Epigraph. Ⅳ 時間遡行 #2
第十一章 脱獄編
彼はこの牢獄に閉じ込められているだろう。この出口のない牢獄に。そして彼はあの時の夢を見るだろう。世界の終わり、忌むべき絶望、無への供物”ブラック・タイム”を......
そして、彼はその絶望を前にして選択をした。そう、すべてを受け入れる、そんな選択を。そう、それは彼の記憶を手放すことに他ならなかった。
彼その手に握りしめていたそのナイフを首筋に突き立てた。そこから血が溢れ、彼の瞳の前を横切って流れていく。その様を呆然と眺めていた彼はそこに何を見ていたのだろうか?
彼は今までを振り返っていた。これまでの、ここに至るまでの道筋を。そう、彼がこの死に納得ができるように、そして、この死が生に対する安らかな幸せへの肯定でありますように....
彼は記憶を失い、この中でただ茫然と過ごしていた。そう、彼が自分自身の今を、あたりに充満した不自由の存在に気づいてしまうまでは。彼の隣の住人は選んだ。この今を生きることが罪であるこの世界で、今を生きることを......そのために彼はこの世界の贄となって死んでしまった。そう、彼はそのロボットが握りしめていた自由によって、穢された自由を前に死んでしまったのだった。しかし、彼の断末魔が叫んだ声は、彼が忘れていたもの、彼がかつて追い求めていたものを呼び起こした。そう、それはまさに自由だった。絶え間ないノイズが、彼の断末魔をかき消そうとしても、その声は、彼の心に、自由の存在その面影として、彼の心に灯った一筋の光のように現れていた。彼はその光を握りしめて誓うだろう。この盲目的不自由が蔓延したこの無意味な世界から自由になる、と。
彼は探していた。心に光を携えた誰かを。その光が一番如実に表れるのは瞳だった。その瞳に投影されている心の光、その色がその人の心、その本質を明らかにしていた。灰色は白でも黒でもない中途半端な人間だった。今に無知で何も知らない、知ろうとしない人間。考えなしで誰かに導かれるのをただ待っているそんな人間だった。
また、そこにくすんだ青空が広がっている人間は創られた誰かの道を盲目的に歩いている人間だった。彼らはどうしてその道を歩いているのか、わからない。ただ、考えなしに歩いているだけだった。彼らは一見幸せそうに見えるだろう。しかし、彼らは真の意味で幸せにはなれない。自己肯定を許されない彼らは彼ら自身の生その最期にして、その今までを走馬灯でもって振り返る時、すべてをその誰かの所為にしてしまうだろう。そうだ、彼らはその時になって初めてその導いてきた誰かを殺すのだろう。今までを肯定するためには、彼らがその誰かを殺すしかないのだろう。そう、死の間際にはもう殺すことなんて出来ないというのに。そう、もう彼らはずっとその人殺しを先延ばしに先延ばし続けて、そして盲目的不自由を言い訳によって肯定し続けて、そしてそのまま死んでいく。そう、そこにあるはずの彼らが追い求めていた解放はもう失われてしまったまま、彼らは絶望に諦めを重ねて、そして消えていく。消えていく彼らは悟ってしまうだろう、彼らはもうとっくの昔に死んでしまっていたということに。
彼は彼女と出会う。盲目的不自由を殺すために誰かを殺していた彼女に......彼は確信する。彼女の纏う罪の臭い、自由の風、今を生きるということの覚悟に宿る光、その存在に......彼女は自分自身の存在意義を、他でもない自分自身の生でもって正当化して、生を肯定し死を否定し、罪悪感を拒絶して、そしてそのまま彼女は彼女に約束された終わり、その存在の意味すら、受け入れていたようにすら思えてしまう。しかし、彼女はこの世界の変わり果てた姿の中で苦しんでいた。そう、彼女にとってこの世界はあまりにも息苦しかったから......彼は隣人を見殺しにした。彼女は誰を殺したのだろうか?
