↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エンデラの森の黒き魔女  作者: 暫定とは
六章『終末』
PR
73/77

73

 『一度しっかりと勉強がしたい』とバロンには言っていたハレだったが、実際に孤児院へ戻ってみると、自分の無気力さに、ハレは驚かされるほどだった。戦いの日々が終わってから、ハレが皮をめくり続けていた喜びと悲しみの果実――その内側に何か、自分のやる気を湧き起こすようなものがあるのではないかとハレは(根拠もなく)思っていたのだが、どうやらそれは見当違いのようであった。果実などそもそもなかったのだ。あったのは見せかけの外皮だけで、それを剥き終えた先にあったのは、単なる空虚――虚しき閉塞感だけだった。

 シスターたちの配慮により、ノアの部屋はハレの部屋の隣となった。ハレを元気付けるべく、ノアは休憩時間など、足繁(あししげ)くハレの下へと通い、バロンも交えて他愛のない話をして過ごしたが、ハレの反応は芳(かんば)しくなかった。

 余談だが、修道院の敷地内には十年ほど前までは動物小屋として使っていた古い屋舎(おくしゃ)が今も残っており、ハレたちがカミナを飼育していきたい旨を伝えると、シスターたちはここを綺麗に掃除してくれた。カミナはここで生活をし、餌やりなどの日々の世話は、(当たり前だが)飼い主であるノアが担当することになった。ハレやバロンがたまに顔を出してやると、カミナはとても嬉しそうにした。

 一週間ほどで孤児院での生活リズムにも慣れてきたノアは、空いた時間には自室や図書室で勉強をしたり、新聞を読んだりして過ごし、時折プリマギアを招来して、精霊術の特訓を行った。戦闘に必要となる基礎的な筋力などは不足しているものの、精霊術のセンス自体は決して悪いものではない、というのがプリマギアの評価だった。

 始めはプリマギアと二人きりで特訓をしていたノアだったが、孤児院に入所して二週間ほどが経った頃から、「特訓に付き合ってほしい」とハレとバロンにも声をかけて、二人にも同席してもらうようにした。気を遣ってハレ主体の行動を取るよりも、ハレに傍に居てほしいとノア自身が思う時に、実際に傍に居てもらうことが、ハレの精神の回復には繋がるのではないかとノアは考えたからだ。そして実際に、それは間違いではなかった。

 『ノアが自分を頼ってくれている』という事実は、無意識にハレの自信へと繋がり、ノアに立ち回りの指南をしている最中などには、以前と同じような明るい喋り方に戻っているタイミングも、ハレには出てくるようになった。それから少しずつではあるが、ハレの精神状態は徐々に快方へと向かっていった。が、胸の奥に残った虚しさが、すべて消えてなくなるということはなかった。それがなくなるのには多分、何か決定的なきっかけが必要なのだろうと、ハレには何となく分かっていた。


『思うところがあるのなら、一度紙に書き出してみるといい』

 シンの言葉を思い出したのは突然だった。孤児院に戻って一ヶ月ほどが経った或る朝、その言葉を思い出したハレは、休日で授業などもなかったその日、朝食を済ませて部屋に戻ると、机の上の何が何だか分からないものたちを床に下ろして、久方ぶりにその机に備え付けの椅子に座った。

 授業以外で筆を執ることなどいつぶりだろう、とハレは記憶を遡(さかのぼ)ったが、少なくともここ数年の記憶には、同じ光景は見当たらなかった。辛うじて引き出しに眠っていた便箋を取り出し、ペンを手に取ると、自分が何を考えているのかをハレは考えた。答えがすぐには出ないであろうということを、ハレは始める前から何となく予感していた。自分とシンではタイプが違う。言葉や論理よりも、自分は直感や嗅覚を頼りに生きてきた人間だ。自分の考えを文字に起こすということを、ハレはこれまで試みたことはなかったが、少なくとも得意ではないだろうという自負はあった。結果から言うとその不得意さは、ハレの予想を遥かに上回っていた。

