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エンデラの森の黒き魔女  作者: 暫定とは
六章『終末』
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 オラシオンへと戻ったハレたちは、ノルダへの報告なども兼ねて、そこで何日間か休養の日々を過ごすこととなった。アーロンが未だ生きており、夜明けの月光の活動はこれからも続いていくであろうということを告げると、ノルダは難しそうな顔をして、「そうか」と答えた。その声色には一抹の安堵もが混じっていることに、シンは気が付いた。

 アーロンの活動について、殺してでも止めるべきだとノルダは広義には思っているだろうが、悪人である前にこの村の子供でもあるアーロンが命を落とすことに対して、悲しみを抱かないわけもない。ハレたちをアーロン討伐に送り出す際も、何も思わなかったということはないだろうし、寧ろ或る程度の覚悟を、彼女は決めざるを得なかったはずだ。シンは考える。結果としてアーロンは死ななかった。が、ノルダがそこに安堵を覚えるのは極めて自然な精神活動だし、それを責め立てることの出来る人間など、この世界の何処にもいないだろう、と。

「身内のことで手間をかけさせて申し訳ない。私らで片を付けられればそれに越したことはないんだが、何分年寄りの多い村だ。その上、下手に村を出ればアーロンを止めるよりも先に、私らは通常人種に殺されかねん。引き続き、あんた方を頼るよりほかにないことを許してほしい」

 そう言って、ノルダはハレたちに頭を下げた。ハレを筆頭として、ノアもシンもバロンも、勿論そんなことを気にしてはいなかった。「俺たちのほうこそ、通常人種を代表するわけじゃないけど、こんな世界になっちまっててごめん」と、ハレはノルダに謝り返した。

 プリマギアを目覚めさせ、これまでよりも健康的な顔立ちになったノアに気が付くと、「良かったね、ノア」ともノルダは言った。「ハレの目は本物の目だ。この子と出会い、この子に助けてもらうこともまた、あんたの運命だったのかも知れない。そして、あんたの目もまた本物だ。あんたの強さがあんた自身を救ったとも言える。これからは、あんたもハレのことも助けておやり」

 ノルダの言葉はノアの心に、柔らかな光となって差し込むようだった。その光をノアは知っていた。自分が道に迷う時、いつだって自分が求めている言葉をくれた、祖母に感じていた光と、それは同じものだったのだ。年齢的にも近かった祖母の姿を、ノアは不意に、ノルダへと重ねて見てしまった。もう二度と触れられないと思っていた光との再会に、ノアは一筋の涙を零しながら、「はい」と強かに頷いた。


「ノアは今後はどうするつもりなんだ?」

 オラシオン滞在の三日目、昼食の準備中にそう尋ねたのはシンだった。『今後』とはつまり、一行が十分な休養を取り、オラシオンを発った後、ということになる。

 子供たちの相手をするハレが、「え?」と間の抜けた声で聞き返す。「痛(い)てっ、俺と一緒に来ないのか? 俺はてっきり、ちょ、痛いっての! 一緒に孤児院に来るもんだと思ってたけど――ウッ」

 ハレに浣腸を喰らわせたナンが、ボーと共に奇声を上げながらノルダの家を飛び出していく。ふらつきながら体勢を立て直すと、ハレは二人の後ろ姿を追いかけた。「待てコラ! ナン!! カンチョーは禁止って言っただろー!!」

 葉物野菜を茹でながら、ノアはシンへと苦い笑いを浮かべて見せる。包丁で芋の皮を剥き取りながら、シンは眉間に皺を寄せつつ、「ハレはああ言ってるが」と溜め息交じりに言った。

 静かにこくりと頷いて、ノアは答える。「ハレさんがそれでいいのなら、お言葉に甘えさせてもらいたいのですが。お恥ずかしい話、孤児院というものがどういうものなのか、実際のところよく分かっていなくて……。本当に大丈夫なんでしょうか? 私なんかがお邪魔しても」

