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【連載版】戦国に転生した五十一歳、兵糧係から成り上がる 〜刀は振れないが、腹を満たせば兵は立つ〜  作者: あちゅ和尚


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第10話 見張りの飯

 西の尾根へ向かう道は、城の中から見ていたよりも悪かった。


 笠森城の門を出て、しばらくは南谷へ下る道と同じである。


 だが、途中から西へ折れると、途端に足場が細くなった。


 片側は竹と雑木の斜面。


 もう片側は、雨が降ればすぐ沢になりそうな浅い窪み。


 土は湿っており、落ち葉の下に石が隠れている。わらじの底が滑り、宗介は何度も足を取られた。


「おい、転ぶなよ」


 宇平次が前を歩きながら言った。


「転べば置いていくぞ」


「できれば、待ってください」


「できればな」


 宇平次の返事は冷たい。


 だが、本気で置いていく声ではなかった。


 宗介は息を整えながら歩いた。


 同行しているのは、宇平次、足軽二人、喜兵衛、それに南谷の善助だった。善助は道をよく知っているため、案内として加わっている。


 宗介の腰には、布に包んだ小さな味噌握りが三つ。


 竹筒には水。


 喜兵衛が持たせた干し飯が少し。


 見に行くだけなら、余分に見える。


 だが、道を見に行く者が途中で腹を減らして戻れば、それこそ無駄だ。


 宗介はそう言った。


 喜兵衛は渋い顔をしたが、結局、持たせてくれた。


「槙尾の者は、あの尾根の向こうで待つと言っていたな」


 宇平次が善助へ聞く。


「はい。昔、炭焼きが使っていた小屋跡がございます。そこなら、笠森からも槙尾からも寄れます」


「小屋跡か」


 宇平次は顔をしかめた。


「雨風をしのげるのか」


「昔はしのげました」


「今は」


「見てみねば」


 宗介はその言葉を聞いて、胃が少し重くなった。


 見てみねば分からない。


 この数日、そればかりだ。


 蔵も、井戸も、薪場も、南谷の道も、見てみなければ本当のところは分からなかった。


 書かれた帳面だけでは足りない。


 人の話だけでも足りない。


 足で行き、目で見て、泥を踏んで、ようやく分かる。


 それが戦国の現場なのだろう。


 現代の地図や配送表がどれだけありがたかったか、今さら痛いほど分かる。


 もっとも、ここでそれを言っても誰にも通じない。


「宗介」


 喜兵衛が後ろから声をかけた。


「息が上がっておるぞ」


「はい」


「その身体、見た目ほど使えぬな」


「自分でも、そう思います」


 宗介は正直に答えた。


 この身体は、五十一年を生きた元の身体より軽い。


 だが、山道を歩く足運びを知らない。


 泥を避ける勘もない。


 重いものを担ぐ腰もできていない。


 知識はあっても、身体がついてこない。


 それが情けなかった。


「なら、覚えろ」


 喜兵衛は言った。


「道を見る者が、道で転んでは話にならぬ」


「はい」


 厳しい。


 だが、正しい。


 宗介は足元を見る。


 石の上に乗らず、土の固いところを探す。


 前を歩く善助の足の置き方を真似る。


 それだけで、少し楽になった。


 やがて、尾根の上へ出た。


 風が変わった。


 笠森城の方を振り返ると、木々の向こうに小さな旗が見える。南谷は低い霧の中に沈み、川筋が白く光っていた。


 西の方には、槙尾へ続く山道が伸びている。


 その道の脇に、半ば崩れた小屋があった。


 炭焼き小屋の跡だという。


 屋根は半分落ち、壁は隙間だらけ。床には湿った枯れ葉が積もり、隅に古い灰が残っていた。


 見張りの休み場。


 そう呼ぶには頼りない。


「ここに人を置くのか」


 宇平次が低く言った。


「雨が降れば濡れます」


 宗介は屋根を見上げた。


「風も入る。火を焚けば煙が上がる。外から見えるかもしれません」


「では使えぬか」


「そのままでは」


 宗介は小屋の周りを見た。


 小屋の裏に、乾いた枝が少し積もっている。


 だが、太い薪はない。


 水場は見えない。


 近くの地面に獣の足跡がある。


 人が長く休む場所としては弱い。


「水場はどこですか」


 善助が斜面の下を指した。


「あちらに細い湧き水がございます。炭焼きたちは、そこから汲んでおりました」


