第10話 見張りの飯
西の尾根へ向かう道は、城の中から見ていたよりも悪かった。
笠森城の門を出て、しばらくは南谷へ下る道と同じである。
だが、途中から西へ折れると、途端に足場が細くなった。
片側は竹と雑木の斜面。
もう片側は、雨が降ればすぐ沢になりそうな浅い窪み。
土は湿っており、落ち葉の下に石が隠れている。わらじの底が滑り、宗介は何度も足を取られた。
「おい、転ぶなよ」
宇平次が前を歩きながら言った。
「転べば置いていくぞ」
「できれば、待ってください」
「できればな」
宇平次の返事は冷たい。
だが、本気で置いていく声ではなかった。
宗介は息を整えながら歩いた。
同行しているのは、宇平次、足軽二人、喜兵衛、それに南谷の善助だった。善助は道をよく知っているため、案内として加わっている。
宗介の腰には、布に包んだ小さな味噌握りが三つ。
竹筒には水。
喜兵衛が持たせた干し飯が少し。
見に行くだけなら、余分に見える。
だが、道を見に行く者が途中で腹を減らして戻れば、それこそ無駄だ。
宗介はそう言った。
喜兵衛は渋い顔をしたが、結局、持たせてくれた。
「槙尾の者は、あの尾根の向こうで待つと言っていたな」
宇平次が善助へ聞く。
「はい。昔、炭焼きが使っていた小屋跡がございます。そこなら、笠森からも槙尾からも寄れます」
「小屋跡か」
宇平次は顔をしかめた。
「雨風をしのげるのか」
「昔はしのげました」
「今は」
「見てみねば」
宗介はその言葉を聞いて、胃が少し重くなった。
見てみねば分からない。
この数日、そればかりだ。
蔵も、井戸も、薪場も、南谷の道も、見てみなければ本当のところは分からなかった。
書かれた帳面だけでは足りない。
人の話だけでも足りない。
足で行き、目で見て、泥を踏んで、ようやく分かる。
それが戦国の現場なのだろう。
現代の地図や配送表がどれだけありがたかったか、今さら痛いほど分かる。
もっとも、ここでそれを言っても誰にも通じない。
「宗介」
喜兵衛が後ろから声をかけた。
「息が上がっておるぞ」
「はい」
「その身体、見た目ほど使えぬな」
「自分でも、そう思います」
宗介は正直に答えた。
この身体は、五十一年を生きた元の身体より軽い。
だが、山道を歩く足運びを知らない。
泥を避ける勘もない。
重いものを担ぐ腰もできていない。
知識はあっても、身体がついてこない。
それが情けなかった。
「なら、覚えろ」
喜兵衛は言った。
「道を見る者が、道で転んでは話にならぬ」
「はい」
厳しい。
だが、正しい。
宗介は足元を見る。
石の上に乗らず、土の固いところを探す。
前を歩く善助の足の置き方を真似る。
それだけで、少し楽になった。
やがて、尾根の上へ出た。
風が変わった。
笠森城の方を振り返ると、木々の向こうに小さな旗が見える。南谷は低い霧の中に沈み、川筋が白く光っていた。
西の方には、槙尾へ続く山道が伸びている。
その道の脇に、半ば崩れた小屋があった。
炭焼き小屋の跡だという。
屋根は半分落ち、壁は隙間だらけ。床には湿った枯れ葉が積もり、隅に古い灰が残っていた。
見張りの休み場。
そう呼ぶには頼りない。
「ここに人を置くのか」
宇平次が低く言った。
「雨が降れば濡れます」
宗介は屋根を見上げた。
「風も入る。火を焚けば煙が上がる。外から見えるかもしれません」
「では使えぬか」
「そのままでは」
宗介は小屋の周りを見た。
小屋の裏に、乾いた枝が少し積もっている。
だが、太い薪はない。
水場は見えない。
近くの地面に獣の足跡がある。
人が長く休む場所としては弱い。
「水場はどこですか」
善助が斜面の下を指した。
「あちらに細い湧き水がございます。炭焼きたちは、そこから汲んでおりました」
「遠いですか」
「近いですが、足場が悪い」
案内されて下ると、確かに湧き水はあった。
岩の割れ目から細く流れている。
水は澄んでいる。
だが、量が少ない。