 ふん、と唸りながら、皮を剥き終えた大量の芋が入ったボウルを持ち上げ、ノアが向かう調理台にどすんと落とすと、「心配する必要はない」とシンは言った。

「元より訳ありの子供たちが集まる施設だから、子供とは言え秘密を探ろうとするような奴はいない。シスターたちも、心の優しい人ばかりだよ。最低限、シスターたちには爪のことを伝える必要はあるが、爪を隠した状態での生活を全面的にサポートしてくれるはずだ。実際にそこで、トーマやアーロンも生活していたわけだからな。贅沢は出来ないが、少なくとも衣食住に困るようなことはない」

 シンの言葉に、ノアは安心した。そもそもが行く当てのない自分なのだ。屋根の下で眠れるというだけでも、十分すぎる環境ではある。が、ハレのいないところでその返答をしていいものか、という迷いが、ノアの言葉を濁らせた。そんなノアを見兼ねてか、「実はな」とシンは少し言いづらそうに切り出した。

「ノアの入所手続きの一部は、もう済ませてあるんだ。ハレが孤児院に帰る時、同年代の女の子を一人連れていくことになると思うと、シスター長に手紙では伝えてある。入所は保留扱いにしてもらっているから、ノアがそれを望まないのなら、勿論今からでも取り下げることは出来る」

 ノアは考える。切符は既に用意されているのだ。教会という聖域に守られた、安全で清潔な暮らしへの。それを断る理由はノアにはなかった。そして何よりも、その切符が導く先でなら、自分はこれからもハレの傍に居ることが出来る。その事実はあらゆる意味に於いて、ノアの肉体と精神を健康に保つ要素を含んでいた。ハレの存在はこの数ヶ月で、ノアにとってそれだけ大きなものとなっていたのだ。

 俯いていた顔を上げ、シンの黒い瞳を見つめると、「何から何まですみません」とノアは謝った。「ハレさんと一緒に行きます。入所手続き、お願いしてもよろしいですか?」

 心底嬉しそうな笑みを浮かべると、「勿論だ。ハレも喜ぶだろう」とシンは言った。


 オラシオンに滞在して七日目の早朝、ハレたちはノルダたちに見送られて、この村を発った。

 すっかりハレに懐いていたナンとボーは、前日の夜にハレがオラシオンを去ることを知ると、大泣きをしながら反発した。泣き疲れて眠った二人だったが、翌朝は早くに目を覚まし、両目を真っ赤に腫らしながらも、少ない言葉でハレに別れを告げていた。が、出発を目前にして我慢が切れたのか、ハレの両脚に抱き着くと、再び大声を張り上げて二人は泣いた。二人の涙に感化されて、ハレも泣いた。

「俺だって行きたくね~よ~! 二人とずっと遊んでいて~よ~!!」

 「じゃあ行かなくていいじゃ~ん! なんでなんだよ~!」とナンが泣き叫ぶと、頬を伝う涙を拭いながら、「正義のヒーローってのはさ、どういうわけか多忙なんだよ」とハレは答えた。

 「でも、兄ちゃんはガイナじゃないんでしょ?」とボーが涙声で言う。

「そうさ。俺はガイナじゃねえ。でもヒーローは何人いたっていいモンだろ? 助けなきゃいけない人たちや、倒さなきゃならねえ相手は世界中にごまんといるんだ。俺を待ってるみんなのところに、俺は行かなきゃならねえのさ」

 二人の頭へと両手を乗せると、ハレは続けた。「だから、この村の平和はお前たちに頼んだ。今度はどんな奴らが来ても、二人で村の皆を守れるように強くなるんだ。俺は俺のやることが済んだら、絶対会いに来るからよ」

 「約束だよ」と涙ながらにせがむ二人と、ハレは両手で指切りをしてやった。いつの日かきっと、その約束は果たされると、シンは微笑ましく思いながらハレの背中を見つめていた。指切りを済ませたハレが立ち上がる。ノルダへと視線を向けて、シンが言う。

「それじゃあノルダさん、また近くに来ることがあれば立ち寄ります。全ての片が付いた時には、必ずご報告に参ります。村の皆さんと一緒に、どうぞご無事で」

「自分らの身は自分らで守る。この村がまだ変われるってことを、私らはアーロンに教わったんだ。あんたらはあんたらのやるべきことを、躊躇わず成し遂げておくれ。あんたたちならきっと成せると信じている。……頼んだよ」

