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【連載版】戦国に転生した五十一歳、兵糧係から成り上がる 〜刀は振れないが、腹を満たせば兵は立つ〜  作者: あちゅ和尚


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第19話 濡れ薪の罠

 翌朝、笠森城の薪場は三つに分けられていた。


 竈の近くには、今日使う分だけ。


 蔵から離れた屋根下には、乾いた薪。


 城庭の外れ、日当たりのよい斜面には、湿った薪。


 それぞれに市松が描いた印の板が立てられている。


 細い枝。


 太い薪。


 乾いた薪。


 湿った薪。


 火消し用の水桶。


 字より絵が多い。


 相変わらず下手だったが、誰が見ても何となく分かるようにはなっていた。


「薪にまで札が立つとはな」


 宇平次が呆れたように言った。


 だが、その声にはもう嘲りは少ない。


 久住宗介は、湿った薪の束を見ながら答えた。


「札がないと、急いだ時に混ざります」


「混ざると何が悪い」


「湿った薪を竈に入れれば煙が出ます。飯が遅れます。目がしみて、竈番が動けなくなります」


「聞いた。昨日も聞いた」


「大事なので」


 宇平次は鼻を鳴らした。


「お前の大事は、どんどん細かくなる」


「細かいところを狙われています」


 宗介はそう言って、城の外れに視線を向けた。


 槙尾の薪場が荒らされた。


 南谷の井戸の縄を狙われた。


 渡しの縄も狙われた。


 敵は、正面から門を破る力ではなく、こちらの飯を遅らせる小さな場所を突いている。


 ならば、次に狙われるものを待つだけでは遅い。


「若が呼んでいる」


 宇平次が言った。


 宗介が蔵の前へ行くと、片瀬弥四郎、喜兵衛、善助、そして南谷の庄屋がいた。


 板の上には、敵の動きをまとめた印がある。


 灰原の竈。


 悪い水。


 薪場荒らし。


 井戸の縄。


 渡し。


 見せ火。


 弥四郎はその板を見たまま言った。


「敵は、こちらの火を遅らせたい」


「はい」


「なら、こちらも薪場を餌にできるか」


 宗介は息を止めた。


 また餌。


 偽の米俵の時のように、敵を誘う話だった。


 あの時、半助が傷を負った。


 その記憶がすぐ蘇る。


「危険です」


「知っている」


 弥四郎は静かに答えた。


「だから聞いている。敵が薪を狙うなら、こちらが失うものを小さくして、敵の手を見たい」


 宗介は板を見た。


 薪場。


 火。


 水。


 敵は薪を燃やすか、濡らすか、散らすか。


 こちらが本当に大事な乾いた薪を置けば、被害が大きい。


 ならば、見せる薪と守る薪を分ける。


「本当に使う乾いた薪は隠します」


 宗介は言った。


「竈近くにも置きすぎない。見える場所には、湿った薪と、使いにくい太い薪を積む」


 喜兵衛が眉を上げた。


「敵に濡らされても困らぬ薪か」


「はい。ただし、あまり露骨だと罠だと分かります。上だけ乾いた枝を置く。下は湿った薪。火をつけられても燃え広がりにくい」


 宇平次が頷いた。


「火をつけに来たところを捕まえるか」


「捕まえられれば。ただし、無理に追わないでください」


「またそれか」


「火を消す方が先です」


 宗介は城庭の端を指した。


「薪場の周りに、水桶を二つ。火消し用。飲み水とは別。足元には、灰を薄く撒けますか」


 喜兵衛が目を細めた。


「灰?」


「踏めば跡が残ります。夜でも、朝になればどこから来たか少し分かるかもしれません」


 善助が頷いた。


「畑でも、灰を踏めば足跡が見えます」


「それと、薪場の裏に縄を張らないでください。こちらが転ぶかもしれません。罠で味方が怪我をしたら意味がない」


 宇平次が少し笑った。


「敵より先に味方が引っかかるか」


「あります」


 宗介は真顔で答えた。


「暗いので」


 弥四郎が短く言った。


「よし。やれ。宇平次、見張りは少なく、だが眠らせるな。喜兵衛、乾いた薪は隠せ。宗介、火消しと足跡を見る段取りをつけよ」


「はい」


