第26章 おぞましさと気持ち悪さ 第一話
私の口内に出来た傷。その傷からゆっくりと血が流れ落ち続けていた。私の舌を這ってその血は私の喉へと入り込んでいった。その血には味があった。もったりとした痛烈な塩味がそこにはあった。その怪我でどこか朦朧としていた私はその血をただぼんやりと味わいながら、この傷跡が閉じるのを待っていた。
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その写真の中に僕はいた。その写真の中にいる僕はその顔を無理やり力任せで歪ませているかのような表情を浮かべていた。その表情を見た僕は気持ち悪いと思っていた。それにはまるでその写真に写っているのが僕じゃないみたいだったから。そして僕の左手にはダガーナイフが握りしめられていた。僕はそのナイフを見たことがなかった。しかし、その写真に写っているのは紛れもなく僕自身だった。
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私はバスに乗っていた。そして呆然と窓から景色を見ていた。そこには地面が血で真っ赤に染められたおぞましい世界が広がっていた。このバスはそんな忌むべき世界を見下しながら進んでいく。私はこのバスが好きだった。このバスに乗っていると、この世界を、この現実を見下しているかのように思うことができるから。そう、このバスは私がこの景色を見るためにあったんだ。
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景色、それは自分勝手な切り取り。その本質は景色を見た私自身の心に呼び起こされた感情。私は私の心に湧き上がってくるその感情を味わうのが好きだったから、景色を見るのが好きだった。そう、私は今までたくさんの景色を味わい続けていた。だけど、ある時から私は私の心に湧き上がってくるそんな感情に対して、飽きてしまったかのような感覚を抱いてしまった。どうしてだろう。私はこの景色が、この絶景を見た時に湧き上がる鮮烈な感動を味わうことが好きだったはずなのに...
それからだった。私が景色を見た時に嫌な既視感を抱いてしまうようになったのは...
私が今まで好きだった素晴らしいと思っていた景色は味気ない退屈な姿に、私が初めて見たはずの絶景は型にはめられたありきたりな姿のように感じるようになってしまった。私はこの感覚が、気持ちの悪いこの感覚が嫌だった。だから、私はこの感覚を誤魔化そうとした。誤魔化すために美術館に行って独特な絵を見てみたり、今まで見てきた景色とは全く異なる様相の景色を探して、その景色を見た時の気持ちを見つめて冷めてしまわないように留めようとして見てみたりした。
だけど、その行為は無意味だった。動かない絵を見た時の感動は景色を見た時よりも、その心に湧き上がってきた感動は小さくて、長続きもしなかった。そして、新しい景色を見ようとして、その景色を見た時の私に湧き上がるはずの感動を、その感動を生みだした私の心を見つめた私は気づいてしまった。その行為に意味なんてなかったということに。むしろ、その行為は、今までの景色を、ただでさえ無価値になりつつある私が好きだった景色を、より一層退屈なものへと貶めていく行為だった。色があったはずの景色を気怠げなモノクロへ、広大で奥行きのあったはずの景色を簡素な平面へ、そしてその景色につけられていた感情は今ではただただ気持ち悪いものだった。そして、そんな風に感じてしまう私自身をおぞましいもののように感じてしまう。そう、私はそんな私が嫌になったんだ。だから私は、私の記憶に閉じ込められて腐ってしまったこの記憶の断片を、そこにいまだへばりついていたこの感情を、尊いその感情を貶めているそれを、私はこの手で無理やり引きちぎった。嫌だ。私の頭が割れるように痛い。まるで私自身が引き裂かれてしまうかの様だった。苦しい。だけど、私はもうこのままで、気持ち悪いままで生きていくなんて耐えられない。このままじゃあ、私の瞳にうつるすべてが嫌になっていく。そう、私の瞳にうつるすべてに気持ちの悪い既視感がついていってしまうんだよッ!
切り離された感情の死骸は私の中に、心に積み重なっていった。まるで死体の山のように。その感情は、積み重なった彼らは私を見て笑っていた。そう、嘲笑っていた。彼らの笑い声はどんどん大きくなっていった。「アハハハハッ!」周囲がその声に圧迫されていって膨らみ切ったその時だった。彼らの一人が、そうその積み重なった山の前に横たわっていた死体が動きだした...
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どうやら、私はこのバスから見るこの景色は好きなままのようだった。バスの景色はまるで景色の方から私のために自ら動いてくれているかのようだった。そして、この景色はずっと見ていても飽きない、そうこの景色は私にとって飽きの来ない景色だった。私はこの景色に見とれて思わず私の瞳に涙を滲ませてしまった。
続く
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