「ありがとうございます」

 改めて別れの言葉を口にし合うと、姿が見えなくなるまで手を振り合いながら、ハレたちはオラシオンを去った。良い村だった、そして良い人たちだったとハレは思う。


 「グィオン荒野北部の沿岸に、迎えを頼んである」とシンが言ったので、ハレたちはグィオン荒野へと再び降り立ち、〝飛天(フェイティエン)〟で北西へと進路を取った。曰く、バーンズとヘルズ、そしてドボロが、ドボロ号で迎えに来てくれるのだとか。シンもシンで多忙な人間だ。少しでも早くファンテーヌへと帰れるよう、前もって段取りを組んでいたらしい。

 理由はどうあれ助かった、とハレは思う。旅が一応の一段落を迎えたということもあり、これまで目を背け続けてきた山のような疲労が、ハレの肉体の各所には圧(の)し掛かっていたのだ。或いは、身体中の筋肉をきつく締め上げていたボルトが一斉に緩むように、ハレの全身からは力という力が抜けていた。〝飛天(フェイティエン)〟を使うことも出来ないグランフォール渓谷の悪路を辿って帰ることを、どうにか避けられないものかとハレは考えていたところだったのだ。

「ドボロ、バーンズさん、それにヘルズも! みんな久しぶり!」

 昼を幾らか回った頃になって合流場所に辿り着いたハレたちを、三人は優しく迎えてくれた。シンはクーランを目覚めさせて、久方ぶりの再会を、八人は喜びと共に祝った。

 「ハレ、ノア、バロン。上手くやったみたいだな」微笑みかけながらバーンズが言うと、「シンとクーランも大変だったな。お疲れさん」とヘルズが続いた。

 「ハレたちが頑張ったのさ」とシンがハレの背中を軽く叩く。「いや」と首を振るって、ハレはそれに答えた。

「俺たちだけじゃどうにもこうにも行かなかった。シンとクーランのサポートと、それ以前に、ここまで来られたのもみんなの協力があったからだよ。本当にありがとう」

 「ありがとうございます」とノアが頭を下げると、「ミんながンばった。バロンも」とバロンが続いた。少しの沈黙を挟んだ後で、「みんな頑張った、が」とクーランがいつもの嗄(しゃが)れ声で、いつもよりやや嬉しそうに言った。

「みんなの頑張りに埋もれて、誰にも気付いてもらえないんじゃ可哀想だから俺から言うぜ。今回、シンが本当によく頑張ってくれていた。自分の為だとこいつは言うだろうが、実際にその頑張りに、俺たちみんながずっと支えられていた。俺からも礼を言わせてくれ。ありがとう、シン」

 「やめろよ。柄にもない」と呆れ顔になって、シンが右肘でクーランを小突くと、「未来の大先生には、今のうちに媚びを売っとかないとな」とクーランは悪ぶった。「こいつ」とシンは嬉しそうにクーランを睨む。

 「いや、クーランの言うことは正しいよ」と、ハレが一歩前に出て言う。「エンデラの森の調査だけじゃなく、俺のアーツ嫌いを克服させようとしてくれたり、その頃からバロンのことも、ずっと考えてくれてたんだろ? その裏で〝飛天(フェイティエン)〟の開発だってしてくれてたわけだし、多分俺が知らないだけで、もっと色んなことに頭を働かせてくれてたんだと思う」

 やめてくれ、とでも言いたげに頭の後ろを掻くシンに、ハレは真剣な表情を向けて言った。「シン、本当にありがとう」

 ハレに続き、皆が口々にシンへと礼を告げていく。その全てを聞き届けることはせずに、シンは大きく手を振りながら、「分かった分かった! もういい!」とそれを遮った。何処かむず痒そうに顔を顰めて溜め息を吐き出すと、珍しく冗談めかした調子で、シンは言った。

