第三十三章 いつかの誰かへ 第一話
「これで、八人目か...」私はため息をついていた。彼はこの会議室の椅子に腰かけて、目の前のホワイトボードを呆然と眺めていた。ホワイトボードに書かれている文字の羅列、まさに無駄と言ってもいいと思う、そんな手がかりかどうかすら怪しい、情報と言うことすらおこがましい、まさにデータ、その集合体を前にして私に湧きだしたのはやるせない怒りだった。「無駄だったな。こんな文字の羅列は。」まるでこの文字たちは、問題文のように見えた。たぶん、人の死を何度も前にしていたとしても常に冷静な生き物が、まさしく名探偵なんて存在が、本当に実在していると言うのなら、この文章はただ真実を見つけるための、存在する犯人を推論するための道具(手がかり)として考えるんだろうな。だから、たぶん私のこんな気持ちにはならないんだろうな...たぶん、私はこの文章をまるで問題文の様相へと誑し込んでいくようなこの現実が、このやるせない地獄が、嫌で嫌でたまらないんだろうな。そしてその気持ちが、この人を被害者を助けるためだったはずのこの希望を、希望だったものへと、人を助けることのできなかった象徴へと、そうまさに墓標へと変えていってしまったんだろうな...
ホワイトボード~~~
連続失踪殺人事件対策本部会議室情報データベースホワイトボード。(*このホワイトボードの編集は特定の指導、監督責任者の下で行われます。許可のない改変、編集は処分の対象になります。)
連続失踪殺人事件、しかし、この事件はあまりにも奇妙な被害者の発見時の状態や、その共通点から”ブラックトローチ”事件だったり、”ネームレスボディ”事件とも呼ばれることもあった。この事件の始まりは一つの遺体、その発見だった。
一人目、7月20日~~~
俺達は書店の中へと入った。その瞬間、開かれた扉の先に広がっていたのは、この参峰町そのものだった。その景色に戸惑っている俺の中へと入り込んでくる情景、天まで届いてしまいそうな高層ビルや雑踏に立ち並ぶ家々、歩いている多種多様な人々、悠然としている山、そして瑠璃色の海、まさに俺が今まで見てきた、それでいて飽きの来ない自然の情景が広がっていた。俺はこの光景を受け入れることができなかった。この光景はまるで町そのもののすべてが俺の頭の中へと無理やり詰めていくかのようだった。頭が重たくなったような気持ちの悪い感覚と、それに伴う頭痛に苦しみながら、この詰め込まれた”ただのデータ”を噛みしめていると、俺の心に一つの違和感のようなものが生まれた。俺はその違和感を確かめるために、その光景に歩いて近づいていった。
俺がその町へと近づくにつれ、その町の姿は小さくなっていった。そして俺はその見ていた町へと完全に、触れてしまうことができるくらいに近づいた。そして、完全に近づいた俺の視線と同じ高さにあったものはその高層ビルの屋上にあった庭園だった。
どうやら、この光景は偽物の様だ。俺はため息をついた。本当によくできたミニチュアだよ。こんなに近づいてしまうまで、俺はこの偽物が創り出した光景を本当の町並みだって思ってしまっていたのだから。(なんだよ。馬鹿にしやがって...)そう、心の呆れが声を出して、そしてその声が、ため息を出そうとしたとき、俺の瞳に飛び込んできたのは誰かの断末魔だった。
その声はこの建物全体に響き渡って、そしてこの地面を揺らしていた。俺はその断末魔にあてられてその方向へ視線を向けた。その視線の先には、特徴的な建物があった。俺はその建物に近づいていく。近づきながら、俺はその建物が何なのか気づいてしまった。そう、それはこの書店のミニチュアだった。俺はその模型に近づいて、そしてその中を覗き込もうとしたその瞬間、俺の背筋に嫌な冷たさのようなものが走った。それは予感だった。この建物の中を覗き込んでしまったら、俺は見てはいけないものを見てしまう、それはそんな感覚だった。
この時の俺には勘なんていうべき第六感が動いていた。しかし、その第六感は好奇心ほど強くなく、理論立てて説明がつくほどの説得性もないものだったから、簡単にその警鐘は無意味な物となってしまった。俺はその建物についていた窓からその建物の中を覗き込んだ。その中にはこの参峰町のさらに小さなスケールの模型でできた町並みが広がっていた。ただ、少し違っていたのはその町の模型は平面図のように壁の途中で切断されていて建物の中が見えるようになっていたという点だった。俺の視線の先には、小さなこの建物があって、その建物の中には一人の人影があった、そしてその人影は、その建物の中にあったその建物を眺めていた。その光景を見ていた俺は確信する。「これは、俺?」そしてその俺の背後には誰かが立っていた。そしてその誰かは言った。「何をしているんだ。」その声に俺は振り返ることも反応することもできない。(何をしているんだ、だって...、確かに俺は一体何をやっているんだろう?こんなわけもわからない場所で、何を見ているというのだろう?)次の瞬間、その建物を覗き込んだ瞳の中にいる俺の手が切断された。
なんておぞましいのだろう?この光景はッ!どうして俺の手が切断されているのだろう?それにこの痛みは何?俺の手は無事なのにどうして、俺の腕にこの痛みが走っているというの?その疑問、そして予感。そう、これは俺がこのあと体験するであろう未来を映している、そんな勘が働いた俺は、背後を振り返った。
「ついに見つけたぞッ!悪魔めッ!」俺は持っていた包丁でその男の両手を切断した。「そうだッ!これが夢の正体だったんだッ!そうだ、そうだったんだなッ!」俺は心渦巻く感情のすべてをこのナイフへと込めていた。それは殺意だった。それは究極の憂さ晴らし、それは知性を捨て去る本能の下僕に成り下がるための感情、それは知恵無しの猿だということの証明、そしてそれは最期の手段。「死ねッ!この悪魔ッ!」俺はその男の首筋にナイフを突き立てた。そして、ぐちゃぐちゃのめった刺しにしていく。そしてその男の胸に証を立てるためにその胸にナイフを突き刺した瞬間、その男から溢れ出した液体が、この世界を染め上げていった。その純然たる白色が、純粋無垢たる罪なき液体が世界の真実を今、白日の下に晒されたッ!「どうしてッ!」俺がこの包丁で突き刺していたのは、俺だったんだ...