 その日の午後、笠森城の外れに小さな薪場が作られた。


 見せ薪場である。


 上には乾いて見える細枝。


 下には湿った薪。


 さらにその下には、使いにくい太い木。


 遠目には、竈へすぐ使える薪の山に見える。


 だが、実際にはすぐ燃え広がらない。


 宗介は火の回りを考えながら、薪の置き方を何度も直した。


「面倒だな」


 市松が言った。


「燃やす薪なのに、燃えにくく置くのか」


「敵に燃やされる薪だから」


「ややこしい」


「俺もそう思う」


 市松は灰を薄く撒いていた。


 撒きすぎれば不自然。


 少なすぎれば足跡が残らない。


 宗介が何度も「薄く」と言うので、市松はだんだん不機嫌になっていた。


「これくらい?」


「もう少し広く」


「これくらい?」


「そこは厚すぎる」


「うるせえな!」


「ごめん」


「謝るなら自分でやれよ」


「俺がやると、たぶんもっと下手です」


 市松は少し黙り、それから鼻で笑った。


「それはそうかもな」


 夕方までに、乾いた本物の薪は三か所へ隠された。


 一つは竈の裏。


 一つは蔵から離れた屋根下。


 もう一つは南谷の者が使っている壁際の陰。


 それぞれに少しずつ。


 一か所をやられても、全部は失わないようにした。


 おきぬは竈の前で、その様子を見ていた。


「薪まで隠すなんて、世も末だねえ」


「見えているものから狙われます」


「飯も、水も、薪もかい」


「はい」


「そのうち鍋まで隠すんじゃないの」


 宗介は一瞬、黙った。


 おきぬが眉を上げる。


「まさか、本当に考えたのかい」


「鍋が割れたら困るので」


「……あんた、本当に面倒な男だね」


「すみません」


「でも、鍋の替えはないよ。覚えときな」


 その一言で、宗介の頭にまた新しい不安が増えた。


 鍋。


 釜。


 椀。


 飯を作る道具。


 そこまで狙われたら、どうする。


 考え出すときりがない。


 宗介は首を振った。


 今は薪だ。


 まず、今夜を越える。


 夜になった。


 見せ薪場の近くに、見張りが二人置かれた。


 ひとりは笠森の佐太。


 もうひとりは南谷の若者、半助の代わりに来た庄七である。


 半助はまだ腕が使えないため、伝え役に回っていた。


 宇平次は少し離れた場所で待機する。


 宗介は竈のそばにいるはずだった。


 だが、見せ薪場の火消し水と灰の様子を確かめるため、少し離れた物陰にいた。


 戦うためではない。


 火が出た時、水をどこへ回すかを見るため。


 そう自分に言い聞かせていた。


 それでも、闇の中に立つのは怖かった。


 風が竹藪を鳴らすだけで、肩が跳ねる。


 遠くで獣が動いたような音がすると、心臓が縮む。


「宗介」


 低い声がした。


 宇平次だった。


「息が荒い」


「すみません」


「敵に聞こえるほどではないが、もう少し落ち着け」


「努力します」


「震えているか」


「はい」


「それでも目は開けておけ」


「はい」


 宇平次はそれだけ言って、また闇に溶けた。


 冷たいようで、妙にありがたい言葉だった。


 震えていてもいい。


 目を開けていろ。


 宗介は唇を噛み、見せ薪場を見た。


 薪の山は、闇の中で黒く沈んでいる。


 その横に水桶が二つ。


 二本線の印。


 少し離れた場所に、飲み水。


 丸印。


 足元には灰。


 見張りは薪場から近すぎず、遠すぎず。


 敵が火をつけに来れば見える。


 だが、薪場のすぐ横には立たない。


 火を投げられた時、巻き込まれないためだ。


 半刻ほど、何も起きなかった。


 何も起きない時間が一番つらい。


 宗介の頭には、悪い想像ばかり浮かぶ。


 敵は薪場ではなく、井戸へ行ったのではないか。


 渡しを狙っているのではないか。


 城門で火を見せるのではないか。


 この薪場は見抜かれていて、別の場所を狙われているのではないか。


 その時、佐太が小さく手を上げた。


 宗介は息を止めた。


 見せ薪場の向こう、低い影が二つ動いていた。


 ひとりは薪場の裏へ回る。


 もうひとりは手に何かを持っている。


