メタファー→#2
私は何を見ていたの?この曇りガラスをどうして私は食い入るように見ていたのだろう?私はカフェオレを飲みながら考えていた。その窓ガラスには車内の様子が映し出されていた。ハンドルを握りしめている彼。呆然と窓ガラスを見ている私。そして、私の瞳が映し出した曇りガラス。その曇りガラスにうつった車内の様子。その車内の中で退屈に運転をしている彼。そして呆然と窓ガラスを見ている私。その瞳には涙が滲んでいた。その涙にうつった曇りガラス。その曇りガラスに映し出された私。その私は笑っていた。”私”はその涙を見て笑っていたんだ。
その緩んだ微笑みの滲んだ唇はゆっくりと開いて声を紡ぎ始める。「世界で最も自由なものって何だと思う?」その声は死音だった。それは私の周りを取り囲んで、次の瞬間、私の中に入り込んできた。私はこの声に気持ちの悪い質感を感じていた。耳にその音が触れた瞬間、ぞわぞわとした感覚を感じた。それはまるで誰かに触れられているかのような感覚だった。私は思わず振り返る。そこには彼の退屈な姿があるだけだった。だけど、今の私は彼のその退屈な姿に安堵のようなものを覚えていた。そう、そこにあったのは私が生きている今の象徴だった。何も変わらない平穏な日々だった。そしてそれは、可能性しかない不可視の未来と、後悔ばかりのおぞましい過去が導いた奇蹟の形だった。
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歩道橋から身を乗り出した私。しかし、次の瞬間私の手を誰かが掴んだ。風によって揺れる私の身体、下を見下ろしている私、そして誰かが、私の腕を強く握りしめている誰かが叫んでいた。「だめだよ。飛び降りなんてさ...」「どうして...あなたに何がわかるっていうの?私はもうお終いだっていうのに、もう私には生きている意味もないんだッ!」しかし、次の瞬間、私の体は引き上げられていた。彼は私の顔を覗き込んでいた。「意味だって?お終いだって?馬鹿なんじゃないか?なあッ!」彼は私を真っすぐ見ていた。私はその彼の瞳に、見透かすような視線へと捕らわれて、心がすくんで動かなくなってしまった。「どうして意味なんて語ることができるんだ。そうさ、あなたは想像しているだけなんだ。あなた自身の未来をッ!あなた自身の今までを、過去を使って想像しているだけなんだッ!だけど、未来なんてわからないんだ。明日、心臓発作で死んでしまうかもしれないし、宝くじに当たるかしれない。俺が今あげた例は荒唐無稽な極端な例でしかないが、可能性はある。未来はそんな身勝手なものなんだよ。解釈によって幾重にも分岐する枝葉なんだ。わかるだろ?そうさ、未来なんて意味ないんだってことがッ!」彼は怒っているような、悲しんでいるような、それでいてどこか安心したような表情をしていた。「俺は見てきたんだ。あなたみたいな人を、すべてを諦めたような瞳をしている奴を、俺は今までたくさん見てきたんだ。どうしてすべてを投げ出したいみたいな顔をしているんだッ!まだ、あなたは生きているじゃないかッ!生きているじゃないかッ!あなたはまだ生きているというのに、どうして、お終いだって、そんな悲しいことを言うんだよ...」彼は私を抱きしめた。その瞬間、降っていた雨が強くなった。私の目の前がその雨で滲んで不明瞭になった。だけど、私はその不明瞭になっていく世界にどこか安心感のようなものを感じていた。そう、私は一人じゃなかった。この不明瞭な世界で私たちは互いに互いの存在を、体温で、息遣いで、そして他でもない気持ちで、知ることが、感じることが、そして確かめ合うことができたのだから。
