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アーロンの剣技の全貌を、ハレは知らなかった。
孤児院でアーロンに剣を教わっていた時期もハレにはあったが、アーロンの動きを真似ることや、手を取って教えてもらうことが内容としてはその基本であり、本気の手合わせをしたことは勿論なかったし、前回の(マドラインでの)戦闘は自分たちの力不足により、ほぼアーロンの独擅場に終始してしまっていたからだ。
とはいえその実力は本物なのだろうということを、(当たり前だが)ハレは推測はしていた。そして今、力をつけ再びアーロンと剣を交えたハレは痛感する。彼の剣技は本物であり、精霊イリスとのコンビネーションも相まって、その戦闘スタイルは或る意味に於いて、一つの終点に達している、と。
「〝黄昏を抱きし終の明星よ。仇為す者に聖なる天啓を示さん――〟」
アーロンが唱えると、泉を含めた広場の地を、軽々と覆い尽くす象牙色の魔法陣が出現する。ハレはアーロンに近づいて詠唱を阻止しようとするも、巨躯を活かしたイリスの妨害がそれを許さなかった。やがて魔法陣から出現し、一帯の中空に浮遊した無数の光球は、アーロンの声を合図として次々と爆裂した。
「〝――ヴィーナス・スプラウト!〟」
身を捩らせ、或いは屈み、光球の爆発を何度かは躱したハレだったが、思わずよろめいた先で起こった爆発に背中を焼かれると、痛みに声を上げながら吹き飛び、地を転がった。「うがぁっ!」
「ハレ!」
ハレへと駆け寄ろうとするバロンを、イリスが尻尾による薙ぎ払いで迎え撃つ。「フん!」と唸ってイリスの尻尾を両手で受け止めると、バロンはそのままぐるりと身体を斜めに回転させ、遠心力で持ち上げたイリスの身体を地面へと叩きつけた。イリスはすぐさまバロンの両手をすり抜ける。再び空中に浮遊すると、イリスはバロンへと、獣が威嚇するような唸り声を上げた。
「ナイスだ、バロン!」立ち上がったハレはバロンへと突き立てた親指を見せつつ、今度はアーロンへと駆けていく。「アーロン!」
「来るがいい! 何度でも叩き潰す!」
ハレの右手の剣とアーロンの剣が、激しく打ち合って火花を散らす。左の剣で二撃目、右で三撃目と繰り返すが、ハレの攻撃はそのどれもが、アーロンの流れるような身のこなしと剣の打ち返しによって、軽々といなされた。
「どうしたハレ、その程度か? その程度で、この俺に敵うと思ったのか!」
振り下ろされたアーロンの剣を、ハレは交差した双剣で受け止める。耳を劈くような金属音と共に、剣身に衝撃が走る。鈍い振動が、骨と肉へと伝わってくる。
「うる、せェ……! 男は度胸、負けると思っちゃ勝てねェんだよ!!」
力と共にフォルスを込めた双剣で、ハレが剣を打ち返すと、僅かだがアーロンはよろめいた。間合いを取り直し、向き合った二人は互いの中点を軸とした円を描くように足を踏む。沈黙の中で睨み合い、気と気がぶつかり合った瞬間に、ハレとアーロンはどちらからともなく斬りかかった。その一撃をそれを皮切りに、目にも止まらぬ激しい剣戟へと、二人はその身を投じることとなった。
強気な発言にも表れる通り、アーロンはこの時、まだ余裕の表情を浮かべていた。それもそのはず、ハレはここまでアーロンに、殆ど傷の一つもつけられていなかったのだ。一方のハレはというと、戦闘開始前の不意打ちや、先の精霊術技による爆裂のほかにも、大きめのダメージをこれまでに幾度か負っており、実際のところ既に満身創痍だった。が、ハレは倒れなかった。否、倒れたとしても立ち上がった。どれだけ身体が痛もうが、打ちのめされようが、力強く、ハレは立ち上がり続けたのだ。
ハレにとって最大の武器は、二本の剣でもフォルスチェインでも、ましてや共鳴術技でもない。踏みつけられても転がされても、太陽の光を求めて何度でも立ち上がる雑草のような、不屈の心――これだった。そのことをハレは知っていた。だから何度でも立ち上がれたし、立ち上がる度にハレは強くなれた。まだ立てるという不変の事実がハレに齎す、自分自身への絶対的な信頼こそが、何よりもハレを強くしたのだ。
そしてそれを見た相手は言う。何故立ち上がってこられるのか、何の為に立ち上がり続けるのか、と。
「何故、そうまでして立ち上がる? 何がお前をそうまでさせるんだ? ハレ、……本当に死にたいのか?」