桶を満たすには時間がかかるだろう。しかも足場が狭く、二人並んで汲むことはできない。夜に来れば、滑って転ぶ危険がある。
宗介はしゃがんで水を見た。
「見張り六人が使うには少ないです」
宇平次が眉を寄せる。
「飲むだけなら足りるだろう」
「飲むだけなら。でも粥を作る、手を洗う、怪我を洗う、火を消すとなると足りません」
「ここで粥まで作る気か」
「作らない方がいいです」
宗介は立ち上がった。
「煙が出ます。薪も足りません。ここでは火を使わず、持ってきた干し飯と水で済ませる方がいい。温かいものは城か槙尾へ戻ってから」
足軽の一人が嫌そうな顔をした。
「冷えた飯で見張るのか」
「短い交代ならできます。長く置くなら、休み場と火が要ります」
宇平次が唸った。
「槙尾は、ここを中継に使うつもりか」
「たぶん」
宗介は答えた。
「ですが、ここに長く人を置くには弱いです。見張りは置けても、泊まらせる場所ではありません」
喜兵衛が頷いた。
「水が細すぎる。桶を置く場所もない。ここで水争いになれば、見張り同士で揉める」
「水争いか」
宇平次が嫌な顔をした。
「見張りに出て、味方同士で揉められては困る」
「だから、汲む順番を決めます」
宗介は地面に枝で印をつけた。
湧き水。
小屋。
尾根道。
笠森側。
槙尾側。
「ここに置く人数は少ない方がいいです。笠森二、槙尾二。多くても四人。長居させない。水は竹筒に詰めて持ってくる。ここの湧き水は足りない時だけ使う」
「六人ではなく四人か」
「はい。六人いると、水が足りず、休む場所も足りません」
「戦えば四人では少ない」
「ここで戦うのではなく、知らせる場所にするべきです」
宇平次の目が鋭くなる。
「戦わず逃げろと?」
「踏みとどまって全員死ぬより、早く知らせる方が役に立つ場合があります」
足軽二人が顔を見合わせた。
宇平次はしばらく黙った。
武人としては面白くない言葉だろう。
見張りに立つ者へ、敵が来たら逃げて知らせろと言う。
それは勇ましい話ではない。
だが、ここは城門ではない。
守るべき門も蔵もない。
あるのは道と情報だ。
「ここで死なれても、城は助からないと思います」
宗介は声を落とした。
「知らせが戻れば、城が備えられます。南谷の者も逃げられます。荷車も止められる」
宇平次は宗介を睨んだ。
だが、怒鳴らなかった。
「……見張りの役目は、敵を討つことではない。見つけること、知らせること。そういうわけか」
「はい」
「面白くはないが、理はある」
宇平次は小屋を見た。
「ここは知らせ場だ。休み場ではない」
その言葉に、宗介は頷いた。
「はい。その方がいいです」
そこへ、西の道から人影が現れた。
槙尾の使者、安西新蔵だった。
供を二人連れている。
新蔵は笠森の面々を見ると、軽く頭を下げた。
「早いお着きで」
宇平次が返す。
「道と水を見ずに、人は置けぬ」
「まこと、その通りにございます」
新蔵の目が、宗介の足元の印へ向いた。
枝で描いた簡単な図。
湧き水。
小屋。
道。
彼はそれを見て、少し笑った。
「また印でございますか」
「字より早いので」
宗介が答えると、新蔵は頷いた。
「分かりやすい」
油断のならない男だ。
笑っていても、目が笑いきっていない。
新蔵は湧き水を見に行き、戻ってきて言った。
「水は細いですな」
「はい」
「ここへ六人は多い」
新蔵はあっさり言った。
宇平次が眉を動かす。
「そちらから六と言ったはずだが」
「言ってみたまでです」
新蔵は悪びれなかった。
「笠森がどのように見るか、確かめたかった」
宇平次の顔が険しくなる。
宗介の背中にも冷たいものが走った。
試された。
やはり、見舞いだけではない。
槙尾は、笠森にどれだけ現場を見る目があるかも探っている。
「では、どう見る」
宇平次が低く聞いた。
新蔵は小屋の方を見た。
「ここは長く休むには向きませぬ。火を焚けば目立つ。水は細い。四人まで。できれば二人ずつ交代。敵を止める場ではなく、知らせる場」
宗介と同じ結論だった。
宇平次が宗介をちらりと見る。