 火か。


 いや、水袋かもしれない。


 燃やすのではなく、濡らすのか。


 宗介は喉を鳴らした。


 影の一つが、薪の山へ近づく。


 手に持っていたものを振った。


 水が飛んだ。


 やはり濡らしに来た。


「まだだ」


 宇平次の声が、闇の中から落ちる。


 佐太も動かない。


 敵は薪場の上だけを濡らした。


 濡らしたつもりなのは、乾いて見える細枝である。


 だが、その下はもともと湿った薪だ。


 被害は小さい。


 もう一人が火打ちのようなものを取り出した。


 濡らすだけではない。


 火もつける気か。


 湿らせて煙を出す。


 あるいは、乾いた枝だけ燃やして騒がせる。


 宗介は足がすくむ。


 火がつく。


 火がつくと分かっていて、待つのは怖い。


 小さな火花が見えた。


 次の瞬間、宇平次が低く叫んだ。


「今だ!」


 佐太と庄七が飛び出す。


 宇平次も横から出た。


 敵の二人が驚いて振り返る。


 一人は逃げようとした。


 だが、足元の灰で滑った。


 完全に転んだわけではない。


 ただ、一瞬足が乱れた。


 その隙に佐太が槍の柄で足を払った。


 男が倒れる。


 もう一人は火打ちを捨て、短い刃物を抜いた。


 宇平次が真正面から押さえる。


 斬るのではなく、肩からぶつかり、刃物を持つ腕を弾いた。


「水!」


 宗介は叫んでいた。


 薪場の上の細枝に小さな火がついている。


「二本線! 火消し水!」


 庄七が水桶を取る。


 だが焦って足を滑らせた。


「落とすな!」


 宗介は駆け出しかけた。


 しかし、佐太が先に桶を支えた。


 二人で水をかける。


 火は小さくなった。


 ただ、湿った薪から白い煙が上がる。


 煙が広がると、目がしみる。


「土も!」


 宗介が叫ぶ。


 市松に用意させていた土の山が近くにある。


 庄七がそれを被せる。


 火は消えた。


 宇平次は敵の一人を押さえ込んでいた。


 もう一人は佐太に組み伏せられている。


「縛れ!」


 宇平次が命じる。


 佐太が縄を出す。


 宗介はそこで初めて、敵を生きたまま捕まえたことに気づいた。


 胸がどくどくと鳴る。


 敵の一人は若かった。


 まだ二十にも届かないかもしれない。


 顔に煤がつき、目は恐怖で見開かれている。


 もう一人は痩せた男で、腕に古い傷があった。


 どちらも、腹が減った顔をしていた。


 佐太が若い方の腰から布包みを奪った。


「飯だ」


 宗介の目がそちらへ向く。


 敵の飯包み。


 今度もある。


 ただし、前に拾ったものより小さい。


 中身は干し飯が少し。


 塩はない。


 味噌もない。


 宗介は背筋が冷えた。


「減っています」


 宇平次がこちらを見る。


「何が」


「飯包みの中身が、前より少ない。塩も味噌もない」


 痩せた男が荒い息で言った。


「うるせえ……」


 宇平次が男の襟を掴む。


「どこの者だ」


 男は答えない。


 若い方は震えている。


 宗介はその若い男の顔を見た。


 怖い。


 こちらも怖い。


 向こうも怖い。


 だが、ここで情に流されれば、また誰かが傷つく。


「水を少し」


 宗介が言うと、佐太が眉を吊り上げた。


「敵にか」


「喋らせるなら、喉が渇いていると無理です。少しだけ」


 宇平次は一瞬迷った。


 そして頷いた。


「少しだ」


 若い男に水を含ませる。


 飲みすぎないように、佐太が椀を引く。


 男は咳き込んだ。


 宗介はしゃがみ、できるだけ低い声で聞いた。


「なぜ薪を濡らしに来た」


 若い男は答えない。


「火をつけるだけなら、水はいらない。濡らしてから火をつければ煙が出る。飯を遅らせるためか」


 男の目が揺れた。


 図星だ。


 宗介にも分かった。


「誰に言われた」


 宇平次が低く問う。


 男は唇を噛んだ。


 痩せた男が怒鳴る。


「喋るな!」


 佐太がその男を押さえつける。


 若い男は震えた。


 宗介はさらに聞いた。


