渡しだけに頼るよりはましだ」


 川へ出ると、そこは確かに浅かった。


 川幅は広いが、流れは比較的緩い。


 ただし、石が多い。


 足場を知らなければ転ぶ。


 荷を濡らせば塩は駄目になる。


 油壺を落とせば割れる。


 針や布も水を嫌う。


「渡れるか」


 佐太が問う。


 善助は川を見た。


「今日は渡れます。ですが、昨日雨が降っていれば無理です。上流で雨が降った時も危ない」


「商人には難しいな」


 宗介は川岸にしゃがんだ。


 足場。


 休み場所。


 荷を包む布。


 渡る順番。


 水の深さを測る棒。


 何も決めずに渡れば、必ず事故が起きる。


「ここを使うなら、三つ必要です」


 宗介は言った。


「一つ、渡れる日と渡れない日を決める人。二つ、川の深さを測る棒。三つ、荷を濡らさない包み方」


 太助が頷いた。


「炭なら濡れても乾かせるが、塩は終わりだ」


「はい」


「縄も濡らすと重くなる」


「だから、渡る荷を選びます。塩は小袋にして油紙か布で二重。油壺は渡しません。針と布も雨の日は駄目。炭や木札なら比較的いける」


 宇平次が半ば呆れたように言った。


「渡る前から荷を分けるのか」


「分けないと、川の中で困ります」


「その通りだな」


 佐太が川へ入り、深さを確かめた。


 膝下。


 ところどころ膝上。


 流れが少し強い場所もある。


 南谷の若者が石をいくつか動かし、足を置ける場所を作った。


「全部直すな」


 宇平次が止める。


「和木原に見られる」


「はい」


 宗介も頷いた。


「目印を大きくしない方がいいです。使う人だけが分かる印にします」


 善助が細い枝を取り、岸の近くに二本挿した。


「南谷の者なら、この二本で分かります。水がここまで来たら渡らぬ」


「いいです」


 宗介は言った。


「水位の印にしましょう。枝が一本目までなら渡れる。二本目まで来たら渡らない」


「それも札へ書くか」


 佐太が聞く。


「全部は書きません。札を取られたら分かってしまう。渡し役が知っていればいい」


 宇平次が頷いた。


「渡し役を決める必要があるな」


 善助は南谷の若者を見た。


「弥三の弟の小六がよい。川を知っています。足は速くありませんが、川を見る目があります」


「小六を呼べ」


 その場で使いが走った。


 宗介は川を見ながら、改めて思った。


 水は飲むだけではない。


 渡るものでもある。


 汲む水、炊く水、守る水、渡る水。


 どれも違う。


 同じ水でも、扱いを間違えれば命を取る。


 小六が来たのは、半刻ほど後だった。


 まだ若い男だった。


 痩せているが、足元はしっかりしている。


 彼は川を見るなり、すぐ言った。


「今日は渡れます。でも夕方はやめた方がいい。上の雲が厚い」


 宗介は空を見た。


 確かに、上流の山の方に暗い雲がある。


 こちらでは雨が降っていなくても、上で降れば川は増える。


「いい目だ」


 宇平次が言った。


 小六は恐縮した。


「川だけです」


「川が見えるなら十分だ」


 宗介は言った。


「小六さんには、牛渡しの渡し役をお願いします。ただし、渡せる時だけ渡す。無理に商人を通さない」


「商人が怒ったら」


「笠森がそう決めたと言ってください」


 宇平次が頷いた。


「それで押せ。文句を言う商人は、水札を取り上げる」


 小六の顔が少し引き締まった。


「承知しました」


 午後、試しに小荷を一つ渡すことになった。


 塩は使わない。


 中身は石を詰めた包み。


 重さを塩に似せた偽荷である。


 それを小六が背負い、南谷の若者が横につく。


 川に入る。


 一歩。


 二歩。


 石の位置を確かめながら進む。


 途中で一度、足が滑りかけた。


 宗介の心臓が跳ねる。


 だが、小六は棒で支え直した。


 渡り切る。


 戻りは、荷なし。


 それでも時間がかかった。


「大荷は無理です」


 宗介は言った。


「一度に一人か二人。荷も小さいものだけ」


「商人が嫌がるな」


 佐太が言った。


「和木原の渡しで二倍払うか、牛渡しで小さく分けるか。選んでもらうしかありません」


 その時、川下の藪が動いた。


 佐太が槍を構える。


「誰だ」


 出てきたのは、泥だらけの男だった。


 商人ではない。


 農民のような格好だが、腰に小さな刃物がある。


 和木原の者か。


 それとも、ただの村人か。


 男は両手を上げた。


「槍を向けないでくれ。俺は和木原の者じゃない」


「名を申せ」


 宇平次が言った。


「川辺の又七。和木原の渡しで荷を止められて、逃げてきた」


「荷は」


「塩じゃない。干物だ。だが、笠森へ行くなら賊荷だと言われた」


 宗介は息を呑んだ。


 もう影響が出ている。


 笠森へ向かうだけで、荷を止められる。


「なぜここへ来た」


 宇平次が問う。