宗介は黙っていた。
自分が正しかったと誇る場面ではない。
新蔵は続けた。
「ただし、知らせに走る道が悪い。夜なら転ぶ。途中に目印が要ります」
「目印?」
宗介が聞くと、新蔵は道端の木を指した。
「枝を切り、布を結ぶ。夜でも手で触れば分かるように。笠森側と槙尾側で違う結びにすれば、戻る道を間違えませぬ」
宗介は少し驚いた。
縄の結びで俵を分けたのと似ている。
新蔵もまた、現場を見る男だった。
「それは良いと思います」
宗介は素直に言った。
新蔵がこちらを見る。
「褒められるとは思いませなんだ」
「良いものは良いです」
「では、そちらの兵糧方殿は、飯をどう見る」
話を振られ、宗介は息を吸った。
「ここに置く者の飯は、各々が持つべきです。笠森の者は笠森の飯。槙尾の者は槙尾の飯。ただし、水は互いに融通する。急ぎの時に、水を出し惜しみすれば知らせが遅れます」
「飯は分け、水は合わせる」
「はい」
「薪は」
「ここでは基本使わない。火を焚くなら、合図と区別がつかなくなります。どうしても火が必要な時だけ、低く、短く。薪を置きすぎると敵にも使われます」
新蔵は興味深そうに聞いていた。
「なるほど。笠森の竈番は、火も怖がる」
「火は役に立ちます。でも、敵にも見えます」
「確かに」
喜兵衛が口を挟んだ。
「問題は、持たせる飯の量だ。見張りが腹を減らして戻れば、見張りにならぬ。だが多く持たせれば、道で奪われる」
「小さな包みに分けましょう」
宗介は言った。
「一人一包み。余分は持たせすぎない。戻ったら印をつけて、食った分を足す。食わずに持ち帰った分は戻す」
足軽の一人が嫌そうな顔をした。
「食わずに戻したら、また出されるのか」
「状態が悪くなければ」
「俺の懐に入った飯だぞ」
「だから、少なめに持たせます」
新蔵が笑った。
「厳しい兵糧方だ」
「米が少ないので」
「笠森は正直ですな」
しまった。
宗介は一瞬、口を閉じた。
米が少ない。
それを外の者の前で言うべきではなかったかもしれない。
宇平次の目も厳しくなった。
だが、新蔵はそのまま続けた。
「安心なされ。槙尾も多くはありませぬ」
それもまた、どこまで本当か分からない。
だが、この辺りの小領主が皆豊かではないことくらい、宗介にも分かる。
飢えているのは笠森だけではない。
槙尾も、南谷も、近隣の小さな者たちも。
だからこそ、米を奪う賊が出る。
だからこそ、水場と道が争いになる。
「なら、余計に決めた方がいいです」
宗介は言った。
「曖昧にすれば、見張り同士で食い合います」
「食い合う、か」
新蔵は面白そうに繰り返した。
「では、ここは四人。笠森二、槙尾二。半日で交代。夜は無理に置かず、夕暮れ前に戻す。夜に置くなら、別の仕組みが要る」
宇平次が言う。
「夜こそ見張りが要る」
「夜にここへ置くなら、火なし、水少なし、道悪しです」
宗介は首を振った。
「慣れていない者は転ぶ。知らせに走れない。夜は少し下がった場所に置いた方がいいかもしれません。南谷の曲がりの手前、荷車が通ったあたりなら、城にも近い」
「だが西尾根が空く」
「完全には見えません。でも、夜に見えない場所で人を置いても、見張りが見張りにならないことがあります」
宇平次は不満そうだった。
新蔵は黙って考えていた。
戦の者としては、夜の見張りを薄くするのは怖いのだろう。
宗介にも怖い。
だが、人の能力を超えた場所に置けば、ただ消耗する。
寒く、暗く、腹が減り、水も少ない場所で夜を越せと言われたら、人は寝る。あるいは勝手に火を焚く。あるいは村から飯を取る。
それは見張りではなく、次の揉め事の種になる。
「夜は、城に近い場所で音を聞く」
喜兵衛が低く言った。
「昼は尾根で見る。そういう分け方か」
「はい」
宗介は頷いた。
「昼と夜を同じにしない方がいいと思います」
新蔵が小さく頷いた。
「槙尾へ持ち帰ります。左馬助様も、そういう話なら聞きましょう」
「槙尾は、夜に無理を言わぬか」
宇平次が問う。