 昼食の時間になると、ハレが食堂に現れないことを不思議に思ったノアが、部屋までやってきて扉をノックした。「今日はいいや。ちょっと一人にしといてくれ」とハレが言うので、ノアは無理に誘い出すことはしなかった。この時点でハレはまだ、一文字たりとも書き出すことが出来ていなかった。

 十五時を回った頃になって、言葉での表現は難しいと判断したハレは、自分とトーマとの関係性を図で書き表してみたり、彼との交友関係が始まってから自分たちの身に起こったことを、時系列で書き起こすことを試みた。が、幾ら試行してもしっくりくるものには行き当たらず、それからの数時間で、ハレは百枚ほどあった便箋のうち、六十枚ほどを無為に消費することとなった。

 夕食の時間になっても、今度はノアが声を掛けに来ることはなかった。ドルミールの状態で腰に提げられたバロンも、特に何かを発言することはしなかった。ただ静寂と無力感だけが、太陽と共にハレの上を通り過ぎる一日だった。が、不思議とハレはそれを苦痛には感じなかった。答えに近付いているような感覚はあったのだ。ただ、それがどれくらい遠くにあるのか、案外近くにあるのかということは、果たしてハレには分からなかった。

 二十四時を過ぎても、覚醒したハレの頭に眠気はやってこなかった。が、相も変わらず答えの在り処は分からないので、ハレは諦め半分に、何となくトーマのことを思い出していた。

 ブロンドの髪と、勿忘草色(わすれなぐさいろ)の瞳を持つ切れ長の目。銀縁の眼鏡、セーラーカラーの青いボタンシャツ。同じく青のロンググローブと、その下に隠された白い爪。

 眼鏡のブリッジを押さえる仕草。知識を披露するときの快活な喋り。機嫌が悪い時の睨み顔。自分に対しての皮肉な物言い。ふざけ合う時の調子の良さ。強力な共鳴術技の数々。カレントとのコンビネーション。年上と会話する時の真面目な敬語。ふとした時に見せる何気ない優しさ。脇腹をくすぐると激怒すること。

 黒き爪の一族について教えてくれた時、すぐには答えを出せないと言葉を濁したこと。アーロンとトーマ自身の関係性について、バレるまで一言も話さなかったこと。ネルビアンコであると告白してくれた時、弱々しく震えていた手。自分のことを無二の友人と言ってくれたこと。同じネルビアンコとして、アーロンを止めたいと言ってくれたこと。「ハレを騙していたのは事実だから、ハレが望むだけの仕打ちは受ける」と言った彼の、普段は見せない歪んだ卑屈さ。ナボネブラで自分の前から立ち去った時の冷たい視線。オラシオンで剣を交えた時、自分に向けられた本気の殺意。


 彼がこれまで自分に向けてきた幾つもの表情。そのうちのどれが、一体彼の素顔だったのか。ハレにはそれが分からなかった。そしてその不明瞭さこそが、ハレの心に巣食う空虚さの正体だったのだ。

 夜明けの月光と行く道を、トーマが本気で、心の底から望んでいるのならば、彼を連れ戻したいと願う自分の行動は、彼の思いに水を差すことにしかならない。自分は本当に、彼を連れ戻すべきなのか、それが真に彼を思っていることになるのか。それを明らかにさせることだけが、ハレの心の空虚さを取り除く、きっとただ一つの方法だった。が、今のハレにはその手段がなかった。

(どうすればいい、俺は……。どうしたら、それを確かめられる……?)

 トーマに会って、直接彼を問い質(ただ)すほか、それを知り得(う)る術(すべ)はない。然し、自分は再び孤児院の中、一方のトーマは行方知れずだ。仮に再び孤児院を旅立ち、何処かでトーマに会うことが出来たとしても、彼が素直にそれを話してくれるとは、ハレには到底思えなかった。

(トーマ……。今、何処で何してんだよ……)

 三時頃からうとうととし始めて、ハレの手に握られたペンは、便箋に意味不明な模様を描いていた。そんな中、ハレが見る夢の水面(みなも)へと、一滴の言葉が落ちてきた。あの言葉はなんだっけ、とハレは夢うつつに思う。あれはそうだ、ナボネブラでクルトゥーラと戦った日の早朝、トーマに叩き起こされて連れ出された、あの家のバルコニーで、トーマがハレにかけた言葉だった。