そう、僕はこの景色が好きだった。ずっとこの景色をただ眺めてしまいたいと思ってしまうほどに。ゆったりとした血が、世界を濡らして、その罪に世界が流されていく。「嗚呼ッ!」その光景を見た誰かの涙交じりの感嘆が、この町を夕日に照らされたあの大地へと変えていく。
俺はこの景色が好きだった。この夕暮れの景色が好きだった。喋ることのできない誰かの言葉にならない死音があたりに響き、その声にあてられてこの町は死んでいく。まるでその姿は俺に寄り添ってくれるかのようだった。そうか、この町は俺のために死んでくれるというのか。ありがとう。独りは怖かったんだ。
私はこの光景を綺麗だなんて思えなかった。どうしてあなたはそう思うことができるの?この景色を見てどうしてそんなことを言えるのッ!そうだよ、お前はもうすべてを諦めているんだッ!だから、そうやって笑っていられるんだッ!そうやって痛くないように、苦しくないように笑っていられるんだッ!嫌だ、嫌だよッ!お前が私の絶望の象徴に成り果ててしまうなんて...そんなの嫌だよッ!「その声はこの世界から瞳を背け続けたあなただから言えるんだよ。」死にゆく彼は私にそう言った。「あなたは卑怯者だったんだ。あなたは僕を助けることで、僕の救いになりたかっただけなんだ。それが最終的にこの僕を苦しめることになるなんてことはわかっていたはずなのに...」「ねえ?そんな顔しないでよ。そんな満足げな顔を浮かべていないでよ。もっと苦しそうな、絶望を、地獄をッ、見ているような顔をしてよッ!私は何のために生きてきたの?そう、私、私はあなたのために生きていたの。なのに、あなたはその私を否定するがために”今”死のうとしているんだ。この世界ごと、私を追い出そうとしているんだッ!そんなの苦しいよ、やるせないよッ!どうして死んでいくあなたよりも私の方がそんな顔を、あなたが浮かべるべき顔を浮かべてしまっているんだッ!」「どうして、だって?フフフ。そんなの決まっているじゃないか。これが”解放”だからだよ。ようやく、俺はすべての罪から自由になったんだ。死んで初めて、今までの仮初の自由の無価値さを痛感するよ。あ~あ。こんなことなら、もっと苦しむべきだったな、僕は...そうすれば、この真なる自由を前にしてもっと感動できたんじゃないかな?なんてね。そんなの結果でしかないんだ。たぶん、この瞬間こそが天国で、そして地獄なんだよ。真なる自由という名の天国の到来と、今までの盲目的不自由その後悔という名の地獄の到来。たぶん、このせめぎあいで天国に感じるか、地獄に感じるかが決まるんだろうな。フフフ。どうやら僕は天国のようだよッ!ほかでもないあなたのおかげでねッ!フフフ。フッフフフッ!アハハハハハハッ!」
「そうか...これが開放...贄だったのは、私。」私はその死にゆく彼に拳銃を突きつけた。そうだ、これは最期に送るあなたへの復讐だッ!「なんだよ?ソレ?」次の瞬間、私はその拳銃を彼の額に撃ち込んだ。銃声と衝撃、その衝撃で横たわる彼の背後に瞬間的に広がった円状の血、それは私の瞳にはエンジェルヘイローのように見えた。彼から力が抜けていく。彼が握りしめていたナイフは力なく地面に転がった。私はそれを拾いあげて、そしてもう十分に抉られていたその首筋の傷痕を抉っていく。その傷痕を私にとっての傷痕に、彼にとっての傷跡にするがためにッ!
~~~
ここまで読んだところで私はこの事件の真相に気づいてしまった。そうか、犯人なんていなかったんだ。そうか、彼らはみな自らの手で死を選んでいたんだ...だから、犯人なんて見つからないはずだッ!つまり、私がするべきことは、なぜそんな選択をしてしまったのか、その原因を探ることになるな...
俺は自分自身のパソコン上のワードファイル状に保存してあった、この事件の調査関連ファイルを開き、その線で捜査を開始した。そして一つの写真がヒットする。黒の錠剤、やはりこれが鍵か...
続く
読んでくださってありがとうございます。
次回予告 (仮称)
懸餅はパンドラの箱を開けてしまった。
久留はただ笑っていた。
全てが消されたホワイトボード。
まさに名は体を表すと言ったところか。
次回 第三十三章 いつかの誰かへ 第二話




