表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】戦国に転生した五十一歳、兵糧係から成り上がる 〜刀は振れないが、腹を満たせば兵は立つ〜  作者: あちゅ和尚


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
34/49

第三十四話 水場を結ぶ

 水札を出した翌朝、笠森城の門前には、いつもより多い足跡が残っていた。


 商人の足跡。


 槙尾の使いの足跡。


 南谷の若者が水桶を運んだ足跡。


 そして、誰のものかまだ分からない細い足跡。


 久住宗介は、門の外にしゃがみ込んでいた。


 昨夜のうちに雨は降っていない。だから土の跡は残りやすい。わらじの結び、足の向き、荷を背負っていたかどうか。そこまで正確に読めるわけではないが、見ようとするだけで分かることは増えていた。


「また足跡か」


 宇平次が背後で言った。


「はい」


「お前、だんだん犬みたいになってきたな」


「犬ほど鼻はよくありません」


「そこは否定するのか」


 宇平次は呆れたように言ったが、目は足跡を見ていた。


 宗介は細い足跡を指した。


「これは、商人でも槙尾の若者でもないと思います。荷の跡がない。けれど、門前まで近づいています」


「和木原の見張りか」


「かもしれません。水札を見に来たのかも」


 宇平次の顔が険しくなった。


「札そのものを真似る気か」


「たぶん、そう考えます」


 宗介は門の内側に掛けられた小さな札を見た。


 昨日の印は、井戸と薪。


 今日の印は変える。


 槙尾と水場を改める日だから、水と石にする予定だった。


 毎日変える。


 出しすぎない。


 返させる。


 それだけで防げるとは思っていない。


 だが、何もしなければ一日で真似される。


「若へ知らせる」


 宇平次が言った。


 朝の粥が配られる頃、片瀬弥四郎は城庭に槙尾の使者を迎えた。


 安西新蔵である。


 今日は供が二人。


 槙尾から水場改めのために来た者たちだった。


 新蔵は門前の札を見て、軽く頭を下げた。


「昨日の水札、槙尾でも評判になっております」


 弥四郎は表情を変えない。


「評判だけでは水は守れぬ」


「その通りでございます。ですので、槙尾左馬助より、三か所の水場を笠森と共に定めたいとのこと」


「三か所か」


「はい。南谷外れ。槙尾西沢。古炭道中ほどの湧き水」


 宗介は板を見た。


 三か所とも重要だった。


 南谷外れは笠森の入口。


 槙尾西沢は塩の小荷を通す要。


 古炭道中ほどの湧き水は、笠森と槙尾をつなぐ細い喉のような場所だ。


 そこを和木原に荒らされれば、水札はただの木片になる。


「今日のうちに見ます」


 宗介は言った。


 弥四郎がこちらを見る。


「行けるか」


「行きます」


 言ってから、胃が縮んだ。


 外へ出るのはまだ怖い。


 けれど、水場を決めるなら現場を見なければならない。水の量、足場、荷を置ける場所、火を使ってよい場所、見張りの立ち位置。そこを見ずに札だけ出せば、後で必ず崩れる。


「宇平次」


 弥四郎が言った。


「宗介をつける。だが、前には出すな」


「承知」


「新蔵殿。槙尾の者も、水場で勝手に汲ませぬ。札の印を合わせる」


「心得ております」


 市松が新しい札を彫っていた。


 水と石。


 水は波線。


 石は丸い塊。


 相変わらず少し頼りないが、昨日の井戸と薪とは違う。


「これでええか」


「いい」


 宗介は頷いた。


「三枚だけ?」


「今日は四枚」


「増えるんか」


「槙尾用が一枚、藤七さん用が一枚、松吉さん用が一枚、笠森の控えが一枚」


「控え?」


「何を出したか残すため」


 市松は少し得意げに言った。


「分かった。控えにも同じ印やな」


「頼む」


 市松は黙って彫り始めた。


 手つきが、少しずつ丁寧になっている。


 昼前、宗介たちは城を出た。


 宇平次。


 佐太。


