第32章 転校生 前編
「さよなら。」初対面の私に彼がした挨拶は別れの言葉だった。(さよなら?)なんで別れの言葉を今、言うのだろう。彼は何事もなかったかのように、まさに自然体で、教室の中の人と話していた。だから、その時の私は周りに、自然に会話を続ける彼の姿に流されてその疑問を投げかけることができなかった。その姿と、さっきの声が、言葉が、現実に今とに結びつかないで、その結びつかない言葉によって断裂した私の思考が導き出した答えは私の勘違いだった。さっきの言葉は気のせいだろう。転校してきた私の机を取り囲んでいる彼らの雑音が創り出した虚構なのだろう。私はそう思うことにした。その時、彼がこちらを見て笑った。「えッ...」彼はその顔に悪趣味な笑みを浮かべていた。どうして笑っているの?彼の瞳は私のことを捉えて、見据えて、見透かしていた。どうしてこちらを見ているの?その時、彼の唇が動いた。彼と私との席は離れていた。そして私の周りを雑音が囲んでいたから、彼の声が聞こえるはずがないんだ。もし聞こえたのならそれは幻聴だ。聞こえるなんておかしいんだッ!なのにどうしてその声は、確かに、私の頭の中で響いていた...「知っているよ。」
その声はいたずらに笑っていた。まるでからかうように。その声には芝居がかった感じがあった。まるで何かを覆い隠そうとしているかのような。それでいて、そんな裏があるような胡散臭さをあえて残しているかのような声だった。(知っている?何を知っているというんだ?)私の心に浮かぶ疑念、その疑念を私はつい私の表情に零してしまった。その顔は誰が見ても嫌そうな顔だった。そして私のそんな顔は彼らにとって、気持ちが悪いものだったようだ。「ごめんなさい。迷惑だったよね?」私の周りを取り囲んでいた雑音が死んだ。誰が殺したのだろう?私だろうか?違う、私は彼らのことを迷惑だなんて考えていなかった。むしろ、有難がっていたんだ。私はこの一か月間を私は彼らにとっての新鮮な風としての役目を盾にして、同い年で後輩のような珍しい立ち位置を食いつぶして、寄生虫のように過ごそうと考えていたんだ。しかし、その期待は夢になってしまった。そう、彼らは私から遠ざかってしまった。彼らは怖くなってしまったのだろう。この私のことを...たぶんこれは単なる防衛機制に過ぎないのだろう。私という名の彼らにとっての未知に対する知的好奇心は既知への不安へと変わり果ててしまったみたいだ。この私の顔色一つによって...
教室に流れた気まずい空気。その空気には吸うだけで肺がどうにかなってしまうような苦しさがあった。その苦しさによって彼らは床へと倒れ、私の目線から消えていった。私は周りを見渡した時には、もう誰もいなかった。「誰か?誰かいませんか?」私の声のやまびこは私の声を沈黙にして返した。その沈黙はまるでナイフの様だった。ナイフと聞いて私が見たビジョンはナイフそのものと、そしてナイフの突き刺さった痕が残った死体だった。たぶん、その沈黙にあったイメージナイフは後者だった。私の瞳に映し出される死体たち、彼らの胸はナイフでもって切り裂かれていた。「どうして?あなたは私たちを傷つけたの?」違うッ!そんなつもりじゃなかったんだ。私は、あなたと、あなた達と同じように仲良く過ごしていきたいって思っているんだ。「そんなの嘘なんでしょう?」どうして嘘だっていうんだッ!その時、彼らは彼ら自身の胸に空いた穴の両端の皮をもって私の間の前で開いた。まるで見せつけるように。辺りに飛び散る血、それは返り血だった。その返り血の指し示した延長線上にあったナイフ、そしてそのナイフを握りしめている右手、右手がついた右腕、右腕がついている上半身、その上半身には下半身と左手がついていた、そしてその体についていた頭は私自身の顔だった。
その顔の表情は気持ちの悪い顔をしていた。私はその顔めがけて持っていたナイフを突き立てた。私の心に湧き上がる高揚感。そうだよ、私はずっと前から私のこんな表情を浮かべることのできるこんな顔を傷つけてしまいたかったんだよッ!しかし、次の瞬間、瞳の前の私はそんな私を嘲笑うように笑っていた。
その顔は気持ちの悪い顔だった。私はその顔にナイフを振り下ろす。しかし、その何かを堪えている顔はより一層その微笑みを、悪趣味な笑みを深めるばかりだった。どうして笑っているの?彼の顔は見るも無残に成り果てていく。しかし、その笑みはその顔に出来た傷が深くなればなるほどその口角は上がっていった。そしていつしかただの微笑みは笑いへと変わった。その笑い声は大きくなっていた。黙れッ!私はその声を黙らせるために、この手に握りしめたナイフをその首筋に突き立てた。首から噴き出した血があたりを穢していった。そして周りを覆いつくしたあの笑みは鳴りを潜めた。「ハァ...ハァ...」私は息を切らしながらその死体を見ていた。その死体はその穢れた大地に独りで横たわっていた。その死体には瞳があった。その瞳は黒く澄んでいた。私はその瞳を覗き込んだ。その瞳の中で一つの死体が横たわっていた。その死体は私の瞳の前で横たわっているこの死体とそっくりだった。
続く
読んでくださってありがとうございます。




