第三十三章 You 第一話
僕は彼女に無理やり連れられて、この廊下を駆けていた。彼女はこの廊下を行きかう人々を軽やかに右に左に避けていく。しかし、彼女のその優雅な動きには僕の存在が考慮されていなかった。彼女が前の人を華麗な身のこなしで避けたその時、僕は左右に大きく揺さぶられて、その揺さぶりのために僕はこの廊下を歩く人々に何度もぶつかってしまった。「気をつけろッ!」そんな声が、僕の物理的衝突に対する応酬として返ってきて、僕はその声をどこか惨めな思いで聴いていた。何が悲しくてこんなことを言われなければならないのだろう?そんな惨めな僕と姿とは裏腹に、廊下を駆ける彼女の姿は画になっていた。彼女にとってこの文化祭の熱狂は、彼女の自分らしさの前ではただの舞台に過ぎないのだと、僕は思い知らされてしまった。そして、僕の存在は彼女を中心としたその熱狂の渦に取り囲まれて、まさに今にも消えていってしまうかのようにどこか追い込まれてしまっていた。
僕は息がつまる思いで、(半ば過呼吸のような状態で......)、彼女の手を必死につかんでいた。しばらく彼女に引っ張られ、そのまま走り続けた後、彼女の足は唐突に止まった。(ようやく止まってくれた......)僕は膝に手をついて息を切らしていた。しばらくたって、息を整えた僕は辺りを見渡した。ここは僕たちの教室”2-A”の前だった。どうしてだろう?この教室の前には、ここに来るまでには確かにあった、文化祭のあの活気がないように感じられた。そして、教室の中からは誰かの声が響いていた。その声を聴いた途端、僕の心に這い出たのは悪寒だった。そんな感覚を抱いて、茫然と立ち尽くしていた僕を彼女は無理やり教室の中へと引っ張った。
教室の中では、僕のクラスメイトの何人かが言い争っていた。何があったというのだろう?本来この教室では、文化祭のクラス展示が行われているはずだった。しかし、教室の中で輪になって口論している彼らは、クラス展示のことなんて忘れているようだった。彼らは周りを気にせず、彼らの心の激情を垂れ流し、彼らが互いに投げかけあう言葉の飛び交いが、彼らの醜悪な感情を暴き、そして逆に暴かれる、そんなような醜態と言うべき姿を晒し続けていた。しかし、彼女が開けた教室の扉が閉まる音によって、彼らの話し合いは中断され、僕は彼ら全員の視線に晒されることになった。
「噂をすれば何とやらだ。遅かったな?預御。」そう言ったのは、彼女の真正面に立っていた一人の男だった。彼の名前は橘壱。彼はこの町のインフラを一手に担う大企業、”橘建築”、その社長の一人息子だった。彼は父親の存在をいつもちらつかせて、自分自身の立場を高く、そして他人をいつも見下しているような雰囲気を纏っている、そんな男だった。僕は彼が嫌いだった。僕は彼と話すとき、いつも彼のその雰囲気のために、僕は彼とどこか遠慮がちに話すことを強いられてしまったから。そう、僕はそうやって話すのが嫌いだった。
そして、その彼の纏うその気持ちの悪い雰囲気を助長させている要素の一つとして、彼の周囲に蔓延っている”友達”の存在が挙げられるだろう。彼が”友達”と呼んでいる彼らは、彼の後光にあやかりたいための彼の操り人形、その呼び名だった。しかし、僕にとって彼の”友達”と言う言葉は蔑称に他ならなかった。その操り人形は互いを敵視して、そして互いに彼の人形であることの素晴らしさを競い合っている、そんなどうしようもない奴らだった。僕は彼らの方が、橘そのものよりも嫌いだった。むしろ、橘の性格が、上から目線で偉そうな、残念な性格になってしまったのは、彼らの存在の所為だって感じるときもあった。僕が橘と話すその時、彼の近くにいる彼らは決まってこちらをジッと見ていた。何も言わないでただただ彼らは僕を眺めていた。その彼らの瞳に滲み出ていた人を値踏みするような眼差しは、醜悪で汚らわしいものだった。そう、彼らのそのまなざしの中に囚われた瞬間、僕はその醜悪な眼差しによって、僕の存在そのものがどこか穢されていくと、いつもそう感じていた。
「相も変わらず偉そうに......。ごめんごめん。まあでもちゃんと代役は連れてきたよ。」そう話す僕をここまで引き連れてきた彼女”﨑野預御”。彼女は教室の中で一目を置かれている人物だった。彼女は明るかった。彼女はこの教室の太陽と言うべき存在だった。そう、彼女はこの教室にとって、僕たちにとってなくてはならない存在だったんだ。僕は当時、そんな彼女に惹かれていたし、そうだ、僕はほかでもない彼女のために死の淵から蘇ったのだろう。
「代役?」橘は僕の方を見た。「おっ誰かと思えば寝坊助じゃん............待って?彼を代役にするのかい?いつもただ寝ているこんなふざけた野郎を?」「でも彼以外の代役は見つからないんじゃなくて?それとも誰かほかに候補を挙げられるとでも?」「あぁッ!挙げられるさッ!時間さえあってくれればな。俺は反対だ。このふざけた奴に主役なんて勤まるわけがないからなッ!どうせ失敗するのが落ちだろうよッ!それとも、そのわかりきった失敗のために動けと言うのか?今まですべてを水泡に帰す運命を受け入れろとでも言うのかッ!」「いいえ?私はこの状況を脱するための策を弄しているだけよ。このままでは、私たちの敗北は、クラス展示の集客者数のランキングの最下位は免れないでしょう?そう、これはチャンスだと私は思う。彼はこの状況を切り開く切り札となるか、それとも今までのすべてを台無しにする悪魔となるか、賭けてみる価値は十分にあるんじゃなくて?」教室に流れる沈黙、向き合う彼女と橘、そしてその視線に挟まれて身動きの取れない僕の姿。僕はその沈黙が果てしないもののように感じられた。その沈黙によって僕が僕の首を絞めようとしたその時、この沈黙を破るように、誰かが教室の扉を勢いよく開けて教室の中へと飛び出した。「やあ。何とか間に合ったようだね。まあ、落ち着こうや。今、互いに争うことに意味なんてないのだから......」そう言って現れたのは一人の男”波切翔”だった。
続く
読んでくださってありがとうございます。
次回予告 (仮称)
探偵ものの主役に僕が?
無理だよ、ずっと寝てばかりだし?
確かに探偵ものの小説は読んできたけどさ?
「ただ、舞台に出てください。それ以上は何も求めないので......」
次回 第三十三章 YOU