「遠いですか」


「近いですが、足場が悪い」


 案内されて下ると、確かに湧き水はあった。


 岩の割れ目から細く流れている。


 水は澄んでいる。


 だが、量が少ない。


 桶を満たすには時間がかかるだろう。しかも足場が狭く、二人並んで汲むことはできない。夜に来れば、滑って転ぶ危険がある。


 宗介はしゃがんで水を見た。


「見張り六人が使うには少ないです」


 宇平次が眉を寄せる。


「飲むだけなら足りるだろう」


「飲むだけなら。でも粥を作る、手を洗う、怪我を洗う、火を消すとなると足りません」


「ここで粥まで作る気か」


「作らない方がいいです」


 宗介は立ち上がった。


「煙が出ます。薪も足りません。ここでは火を使わず、持ってきた干し飯と水で済ませる方がいい。温かいものは城か槙尾へ戻ってから」


 足軽の一人が嫌そうな顔をした。


「冷えた飯で見張るのか」


「短い交代ならできます。長く置くなら、休み場と火が要ります」


 宇平次が唸った。


「槙尾は、ここを中継に使うつもりか」


「たぶん」


 宗介は答えた。


「ですが、ここに長く人を置くには弱いです。見張りは置けても、泊まらせる場所ではありません」


 喜兵衛が頷いた。


「水が細すぎる。桶を置く場所もない。ここで水争いになれば、見張り同士で揉める」


「水争いか」


 宇平次が嫌な顔をした。


「見張りに出て、味方同士で揉められては困る」


「だから、汲む順番を決めます」


 宗介は地面に枝で印をつけた。


 湧き水。


 小屋。


 尾根道。


 笠森側。


 槙尾側。


「ここに置く人数は少ない方がいいです。笠森二、槙尾二。多くても四人。長居させない。水は竹筒に詰めて持ってくる。ここの湧き水は足りない時だけ使う」


「六人ではなく四人か」


「はい。六人いると、水が足りず、休む場所も足りません」


「戦えば四人では少ない」


「ここで戦うのではなく、知らせる場所にするべきです」


 宇平次の目が鋭くなる。


「戦わず逃げろと?」


「踏みとどまって全員死ぬより、早く知らせる方が役に立つ場合があります」


 足軽二人が顔を見合わせた。


 宇平次はしばらく黙った。


 武人としては面白くない言葉だろう。


 見張りに立つ者へ、敵が来たら逃げて知らせろと言う。


 それは勇ましい話ではない。


 だが、ここは城門ではない。


 守るべき門も蔵もない。


 あるのは道と情報だ。


「ここで死なれても、城は助からないと思います」


 宗介は声を落とした。


「知らせが戻れば、城が備えられます。南谷の者も逃げられます。荷車も止められる」


 宇平次は宗介を睨んだ。


 だが、怒鳴らなかった。


「……見張りの役目は、敵を討つことではない。見つけること、知らせること。そういうわけか」


「はい」


「面白くはないが、理はある」


 宇平次は小屋を見た。


「ここは知らせ場だ。休み場ではない」


 その言葉に、宗介は頷いた。


「はい。その方がいいです」


 そこへ、西の道から人影が現れた。


 槙尾の使者、安西新蔵だった。


 供を二人連れている。


 新蔵は笠森の面々を見ると、軽く頭を下げた。


「早いお着きで」


 宇平次が返す。


「道と水を見ずに、人は置けぬ」


「まこと、その通りにございます」


 新蔵の目が、宗介の足元の印へ向いた。


 枝で描いた簡単な図。


 湧き水。


 小屋。


 道。


 彼はそれを見て、少し笑った。


「また印でございますか」


「字より早いので」


 宗介が答えると、新蔵は頷いた。


「分かりやすい」


 油断のならない男だ。


 笑っていても、目が笑いきっていない。


 新蔵は湧き水を見に行き、戻ってきて言った。


「水は細いですな」


「はい」


「ここへ六人は多い」


 新蔵はあっさり言った。


 宇平次が眉を動かす。


「そちらから六と言ったはずだが」


「言ってみたまでです」


 新蔵は悪びれなかった。


「笠森がどのように見るか、確かめたかった」


 宇平次の顔が険しくなる。


 宗介の背中にも冷たいものが走った。


 試された。


 やはり、見舞いだけではない。


 槙尾は、笠森にどれだけ現場を見る目があるかも探っている。


「では、どう見る」


 宇平次が低く聞いた。


 新蔵は小屋の方を見た。


「ここは長く休むには向きませぬ。火を焚けば目立つ。水は細い。四人まで。できれば二人ずつ交代。敵を止める場ではなく、知らせる場」


