第三十三章 停滞した空気、渦に巻き込まれた時間、 まさに動かない時計
「うまく話せないよ。そんな一度に、たくさん聞かれてしまったら...」イブは申し訳なさそうな声を零していた。僕はそんな彼女の声を聴いて、いたたまれない気持ちになってしまった。そしてそんな気持ちが、僕を冷静にさせていった。
僕は問いかけた。この心に湧き上がる疑問を、イブとの出会いが誤魔化していた僕の今に対する疑念を、まるでずっと燻っていた思考を吐き出すように、彼女にぶつけてしまうように、僕は言葉を放り投げてしまっていた。嗚呼、僕は僕が思っている以上に、余裕なんてもう無かったんだ。「ごめん。」僕は謝って、この気まずい今を誤魔化す言葉を続ける。「僕はわからなかったんだ。あなたも、この状況も、そしてこの今だって、僕にはもう理解できないんだ。だから、僕は、少しでも理解したかったから、なんでもいいから答えが欲しかったんだ。だから...」
「いいよ。私も、ゼクス、あなたの立場なら、たぶんそんな風にあなたを質問攻めにしていたって、そう思うから。」イブはそう言って、僕に微笑みを返した。僕はその微笑みに戸惑う。どうしてだろう?彼女は扉の先にいるのに、彼女の声を聴いていれば僕の脳裏には浮かんできてしまう、まさに彼女の微笑みが...
「私、この扉の外に広がる世界の事なんて、もう”忘れて”しまっていたけれど...」「忘れる?忘れているって?」僕は外の光景を思い出す。鬱蒼とした森、ツタのように絡み合った茨、荒廃し今にも崩れてしまいそうな、まるで長い間放置されてしまっているような町の、参峰町の姿を...「あなたは一体いつからここにいるの?」僕が彼女に問いかけると、彼女は知らないと答えた。「答えられなくてごめん。残念なことに、この部屋には時計が無くてさ。それに、もう私はこの場所に長いこと閉じ込められてしまっているの。だから、”もう長いこと閉じ込められている”、それさえわかっていれば、もう正確にどれくらいなのかって、そんなことを考えることに意味なんて無いでしょう?」イブはめんどくさそうに答えている。それはまるで、久しぶりに時間なんて煩わしいものを意識したとでも言いたげな声だった。「待って?閉じ込められている?」そう僕が問い返すと、彼女は扉を内側から強くたたいた。「そう、私はこの部屋の中にずっと閉じ込められているの。ずっと、ず~~っと、閉じ込められているの。」
「ねえ?教えてくれない?今が何年何月何日何時何分なのかってさ。もしかしたら、私、この今を自覚することができれば、この場所に閉じ込められたあの時が、”いつ”なのか、それだけでも思い出すことができるような、そんな気がするから......」僕は自分のスマートフォンを取り出した。そして、その画面を見つめていた。しかし、その画面はいつまでたっても、僕の顔面を映し出しているばかりだった...充電切れ?僕は電源ボタンを押し込み続けてみて、しかしそこに何も表示されないで、だから僕は戸惑ってしまっていた。まさか故障?
「ねえ?大丈夫?ゼクス。あなたはまだ......そこにいるよね?」「・・・」「ねえ、答えてよ。そこにいるって言ってよッ!黙ってなんていないでさッ!」「...いるよ。」僕はうわの空で返事をした。「ごめん、変なことを私、訊ねてしまったみたい。今、思えば、なんて偉そうなんだろうって。」彼女はまた悲観的に呟いていた。僕はそんな彼女を少し、めんどくさいな、なんて感じてしまっていた。僕は彼女に問いかける。「ねえ、イブ。この部屋の鍵に心当たりはあるかな?」「どうしたの?急にそんなことを聞くなんて...」彼女は考えて、そしてひねり出すような声で答える。「えっと、そのカギは、カード状の何かだったような......私も正確な形はもう忘れてしまったけれど、でも、たぶんそれは一目見れば誰だって、鍵だってわかるような、そんな物だった気がするよ。」
「イブ。今から僕はその鍵を探してくるよ。」僕がそう告げた途端、彼女は明らかに戸惑った。「待って?そんな...まだいいよ。もう少し、ここで話していよう?」彼女は僕を明らかに引き留めようとしていた。だけど、僕はもうここにいても、彼女から、この状況への手がかりを知ることはできないだろう、そう、感じてしまっていた。それに、僕は焦っていた。僕のスマートフォン、そこには、僕が確かにこの町で、僕が参峰町で生きていた証拠がたくさん入っていたから。そして僕はこの写真を、参峰町があったなんていう記録を見て、僕は僕の正気を証明することができていたから。だけど、今、この家の外で広がっている光景は、まるで僕の記憶を拒絶せんとする光景は、僕の正気をまるで狂気だって、狂っているって言っているみたいで、そしてこの記録を見て確かめることのできない今はまるで、示し合わせているみたいだったから、僕ははやくここを離れてしまいたかった。そしてはやく確かめたかったんだ。僕が僕であること、この呑み込めない状況への答えを...僕は彼女に告げた。「イブ?僕を信じてくれるかい?僕はこの扉の鍵を見つけて、あなたをここから解放してあげるって、信じてくれるかい?」その言葉を告げた後、あたりを包み込む沈黙、そして静寂、それはとても重苦しく感じられた。一体どうしてだろう。周囲を埋め尽くす緊張、息がつまる空気、そして扉の向こう側から漂う殺気?そしてその刹那、彼女の声がした。「ありがとう。」その声には涙が滲んでいた。「私、たぶんあなたがここに来るこの今を、そしてこんな約束を、待っていた。ずっと、ずっと待っていたんだね。信じるよ。私は、ゼクス、あなたを信じるよ。」僕はその声を背に、階段を下りていった。
僕は階段を下りた後、この部屋全体を見渡した。どうやらこの場所にも、時計は見られなかった。どうやらこの家には時計なんてものは存在していないらしい。僕は少し考えてから、玄関の方へと足を運ぶ。すると、そこには見慣れた扉があった。そこには、中央に、瞳覚まし時計と書かれているあの扉が...そしてその扉の先から声がする。それは彼女の声だった。「どこに行くの?」その扉の先から聞こえてくる彼女、イブの声に僕は後ずさった。
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