第十九章 裏切者ーC #3
俺はその机に置かれたものに手を伸ばす。そして、その真っ白な紙面に書かれていたものを見て俺は愕然としてしまった。そこには遺書と書かれていた。その遺書はぐしゃぐしゃで何度も書きなぐったような跡があった。俺はその遺書を開いて、そこにあった彼の名を見て思わず泣いてしまった。そう、その遺書はあの災禍で死んだ俺のたった一人の親友のものだった。
「”お元気ですか?”なんて、どうやらこの場所じゃちょっと皮肉が効きすぎちゃうかな?やあ、久しぶりだな、弐趾原。この遺書を読んでいるということは、もう私は死んでいるんだろうな。今、この遺書を書いている俺は、こんなにも元気だっていうのに、残念だよ。たぶん、あなたは信じていたんじゃないかい?私がまだ生きているなんてね。フフフ、ごめんなさい。あなたがこの机を必死に引っ掻きまわしている様を想像するとなんか滑稽でつい笑ってしまったよ。・・・わざわざ書かなくていいだろうって?そんな突っ込みしてくれるなよ、弐趾原。私はこの遺書に私を肖像文字として描こうとしているのだから。そう、だからわかっていると思うけど、この遺書はあなた以外の誰にも見せてくれるなよ。そう、あなたにはこの遺書を私だと思って読んで、味わってほしいんだ。
残念だけど、私はもう死んでいるよ。ごめんなさい。俺は謝りたかったんだ。俺はどうやら、お前を裏切ってしまったようだから。あなたは私のことをずっと信じてくれていたね。俺は嬉しかったんだ。だけど、同時に俺はそのことがとても辛かったんだ、苦しかったんだ。そう、あなたの暖かさはただ俺に私の冷たい体を、その気持ちの悪い心を見続けてしまうだけだったんだ。
あなたは私が無実だって言ってくれてたね。俺は嬉しかったんだ。だけど、それは私の流れる罪をただ自覚させただけなんだよ。ごめんなさい。あの災禍は、あの災禍の所為で、そう他でもないこの私の所為で、みんな抱えることになってしまったんだ。この運命を、どうしようもないこの呪いを...。そして俺たちが創った言い訳は導くこともできないで俺たちと同じ道を歩いているようだ。そう、言い訳達は彼らを救うことなんて出来ないんだ。俺達が逃げたから、逃げてしまったから。
「こんなことになるなら前もって相談してくれよッ!」なんてあなたはあの時、言ったよね。だけど、私はたぶんあなたのその言葉によって殺されたんだ。どうして、お前はそんな結果論で意味のないその言葉を言い放ったんだッ!私はその言葉を聞いた瞬間にどこか突き放されてしまったような感覚を覚えたんだ。確かに、相談すれば今よりももっと良い選択を選べたのかもしれないな...なんて考えてほしかったのかよッ!弐趾原ッ!お前ならできたのか、お前なら選べたのか、今よりもっといい選択を、もっといい決断を、もっといい死に方をッ!そうだ、そんなの結果論でしかないんだッ!その言葉が出た瞬間、私がしてきたことのすべては失敗の烙印を押されてしまったんだよッ!その烙印を前にして、私は、この私はどうして生きていたんだろうなッ!すべて失敗だっていうのなら、この死に方がわかっていれば、私は初めっから、誰かのために、あなたのために、そして自分自身のために頑張ろうとなんて、生きようだなんてそんな馬鹿な真似しなかったのに...
俺はお前が憎いよ。そうだ、俺がお前を裏切ったんじゃない。お前が俺たちを裏切ったんだ。ずっとお前はそこで見続けているだけの卑怯者で臆病者で、そして裏切り者なんだよッ!そうだ、お前はただ待っているだけなんだ、運命の日を、贖罪の日を、絶望も希望も無くなるすべての生命にプログラムされたかつての世界、その新生をッ!