 宗介と同じ結論だった。


 宇平次が宗介をちらりと見る。


 宗介は黙っていた。


 自分が正しかったと誇る場面ではない。


 新蔵は続けた。


「ただし、知らせに走る道が悪い。夜なら転ぶ。途中に目印が要ります」


「目印?」


 宗介が聞くと、新蔵は道端の木を指した。


「枝を切り、布を結ぶ。夜でも手で触れば分かるように。笠森側と槙尾側で違う結びにすれば、戻る道を間違えませぬ」


 宗介は少し驚いた。


 縄の結びで俵を分けたのと似ている。


 新蔵もまた、現場を見る男だった。


「それは良いと思います」


 宗介は素直に言った。


 新蔵がこちらを見る。


「褒められるとは思いませなんだ」


「良いものは良いです」


「では、そちらの兵糧方殿は、飯をどう見る」


 話を振られ、宗介は息を吸った。


「ここに置く者の飯は、各々が持つべきです。笠森の者は笠森の飯。槙尾の者は槙尾の飯。ただし、水は互いに融通する。急ぎの時に、水を出し惜しみすれば知らせが遅れます」


「飯は分け、水は合わせる」


「はい」


「薪は」


「ここでは基本使わない。火を焚くなら、合図と区別がつかなくなります。どうしても火が必要な時だけ、低く、短く。薪を置きすぎると敵にも使われます」


 新蔵は興味深そうに聞いていた。


「なるほど。笠森の竈番は、火も怖がる」


「火は役に立ちます。でも、敵にも見えます」


「確かに」


 喜兵衛が口を挟んだ。


「問題は、持たせる飯の量だ。見張りが腹を減らして戻れば、見張りにならぬ。だが多く持たせれば、道で奪われる」


「小さな包みに分けましょう」


 宗介は言った。


「一人一包み。余分は持たせすぎない。戻ったら印をつけて、食った分を足す。食わずに持ち帰った分は戻す」


 足軽の一人が嫌そうな顔をした。


「食わずに戻したら、また出されるのか」


「状態が悪くなければ」


「俺の懐に入った飯だぞ」


「だから、少なめに持たせます」


 新蔵が笑った。


「厳しい兵糧方だ」


「米が少ないので」


「笠森は正直ですな」


 しまった。


 宗介は一瞬、口を閉じた。


 米が少ない。


 それを外の者の前で言うべきではなかったかもしれない。


 宇平次の目も厳しくなった。


 だが、新蔵はそのまま続けた。


「安心なされ。槙尾も多くはありませぬ」


 それもまた、どこまで本当か分からない。


 だが、この辺りの小領主が皆豊かではないことくらい、宗介にも分かる。


 飢えているのは笠森だけではない。


 槙尾も、南谷も、近隣の小さな者たちも。


 だからこそ、米を奪う賊が出る。


 だからこそ、水場と道が争いになる。


「なら、余計に決めた方がいいです」


 宗介は言った。


「曖昧にすれば、見張り同士で食い合います」


「食い合う、か」


 新蔵は面白そうに繰り返した。


「では、ここは四人。笠森二、槙尾二。半日で交代。夜は無理に置かず、夕暮れ前に戻す。夜に置くなら、別の仕組みが要る」


 宇平次が言う。


「夜こそ見張りが要る」


「夜にここへ置くなら、火なし、水少なし、道悪しです」


 宗介は首を振った。


「慣れていない者は転ぶ。知らせに走れない。夜は少し下がった場所に置いた方がいいかもしれません。南谷の曲がりの手前、荷車が通ったあたりなら、城にも近い」


「だが西尾根が空く」


「完全には見えません。でも、夜に見えない場所で人を置いても、見張りが見張りにならないことがあります」


 宇平次は不満そうだった。


 新蔵は黙って考えていた。


 戦の者としては、夜の見張りを薄くするのは怖いのだろう。


 宗介にも怖い。


 だが、人の能力を超えた場所に置けば、ただ消耗する。


 寒く、暗く、腹が減り、水も少ない場所で夜を越せと言われたら、人は寝る。あるいは勝手に火を焚く。あるいは村から飯を取る。


 それは見張りではなく、次の揉め事の種になる。


「夜は、城に近い場所で音を聞く」


 喜兵衛が低く言った。


「昼は尾根で見る。そういう分け方か」


「はい」


 宗介は頷いた。


「昼と夜を同じにしない方がいいと思います」


 新蔵が小さく頷いた。


「槙尾へ持ち帰ります。左馬助様も、そういう話なら聞きましょう」


「槙尾は、夜に無理を言わぬか」


 宇平次が問う。


「無理を言いたい者はおります」


 新蔵は正直に言った。


