エピローグ
王都を未曾有の恐怖に陥れたパンデミックは、レヴィが確立した泥臭くも確かな治療法によって、あの夜を境に急速に収束へと向かった。
今では街の機能もすっかり回復し、王立救護院の窓から差し込む陽光は、一ヶ月前のあの黄色い霧が嘘だったかのように白く、穏やかだった。
王立救護院の窓から差し込む陽光は、一ヶ月前のあの黄色い霧を嘘だったかのように白く、穏やかだった。
病室のベッドで上体を起こしたセリアは、まだ少し顔色が白いものの、その瞳にはかつての聡明な輝きが戻っている。彼女は窓の外を眺めながら、ふと思い出したように隣の椅子に座る男へ視線を向けた。
「……結局、あの子たちはどうして私たちを守ったんでしょうか」
レヴィは、手持ち無沙汰に開いていた分厚い専門書から顔を上げた。
「さあね。スライムが『分解者』としての本能で光を処理しようとしたのか、あるいは、より高度な生態系の自浄作用だったのか……。今の段階では分からない。研究は続けていくけど、一生かかるかもね」
「一生、ですか。先生らしいですね」
セリアは小さく笑い、それから棚に置かれた立派な勲章と表彰状に目をやった。
「そういえば、隊長さんが仰っていましたよ。先生の活躍で治療法が確立されたって、政府にしっかり報告したって。でも、発表された内容は少し違いましたよね」
公式の記録では、今回のパンデミックは「下水道に蓄積した未知のスライム毒素」が原因とされ、レヴィはその解毒法を見出した功労者として表彰された。勇者の光の欠点については、一行も触れられていない。
「ありのままを報告書には書いたんだけどね。政府としては、今はまだ勇者を絶対的な希望として支持する大勢を崩したくないんだろう。……国も決して一枚岩ではないからね。勇者の権威を揺るがすことはしたくないんだろう」
「……複雑なんですね、大人の事情っていうのは」
「全くだ。……あ、そうだ。隊長といえば、彼は相変わらずかい?」
セリアは少し困ったように頬をかいた。
「はい。時々、お見舞いに来てくださいます。果物を持ってきたり、窓を開けてくれたり……。不遜な態度を取ることもありますけど、すごく優しい方ですよね。顔もいいですし」
「聖堂騎士の連中は、自分たちが世界の正義だと思っている節があるから不器用だが、根はいい人間が多いからね。意外と君に気があるんじゃないかな。確か2つくらいしか年齢変わらないよね?」
レヴィが茶化すように言うと、セリアは「もう!」と膨れてみせたが、すぐに彼の右腕に視線を止めた。白衣の袖の中で、その腕は不自然に力なく垂れ下がっている。
「……先生、その腕。結局、あの時打った『天敵』ってなんなんですか。完全に早まったって、ご自分でも仰ってましたよね」
「……ああ。正直に言うと、私にもまだよく分かっていないんだ。ただ、性質として『魔物を無差別に襲う』こと、そして『代謝がない』こと。さらに、既存の生物とは違って繁殖を必要としない……。まさに、魔物を殺すためだけに作られた異物のようなものだった。まぁ、だから行けると思ったんだけど」
レヴィは左手で、動かない右腕をそっとさすった。
「その『天敵』が私の体内で暴れ回った結果、神経を根こそぎ焼かれてしまってね。……今のところ、指一本動かすこともできない」
「……先生、本当におバカなんですか? なんでそんな怪しいものを自分に打っちゃうんですか」
セリアの呆れ果てた声に、レヴィは苦笑いを浮かべた。
「全くだ。完全に早まったよ。学者としては失格だね」
「笑い事じゃないですよ。……それで、どうやって治すんですか。一生そのままなんですか?」
「いや、流石に対処法はあるから。この特異な物体を、元の健やかな状態へ『浄化』できる存在が、この世界に一人だけいる。……勇者だ。彼に直接会って、その力で私の腕の直してもらおうと思っている」
レヴィは立ち上がり、窓の外の遠い空を見つめた。
「だから、近いうちに旅に出るつもりだよ。勇者一行を追いかけてね」
その言葉を聞いた瞬間、セリアは布団を跳ね除けて身を乗り出した。
「あ! だったら私も、ついていきます!」
「だめだよ」
レヴィは即座に、しかし静かに首を振った。
「旅行とは違うからね。基本的に、勇者が向かうのは魔物が異常繁殖している土地だ。魔物が危険だということは、変わらないからね」
セリアは何かを言い返そうと口を開いたが、レヴィの眼差しに宿る、揺るぎない決意を見て言葉を飲み込んだ。
「……先生。絶対に、治して帰ってきてくださいね。戻ってきたら、また授業してください」
「ちゃんと聞いてくれるならね」
春の風が、開いた窓から入り込み、二人の間を通り抜けていった。




