第三十八章 理解なんてできない深淵のような無知
第七話 運命
公園のベンチで目覚めた私は家に帰ってきた。
水しぶきがたつ。それを見て過ぎ去る時間を感じる。そしてその過ぎ去っていく無責任な時間の中で、私は冷静を取り戻した。でも、冷静になんてならない方がよかったのかもしれない。冷静になってしまえば私は、私の今までを俯瞰してしまうから。まるで私のすべてを知っているかのように、その時点の私が生きていたその世界のすべてを知っているかのように感じて、見て、そしてそのすべてが不完全でどうしようもないものに見えてしまうから。たぶんこの時の私は芸術家。私の過去のすべては作品で、その作品はすべてこの今の私の方を向いているつもりだって思っている。そう、冷静な私は思っている。でも普段の私はそんなことを思っていない。常に未来の私を思い生きていることなんて出来ない。この何時何分何秒の瞬間の未来を感じてなんて生きていない。そう、この今を生きていない。だから、私は過去の私がみんな嫌いだった。今、私が見上げるとそこにはシャワーヘッドがあって、そこから落ちていく水の流れを浴びている。そしてその水が体をつたって流れて、排水溝へと流れていく音を聞く。冷静な私は、このシャワーを浴びているのが気持ちいい。でも、その気持ち良さが排水溝に流れていくのは、なんか気持ちが悪い。私の気持ち良さがその気持ち悪さで打ち消しあって今の私は冷静だった。でも冷静になんてなりたくなかった。冷静になった私は省みてしまうから。昨日のことを、過去の事を......私はどうして公園のベンチで眠ってしまっていたのだろう。私は寝たくなんて無かったのに、公園のベンチの上でなんて......疲れていた?そんな風に思ってしまう私には危機感が無いのだろうか。私の予知夢はもう崩れてしまっているのに......私の予知夢はもう不完全なのに。あの白装束の男に殺されるかもしれないのに、どうして私は公園のベンチで眠ることができたのだろう?まるで私は知っているみたいだった。いわば、私は死なないなんて信じているみたいだった。私は死んだことなんて無い。でも私は生きている。だから死そのものだって知っている、そこに付随する恐怖も、そして生きていれば理解なんてできない深淵のような無知も......なのに、どうして私は信じることができる、できてしまうんだ。私は現実を、いざ死に直面したその瞬間に、この今は予知夢だって無意識で現実逃避してしまったのだろうか、それとも私は初めから生きてなんて無かったのか。
(考えは止まることはない。私は排水溝に吸い込まれる水の流れを瞳で捉えていた。その時の私の心臓は乾いた音を立てている。私の喉も乾いている。そう、まさに私はまるで緊張して、そのわかりきった結末を見つめていた。排水溝の上にたまった水の塊に渦ができていた。その渦は私の瞳の上でぐるぐると回転していく。そしてその回転によって私の頭の中のゼンマイはぐるぐると動かされてしまっていく。その時の私の動きは止まっていた。まるで呆然と立ち尽くしているように......)あれからどれだけの時間が過ぎたのだろう。私はまるで白昼夢でも見ているみたいだった。私がここにいるようで、ここにはいない。そんな感覚、シャワーを浴びているみたいで、雨を浴びているみたいな感覚、そして渦を見ているようで、もうすでにここは海の底のような感覚だった。そして私はその渦の先で私の姿を見る。彼女は私を見て笑っていた。嗚呼、なんて気持ちの悪いことだろうッ!
その渦の先に夢中になっていた私は、私の背後で立ち尽くす誰かの存在に気づくことなんて出来ない。「お前は......」私はそんな声が背後から聞こえた気がして、反射的に振り返った。すると、そこにはあの喪服の......
バァン!その音が周囲に響き渡って、私の右手に衝撃が走る。その瞬間、あたりに散らばる私の血、あたりを染めていく艶やかな赤、そして私の前にいる男は......白装束のローブを身に纏っていた男だった。その男のローブが私の右手から飛び散った鮮烈な血潮で穢されていく。
そしてその血の匂いが私の意識を目覚めさせた、ここはあの建物の中だった。
「どうしてッ!どうして私はここにいるのッ!」私は恐怖のあまり叫んでしまう。私の右手がその男の手に携えられた銃によって抉られた、この痛みはこの今を現実だと告げていた。「嫌だッ!死にたくない。死にたくなんてッ!」私は混乱する。これが現実なんて信じたくない。悪い夢であってほしい、そう願ってしまう。でも、この痛みを味わいながら、そんな想像に思いを巡らすなんて、そんな現実逃避はもうできなかった。「嫌だ、こんな現実、知らないッ!」私は叫んでしまう。そんなことに「意味なんて無いのにッ!」その男は私の心を見透かしているように、私の心の声にかぶせるように言葉を叫んでいたッ!その時、私は私だけの心はまるで初めから存在なんてしていなかったみたいに消滅してしまう。そしてその瞬間、私の中で湧き上がった一つの感情、それはやるせない怒りだった。その怒りは、私の中を塗りつぶしていく。私の冷静も、死に対する恐怖ですら、この怒りの炎を燃やすがための憎しみにしかならない。私の目標、私の記憶、そして私の今ですら心底どうでもいいことに思えてしまってしょうがなかったッ!私の瞳が今、捉えているのは、その白いローブの下にあるその憎たらしい微笑みだけだッ!「どうしてッ!どうして、そうやって微笑んでッ!ずっとお前はその表情を称えて、その微笑みを称えてッ!何が可笑しい、何が面白い、どうしてそんな微笑みを浮かべていることがッ!」その刹那、その男は全体を小さく震わして、そしてその震えはだんだん大きいものへと変わっていく。それはまるで、笑いを堪えているみたいだった......
次回 第八話 必要
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