「だが、無理で見張りを潰しては元も子もない」


 その言葉で、ひとまず話はまとまった。


 西尾根は昼の知らせ場。


 笠森二、槙尾二。


 飯は各々。


 水は融通。


 火は原則使わない。


 夜は南谷の曲がり手前へ下げる案を持ち帰る。


 枝の目印と縄の結びを使う。


 宗介は地面の図に、枝で印を足した。


 昼。


 夜。


 水。


 飯。


 火なし。


 書いているうちに、頭が少し痛くなった。


 やることが増える。


 城の中だけでも手一杯なのに、今度は外の見張りの飯まで数えなければならない。


 だが、見張りが倒れれば、城が危ない。


 見張りが村から米を奪えば、南谷との関係が壊れる。


 槙尾の者と飯で揉めれば、協力はすぐ崩れる。


 外の見張りも、城の腹の一部になる。


「次は渡しだ」


 宇平次が言った。


 宗介は立ち上がろうとした。


 その時、膝が抜けた。


「おっと」


 善助が支えてくれた。


「すみません」


「少し休んだ方がよいのでは」


「大丈夫です」


 そう言った直後、腹が鳴った。


 はっきりと。


 周囲が一瞬静かになった。


 宇平次が呆れた顔をする。


「人の飯ばかり見て、自分が食っておらぬのか」


 宗介は顔が熱くなった。


「……忘れていました」


 喜兵衛が深くため息をついた。


「馬鹿者」


 そう言って、布包みを投げて寄越した。


 宗介が受け取ると、小さな味噌握りだった。


「見張りの飯を語る者が、途中で倒れてどうする」


「すみません」


「食え」


 宗介は素直に味噌握りを口へ入れた。


 冷えている。


 固い。


 だが、味噌の塩気が舌に触れると、身体に力が戻る気がした。


 新蔵がそれを見て、笑いを堪えている。


「兵糧方殿にも腹がある」


「あります」


 宗介は恥ずかしさを堪えて答えた。


「だから、見張りにもあります」


 宇平次がふっと笑った。


「説得力は増したな」


 情けない形でだが。


 宗介はそう思いながら、残りを飲み込んだ。


 その後、一行は渡しへ向かった。


 西尾根から少し下り、川筋へ出る。


 渡しと呼ばれているが、立派なものではない。川幅は広くないものの、流れは速い。両岸に杭が打たれ、古い縄が渡されていた。増水すれば、簡単に使えなくなるだろう。


 川のこちら側には、踏み荒らされた跡があった。


 新しい。


 宗介にも分かった。


 泥に残った足跡。


 草の倒れ方。


 岸辺に落ちた割れた竹筒。


 宇平次がしゃがみ込む。


「昨夜か」


「一昨日かもしれませぬ」


 善助が答える。


 新蔵が杭のそばを見た。


「縄が擦れている。荷を渡した跡か」


 喜兵衛が顔をしかめる。


「賊がここを使ったか」


 宗介は川を見た。


 水。


 道。


 荷。


 ここを押さえれば、米を運べる。


 逆に、ここを敵が使えば、笠森と南谷の裏へ回れる。


「ここに見張りを置くなら、水はあります」


 宗介は言った。


「ですが、飲めるかどうかは別です。川の水をそのまま飲むのは怖い。腹を壊すかもしれません」


 宇平次が顔をしかめる。


「川の水も駄目か」


「濁っていれば、特に。上流で何があるか分かりません。煮るなら火が要ります。火を使えば煙が出ます」


「また火か」


「はい」


「では、ここにも水を持ってこいと?」


「少なくとも飲み水は持たせるべきです。川の水は手を洗う、火を消す、泥を落とすには使える。飲むなら煮る必要があります」


 新蔵が頷いた。


「槙尾でも、腹を下した者が出たことがある」


「なら、なおさらです」


 宗介は渡しの周囲を見た。


「ここは知らせ場というより、通すか止めるかの場所です。縄を切れば敵も渡りにくい。ですが、こちらも渡れません」


「切るかどうか、決めておかねばならぬな」


 宇平次が言った。


「敵が来てから迷えば遅い」


 宗介は杭を見た。


 縄を切る。


 たったそれだけで、道が死ぬ。


 荷が止まる。


 人も止まる。


 守りにはなる。


 だが、逃げ道も補給路も消える。


「切る役を決めてください」


 宗介は言った。


「誰でも切れるようで、誰も切らないことがあります。逆に、勝手に切る者が出ても困る」


 宇平次は足軽二人を見た。


「確かにな」


 新蔵も頷いた。


「槙尾の者が勝手に切れば、笠森が困る。笠森の者が勝手に切れば、槙尾が困る」


