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レヴィ教授の環境魔導学  作者: 紅茶


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解決

 重い鉄扉を開けた先、隔離病棟の最奥は、死の静寂に支配されていた。


 ベッドに横たわるセリアの命は、今まさに千切れかけの糸だった。


「……隊長殿」


 背後に立つ聖堂騎士の小隊長へ、レヴィは振り絞るような声で問いかけた。


「少し、考えてみてください。なぜ勇者様が放つ光は、魔物にだけ効き、それ以外の人間や動物には『無害』だと言われているのでしょうか」


 唐突な問いに、小隊長は怪訝そうに眉をひそめた。


「何を言う。勇者殿の光は、神聖なる奇跡だ。邪悪のみを退け、我々を――」


「本当に、一切の害がないと、そう言い切れると思いますか?」


 レヴィの低く、しかし鋭い声が、騎士の言葉を冷たく遮った。


「この自然界に、特定の種族だけに都合よく作用し、環境に何の負荷もかけない力など存在しません。強大すぎるエネルギーは、必ずどこかに歪みを生む。……無害だったのではなく、ただ『目に見えなかった』だけなのです」


 レヴィの視線の先で、セリアの細い体がビクンと跳ねた。


 彼女の白い首筋には、レヴィが先ほど投与したマンドレイク・スポアの毒素が紫色の網目となって浮かび上がり、保護膜を失った皮膚の奥からは、純粋で暴力的な『白い光』が漏れ出している。


「勇者様が放った光の残滓は、耐性のない市民の身体にも、何かしらの影響を与えていたのでしょうか。そして、下水道から溢れたスライムは、人間を襲う病魔などではなく……体内で暴走するその光を包み込み、中和しようとする『免疫』だったのです」


 レヴィは震える手で、胸元から黄濁した液体が詰まったフラスコを取り出した。


「スライムは、命を守るための分厚い包帯です。私は無知ゆえにそれを引き剥がし、その上彼女に致命的な毒を盛ってしまった」


 二つの致死の刃が、無防備な少女を内側からズタズタに切り裂いている。己の傲慢が生み出した惨状に、レヴィは左腕を這う天敵の激痛すら忘れ、ただ深く唇を噛み締めた。


「ですから、もう一度……彼女を護ってもらいます」


 レヴィは迷うことなく栓を抜き、下水道で採取した泥スライムの原液を、光と紫の斑紋が入り混じる爛れた皮膚の上へ滴らした。


 ジュワッ、という肉の焦げるような微かな音。黄色い粘液は意思を持ったように蠢き、細胞を焼き切ろうとする『光』と、暴走する『紫の菌糸』へと一斉に群がり始めた。


 光を包み込み、菌を溶かす。彼女の皮膚の上で、ミクロの次元の凄惨な生存競争が再び幕を開ける。


 だが、戦場と化したセリアの肉体そのものが、すでに限界を迎えていた。


 ヒュッ、と彼女の喉が不自然に鳴り、胸の上下運動がふっと弱まる。


「……分解の負荷に、彼女の体力が耐え切れません」


 レヴィは弾かれたように動き、傍らに用意させていた琥珀色の糖液が入った瓶を手に取った。チューブをセリアの口に含ませ、極上のカロリーを直接胃へと流し込む。


「スライムが光を分解するための燃料は、これで足ります。しかし、破壊された臓器と底をついた体力を補うには遅すぎる……隊長殿」


 レヴィは血走った目を、銀の甲冑を纏った騎士へと向けた。


「どうか、彼女に回復魔法をお願いします!」


「なっ……魔物を塗り込んだ傷口に、聖なる魔法を注げというのか!」


「 破壊された端から肉体を修復し、強引に心拍を繋ぎ止めるのです。そうしなければ、彼女の命は散ってしまいます」


 悲痛な叫びに、小隊長は一瞬だけ躊躇した。しかし、泥と吐瀉物にまみれながら、必死に助手の命を繋ごうとする学者の狂気じみた執念に気圧されるように、無言でベッドの脇へと踏み込んだ。


 分厚いガントレットが外され、騎士の無骨な両手がセリアの胸元にかざされる。


 淡く、温かい金色の光が放たれた。


「……っ、あ……」


 セリアの口から、微かな吐息が漏れる。


 騎士の魔法が、菌に侵された肺を癒やし、弱まりかけた心臓の鼓動を力強く打たせる。肉体が修復される先から、スライムが再び光と菌を喰らい、その余波で肉体が傷つけば、再び騎士の魔法がそれを塞ぐ。


 回復と破壊、そして分解。


 三つの力が、一人の少女の体内でギリギリの均衡を保ちながら荒れ狂っていた。


 永遠にも似た数分間。


 やがて――セリアの首筋を這っていた紫色の網目が、スライムの粘液によって完全に溶かされ、皮膚の下に消えていった。同時に、細胞から漏れ出していた『白い光』も、厚い黄色い膜に覆い尽くされ、完全に遮断される。


 激しく上下していたセリアの胸が、ゆっくりとした、確かな呼吸のリズムを取り戻した。


 爛れていた消化斑の広がりは止まり、黄色い粘液は、彼女の命を護るただの優しく分厚い『包帯』へと戻っていた。


 騎士が、ほう、と深く長い息を吐いて両手を下ろす。


 セリアの顔に微かな血の気が戻ったのを確認した瞬間、レヴィの膝からふっと力が抜け、冷たい床へと崩れ落ちた。


 (……なんとか、これで)


 己の致命的なミスを、どうにか命の淵で引き戻した。


 荒い息を吐きながら見上げた視界の端で、レヴィの左腕を這う『黒い斑点』が、ドクンと不気味に脈打った。


 スライムを殺すために自ら打ち込んだ『天敵』。それが今、レヴィの血管を焼き、刻一刻と彼の命を削っている。


「……隊長殿。これで、治療の道筋は立ちました」


 レヴィは苦痛に顔を歪めながらも、学者としての冷徹な笑みを浮かべてみせた。


「王都の患者たちに、大量のエネルギー源⋯⋯糖液を流し込み、騎士の方々の魔法で肉体の崩壊と、生命活等の活性化を促すのです。光が分解されれば、スライムは自然と体外へ排出されるはずです」


 あとは頼みます、と言わんばかりに、レヴィはふらつく足でゆっくりと立ち上がった。


 彼にはまだ、己の体内で暴れ回る『外来種』との、最後にして最悪の陣取り合戦が残されていた。


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