「牛渡しが昔あったと聞いた。けど、道が分からず迷った」


 又七は息を切らしていた。


 背負い荷は小さい。


 中を改めると、干物が少しと、縄、それに粗塩がほんの小袋一つあった。


 宇平次が宗介を見る。


「どうする」


 宗介は少し迷った。


 まだ牛渡しは正式に決めていない。


 だが、ここで追い返せば、和木原の渡し止めが効く。


 かといって、無条件に通せば水札の意味がない。


「仮札を出します」


 宗介は言った。


「今日だけ。牛渡しは試し通し。又七さんの荷は笠森で改める。次からは正式な札がないと通れない」


 宇平次は弥四郎がいないことを少し気にした。


 だが、すぐ頷いた。


「俺が責を持つ。通す」


 又七は深く頭を下げた。


「助かる」


「まだ助かっていない」


 宇平次は言った。


「川を渡ってから言え」


 小六が又七の荷を見た。


「その包みは上へ。下にしたら濡れる。縄で胸に寄せてください」


 又七は言われた通りにする。


 宗介は、そこで気づいた。


 小六は使える。


 川を見るだけではない。


 荷が濡れる位置も見ている。


 こういう者が、道を支える。


 武功とは違う。


 だが、いなければ荷は通らない。


 又七は小六に導かれて川を渡った。


 途中、水が膝上まで来る。


 だが、荷は濡れなかった。


 渡り切った瞬間、又七は大きく息を吐いた。


「和木原の渡しより怖いな」


 小六は淡々と言った。


「雨の日は通れません」


「覚えておく」


 牛渡しの試しは成功した。


 だが、これを大きく広めるのは危ない。


 使う人を選ぶ。


 水位を見る。


 荷を絞る。


 この三つを守らなければ、死人が出る。


 笠森城へ戻ると、弥四郎は報告を聞いてすぐに言った。


「牛渡しは使う。だが、隠し道ではなく、限られた道とする」


「限られた道」


 宗介が繰り返す。


「使える時だけ使う。使える荷だけ通す。使える者だけ渡す。札は裏に牛角。表は水札。無断で使えば、次から水場も使わせぬ」


「はい」


 市松が新しい小札を彫り始める。


 今日の札の裏に、小さな牛の角を刻む。


 表は右を見る目。


 裏は牛角。


 だんだん札が複雑になっていく。


 市松はぶつぶつ言いながらも、手は楽しそうだった。


「そのうち、札だらけになるな」


 佐太が言う。


「札が増えすぎると危ないです」


 宗介は答えた。


「だから、使える人を絞ります」


「また絞るのか」


「広げる時ほど、絞るところを決めないと崩れます」


 弥四郎が頷いた。


「その通りだ」


 夕方、和木原の渡しで止められていた又七の荷が、笠森の蔵へ入った。


 干物は少ない。


 粗塩も小袋一つ。


 だが、和木原の渡しを通らずに入った荷である。


 意味は大きかった。


 喜兵衛は塩を見て、静かに言った。


「穴が一つ増えたな」


「はい」


 宗介は頷いた。


「でも、細い穴です」


「細くても、塞がれた時には息ができる」


 その言葉は重かった。


 夜、弥四郎は城庭で皆へ伝えた。


「和木原の渡しで荷が止められている。だが、牛渡しを使い、小荷を一つ通した」


 足軽たちがざわめく。


 南谷の者たちも、牛渡しの名に顔を上げた。


「牛渡しは危うい。勝手に使うな。小六を渡し役にする。水札の裏に牛角の印がある者だけ、決めた時に渡す」


 小六は緊張した顔で頭を下げた。


 南谷の若者たちが少し驚いたように見ている。


 目立つ男ではなかったのだろう。


 だが、川を見る目がある。


 それだけで、役になった。


 宗介はその姿を見て、胸の奥が温かくなった。


 人の役は、戦うことだけではない。


 水を見る。


 川を見る。


 荷を濡らさない。


 それも城を支える。


 市松が板に今日のことを書いた。


 和木原、渡しで荷を止める。


 牛渡し、確認。


 小六、渡し役。


 又七の小荷、通る。


 水札裏、牛角。


 商人の道、細く増える。


 その最後の言葉を見て、宗介は少し笑った。


「商人の道、細く増える」


 市松が言った。


「だって、そうだろ」


「うん。そうだね」


 竈の火が鳴る。


 今日の粥には、又七が持ってきた粗塩がほんの少しだけ足された。


 また少し、味が戻る。


 だが、和木原は必ず次の手を打つ。


 渡しを締め、札を奪い、水場を汚し、今度は牛渡しを探すかもしれない。


 それでも、笠森は一本の道に腹を預けない。


 水場を分ける。


 荷を分ける。


 道を分ける。


 役を分ける。


 細い道をいくつも作ることで、小さな城は息をつなぐ。


 宗介は粥を啜った。


 塩気は薄い。


 だが、確かにあった。


 和木原の渡しを通らずに入った塩の味だった。


第三十八話─了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