ボロボロの服で、泥だらけの身体で、ハレは立ち上がる。差し出されたバロンの手を取ると、ハレの頬には笑みすら零れた。目を合わせるとバロンも笑った。彼には自分と似ている部分が幾つかある、とハレは思う。逆境を楽しむことの出来る稀有な性格も、そのうちの一つだ。
「まだまだいけるな、バロン」
「バロン、まだマだいケる」
前を向き直ると、ハレとバロンは視線の先に、アーロンとイリスの姿を見据える。アーロンに幾度かの攻撃を加えることに、ハレは成功していた。が、そのどれもが大きなダメージには繋がっておらず、アーロンの表情には未だ幾らかの余裕が伺えた。その一方で、ハレの肉体には相当量の痛みが蓄積されていた。出血が酷くはないのが不幸中の幸いだった。両手と両足が、激痛を伴いつつもまだ動くことをハレは確認する。
「知らねえのかよ、アーロン」
双剣を一旦鞘へとしまいつつ、ハレは続ける。「身体が立ち上がれなくなったって、心さえあれば俺は立ち上がれるんだぜ。俺は死なねェし、俺は負けねェ。俺が正義を曲げねえ限り……、俺が正義を信じる限りは!」
挑戦的な笑みを浮かべて、ハレはアーロンを睨み付ける。一瞬アーロンが怯んだように、ハレには見えた。バロンと共に走り出しながら、ハレは更に吼える。
「正義は必ず勝つってなァ、ここらじゃ相場が決まってンだよ!! ――バロン!」
言いながら、ハレは跳躍する。ハレへと頷き返しながら、バロンはハレの直下へと潜るなり、彼の足裏を強く殴った。更に天高く、ハレは跳んでいく。ハレの動きに気を取られて、アーロンはバロンの行動に気付かなかった。しゃがんだバロンが両掌を地に着くと、地中から出現した縄状のフォルスが、アーロンとイリスの身体に巻き付いてその動きを封じた。
「――喰らいやがれ!」
上空から、両腕と両脚をアーロンとイリスに向けて伸ばしたハレが叫ぶ。濃度の高い土のフォルスを、ハレは腕と脚に纏わせていた。「〝四肢粉塵!!〟」
ハレの声を合図に、ハレの四肢を覆っていたフォルスは瞬間的に凝固し、それぞれの腕と脚を模した白い岩塊へと変化した。ロケットのように後方へフォルスを噴出させながら、白い腕と脚はアーロンとイリスを目掛けて、猛スピードで飛んでいく。どうにかバロンの縄を引き千切った二人だったが、目前まで迫った攻撃を避けることが出来ないと判断してか、アーロンは剣で白い腕を、イリスは尻尾で白い脚を、それぞれ二つずつ薙ぎ払った。が、不思議な手応えのなさを、二人はそこに覚えることとなる。辺りに飛散する、一瞬前まで腕と脚を形成していた白い粉塵へと、アーロンは目を凝らす。
(――石灰!)
先に気付いたのはアーロンだった。が、もう遅い。アーロンたちに背を向けて、その後方へと着地しながら、ハレはニヤリと微笑んだ。その瞬間、石灰が巻き起こす凄絶な粉塵爆発に、アーロンとイリスは晒された。
数秒間に渡る爆発が終わると、地に伏すアーロンとイリスを振り返りざま、二人を指さしてハレは言った。「どんなもんだい! やっぱ正義の味方と言やあ、爆発バックに決めポーズだよなァ!」
「ハレ、かっコいい」とバロン。ハレは親指を突き立てて見せる。「だろ!」
痛みに呻きながら、アーロンとイリスは体勢を立て直す。剣の柄を力強く握り、ハレへと睨みを向けながら、「……ハレ」とアーロンは絞り出すように言った。攻撃に備え、改めて双剣を抜きながら、ハレはその言葉に耳を傾ける。
「お前がお前の正義を信じるように、俺たちには俺たちの信じる正義がある。自分だけが唯一無二の正義などとは思わないことだ。正義が必ず勝つというのなら、俺たちもまた――」
剣を構えると、アーロンは駆け出した。双剣を交差して構え、ハレはそれを迎え撃つ姿勢を取る。剣戟とアーロンの怒声と共に、二組の戦いは再開された。「――負けることはない!!」
アーロンの変化を思えば、未だ込み上げる悲しみもハレの中にはあった。が、悲しみを背負って戦うことは、ハレはしなかった。悲しみは時としてハレを強くしたが、それはあくまでも刹那的なものであり、その強さは悪い意味でハレを感情的にした。
感情的な戦いが敗北を招くことは、ハレがこの旅の中で身を以て学んだことの一つだった。ハレの得意とする生き方、そして戦い方は、『目的ありき』だった。為すべきことは何か、そこにはっきりとしたビジョンさえあれば、その手段に課せられたハードルが如何に高かろうが、ハレにはそれを跳び越えることが出来た。目的さえ見失わなければ、どれだけ険しい道もハレには歩くことが出来たのだ。逆を言えば、悲しみはいつもハレの目的を霞ませてきた。目的が見えないとき、ハレはいつも前に進むことが出来なかった。