「飯が減っている。塩もない。灰原では水が悪い。だから、こちらの飯を遅らせたい。違うか」


 若い男の顔が歪んだ。


 答えはない。


 だが、沈黙が答えだった。


 宇平次が宗介を見る。


「こいつらの腹は、もう苦しいか」


「はい」


 宗介は飯包みを見た。


「少なくとも、前に拾ったものより悪いです」


 その時、若い男がぽつりと言った。


「……塩は、上の者だけだ」


 場が静まった。


 痩せた男が叫ぶ。


「黙れ!」


 宇平次が男を押さえ直す。


 若い男はもう止まらなかった。


「俺らには、干し飯だけだ。水は腹を壊す。火を焚けば見つかる。だから……だから、薪を濡らせと言われた」


「誰に」


 宇平次が聞く。


 若い男は震えながら答えた。


「甚内様」


 甚内。


 その名が闇に落ちた。


 宇平次が眉を寄せる。


「灰原の者か」


「灰原にいる。けど、もとは……」


 若い男はそこで口を閉じた。


 痩せた男の目が怖かったのだろう。


 宗介は無理に続きを急がなかった。


 甚内。


 敵の腹を見ている者の名かもしれない。


 弥四郎へ知らせなければならない。


「連れて戻りますか」


 宗介が聞くと、宇平次は頷いた。


「戻る。薪場は」


「火は消えました。濡れたのは見せ薪だけです。本物は無事です」


 佐太が確認する。


「足跡も残っています」


 灰の上には、敵二人の足跡がはっきり残っていた。


 どこから近づき、どこへ逃げようとしたか。


 朝になれば、もっと見えるだろう。


 宗介は胸の奥で小さく息を吐いた。


 見せ薪場は効いた。


 火は広がらなかった。


 本物の薪は守れた。


 敵を二人捕らえた。


 そして、甚内という名を得た。


 だが、目の前の若い男の震えた顔が、どうしても頭から離れなかった。


 笠森城へ戻ると、弥四郎はすぐに報告を聞いた。


 捕らえた二人は縛られ、門の内側に座らされた。


 水は少しだけ与えた。


 飯はまだ与えていない。


 宇平次が報告する。


「薪場に二人。水で濡らし、火をつけようとしました。捕らえました。敵の飯包みは、以前より少なく、塩も味噌もなし」


 宗介が続けた。


「敵の飯は苦しくなっています。若い方が、塩は上の者だけだと言いました。それと、甚内という名を出しました」


 弥四郎の目が細くなる。


「甚内」


 南谷の庄屋が顔を上げた。


「聞いたことがございます」


 全員が庄屋を見る。


「灰原甚内。昔、川向こうの荷駄を束ねていた男です。どこの家にも長く仕えず、荷の道と米の隠し場所に詳しいと聞きました」


 宗介の背中に冷たいものが走った。


 荷駄を束ねていた男。


 やはり、相手にも荷と腹を見る者がいる。


 弥四郎は低く言った。


「敵の名が見えたな」


 宇平次が頷く。


「灰原甚内。荷の道を知る男」


 喜兵衛が敵の飯包みを見た。


「だが、その飯も細ってきている」


 宗介は板の前に膝をついた。


 市松が炭を持って待っている。


「何を書く」


「見せ薪場。敵二人。濡らして煙を出す狙い。飯包み少なし。塩なし。甚内。荷駄を知る男」


 市松の顔が真剣になった。


 炭が走る。


 薪の印。


 煙の印。


 小さな飯包み。


 塩なし。


 そして、甚内という名。


 初めて、敵に名前がついた。


 宗介はその字を見て、喉の奥が重くなるのを感じた。


 相手は影ではない。


 腹を空かせた者たちの後ろに、荷の道を知る男がいる。


 こちらの兵糧を狙い、こちらの火を遅らせ、井戸の縄を切ろうとする男。


 灰原甚内。


 小さな笠森城の戦は、ようやく敵の形を掴み始めていた。


第19話─了

新しい戦国転生短編を投稿しました。


『呂布の武と郭嘉の知を授かって戦国に転生した俺、信長の負け戦をひっくり返す』


https://ncode.syosetu.com/n4580mf/


本作とは少し違う、武と知で戦場をひっくり返す派手めの戦国転生ものです。

よろしければ、こちらも読んでいただけると嬉しいです。

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