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エンデラの森の黒き魔女  作者: 暫定とは
六章『終末』
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 プリマギアの内部世界は、何処までも深く、悲しき暗闇だった。水中のようにも、無重力空間のようにもそれは感じられたが、結局のところ自分を包み込んでいるものが水であるのか無であるのか、はたまたそれ以外の何かなのか、ハレには分からなかった。水を掻くような感覚で、より深い場所へとハレは潜っていく。が、掻いている腕すらも視覚出来ない完全なる暗闇は、ハレの自己認識を曖昧にさせた。自分の肉体が本当にこの場所に存在しているのか、或いは、肉体は今も元いた世界に存在しており、こちら側の世界には意識だけを飛ばしているのか、ハレには分からなくなっていた。

 また、(先にハレが囚われていた空間と同様に)この空間はハレの意識に直接干渉し、その記憶や認識を混濁させる効果を持っているらしかった。強烈な睡魔にでも襲われるかのように、ハレは幾度もその目的を見失いかけた。が、ハレの強い意志がそれを許さなかった。ノアを助ける。それだけは決して失くさないように強く握り締めて、ハレは潜水し続けた。

 この方向に潜っていくのが正しいのか、勿論ハレには分からない。然し、道に迷っているという感覚はハレにはなかった。自分が信じた道の先に、自分の行くべき場所をハレはこれまで見つけてきた。こんな世界なら尚更に、きっとそのような傾向は顕著なはずである。根拠のない持論だけを頼りに、ハレは進んだ。やがてその視界の果てに、紫紺の光を身に纏う少女の姿を、ハレは発見した。

「ノアー!」

 ノアの下へと、ハレは近付いていく。磔(はりつけ)にされたような体勢で、ノアは気を失っていた。ノアの姿勢を固定するのは、先の空間でハレが繋がれていたものと同じ、黒い霧靄(きりもや)だった。

「ノア、起きろ! 元の世界に戻るぞ!」

 ノアへと声をかけながら、ハレは剣を抜き、霧靄を断ち切ろうとした。が、ゴムのような弾力を持った靄は恐ろしく硬く、簡単に断ち切れてくれそうにはなかった。

(俺の時とは違う……!? ミドはさくっと切ってたのに……!)

 ハレの声に、ノアは意識を取り戻す。が、紫紺の光に包まれる彼女の顔には、生気と呼べるようなものが凡そなかった。来るのが遅かったか、と思いながらも、引き続き靄へと刃を押し当てながら、ハレはノアを呼んだ。

「ノア! 頼む、起きてくれ! シスターマリーの授業に遅れるぞ!!」

 それが自分以外には効果のない起こし方であることを、ハレは勿論理解していた。が、例えどんな言葉であろうとも、思いつく言葉をハレは叫ばなければならなかった。それはノアを目覚めさせる為だけではなく、ハレ自身の意識を保ち続ける為でもあった。今まさに自分自身を見失っているのであろうノアと同様、この空間に蔓延する見えざる力に、ハレは今も、意識を持っていかれそうになっていたのだ。

「ノア! シンとトーマが変顔してるぞ!」

 この力に屈すれば、自分もノアと同じ状態になってしまうのであろうことは、ハレにも推察することが出来た。もしそうなれば今度こそ、自分はノアと共にこの闇の中で、永遠に眠り続けることとなる。バロンやシン、トーマやアーロンを、あちら側の世界に残したまま。そんな事態になることだけは、ハレには避けねばばならなかった。

「起きろってば! ノア!!」

 ハレの懸命な呼び掛けが功を為してか、ノアはようやく、はっきりとその眼(まなこ)を開くには至った。微かだが、そこには光が宿ってもいる。「ハレ……さん……」

 時間的な焦りと、剣に込める力によって汗だくになりながら、ハレは一旦剣をしまいつつ、ノアの両肩へと手をやった。「ノア! 起きたな! もう眠るな!! 一緒にここを脱出するぞ!」

 が、ハレの瞳を見つめ返したノアの返答は、ハレが予想だにしなかったものであった。

「ハレさん……、私のことは、もういいんです……。もう、体の半分以上がプリマギアに浸食されてる……。多分私は、このままここで彼女に飲み込まれるしかないんだ……」

 ノアの精神状態に驚愕しながらも、ハレは慌てて、彼女の両腕と両足の先を確認する。黒い靄が纏わりついてはいるものの、彼女の手足はしっかりとそこに存在していた。そしてハレは理解する。この黒い靄の強靭さはきっと、結び付いた先の人間が、靄に飲み込まれることを受け入れているかどうかによって変化するのだということを。