いま、ハレの目的ははっきりとしていた。アーロンを止めて、あの球体に囚われたノアを助け出す。そしてその為の手段は、単純にして明快だった。アーロンを倒すまで、何度打ちのめされても立ち上がり続けること。それは酷い痛みと苦しみを伴った。然しハレにとって、決して難しいことではなかった。
粉塵爆発によるダメージが後を引いてか、以降の戦いはハレが追い上げを見せる形で、アーロンとハレの五分五分に進んだ。イリスの攻撃もまた強力ではあったが、ハレにも負けないタフさでバロンはそれを受け止め続けた。アーロンとイリスの体力が減っていくにつれて、彼らの攻撃からは正確性というものが欠けていった。同じくハレとバロンの体力も削られていく中、戦闘開始時のように俊敏な動きは出来なくなってきてはいたものの、逆に少ない動きでアーロンたちの攻撃を躱したり、正しく防ぐことが、ハレたちには出来るようにはなっていった。
勝機が見えてきた――その瞬間、ハレはほんの僅かな隙を露呈してしまった。そこへ、アーロンは容赦もなく、最大級の精霊術技を打ち放った。
「消え失せろ!」
三メートルほど離れた位置から、アーロンは剣を横に振るう。その刀身には凄まじい濃度の、象牙色のフォルスが渦となって巻き付いていた。アーロンの剣から放たれると、それは空間を切り裂くような光の刃となって、よろめいたハレへと一直線に飛んだ。
「〝破魔、煌闢斬!!〟」
「ハレ!」バロンがハレの前へと躍り出て両腕を広げる。が、バロンの巨躯を以てしても防ぎ切れないほどに、光の刃は肥大化していた。刃とバロンが邂逅する。バロンを飲み込んで尚留まらぬ光の衝撃波に、ハレは吹き飛び、地を転がった。数秒を以て攻撃が止むと、激痛に駆られる身体を起こしつつ、ハレは眩しさに閉じてしまった両目を開いた。ハレの眼前には、屈することなく両足で立ち、両腕を広げてハレを守る、バロンの姿があった。その後ろ姿は、ハレに甚大なる頼もしさを感じさせると共に、ハレの中の闘志を、再び強く燃え上がらせた。
「サンキューな、バロン」立ち上がり、バロンの隣へと並びながらハレが笑うと、「バロン、ハレまもル」とバロンは微笑んで頷いた。
「何故倒れん!」
アーロンの叫びに、ハレとバロンは前を向き直る。疲労と消耗に表情を歪ませながら、アーロンは続ける。「もう体力は限界のはずだ。どこからその力が湧いてくる? お前は……、お前のその力は、何なんだ?」
服に着いた土を払いながら、焦げ茶のジレの内側に、ハレはクマのワッペンを見つけると、片方の口角だけで笑みを浮かべる。「さっきも言ったろ、俺は正義の味方だって」
「戯言をまだ言うか! 貴様が正義なら――」
アーロンの言葉を遮って、ハレは言う。「アーロン」
ハレがバロンへと視線をやると、バロンはそこに頷いた。二人は揃って広げた両手を天へと向ける。二人が念じると、二人の足元の地から湧き上がった山吹色のフォルスは、その両腕を伝って空へと上っていった。
「お前にゃこれまで、色んなことを教わってきた。単純な知識だけじゃなく、剣術や物事の考え方なんかもだ。俺は多分、一生お前に教わるばかりなんだろうと思ってたよ。けどな、今なら俺からも、お前に教えられることが一つだけある」
旅の中で見聞きしてきたアーロンの姿と、彼に苦しめられる人々の姿を、ハレは脳裏に思い浮かべる。彼に対する怒りの炎を、自身の力に変える為に。
「目的の為に、他人様の街で盗みを働いたり――」
マドラインを襲い、アビスシルクを盗み出したアーロン。
「言うことを聞かないからと、罪のない人たちを拘束したり――」
夜明けの月光を率い、オラシオンの人たちの生活を奪ったアーロン。
「抵抗する術もない女子を、泣かせてまで追い掛け回すようなことは――」
ノアの涙が、ハレの心の中を流れる。それが何よりもハレの怒りを強く燃やした。鬼の形相でアーロンを睨むと、ハレは言う。
「――〝義〟ではあっても〝正〟じゃねえ。正義なら、誰も傷つけずに世界を変えて見せろよ! この大馬鹿野郎!!」