『――俺は、ハレを信じている。そのことをいつも忘れないでくれ』

 夢の水面(みなも)に、言葉が波紋を描き出す。その波間に、ハレはあの朝の情景を見た。トーマの横顔、彼の言葉、霧の晴れた朝のナボネブラの空気感、東の地平線に昇る黄金の太陽、トーマが飛ばした――、

(――紙飛行機)

 その光景を思い出した時、ハレの眠気は一瞬にして吹き飛んでいた。理由は分からないし、探していた答えが見つかったわけでもない。ただ〝それ〟が、一つの答えなのではないかと、ハレには思えてしまったのだ。

 便箋を一枚手に取ると、ハレはあの日の映像を脳裏に思い起こしながら、それを折った。本当に言葉にしなければいけないことを、その内側に隠すみたいに。トーマはどうやって折っていたっけ、とハレは考える。その手の動きは規則的で、然し普段よりも随分ゆったりとしていた気がする。完成した紙飛行機が、偉く綺麗な形をしていたことだけはハレは覚えていた。そしてやはりというべきか、それを上手く再現することはハレには出来ず、またしてもハレは便箋を何枚も消費した。もう残りの枚数が少なくなってきて、それを折るハレの手にも慎重さが出てきた頃になって、どうにか納得のいくものを、ハレは完成させた。

 「よし」と小さく呟くと、ハレはそれを手に部屋を飛び出した。トイレに起きていたシスターロゼの呼び掛けに、「すぐ戻る!」とだけ告げて、ハレは孤児院を正面玄関から出て行った。修道院の正門をよじ登って越え、あの旅立ちの日と同じ、明け方の帝都を、ハレはただ一人駆け抜けた。街の外へと飛び出すと、そこには幾つものなだらかな斜面を持つ、東アンモス平野が広がっている。或る程度のところで走るのをやめると、ハレは息を切らしながら、小高い丘の上へと歩いて上った。東の空からは、太陽が昇り始めている。

 朝の光が平野の空を、鮮やかなグラデーションで彩っていく。数度の深呼吸で息を整えながら、ハレは考える。

 正しい答えは分からない。が、少なくともあの言葉に嘘はないのではないだろうかと、ハレには思えてならなかった。それで迷いがなくなるわけではない。然し、きっとトーマも同じなのだろうとハレには思えた。トーマもまた、苦しみながら迷い続けている。だからせめて、彼が何某かの結論に行き着くまでは、自分も迷い続ければいい。それがきっと、彼の無二の親友である自分に課せられた、たった一つの使命なのだ。

(なあ、トーマ。あの朝、お前も迷っていたのかな。お前も――)

 紙飛行機を握った右手を、ハレは大きく振り被る。力一杯に放り投げると、紙飛行機は真っ直ぐに、太陽を目掛けて飛んでいった。

(――こんな気持ちだったのかな)

 追い風が、紙飛行機を後ろから押していく。ハレの焦げ茶色のジレが、ふわりと大きく翻る。す、と息を吸い込むと、「トーマ!!」と力強く、ハレは叫んだ。彼がこの世界の何処にいても届くよう、精一杯の大きな声で。

「俺は絶対!! お前を諦めねーからな!!」

 ハレの叫びは紙飛行機と共に、太陽に吸い込まれるように消えていった。迷いがなくなったわけではないものの、何かが吹っ切れたようにハレの心はスッキリとしていた。ポケットから一枚の写真を取り出すと、ハレはその写真へと視線を落とす。

 ふざける自分と、怒鳴るトーマ。それを驚きながら見守る、ノアとドボロ、そしてカレント。立ち上がってまで怒鳴りながらも、よく見ればトーマの口角が上がっていることをハレは知っていた。いま、彼の気持ちは分からない。が、少なくともこの時の彼は幸せだったのではないだろうかとハレは思う。だから、あの時自分がレンズ越しに覗いた未来は、いま、この時点ではないのだ。ハレは確信する。もう一度、彼と自分が、仲間たちと共に笑い合える未来は、きっとこの先にあるのだと――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。