 ノアはもう、それを受け入れてしまっている。旅の中で起こった彼女の変化を以てしても、淘汰されなかった彼女のネガティブさが、この黒い靄の強さへとそのまま変換されてしまっているのだ。

「な、何言ってるんだよ、ノア!」

 自分がかけるべき言葉は、とハレは考える。そしてその答えは、ノアが元の世界で生きていく未来を、ノア自身に思い描かせることであった。「ちゃんと五体満足、お前の身体はここにあるよ!! みんなで一緒にドボロ号に乗るんだろ! 俺と一緒にギルドやるんだろ!! こんなところで諦めんな!! そんなの俺は許さねェぞ!!」

 ハレが怒鳴ると、ノアの意識は一段階、こちら側へと戻ってきたらしい。先ほどまでよりもはっきりとした声と顔つきになって、ノアは答えた。

「ハレさん……。そうか、私の身体は、まだここにあるんですね」

 が、すぐにあちら側に引っ張られるように、ノアの表情は再び曇った。「でも、どうせ私には、どうすることも出来ません……。ここから出ようとすると、より強い力で引っ張られるんです。私はハレさんとは違う……。臆病で、ちっぽけで、弱いんです」

 ノアの後ろ向きな発言に乗じて、黒い靄はノアの身体を覆う範囲を広げていく。両手で靄を引き千切るべく、力尽くに引っ張りながら、ハレは返した。

「俺だって……、俺だって臆病だよ! こんな訳のわからねえところ、ホントは怖くて堪らねえよ! 俺だってちっぽけだし、俺だって弱かったよ!」

 一点に力を集中させて、我武者羅に引っ張ると、ハレはようやく靄の一本を切り放すことに成功した。すぐに別の靄が現れるが、ハレの言葉にノアの表情はまた一つ、こちら側へと戻ってきたようだった。

「だけど強くなれた! 強くなれるって信じてたからな!! ――俺は、強くなれる!」

 更にもう一本、ハレは黒い靄を引き千切る。「トーマと一緒ならもっと強く!」

 更に一本。「ドボロと一緒ならもっともっと、バロンと一緒ならもっともっともっと強く!」

 歯を食いしばり、獣のような唸り声を上げながら、三本の束になった靄を、ハレは引っ張った。

「ノアを守る為なら、この世界で一番にだって――」

 ハレの怒声と共に、三本の靄が一斉に弾け飛ぶ。「――俺は強くなれる!!」

 ノアの右腕が自由を取り戻す。ハレが右の手を掴むと、ノアの表情はもう、いつものそれに戻っていた。繋いだ手に纏わりついてくる霧靄が、二人の右手を引き離そうとする。

「ハレさん、私……!」

「自分の強さを信じろ、ノア! お前が信じられなくても、俺はお前を信じてる!!」

 ノアがハレへと頷き返す。目線を交わして合図をし合うと、強く握ったノアの右手を、ハレは渾身の力で引っ張った。が、強く引っ張れば引っ張るほど、ノアの身体を締め付ける靄の力は強まっていくらしい。余りの痛みに、ノアは悲痛な叫びと共に、その両目から涙を零した。ノアの右手から力が抜けていく。

「やっぱりダメだ、怖い……! 私には、出来な――」

 ノアの諦めを、ハレはすかさず遮った。「出来る!! いや、出来るかどうかなんて、やってみないと分からねェよ! でも、最初から出来ないと思ってる奴には何も出来やしねえ! 本気でやってみる前から、出来ないなんて決めつけんな!!」

 その瞬間、ノアはハレの中に、トーマの意志を見た。ただ単に、ハレの中にトーマの影響を垣間見たというわけではなく、トーマがハレと一緒になって、この窮地を乗り越えようと力を貸してくれている――、ノアにはそんな風に見えたのだ。

 ぎゅっと目を閉じて涙を切ると、ノアは再び、強い意志を持った表情を見せて頷いた。その瞬間――。

「うおっ!!」

 ハレの右足が何者かに掴まれる。ノアの手を掴んだまま、ハレが後方を確認すると、右足には黒い靄が纏わりついていた。ノアからハレを引き離そうと、それはハレの足を、後方へ強く引いた。プリマギアの声が、暗闇に木霊する。

(何故邪魔をする……。やっと会えたのに……、やっとこの子と、一つになれたのに……)