「無理を言いたい者はおります」
新蔵は正直に言った。
「だが、無理で見張りを潰しては元も子もない」
その言葉で、ひとまず話はまとまった。
西尾根は昼の知らせ場。
笠森二、槙尾二。
飯は各々。
水は融通。
火は原則使わない。
夜は南谷の曲がり手前へ下げる案を持ち帰る。
枝の目印と縄の結びを使う。
宗介は地面の図に、枝で印を足した。
昼。
夜。
水。
飯。
火なし。
書いているうちに、頭が少し痛くなった。
やることが増える。
城の中だけでも手一杯なのに、今度は外の見張りの飯まで数えなければならない。
だが、見張りが倒れれば、城が危ない。
見張りが村から米を奪えば、南谷との関係が壊れる。
槙尾の者と飯で揉めれば、協力はすぐ崩れる。
外の見張りも、城の腹の一部になる。
「次は渡しだ」
宇平次が言った。
宗介は立ち上がろうとした。
その時、膝が抜けた。
「おっと」
善助が支えてくれた。
「すみません」
「少し休んだ方がよいのでは」
「大丈夫です」
そう言った直後、腹が鳴った。
はっきりと。
周囲が一瞬静かになった。
宇平次が呆れた顔をする。
「人の飯ばかり見て、自分が食っておらぬのか」
宗介は顔が熱くなった。
「……忘れていました」
喜兵衛が深くため息をついた。
「馬鹿者」
そう言って、布包みを投げて寄越した。
宗介が受け取ると、小さな味噌握りだった。
「見張りの飯を語る者が、途中で倒れてどうする」
「すみません」
「食え」
宗介は素直に味噌握りを口へ入れた。
冷えている。
固い。
だが、味噌の塩気が舌に触れると、身体に力が戻る気がした。
新蔵がそれを見て、笑いを堪えている。
「兵糧方殿にも腹がある」
「あります」
宗介は恥ずかしさを堪えて答えた。
「だから、見張りにもあります」
宇平次がふっと笑った。
「説得力は増したな」
情けない形でだが。
宗介はそう思いながら、残りを飲み込んだ。
その後、一行は渡しへ向かった。
西尾根から少し下り、川筋へ出る。
渡しと呼ばれているが、立派なものではない。川幅は広くないものの、流れは速い。両岸に杭が打たれ、古い縄が渡されていた。増水すれば、簡単に使えなくなるだろう。
川のこちら側には、踏み荒らされた跡があった。
新しい。
宗介にも分かった。
泥に残った足跡。
草の倒れ方。
岸辺に落ちた割れた竹筒。
宇平次がしゃがみ込む。
「昨夜か」
「一昨日かもしれませぬ」
善助が答える。
新蔵が杭のそばを見た。
「縄が擦れている。荷を渡した跡か」
喜兵衛が顔をしかめる。
「賊がここを使ったか」
宗介は川を見た。
水。
道。
荷。
ここを押さえれば、米を運べる。
逆に、ここを敵が使えば、笠森と南谷の裏へ回れる。
「ここに見張りを置くなら、水はあります」
宗介は言った。
「ですが、飲めるかどうかは別です。川の水をそのまま飲むのは怖い。腹を壊すかもしれません」
宇平次が顔をしかめる。
「川の水も駄目か」
「濁っていれば、特に。上流で何があるか分かりません。煮るなら火が要ります。火を使えば煙が出ます」
「また火か」
「はい」
「では、ここにも水を持ってこいと?」
「少なくとも飲み水は持たせるべきです。川の水は手を洗う、火を消す、泥を落とすには使える。飲むなら煮る必要があります」
新蔵が頷いた。
「槙尾でも、腹を下した者が出たことがある」
「なら、なおさらです」
宗介は渡しの周囲を見た。
「ここは知らせ場というより、通すか止めるかの場所です。縄を切れば敵も渡りにくい。ですが、こちらも渡れません」
「切るかどうか、決めておかねばならぬな」
宇平次が言った。
「敵が来てから迷えば遅い」
宗介は杭を見た。
縄を切る。
たったそれだけで、道が死ぬ。
荷が止まる。
人も止まる。
守りにはなる。
だが、逃げ道も補給路も消える。
「切る役を決めてください」
宗介は言った。
「誰でも切れるようで、誰も切らないことがあります。逆に、勝手に切る者が出ても困る」
宇平次は足軽二人を見た。
「確かにな」
新蔵も頷いた。