初めはゆったりと流れていたフォルスは、ハレの語りが熱を帯びるにつれて、徐々にその速度を増していった。やがて天空の一箇所へと収束すると、そこで星の瞬きように、一度だけ強く、山吹色に光り輝いた。天上の光へと、アーロンは目を凝らす。バロンと共に腕を振り下ろしながら、ハレは唱える。
「〝我流・天晴!!〟」
分厚い雲を吹き飛ばしながら、その向こう側から巨大な隕石が現れる。突如として広がった青空に目を眩まされたアーロンは、自身を目掛けて猛スピードで落下する隕石に対し、顔を覆い隠すことしか出来なかった。轟音を立て、地面を抉りながら、隕石がアーロンへと衝突する。舞い上がった大量の土埃が一帯の天地を覆う。やがてそれらが飛散すると、隕石は消えており、アーロンはうつ伏せになって、地に倒れていた。
「……う、ぐ……」
呻き声を上げながら起き上がろうとするアーロンに、ハレは声をかけようとした。「……アーロン、もういいだろ。もう、これで終わりに――」
「確かに」傷だらけの身体で立ち上がったアーロンが、その言葉を遮った。「確かに、お前は強くなった。悔しいがこの場は、負けを認めざるを得ないようだ。だが――」
一瞬だった。アーロンがイリスへと目配せをしたかと思えば、イリスは流れるように宙を泳いでアーロンの下へと赴き、その背中にアーロンを乗せた。再び宙へと浮かび上がると、イリスに乗ったアーロンは、泉の中央直上へ浮かぶ、ノアを閉じ込めた球体へと急接近した。球体の中で、ノアは未だ意識を失ったままでいる。
ハレが叫ぶ。「やめろ! アーロン!」
「お前にここまで追い詰められたのは、正直想定外だった。この手でお前を殺せないのは残念だが、ここでの目的は果たさせてもらう! 精々この女と共に、魔女の餌食となるがいい!」
バロンが掌から出現させた土の鞭を振るう。が、イリスが出現させた光の障壁に、バロンの攻撃は防がれた。「無駄だ」とアーロンは笑みを浮かべると、次いで球体の上部を右手で掴み、そこに入ったノアもろとも、球体を泉の中へと押し込んだ。水面を漂っていた紫紺の光が、急速に勢いを増して溢れ返る。
「目覚めよ、闇の大精霊・プリマギア! 終末の火にて、再びこの地を焼き尽くせ!」
そう叫ぶと、イリスと共にアーロンは空高く浮上し、そのまま森を飛び去った。焦りと驚きに回らない頭で、ハレは状況を分析する。ノアは無事なのか、そしてこれから何が起こるのか。
紫紺の光は加速度的に輝きを増していく。ハレは唾を飲み込む。やがて光の増長が一定の強さを以て留まると、間もなくして泉の中からは、ノアを閉じ込めた球体と共に、どす黒く禍々しい姿を持った、一頭の精霊が現れた。
「……お、おい」
何処に何の部位があるのか、その精霊の姿は一見して判別に難しかった。その風貌を何かに例えるのなら、全長三メートルほどのヘドロの塊、そうとしか言いようがない。ただ一つ、瞳と思しき部分に宿る、赤く鋭い眼光を除いては。
「……なあ、お前が――」
お前がプリマギアなのかと、ハレは聞こうとした。が、聞けなかった。球体の中で、意識を取り戻したノアの口が動いていることに、ハレは気が付いたからだ。
「逃げて、ハレさん……、ここから……逃げ――」
プリマギアと思しき精霊が次に取った行動に、ハレは言葉を失って、立ち尽くすほかなくなった。ヘドロの腕で球体を包み込んだかと思えば、次の瞬間、彼女はそれを身体の内側に取り込んだ。ノアが入っていた筈の球体は一瞬にして、ハレの目の前から消えてなくなってしまったのだ。
心の中で、一つの世界が終焉していくのがハレには分かった。それはハレの中に於ける、すべての希望を司る世界だった。守れなかった。助けられなかった。彼女を助ける為に、自分はここまでやってきたというのに。
膝に地を付いて、ハレは呆然とした。バロンが呼びかけるが、その声は分厚いフィルターに遮られて、殆どハレには届かなかった。紫紺の光を迸らせながら、プリマギアがその姿を変容させる。数秒間に渡る変容の後、ヘドロの中から生まれてきたのは、赤く輝く瞳を持つ、巨大なノアの形をした何かだった。
(この子が好きなのね、ノア。じゃあまずは、この子を――)
プリマギアのものと思しき声が、ハレの頭の中に流れ込んでくる。ノアの姿をしたプリマギアが、ハレへと伸ばした両の手で、ハレの身体を優しく包み込んだ。ハレの視界がブラックアウトする。深く暗く、どんよりとしたヘドロの海の中へ、ハレの意識は溶けた。