この遺書は私からあなたへ贈る集合的無意識の殺意だッ!今更気づいても、もう遅いッ!そうさ、もうお前は感染しちまったのさ。そして、死へと誘うその夢に、渦巻く贖罪の螺旋の中に取り込まれてしまったのさ。さあ、苦しめよッ!その夢の中でお前の死に様を晒せッ!そして、私のようにそこで死ねッ!」
その時、俺の持っていた電話が音を立てて鳴り出した。俺はその音で現実に引き戻される。「非通知」俺がその電話に応じるとそこから聞こえてくる声。「それだけの、そんな理由で、お前はあの時、命がけで俺たちを救ってくれたというのか?」俺達?一体、この声は誰のことを言っているのだろう。俺は何もできなかった。今まさにその現実を、突き付けられているというのに。そう、俺はあの時あの時の感情に任せて心ないことを言ってしまったんだ。あの後、俺は謝った。だけど、もう彼は死んでいたんだ。そう、俺は謝ることができていなかったんだ。そうか、彼の、宇津野のいう通り、俺は傍観者だったんだ。
俺は多元的無知だったんだ。誰もしていないんじゃなくて、俺自身が無意識にその誰かを視界から、俺の世界から追い出してしまったんだ。そして、そのために彼は死んでしまったんだ。
俺は責任分散型の軸を持ってしまっていたんだ。だから、この俺自身を信じることができなかったんだ。そう、他人の存在で俺自身を薄めて楽していたんだ。どうして、今になって、こうやって刃物を突き付けられるまでわからなかったんだろうな?
そうだ、俺は臆病者だったんだ。そう、俺は俺自身の手で無から有を生みだしてしまうことを、先にあるだろう、抱えるであろう、運命であるだろう罪を恐れていたんだ。だから何もしなかったんだ、馬鹿だよ。この世界じゃ何もしなくたって、絶望は歩いてやって来るんだッ!幸せは来ないっていうのに...
「おい、聞こえているだろ?」「誰だ。」「そんなことはどうでもいいだろ。お前はこれでいいのか?どうしてお前は生きているんだッ!」その言葉は左耳から入ってくる。「私は夜見を幸せにしたかった。だけど、私はもうどうしようもないみたいだ。そもそも、こんなはずじゃなかった。この世界は彼女のための世界だったのに、いつの間にか私のための世界になってしまっていたんだ。私は彼女のいう自由に憧れて、彼女のいう天国に憧れていたんだ。そう、私は彼女に幸せになってほしかったんだよ。あのままで、生きたままあんな風にもう死んでほしくなんてなかったんだ。だけど、どうして彼女は、彼女は今死んでいるの?この私の手の中で?」その言葉は私を見下すように告げた。その声は私を嘲笑うかの様だった。「でもあんたの所為で、あんたの言い訳達によって彼女は見殺しにされた、そうだろ?」「(無言)」「あなたは彼女のためなんていい言い訳を思い浮かべていただけなんだよッ!お前はただ何も考えないで知恵無しの猿に成り下がって、ただのうのうと生きていたいだけなんだろッ!そう、彼女はお前のその手が、お前のその姿が、そしてお前の存在自体が彼女をこの死へと導いたんだッ!あんたは彼女と話さないで勝手に彼女のいう自由を美化して憧れて、脳死でそのイメージを追っていたんだ。そう、お前は彼女に対してあまりにも無知だったんだよ。そりゃあそうだよな。お前は怖かったんだ。彼女にお前自身が知られてしまうことが、彼女に拒絶されたくなかったから。だけど、そんなのただの無責任じゃないかッ!この世界を勝手にして、勝手に意味を失って、そしてそれに絶望して今のお前がいるッ!まるで今までずっと希望があったみたいなふりをしてすべてしょうがないってその心はもう諦めているんだ。自分でもそう思わないか?なあッ!」「だったら私はどうすればよかったんだ?」「死ねばよかったんだ。こんなことになるくらいなら、誰かを殺すくらいなら、死んでしまえよッ!馬鹿野郎!」私の手にはあのナイフが握りしめられていた。そう、銀色の光を纏いしそのナイフが...しかし、私はそのナイフを前に何もできなかった。その様を見て笑い出すその男。彼の名前は土井中条。「私はこの世界の基となりて、切り分けられた象形だッ!私はお前のことを心の底から辟易するよ。お前はもはや人ですらないんだ、そうお前は獣だ、畜生なんだよッ!今、私はお前をこのナイフでもって殺してくれるッ!」彼がナイフを振り下ろした。辺りに散らばる絶叫。そしてその絶叫をズタズタにするその男。その男は笑っていた。その笑みに滲んでいたのは歓喜だろうか、それとも慈悲か。ただ明らかなことはその行為には、その意味を覆い隠してしまうほどの殺意が、明確な死へと誘うそんな意味が、そしてそんな意志があった。
「だったら俺はどうすればよかったんだ。これが全部私の所為だっていうんだったら教えてくれよッ!」「じゃあ契約してよ。対価は記憶。」「記憶?」「それはすべての記憶。それさえ渡してくれれば俺は私の目の前に差し迫ったこの運命をねじ伏せ、これまでの罪を正当化するだけの覚悟をくれてやるよッ!」その言葉を聞いた俺はいった。「もうそうするしかないんだろ?今までだって私はすべてを捧げてきたんだ。夜見は私のすべて。なら夜見が死んでしまったならもう私には生きている意味がないんだろうよ。わかった。契約する。俺はお前を彼女のために受け入れると、すべてを差し出すと誓おう。」その声はその言葉を聞いて笑っていた。
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夜見は彼に抱えられて死んでいたように見えた。しかし、次の瞬間、彼女の瞳が開いた。港は横たわりながら、遠のく意識の中で、ボロボロで全身に駆け巡る痛みに耐えながら、その様を見ていた。その時の彼の心には彼女がかろうじて生きていたという嬉しさと安堵、そして空に輝く天使の絶望と悲しみで彼の心はぐちょぐちょになっていた。しかし、彼女が声を出そうとしたまさにその時、宇津野が、彼女を抱えていた宇津野が、彼女の首を力強く握りしめた。彼女が紡ぎだすはずだった声はくぐもった無意味なノイズになってしまった。そして宇津野はそのまま彼女を地面に叩きつけて、そして彼の手にはいつの間にかナイフが握りしめられていた。
「どうして...本気な....の...本当...に?宇津野...」彼を中心に空間がうねりだした。
黙れッ!俺はこの崩壊した世界とともに心中する、この意味のない世界をこのままやり直すんだッ!その邪魔をするなッ!