 「うるせェ!」ハレは怒鳴り返す。「やり方が身勝手すぎんだよ!! 大事にしたい相手なら、こんな薄暗いとこに閉じ込めてねーで、太陽の下で仲良くしやがれ!!」

 (どうして)幾重にも重なったプリマギアの声が響くと、今度はハレの左足もが、黒い霧靄に掴まれた。引っ張る力が強すぎる。このままでは、外に放り出されるのは時間の問題だった。そうこうしているうちにも、ノアとハレの身体は次々と、新たな靄によって覆われていく。一旦外に出るしかないと判断すると、ハレは左手でノアを指さして言った。

「ノア!」

 「は、はい!」とノア。

「一旦手ェ放すけど、心配すんな! 今にここから出してやる!! ただ一つ――」

 ハレの左手が霧靄に覆われる。「――俺を信じろ!! 信じ続けろ!! 絶対に助ける!! お前を守り抜く!! だから」

 二人の顔が、黒い靄に包まれていく。口が隠れないように首の動きだけで抵抗しながら、ハレは最後に、強く叫んだ。

「――諦めるな!!」

 右手が離れる。「はい!」と叫んだノアの声だけが、ハレの鼓膜を強く叩いた。凄まじい勢いで、ハレは元の世界へと引っ張り出される。土の地面に転げ落ちたハレは、すぐさま体勢を立て直す。苦渋の表情を浮かべるプリマギアと、傷だらけのバロンが、そこには対峙していた。

 「ハレ!」バロンがハレへと駆け寄ってくる。その瞬間――。

「――バロン!!」

 プリマギアが放った紫紺の炎が、ハレたちを含めた一帯の地へと吹き付けた。炎がハレたちに触れる寸前で、バロンは土のフォルスによる障壁を出現させた。障壁から漏れ出た炎が、ハレの焦げ茶のジレへと燃え移る。慌ててジレを脱ぎ去りながら、ハレは翻った生地の内側に、ノアが縫い付けてくれた小さなクマのワッペンを見逃さなかった。頭で判断するよりも先に、ハレは炎の中へと手を突っ込み、ワッペンを握り締めていた。

 プリマギアの攻撃が止むと、ハレは灼熱に痛む右の掌を広げてみる。微かに焦げてしまったものの、クマのワッペンは無事だった。またしても自身を守ってくれたパートナー・バロンを振り返りながら、ハレは頷く。

「手こずってすまねえ、バロン。これで本当の終わりにするぜ。とっておきの一撃ぶち込むから、手ェ貸してくれ!」

 そう言うと、ハレは両膝を曲げて姿勢を低くし、ワッペンごと握り締めた右の拳を、腰の辺りまで引いて構えた。

 ハレの言葉に頷くと、バロンはハレの背中に両手を翳(かざ)して、フォルスの生成に協力した。ハレの右手へと、二人は意識を集中させる。空気が渦を巻くように、森中に散らばる土のフォルスが、うねりを描きながらハレの右手へと集まってくるのがハレとバロンには分かった。

「つらかったよな、プリマギア。長い間、一人ぼっちで寂しかったよな」

 (お前に何が分かる?)プリマギアの声が、森の木々を揺るがす。引き続き右手へと力を込めながら、ハレは答える。

「分からねーよ。分からねーけど、分かりてェんだ。だからノアは返してもらう。そのあとゆっくり話を聞かせてくれよ。この俺が、きっとお前のことも助けてやるからよ!」

 大地を蹴って跳躍すると、巨大なノアの姿をしたプリマギアの胸の中心部――あの暗闇の世界の入り口へと、ハレは右手で打擲(ちょうちゃく)を放った。巨大な拳を象った山吹色のフォルスが、激しき閃光を伴って迸る。

「〝――岩固一鉄拳(がんこいってつけん)!!〟」

 ハレの叫び声と共に、ハレの右手とプリマギアの胸部が邂逅する。目を覆いたくなるような光を放ちながら、ハレは再び、プリマギアの内部世界へ潜った。ノアの下へと辿り着くまで、長い時間はかからなかった。ノアは黒い靄に包まれていたが、ハレが近付くとハレの光から逃れるように、霧靄は何処かへと消えていった。微笑んで頷くノアの身体を抱きかかえると、ハレはノアと共に、暗闇の世界を脱出した。

 こうして、ハレたちの戦いは幕を閉じた。光の世界へと帰還するのとほぼ同時に、ハレとノアは意識を失った。お互いの右手を握り締め、柔らかな笑みを、その頬には浮かべながら。

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