「サインくらいはしてやる。大先生になったらな」


 バーンズたちとの話が落ち着き、すぐそこの海面に浮かべられていた小さな帆船――ドボロ号を改めてよく観察すると、「それにしてもスッゲーな! 本当にこの船で旅してたんだ!」とハレは大興奮だった。が、それも束の間、「うんうん」と頷きながらドボロ号のあちこちを見回すハレのテンションが急速に下落していくのは、誰の目から見ても明らかだった。

『この旅が終わったら、みんなでドボロ号に乗せてもらう。――俺たち四人の約束だ』

 あんな約束、とハレは一瞬思いかける。そして思い留まる。しなければよかった、というところまでを、ハレが思うことはなかった。今は叶えられなくとも、約束は約束だ。それを果たす機会は、永遠に失われたわけでもない。この世界の何処かで、自分とノアとドボロ、そしてトーマが、生き続けているその限りは。

 とはいえ全ての感傷が、ハレの中から直ちに消えてなくなるわけではなかった。準備を済ませ、ドボロ号に乗り込み、海に出てからも、ハレはしばらくは言葉少なに、甲板から水平線だけを見つめていた。見兼ねたドボロがハレの傍までやってくて、ハレへと優しく声をかけた。

「ハレ、大丈夫だか?」

 ドボロの言葉に頷くと、神妙な面持ちを一ミリたりとも動かさずに、「ドボロ」とハレは呼び返した。

「ンだ?」

「みんなでドボロ号に乗せてもらうって約束、覚えてるか?」

 「勿論、覚えてるだよ」ドボロは頷く。

「一応確認させてくれ。あの約束は、今はまだ果たされちゃいねえよな? あれは――」

 白い鳥が風を切って、ハレの視界の遥か彼方へと飛んでいく。潮のにおいを帯びた風が、菜種油色(なたねゆいろ)のハレの癖毛を、ふわりと優しく翻した。「あれは俺たち四人の約束だったから」

 あの鳥は何処へ行くのだろう、とハレは考える。どんなところだって構わない。ただの少しだけでもいい、彼が幸せを感じられる場所なら、と。

 「分かってるだよ」とドボロはハレへと頷いて言った。「ハレとトーマとノア、オデは三人と約束しただ。三人が一緒に居るときでなくちゃ、約束を果たしたとは言えないだよ。オデはトーマを信じてる。ハレのこともだ。ハレならきっと、トーマを取り戻せる。約束は、それから果たせばいいだ」

 ギョロリとしたドボロの黒い目を、ハレは見つめ返す。希望の光が、ハレの目にも戻っていた。夕の日差しを跳ね返して、赤色に煌めく海へと身体を向けると、水平線の向こうにいるだろう彼へと思いを馳せながら、ハレは頷いた。

「……――うん」


 ファンテーヌの東に位置し、造船で有名なヴェッセルという街でドボロ号を下りたハレたちは、バーンズとヘルズ、そしてドボロの三人とはそこで別れた。〝飛天(フェイティエン)〟を使ってファンテーヌへと戻り、シンのアパートで一晩の休養を取ると、翌朝にはハレたちは、〝飛天(フェイティエン)〟のアンクレットをシンへと返却し、ファンテーヌを発った。

「思うところがあるのなら、一度紙に書き出してみるといい」

 別れ際、シンはハレにそう言ってくれた。

「単なる箇条書きでもいいし、手紙のような文体でもいい。四年前の旅が終わって悩んでいた時期、俺は実際、それで幾らかは救われた。余計なお世話だったらすまないが」

 不器用な彼なりの気遣いだったのだろう、とハレは思う。然し、自分はそんなに落ち込んでいるように見えただろうか、とも。

 自分が落ち込んでいるという認識は、ハレにはなかった。ただ言いようのない無気力さだけが、ハレの全身を支配していた。かと思えばその無気力さが嘘のように、急激に元気が戻ってくるタイミングもハレにはあった。結論から言うとこの浮き沈みを、ハレはこの後、数週間に渡って繰り返すこととなる。