 槙尾の新蔵と供二人。


 南谷から善助。


 笠森の降り人から太助。


 そして宗介。


 太助を連れていくことには、足軽たちから不満が出た。


 しかし、太助は炭道と湿った薪の扱いを知っている。昨日、塩の小荷を通した実績もあった。


 弥四郎は一言で決めた。


「疑うなら見張れ。使える手を捨てるほど、笠森は太くない」


 太助は何も言わなかった。


 ただ、背負い縄を締め直した。


 最初に見たのは、南谷外れの水場だった。


 井戸ではない。


 小さな湧き水を石で囲った場所である。


 水量は多くないが、きれいだった。荷を置ける平場が少しあり、二人なら休める。三人以上が一度に使えば、すぐ足元が泥になる。


「札一枚につき、ここで休めるのは二人まで」


 宗介は言った。


「水を汲むのは竹筒二本まで。桶で汲ませると荒れます」


 新蔵が頷く。


「商人には厳しく聞こえますな」


「荒れたら、誰も使えなくなります」


「確かに」


 善助が足元の石を見た。


「この石を少し増やせば、泥はましになります」


「石を増やすなら、南谷の者が分かるように印を」


「はい」


 太助が周りの木を見て言った。


「ここで火は焚かない方がいい。煙が見える」


 佐太が眉を上げた。


「お前が言うのか」


「炭焼きだから分かる」


 太助はぶっきらぼうに答えた。


 宗介は頷いた。


「ここは水だけ。火は駄目。休みも短く」


 新蔵の供が板片に簡単な印を写す。


 南谷外れ。


 二人まで。


 竹筒二本。


 火を使わない。


 次は槙尾西沢だった。


 こちらは水量がやや多い。


 ただし、道が狭い。荷を置く場所が悪く、背負い荷を下ろすと後ろが詰まる。


 宗介はその場所を見た瞬間、嫌な汗をかいた。


「ここは、荷を下ろす場所を決めないと詰まります」


「どこがよい」


 新蔵が聞く。


 宗介は少し歩き、沢の脇の平たい石を指した。


「ここだけです。ほかで下ろすと道を塞ぎます。水を汲む人、荷を見張る人、通る人を分ける」


 宇平次が笑った。


「水を飲むだけでも役を分けるのか」


「ここは詰まれば危ないです。後ろから敵が来た時、荷が邪魔になります」


 太助が頷いた。


「ここは逃げにくい。炭荷を背負って一度転んだら、後ろも全部止まる」


「経験あるのか」


 佐太が聞く。


「ある」


「笑えんな」


「笑えねえ」


 槙尾の供が真面目に頷いた。


 西沢では、槙尾の者が見張りを置くことになった。


 だが、笠森の水札も通じる。


 代わりに、笠森の荷が水を使った時は、槙尾の板にも印を残す。


 宗介はそれを聞いて、胸の奥に少し重いものを感じた。


 板が増える。


 印が増える。


 手間が増える。


 だが、ここを曖昧にすれば、次に必ず揉める。


 最後に向かったのは、古炭道中ほどの湧き水だった。


 そこへ着く少し手前で、太助が足を止めた。


「待て」


 宇平次がすぐに手を上げる。


 全員が止まる。


「どうした」


「臭いが変だ」


 太助は鼻を動かした。


「水じゃない。油か、腐った米か」


 宗介の背筋が冷えた。


 湧き水へ近づくと、答えはすぐに分かった。


 水場の脇に、小さな袋が破られていた。


 中には腐った米糠のようなものが入っている。水そのものへはまだ大きく混ざっていないが、足元に撒かれていた。


 放っておけば雨で水へ入る。


 水場を汚すための仕掛けだった。


 善助が怒りで顔を赤くした。


「水を汚すか」


 宇平次の目も冷える。


「和木原か」


 新蔵はしゃがみ、袋を小枝で寄せた。


「断じるには早い。ですが、昨日の今日です。偶然ではありますまい」


 宗介は水場を見た。


 まだ助かる。


 水そのものは澄んでいる。


 足元の汚れを取り、石を入れ替え、周囲を掘り直せば使える。


「今すぐ掃除します」


 宗介は言った。


「水は止められません。でも、汚れが入る前に足元を削る。汚れた土は下へ流さず、布か籠で取る。水を汲む場所を一時的に上へずらす」