「槙尾の者が勝手に切れば、笠森が困る。笠森の者が勝手に切れば、槙尾が困る」
「だから、合図と役を決める」
宗介は地面にまた印をつけた。
渡し。
縄。
切る者。
止める者。
水。
飯。
書けば書くほど、やることは増えた。
だが、書かなければ、いざという時に怒鳴り合いになる。
怒鳴り合いになれば、時間が消える。
戦場で時間が消えることは、命が消えることに近い。
調べ終える頃には、空が傾いていた。
笠森へ戻る道で、宗介の足は重かった。
疲れた。
本当に疲れた。
けれど、見たものは多かった。
西尾根の水は細い。
小屋は泊まるには向かない。
昼と夜で見張り場所を変えるべき。
槙尾も余裕がない。
新蔵は現場を見る男。
渡しには使われた跡がある。
縄を切る役と合図が要る。
見張りにも、飯と水と休む場所が要る。
城に戻ると、弥四郎が門の内側で待っていた。
「どうだった」
宗介は泥だらけの足元を見てから、顔を上げた。
「見張りを置くには、飯が要ります」
宇平次が後ろで呆れた声を出した。
「最初がそれか」
弥四郎は笑わなかった。
「続けよ」
「水も、休む場所も、戻る道も要ります。西尾根は昼の知らせ場にできますが、夜に長く置くには弱いです。渡しは敵が使った跡があります。縄を切るかどうか、先に決める必要があります」
弥四郎の顔が引き締まった。
「敵は、ただ騒いでいるだけではないか」
「道を見ています」
宗介は言った。
「米を狙うだけでなく、どこを通れば荷が動くかを見ています」
喜兵衛が板を差し出した。
宇平次も補足する。
新蔵との話。
水場の細さ。
火を使わないこと。
昼夜で見張りを変える案。
弥四郎は黙って聞いた。
やがて、低く言った。
「槙尾と道を合わせる。だが、飯は各々。水は融通。南谷に過ぎた負担をかけぬ」
「はい」
「渡しの縄は、切る役を決める。勝手には切らせぬ」
「はい」
「見張りを置く者には、飯と水を持たせる」
弥四郎は少しだけ宗介を見た。
「見張りにも腹がある、か」
「はい」
宗介は頷いた。
「腹を空かせた見張りは、敵より先に村の飯を見るかもしれません」
弥四郎の目が細くなった。
「それは困る」
「はい」
「ならば、先に食わせておく」
「腹いっぱいではなく、倒れない分です」
「分かっている」
その返事が、自然に返ってきた。
宗介は少しだけ驚いた。
弥四郎の中で、飯の話がただの飯ではなくなっている。
門。
蔵。
村。
道。
水場。
見張り。
そのすべてにつながるものとして、腹を見始めている。
それは、小さな変化だった。
だが、小さな城には大きな変化だった。
夕方、宗介は竈の前で、見張り用の小さな包みを作った。
干し飯を少し。
味噌を薄く塗った握りを一つ。
水を入れた竹筒。
食ったかどうかを印に残す板。
たったそれだけのものを、明日から西尾根と南谷の曲がりへ持たせる。
派手な策ではない。
誰かを討ち取るわけでもない。
だが、見張りが腹を空かせず、勝手に村の米へ手を出さず、敵を見つけて戻ることができれば、城は少しだけ持つ。
少しだけ。
その少しを積むしかない。
宗介は味噌握りを布で包んだ。
隣で市松が板に新しい印を描く。
西尾根。
渡し。
水。
飯。
縄。
丸と線と下手な絵で、笠森城の外側が少しずつ見え始めていた。
その夜、南の谷ではなく、西の山の向こうに小さな火が見えた。
槙尾のものか。
賊のものか。
さらに別の誰かのものか。
まだ分からない。
ただ、宗介には分かった。
米と水の道を見ているのは、笠森だけではない。
この小さな城の周りで、腹を巡る戦が始まりつつあった。
第10話─了
新しい戦国転生短編を投稿しました。
『呂布の武と郭嘉の知を授かって戦国に転生した俺、信長の負け戦をひっくり返す』
https://ncode.syosetu.com/n4580mf/
本作とは少し違う、武と知で戦場をひっくり返す派手めの戦国転生ものです。
よろしければ、こちらも読んでいただけると嬉しいです。