彼女は記憶を失くしていた。しかし、彼女の個人的無意識に宿りし名前”港”が彼女を突き動かしていた。彼女はその単語が誰かの名前であるということ、そしてその名前こそ私の生きる意味だったということを自然と知っていた。しかし、それ以外の一切のことはわからなかった。そのことが彼女をひどく不安にさせていた。そしてその不安によって、彼女の心に湧き上がった自問自答によって、彼女は蔓延したこの世界の盲目的不自由に気づくに至ったのだった。
彼に差し出された設計図、そこに書かれていたのはこの世界を破壊するためのものだった。不自由へと貶められていた自由の象徴、それを彼らは創り出そうとしていた。
彼は明晰夢を見るだろう。そして彼はその夢の中で彼はかつての彼自身を見ることになる。そう、それはかつての今だった。彼にとっての二つ目の罪、これはその報いの証だった。
この世界の外には何もない。ただ無が広がっているだけだった。彼の独房に来た人形が彼を見下していた。その人形は手に携えたその自由の足枷をただ満足そうに握りしめて、どこか優越感を浸っているかのように彼は感じていた。気持ち悪い。そう彼は思い、何もない外に思いを馳せていた。
彼は銃を握っていた。その銃から漂う血の臭い。それは死の臭い。それがこの独房をひんやりとした沈黙で満たしていく。彼は一枚の肖像画を見せた。そこにいたのは一人の男。彼女はその絵を見た瞬間、気づくだろう。その男こそ、彼女が探していた港であると。そして、彼が次に渡してきた写真、それには彼女と、彼と、そして写真を見せてきたその男の姿があった。彼女はこの写真を撮った時のことを覚えてはいなかった。だから、知らないと答えた。
彼の言葉に出てきた”同胞”と言う単語。彼女はその言葉に既視感を感じていた。その時、彼女はその言葉で記憶を思い出した。私の名前と、そしていつここに来たのかということを。
私は机に置かれていたその拳銃を持ち、彼に突き付けた。そして彼の真似事をして見せた。そして彼のように質問をして見せる、その時の彼女はどこか開放されたかのような感覚を抱いていた。彼女が感じていた選択の余地のない息苦しい世界を今この銃でもって切り開いたかのような感覚がした。しかし、その仮初の自由に踊っているかのような気分はすぐさま閉塞して、それはかえって彼らの直面している今の不自由さが浮き彫りになっただけだった。
俺は約束通りKと出会っていた。他でもない俺の記憶を取り戻すために。
かつて、俺と彼は隣人同士だった。かつての俺は彼が嫌いだった。彼はいつも自由がなんだ、不自由がなんだかんだと繰り返していた。俺はそれを鬱陶しいと感じていたし、脱獄なんて無駄だと、自由になんてなれないと思っていた。そう、かつての俺は自分自身の生に対して盲目的だったようだ。そう、俺が彼の死を目の当たりにして、俺はようやく、自由を悟ることができたんだ。俺は後悔に苛まれたよ。無知無能の俺が彼を、そして彼の自由を見殺しにしてしまったように感じていたから。しかし、彼は死んでいなかった。彼は入れ替わっていたんだ。そこにいた咎人の外見を変化させ、そして己の外見を変化させ、入れ替わっていたんだ。
彼は俺の記憶を取り戻す方法に心当たりがあると言っていた。俺はそれを教えてほしいと脅した。すると、彼は俺に取引を持ち掛けた。教会のサンクチュアリに第三者を送り込むこと。それが条件だった。俺はKに言われた通り、仲間を見繕いKに言われた通りの指示を飛ばし、俺はKがいる食堂の下、彼の隠れ家に足を運んだ。そこには劇場があった。そしてその踊り場の上にKが立っていた。そのKの背後には白色のカーテンが架かっており、そこに映像が投影されていた。それはどこかのライブ映像の様だった。その映像にはきらびやかな空間が広がって、その中央には真紅の剣が飾られていた。そして次の瞬間その映像に映し出される彼女の姿。その瞬間、俺はこの映像が彼の言っていたサンクチュアリを映し出していたものだと理解した。
