地下用水路
王都の第三地下下水道は、むせ返るような悪臭と、薄黄色い淀んだ霧に包まれていた。
防毒マスク越しでも鼻をつく腐敗臭の中、レヴィは長靴を履いて、汚水の流れる水路のど真ん中に立っていた。
「ひどい臭いですねぇ、まるで、街全体の排泄物がここで一気に腐っているみたいです」
安全な足場からランタンで水面を照らしながら、セリアが顔をしかめる。
「先生、原因はわかりますか?」
レヴィは無言で水路の泥を、ゴム手袋をした手で掬い上げ、指先でその粘度を確かめた。
「……うーん。スライム感がないなぁ」
「? スライムですか?」
「下水道には本来、『泥スライム』が暮らしているはずなんだけど」
「スライムって、あの、ゼリーみたいなのですよね? 丸っこい感じの……」
セリアが身振りでイメージを伝える。
それを見てレヴィは、どうやら自分のイメージと異なることを悟った。
「ああ、一般的に知られているスライムじゃなくて、下水の中にいる小さなスライムだよ。ヘドロの中にいるから『泥スライム』と呼んでいるんだ」
レヴィは汚泥を洗い流し、水路の壁面を指さした。そこには、高熱で焼かれたような不自然な白い焦げ跡が一直線に伸びている。
「一カ月前、勇者一行が王都でパレードをしたよね」
「あ……はい。たしか、余興として勇者様が聖剣の光を放っていましたっけ……」
「そう。多分、その影響だろうね。泥スライムは、なんなら軽く消毒液を吹きかけてだけで倒せる弱い魔物だから、勇者の力の余波でもひとたまりもないだろう」
「はえーそんな魔物もいるんですね」
セリアの生返事を背中で受け流しながら、レヴィはしゃがみ込み、水面を凝視した。
本来ならスライムが汚物を食らい、緩やかに流れているはずの水路。しかし今は、逃げ場を失った排泄物や生ゴミがどろりと堆積し、時折ブクブクと不気味な気泡を上げている。その泡が弾けるたび、黄色い霧が濃さを増した。
「……まぁ、そんな訳で、王都の汚物を分解する掃除屋が消え失せてしまったのだろう」
レヴィは荷物から試験管を取り出すと、水面に浮く「虹色の油膜」を慎重に掬い取った。
「そのせいで未分解の汚物が異常腐敗を起こして、有毒ガスを出してしまっているのだろうね」
続けて荷物から、何本もの細長いガラス製の沈殿管が収まった木箱を取り出した。
慣れた手つきで一本を引き抜き、金属製のロングスポイトを使って、淀んだ水面から慎重に検体を吸い上げる。少量の水と、汚水に溶け切っていない汚物を採取する。
大抵の人なら、この行為に眉をひそめて抵抗感をあらわにするかもしれないが、レヴィは慣れた手つきで作業を進めた。まるで、高級な香水の香料でも集めているかのような、真剣で澱みのない手つきだった。
「まだ確定的なことは言えないけどね」
ガスを魔法で吹き飛ばしても意味がないことは確か。原因は、環境から『分解者』というピースが欠落したことによる、生態系の崩壊なのだから。
「だったら、他の水路から生き残っているスライム連れてきたらどうですかね」
セリアが、思いついた解決策を口にする。
存外、こういう思いつきが問題を解決することもあるのだが、レヴィは少し考えてから、その提案を否定した
「いや、スライムが繁殖して環境が安定するまでには何ヶ月もかかる」
レヴィは立ち上がり、汚泥にまみれた手袋を脱ぎ捨てた。その瞳は、絶望的な汚染状況を嘆くというより、新しいパズルをもらった子どものように輝いていた。
「それにここまで毒素が強いと、多分スライムも定着しないだろう」
レヴィは淡々と言葉を紡ぎながら、思考を続け、話しながら結論が出たのか、腰のポーチに採取したものをしまった
「ひとまず、ラボに帰って考えようか」