「だから、合図と役を決める」


 宗介は地面にまた印をつけた。


 渡し。


 縄。


 切る者。


 止める者。


 水。


 飯。


 書けば書くほど、やることは増えた。


 だが、書かなければ、いざという時に怒鳴り合いになる。


 怒鳴り合いになれば、時間が消える。


 戦場で時間が消えることは、命が消えることに近い。


 調べ終える頃には、空が傾いていた。


 笠森へ戻る道で、宗介の足は重かった。


 疲れた。


 本当に疲れた。


 けれど、見たものは多かった。


 西尾根の水は細い。


 小屋は泊まるには向かない。


 昼と夜で見張り場所を変えるべき。


 槙尾も余裕がない。


 新蔵は現場を見る男。


 渡しには使われた跡がある。


 縄を切る役と合図が要る。


 見張りにも、飯と水と休む場所が要る。


 城に戻ると、弥四郎が門の内側で待っていた。


「どうだった」


 宗介は泥だらけの足元を見てから、顔を上げた。


「見張りを置くには、飯が要ります」


 宇平次が後ろで呆れた声を出した。


「最初がそれか」


 弥四郎は笑わなかった。


「続けよ」


「水も、休む場所も、戻る道も要ります。西尾根は昼の知らせ場にできますが、夜に長く置くには弱いです。渡しは敵が使った跡があります。縄を切るかどうか、先に決める必要があります」


 弥四郎の顔が引き締まった。


「敵は、ただ騒いでいるだけではないか」


「道を見ています」


 宗介は言った。


「米を狙うだけでなく、どこを通れば荷が動くかを見ています」


 喜兵衛が板を差し出した。


 宇平次も補足する。


 新蔵との話。


 水場の細さ。


 火を使わないこと。


 昼夜で見張りを変える案。


 弥四郎は黙って聞いた。


 やがて、低く言った。


「槙尾と道を合わせる。だが、飯は各々。水は融通。南谷に過ぎた負担をかけぬ」


「はい」


「渡しの縄は、切る役を決める。勝手には切らせぬ」


「はい」


「見張りを置く者には、飯と水を持たせる」


 弥四郎は少しだけ宗介を見た。


「見張りにも腹がある、か」


「はい」


 宗介は頷いた。


「腹を空かせた見張りは、敵より先に村の飯を見るかもしれません」


 弥四郎の目が細くなった。


「それは困る」


「はい」


「ならば、先に食わせておく」


「腹いっぱいではなく、倒れない分です」


「分かっている」


 その返事が、自然に返ってきた。


 宗介は少しだけ驚いた。


 弥四郎の中で、飯の話がただの飯ではなくなっている。


 門。


 蔵。


 村。


 道。


 水場。


 見張り。


 そのすべてにつながるものとして、腹を見始めている。


 それは、小さな変化だった。


 だが、小さな城には大きな変化だった。


 夕方、宗介は竈の前で、見張り用の小さな包みを作った。


 干し飯を少し。


 味噌を薄く塗った握りを一つ。


 水を入れた竹筒。


 食ったかどうかを印に残す板。


 たったそれだけのものを、明日から西尾根と南谷の曲がりへ持たせる。


 派手な策ではない。


 誰かを討ち取るわけでもない。


 だが、見張りが腹を空かせず、勝手に村の米へ手を出さず、敵を見つけて戻ることができれば、城は少しだけ持つ。


 少しだけ。


 その少しを積むしかない。


 宗介は味噌握りを布で包んだ。


 隣で市松が板に新しい印を描く。


 西尾根。


 渡し。


 水。


 飯。


 縄。


 丸と線と下手な絵で、笠森城の外側が少しずつ見え始めていた。


 その夜、南の谷ではなく、西の山の向こうに小さな火が見えた。


 槙尾のものか。


 賊のものか。


 さらに別の誰かのものか。


 まだ分からない。


 ただ、宗介には分かった。


 米と水の道を見ているのは、笠森だけではない。


 この小さな城の周りで、腹を巡る戦が始まりつつあった。


第10話─了

新しい戦国転生短編を投稿しました。


『呂布の武と郭嘉の知を授かって戦国に転生した俺、信長の負け戦をひっくり返す』


https://ncode.syosetu.com/n4580mf/


本作とは少し違う、武と知で戦場をひっくり返す派手めの戦国転生ものです。

よろしければ、こちらも読んでいただけると嬉しいです。

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