その彼女の前に現れた光、それはだんだん形を成していく。そしてそれは見覚えのある形になっていった。そう、俺にとって見覚えのある姿に......「空間がうねり、渦を成す......祝福......」彼女に迫る光、そして空間を不明瞭な無へと誘う抽象的な力、炎の渦。そしてそれは彼女の背後にあった階段を消し去っていた。そして、逃げれなくなった彼女をその光は笑っていた。フフフ、と。そうだ、あいつは天使。どうして天使が生きている?その天使が彼女にその剣を振り下ろし、彼女はその攻撃で地面に倒れる。「夜見ッ!」俺は思わずそう叫んでしまっていた。
彼女が起き上がった。漆黒の渦をその身に宿して。その渦を見た瞬間、俺はすべてを思い出した。「始まったな。」俺の瞳の前にいたのは、希代だった。「なんだよこれ。そんな馬鹿なことが、ありえるのか?その渦は紛れもなく俺の力だったはずだ。」
俺は自身の神力”セクト”で権能を覆いつくしていた。しかし、どうしてだろうか?俺の力が発動しない。「どうして、これはッ!」俺は今を呑み込むことなんて出来ないでただ戸惑っていた。そんな俺を今生希代が笑っている。「どうだい?ようやくお前も思い出せたようだな。宇津野?そして、私の計画通りになっただろ。弐趾原?」弐趾原はもう諦めていた。しかし、宇津野は諦めることなんて出来ない。「行かなければ、俺は彼女を止めなければッ!」「やめろ。もうすべてが終わったんだ。」「黙れッ!またあの災禍を繰り返すつもりか?弐趾原ッ!」弐趾原の顔には張り付けた笑みがあった。そう絶望に歪んだ笑みがあった。その笑みを見て、俺の足はすくんでしまった。そう、その笑顔に滲んでいたのは絶望だった。その絶望が俺の心を恐怖で鷲掴みにしていった。そしてその恐怖を見透かすように今生希代は話し出す。「違うよ。繰り返しなんかじゃない。これは終わりの始まりだ。中途半端だった運命のカウントダウンが動き出したんだ。そして、これは災禍じゃない。災禍なんて言葉は結果論だよ。そもそも、お前は選択したはずだ自分の死を肯定する、そんな道を。そう、お前にとってこれは終わりだった、そして他でもない希望、その始まりでもあった。しかし、残念だったな。お前がやろうとした選択は失敗したよ。貶められてしまったんだ。だから、お前は今ここにいる。そして、今、彼女がトリガーとなりて儀式という名の選択、あの時のやり直しを成そうとしているんだよ。」「儀式…!」そうだ、思い出した。あの夢で俺は俺自身の首筋にナイフを突き刺し、俺は俺自身の罪を受け入れたはずだった。俺が言い訳したあの原罪を、そしてその原罪を払うがための儀式を起こしたはずだった。天使を殺し、そしてすべての罪を受け入れて、かつての死を呑んだはずだった。はずだったのにッ!「お前はずっと逃げていた。その原罪から、果たされるべき死から。そうだ俺たちはやり直したかっただけだった。だけど、それは今から逃げているだけだったんだ。」「何が言いたい?」「トランス能力も神力も本質的には同じだってことだよ。トランス能力は楽園追放、その罪の垢趾であるとするならば、神力、いや”原初の力”はお前がかつての罪を忘れないがための力だ。そうだろう?かつて、お前が成した解放の儀は開放へと貶められたが、その仮初の開放は”トランス能力者”その鬱屈としたコンプレックスには一筋の希望にうつったはずだ。そして原罪を持つ俺達と、原罪を持たない天使、その相容れない存在と、お前が見せた希望、それらが合わさったことによって彼らの能力は解放へと疾走する。そうさ、お前がトリガーである必要はなくなったんだ。かつてお前が弐趾原だった時のように......」
続く
読んでくださってありがとうございます。
予定と大きく異なってしまいました。
申し訳ございません。
明日 第十一章五話から~第十二章までの予定となります。