 その浮き沈みの正体はきっと、旅の期間中にハレの中で育まれてきた、喜びと悲しみの果実だった。目的の為にひた走るべく、ハレは旅の最中には、その果実に目を向けることを凡そ殆どしてこなかった。その結果、幾重にも重なった皮の一枚一枚をめくって精査するように、ハレには自分の感情を整理する時間が必要になっていたのだ。敢えて言うのなら、ハレは落ち込んでいるわけではなかった。ただ冷静だったのだ。


「アーツってのはさ」

 ファンテーヌを発って二日目の夜、なかなか寝付けずにテントを抜け出したハレは、焚火を見守るバロンと共に、小さな声で取り留めのない話をしていた。星のよく見える、美しく晴れた夜だった。

「こういうことを成し遂げたいとか、こういう風になりたいとかって思うことはないのか?」

 ハレの問いに、バロンはすぐには答えなかった。低い空へと視線をやって、バロンはただ、口を半開きのまま押し黙った。或いはその半開きの口から覗く並びの悪い歯で、彼は言葉の意味を噛み砕いているのかも知れない。数秒待つと、「ワからナい」と首を振るってバロンは答えた。

「バロン、ハレを守りタい。みンなのコとヲ守りたイ。ソれだケ」

 それだけ、というバロンの言葉には、彼の人間性というものが集約されているようで、ハレはしばらくはこれが気に入って、頭の中でその言葉の響きを反芻(はんすう)していた。「ハレは」と今度はバロンが尋ねる。「ハレはナにがシたいの。こレかラ」

 草の上に胡坐(あぐら)をかいたハレは、背後の地面に手を付くと、「俺はさ」と星空を見上げながら言った。

「一度しっかりと勉強したいんだ。今回の旅で色んな所へ行ったけど、トーマやシンに教えてもらうことばっかりで、自分の無知さを散々思い知らされた。それに、この世界には勉強したくても出来ない人たちも、沢山いるんだなって思ってよ。だから孤児院に戻ったら、今度は真面目に授業受けて、勉強するつもり」

 バロンへとニカッと歯を見せて、少し恥ずかしそうにハレは笑った。「なーんつってよ。らしくねーか?」

 ハレの言葉に首を振るって、バロンは答える。「そンなことナい。ハレ、カっこいイ」

「だろ~? 俺ってば何言わせても絵になっちまうからな~。お前は歩く美術館かっての!」

 そう言いながら、ハレは自分の頭を叩く。バロンはそれには答えなかった。多分、言葉の意味を理解出来ていない。

 それから更にのんびりと話すこと十数分、ハレの瞼にはようやく眠気がやってきた。「もうひと眠りするとするかな」と立ち上がると、ハレはぐい、と伸びをしながら、何かを思い出したらしい。既にテントへと向けていた身体を、再びバロンへと向けるなり、「そういえばさ」とハレは言った。

「あれから、ミドの声はどうだ? 今もまだ聞こえるのか?」

 ハレの問いにバロンが答えるまで、例によってしばらくの時間がかかった。ミドの声が聞こえるかどうか、耳を傾けているようにもハレには見えた。十秒ほどが経ってから、バロンは静かに首を振るった。

「今はキこえナい。ミド、いない。けどイる」

 あの暗闇の世界で見たものが、果たして現実の光景なのか、自分の空想が見せた夢なのか、ハレには分からなくなっていた。あの世界にはそれくらい、現実感というものがなかったのだ。あの空間で、自分は本当に誰かに助けられたのか、そしてあの時のバロンの言葉と照らし合わせて考えるのなら、その正体はやはりミドなのか。

 今となっては真実は分からない。が、少なくともバロンの言葉に嘘はないのだろうとハレは思う。或いは、彼の思考はこことは違う別の世界にあって、この世界において真実であれるものだけが、バロンの口から言葉として生み出されることを許されるのかも知れない、と。質問を投げかけられてからの沈黙はきっと、真実だけを抽出する濾過装置を、情報が通過するまでにかかる時間なのだ。

 「そっか、分かった」とハレは笑うと、テントの中へと潜り込むなり、そこから顔を覗かせて、「おやすみ、バロン」と細めた微かな声で言った。小さく頷き返しながら、バロンはハレを真似るように、小さな声でそれに答えた。

「オやすみ、ハレ」

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