 佐太が顔をしかめた。


「道具は」


「手でやるしかありません」


 宗介は袖をまくろうとした。


 宇平次が止める。


「お前は指示しろ。手は他にもある」


 太助がすぐに腰を下ろした。


「俺がやる」


 佐太が意外そうに見る。


「お前が?」


「炭場で水を汚すと、後で自分が困る。こういうのは早い方がいい」


 善助も膝をついた。


「私も」


 槙尾の供も加わる。


 腐った米糠のようなものを、枝と布で丁寧に取る。


 汚れた土を削る。


 水の筋を一時的に石でずらす。


 宗介は足場を見ながら指示を出した。


「そこは踏まないでください。水が濁ります」


「汚れた布は水場から離して」


「石は上流側から。下流の泥を戻さないで」


 作業は半刻ほどかかった。


 その間、宇平次と新蔵は周囲を見張っていた。


 やがて、太助が水を手ですくい、匂いを嗅いだ。


「まだ少し臭うが、流せば戻る」


 善助も頷く。


「今日一日は飲ませぬ方がよい。明日、もう一度見ましょう」


 宗介は板片に印をつけた。


 古炭道湧き水。


 汚されかけた。


 掃除済み。


 今日使用禁止。


 明日再確認。


 新蔵がその印を見て、感心したように言った。


「使えない水場にも札を出すのですな」


「使えないと分からなければ、使ってしまいます」


「なるほど。悪い水にも札が要る」


 宗介は頷いた。


「はい。使える水と、使えない水を分けるのも大事です」


 太助が汚れた手を布で拭きながら呟いた。


「和木原は、水を殺しに来たな」


 その言葉は重かった。


 水を殺す。


 井戸縄を切るのとは違う。


 水場そのものの信用を壊す手だ。


 もし商人がこの水で腹を壊せば、水札の信用は落ちる。


 笠森と槙尾が水場を守るという名も傷つく。


「これは、すぐ知らせる必要があります」


 宗介は言った。


 新蔵も頷いた。


「槙尾へも伝えます。和木原が水場を汚した可能性があると」


「断言はしないでください」


 宗介は言った。


「証がありません」


 新蔵は少し笑った。


「慎重ですな」


「断言して違ったら、こちらの信用が落ちます」


「では、こうしましょう。何者かが古炭道の湧き水を汚そうとした。笠森と槙尾が共同で清め、今日は使わせない。和木原の塩止めの直後に起きた、と」


「それなら」


 宇平次が頷いた。


「十分だ。聞く者は考える」


 水場改めは、そこで終わらなかった。


 帰り道、宗介たちは小さな荷の一行と出会った。


 松吉ではない。


 知らない商人二人。


 彼らは笠森の水札に似た木片を腰に下げていた。


 宇平次がすぐに槍を向ける。


「止まれ」


 商人たちは驚いて立ち止まった。


「水札を見せろ」


 一人が慌てて木片を出す。


 宗介は見た瞬間、違和感を覚えた。


 今日の印は水と石。


 だが、その札には井戸と薪が刻まれている。


 昨日の印だ。


 しかも、市松の線より丁寧すぎる。


 真似た者が、逆に上手く彫っていた。


「これは昨日の印です」


 宗介は言った。


「今日の札ではありません」


 商人の顔が青くなる。


「いや、これは和木原の者から、笠森の水場を通れる札だと」


 新蔵の目が細くなった。


「和木原から?」


「はい。通行の代わりに銭を取られました」


 場が静まった。


 和木原は、笠森の水札を真似て、銭を取っていた。


 しかも古い印で。


 これはただの妨害ではない。


 笠森と槙尾の信用を盗み、商人から銭を取る手だ。


 宇平次が低く言った。


「その札は預かる」


「困ります」


「偽物だ。持っていれば、お前たちが疑われる」


 商人たちは顔を見合わせ、しぶしぶ差し出した。


 宗介は二人に水を出すか迷った。


 水札は偽物。


 だが、商人本人が偽物を作ったとは限らない。


 弥四郎ならどうするか。


 少し考え、宗介は言った。