彼女は、夜見は地面に転がった。
港~~
「おい、何をしているんだッ!」僕は彼に問いかけた。「お前、宇津野か?」彼の瞳には深い深淵があった。「そうだよ。フフフ。どうしてそんなことを聞くんだい?」「じゃあ、なんでなんでそんなことをしているんだよッ!夜見はまだ生きていたというのにッ!」「違う。俺はこの世界をあるべき形に還しているだけだ。この世界はどうだったかい?傑作だったろ?」彼はその行為をやめない。そう、彼は彼女の体をそのナイフでズタズタにして引き裂いた。「何が傑作なんだ、どうして笑っているんだッ!僕の知っている宇津野はもっと...」「もっと?」どうしてだろう?僕が宇津野だって感じていたものがわからない。宇津野がどんな人で、どんな性格で、どんな雰囲気の人だったのかを今、目の前にいる”宇津野”にあげつらうつもりが、いざ言葉にしようとした瞬間、その宇津野にあったはずの、僕が宇津野だって感じていたものがたちまち消え失せてしまった。それはまるで僕にとっての宇津野がどこか空虚なものに思えてきてしまう、そんな感覚がした。その感覚はとても気持ちの悪いものだった。まるで僕がいる場所に、いきなり落とし穴ができてしまったのにそのことに僕が驚くことができない、そんな不安定な感じだった。だけど...「でも、僕には記憶がある、彼と過ごした記憶がッ!そう、彼との記憶がお前は宇津野なんかじゃないって言っているんだよ。裏切れるかよッ!お前はこの僕の記憶までも謀れるわけがないだろッ!さあ、答えろッ!お前は誰だッ!」目の前で彼は頭を抱えて考え込むようなふりをした。「残念...この名前気にいっていたのに、そうだな...」その時、彼は何か思いついた顔を浮かべた。「じゃあ、俺の名前は弐趾原だ。弐趾原天光。気軽に弐趾原とでも呼んでくれ。」その瞬間、僕の中にあった宇津野の記憶に変化が生まれた。どうして?どうして記憶の中にお前がいるの?嫌だ。まるで僕が引き裂かれてしまうようだ。その気持ちの悪い痛みに、そして吐き気によって僕は意識を失った。
それは綻びだった。この世界に生まれるはずがない特異点が生まれた瞬間だった。世界の崩壊が彼を、渦の中心、特異点めがけて吸い込まれていった。天使は何が起こっているのかわからない。そして天使は死んでいく。だが、彼らは死にゆく過程で気づくだろう。本当の裏切り者、その正体に。そして世界は彼らの死を、彼女の死を、そしてメタファーが無意味無価値の塵芥になって、記憶と運命の対消滅が起きて、すべてが約束された終わりへと疾走する。その疾走はどんどん速くなっていった。そして、すべてを吸い込んだそれは、限界まで圧縮されて臨界状態を超え、爆発した。その爆発はこの世界を白銀の闇として覆いつくした。これは世界の始まり、または約束された運命その再定義、”スパイラル・ホワイト”
「運命、贖罪へと至る道、その再定義は今、成された。今、新世界が産声を上げた。さあ、始まるよ、パンドラの箱は閉じられて、ラプラスの悪魔が集合的無意識につながったそんな世界がッ!」
第十九章 完
第30章に続く
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