「不安になるの。今を生きることが...私はあなたのように強くはないのだから...」そう零した声、だけど彼はその声すらも包み込んでしまう。「俺だってあなたがいうように強くはないよ。俺も未来はわからない。過去だって思い返せば後悔だけが溢れてくる。その過去が見せつけている未来は最悪だよ。言葉にするのもはばかられるほどにね。だけど、どうかな?この今は。あなたはこの今を想像することができていたかい?俺はできなかったよ。こんな幸せな今を...たぶんこれは奇蹟なんだ。これは今まで思いがけない幸せの形なんだ。だから、不安がる必要なんてないんだ。たぶん、あらかじめわかってしまった未来なんかに幸せはないんだ。だったら、この今は、先の見えない今は、先が見えていないからこそ幸せなんじゃないかな。違うかい?」彼は私にやさしく笑いかけた。その笑みに私の抱えていた不安なんて溶けて消えていった。
「未来じゃないかな?」私はその問いかけに言葉を返した。声は私の答えに戸惑っていた。「どうして?」その言葉は私の答えが信じられないと言っていた。「自由について論じるだなんてしょうもないことだと思わない?自由について考えるだけで、私たちの思考は私たち自身の意志によって拘束されてしまう。そう、もうこの時の私たちは自由について不自由なまま語ってしまっているんだ。そうだよ、自由は何物にも侵されることのない神聖な概念なのよ。」「フフフ。そんなの自由なんかじゃないわ。そんなのを自由だって認めてしまったら私たちは自由を前にした瞬間、自由に晒された瞬間、真なる”解放”の瞬間、何もできなくなってしまうだろうよ。」「なにもしないは自由じゃない。なんでもできるが自由なんだ。だから私は未来こそ自由に最も近いものなんだよ。未来には可能性が、なんでもできる余地があるんだ。そう、そのなんでもできる余地という名の希望こそ自由の正体なんだよ。」「違う。そんなのは自由なんかじゃない。なんでもできる余地には何にもできない可能性を孕んでしまっている。そんなのが自由だって?笑わせるな。お前は都合の悪い真実から目を逸らしているだけだ。かつてのお前のように、何もできなかったかつてのお前のように、過去を繰り返す可能性を孕んだ未来が自由だって?よくもそんなことを言えたものだよ。お前は一度諦めたというのに...」「じゃあ、あなたはなんだっていうの?あなたにとってのその問いの答えは...」「それは記憶。」「どうして?」「記憶をただ見つめていれば、その記憶を追っていれば、その記憶の見せた未来の残像を追っていれば、あなたはわかりきった世界の中で生きていくことができる。残像を追い続けていれば、いつか変数も事故も無くなって、究極の私的理論値の世界、天国をつくることだってできるだろう。それはあなたが追い続けていた自由、真なる自由に暴露された世界になっているはずだ。」「違う、そんなおぞましい世界間違っている。私はそんな世界望んでなんて...」「望んでなんていないって?フフフ、可笑しなことを。この世界はあなたがかつて想像した世界だよ。わかるでしょう。あなたは一度諦めた。そう、そしてあなたはこの世界に絶望したんだ。だから飛び降りたんだ。」
次の瞬間、私の世界がどんどん小さいものに成り果てていく。私が見つめていた世界が小さいものに変わっていく。「どうして?」私はその答えを私の記憶の海の中に見出した。私はその海の中にもぐり深くへと入り込んでいく。しかし、しばらく進んだところで私は、どちらが上か下かわからなくなってしまった。私はパニックに陥った。私は上と思う方向に泳いでいく。しかし、どれだけ泳いでも水面は見えてこない。息が苦しくなっていく。私は必死になって泳いだ。そしてようやく私は水面を見つけ出した。しかし、その水面は大きな泡のようなもので覆われてしまっていた。私はその泡を叩く。しかし、その泡はいくら叩いても割れることはなかった。脚が、腕が動かせなくなってもう泡を叩くことができなくなっていく。そして私の口から最後の泡が零れ、私はこの海の中へと沈んでいった。
続く
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