「今日は、南谷外れの水場だけ使ってください。笠森の見張りが立ち会います。次からは、本物の水札を笠森か槙尾で受けてください。偽物を使えば水場は使えません」


 商人たちは何度も頭を下げた。


「助かります」


 宇平次が小声で言った。


「甘いな」


「締め出すと、和木原の札が本物みたいになります」


 宗介も小声で答えた。


「こちらが本物の手順を示した方がいい」


 宇平次は少し考え、頷いた。


「一理ある」


 笠森城へ戻る頃には、夕方になっていた。


 報告は山ほどあった。


 南谷外れの水場は二人まで。


 槙尾西沢は荷下ろし場所を限定。


 古炭道の湧き水は汚されかけ、本日使用禁止。


 偽の水札が出回り始めた。


 和木原が銭を取っていた可能性。


 弥四郎は黙って聞いた。


 若い城主の顔には怒りがあった。


 だが、すぐ怒鳴りはしない。


「市松」


「へい」


「今日のことを書け。古炭道の水場、汚されかける。笠森と槙尾で清める。本日は使わず。偽水札、和木原より出る疑い。昨日の印、井戸と薪。今日の印、水と石」


 市松の顔が引き締まる。


「偽物、出たんやな」


「出た」


「じゃあ、明日の印はもっと変なやつにする?」


 弥四郎は少しだけ考えた。


「炭と鳥」


「何で鳥?」


「真似しにくい」


 市松は真顔で頷いた。


「任せろ。変な鳥を彫る」


 宇平次がぼそりと言った。


「変すぎて味方も分からぬ札は困るぞ」


 場に小さな笑いが起きた。


 緊張の中で、その笑いはありがたかった。


 弥四郎はすぐ真顔に戻る。


「和木原は塩を止め、水を汚し、札を偽った。なら、こちらは本物の水札を広げる。ただし、雑には出さぬ」


 安西新蔵も頷いた。


「槙尾も同じ札を認めましょう。偽札を見つけた商人には、笠森か槙尾へ持ち込ませる。本物と替えるか、破棄する」


「本物と替える時は、名と荷を聞きます」


 宗介が言った。


「偽札がどこから来たかも」


「情報も回収するわけですな」


 新蔵が笑う。


「はい。偽札も荷です」


 喜兵衛が呆れたように言った。


「とうとう偽物まで荷になったか」


「運ばれてきたので」


 宗介は真面目に答えた。


 その夜、笠森城の粥には、昨日通した塩が少しだけ入った。


 水場を清めた者たちには、普段より少しだけ多めの味噌湯が出た。


 太助にも出た。


 足軽の一人がそれを見て、眉を寄せたが、何も言わなかった。


 太助が汚れた水場を清めたことは、皆が見ていた。


 役に立った者に、役に立った分が返る。


 それが見えれば、不満は完全には消えなくても、形を変える。


 宗介は椀を持ちながら、門外の札を見た。


 笠森、南谷の井戸を守る。


 水と道を乱す者を許さず。


 今日、その言葉は試された。


 水場は汚されかけた。


 札は偽られた。


 それでも、笠森と槙尾は水場を清め、偽札を見つけ、本物の手順を示した。


 小さな城の札が、ただの札ではなくなりつつある。


 道を通すもの。


 水を守るもの。


 偽りを見つけるもの。


 それは、和木原が思ったより厄介なものになっているはずだった。


 夜更け、藤七から使いが届いた。


 短い伝言だった。


 水札が本物なら、明日、別の商人が二人、笠森へ来る。


 塩だけではない。


 油、針、干物。


 そして、尾張へ抜ける商人筋の話もある。


 宗介はその伝言を聞いて、胸がざわついた。


 尾張。


 その名が、初めて少し近いところで響いた。


 笠森の水と道は、もう南谷と槙尾だけの話ではなくなり始めている。


 弥四郎は静かに言った。


「明日は、商人を二人迎える。水は出す。飯は出さぬ」


 宇平次が笑った。


「そこは変わりませぬな」


「変えぬ」


 弥四郎は答えた。


「飯を出す相手は、こちらが決める」


 宗介は頷いた。


 水は道を通す。


 飯は腹を預ける。


 その違いを、笠森は覚え始めていた。


第三十四話─了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