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エンデラの森の黒き魔女  作者: 暫定とは
六章『終末』
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「十八歳の或る時、アーロンは孤児院で一人の協力者と出会った。シンさん、あんたの言葉で言うところの、アーロンたち夜明けの月光のスポンサーって奴だね。その正体が何者なのかは、私たちにも分からない。協力者の手引きで孤児院を脱出したアーロンは、今から五年前、凡そ七年ぶりに、このオラシオンへと帰ってきた」

 ノルダの語りは夕方まで続いた。その途中、久方ぶりの体調不良に襲われて眩暈(めまい)を起こしたノアを、ハレたちは別室のベッドへと寝かせた。ノアの身体は微熱を帯びていた。

「誰一人予想だにしていなかったアーロンの帰還に、母を始めとする村の皆が、涙を流して喜んだ。が、アーロンは変わってしまっていた。反逆を訴えるアーロンを、周りの大人たちは当然の如く宥めようとした。村の皆にとって、十一歳で行方をくらませたアーロンはまだ子供だったし、アーロンが負った心の痛みを真に理解出来る者は、このオラシオンにはいなかったのさ。自分の言葉が聞き入れられないことを悟ったアーロンは、同じく心に何某(なにがし)かの傷を持ち、暗闇の底から真なる輝きを臨み、世界への反逆に使命感を燃やす同志を集うと、彼らと共に夜明けの月光を結成した。一度は村を出ていったあの子らだったが、一年ほど前、突然ここへ戻ってくるなり、今度は力で村を支配した。最終的な目的として、通常人種の大量虐殺と、通常人種に対する優位性を保持するネルビアンコ国家の発足を掲げてはいるが、それが今、あの子らがやっていることとどう関係しているのか、私には分からない」

 ノルダの家の裏手に出て、少し坂道を上っていくと、そこは断崖の絶壁だった。眼下には広大な荒(あ)れ野(の)が広がり、荒れ野の果てには奇妙な森が一つ、海に浮かぶ孤島のように茂っていた。遥か遠方の森を手で指し示すと、ノルダは言った。

「終末の火(エンデラ)の森。アーロンはあそこにいると、モナトたちが話しているのを聞いた。十二年前、私らはアーロンを守ることが出来なかった。やっとの思いで帰ってきてくれたアーロンを、救ってやることすらもだ。無責任だとは重々承知している。ただね、ハレの坊や、この婆(ばばあ)からのお願いだ」

 真っすぐにハレの目を見つめると、ノルダは言った。その顔に刻まれた幾つもの皺(しわ)は、彼女の身にこれまで降りかかってきた気苦労の数々を、ありありと物語っていた。常盤色(ときわいろ)の瞳が、微かに潤んでいるようにもハレには見えた。

「もしも、あんたにもアーロンへ思うことがあるのならば、どうかあの子を救ってやってほしい。あの子を止めてやってほしい。確かに私らネルビアンコの生活は惨めで窮屈だ。アーロンみたいに強い子には、情けないと思われても仕方ないかも知れない。けどね、それを正そうというときに、他人様(ひとさま)に迷惑をかけるようなことがあっちゃならない。力に訴えるようなことは尚更さ。私はあの子にそれを教えてやれなかった。だからね……」

 ノルダの肩に手を置くと、「分かってるよ、ばあちゃん」とハレは言った。

「アーロンは俺が必ず止める。だからもう、思い悩んだりはしねーでくれ。俺、アーロンには本当に世話になったんだ。アーロンに世話になったってことは、アーロンを育てたこの村のみんなにも世話になったってことだよな。今度は俺が、それを返す番だ」

 親指を突き立てて、ハレは笑った。そんなハレの姿を見て、彼は逞しくなった、とシンは思う。初めて会った時、ただ我武者羅(がむしゃら)にアーロンの行方を追っていた頃のハレとは、この短期間で随分と様変わりしたものだ、と。

 「大人たちにも非はあったと反省した私らはそれ以降、半年に一回ほどは最寄りの港町に遣いを送って、新しい本や衣類なんかを仕入れるようになった。勿論爪は隠した上でね。今では外の世界の存在も、それがどうして危険なのかということも、きっちりと子供たちに教育するようにしている」とも、ノルダは言った。近年になって発刊された冒険戦士ガイナの本が、この村にあるのはそういうことか、とハレは納得した。


 ノルダの話が終わった後、ハレはシンと共に、ノルダの家のテラスへと出た。今後の自分たちの動きについて、話し合いをする為だ。辺りは暗くなりかけていたので、ハレたちはノルダに燭台を借りて、そこに立てた蝋燭に火を灯して話した。

「アーロンの思惑は概ね分かった。エンデラの森が、ここからそう遠くはないということも。心配なのはノアの体調だな。ノアを連れて行かなければ、肝心のプリマギアを目覚めさせることは出来ない」

 シンの言葉に、「そうだよな」とハレは眉間に皺を寄せて項垂(うなだ)れた。次いで何かに気付いたように、「そういえばさ」とハレは顔を上げて言った。

「この村って、そこまで人口が多くはないよな。ここまで割かし調子よかったのに、どうしてノアはいきなり倒れちまったんだろ?」

 「俺にも正確なことは分からないが」と前置きをした上で、シンは答えた。「ノルダさんの話にもあったように、このオラシオンに暮らすネルビアンコの人たちには、精霊術(せいれいじゅつ)を習得せずとも精霊の姿や声を見聞きする能力が備わっている。恐らく、古くから続くネルビアンコと精霊の信頼関係があってのものだろう。それだけあって、この辺りでは精霊たちの活動も、他の地域と比較して活発化しているみたいなんだ。精霊たちの活動が活発化すれば、それに比例してフォルスの流れも活発化する。それが、ノアの身体には悪影響を及ぼしているのかも知れない」

 「なるほどな」と頷くハレに、「それから」と少し言いづらそうな声調で、シンは続けた。「あまり言いたくはないんだが、前回写真を撮る為に接近した時も、ついさっきこの家の裏手から見た時も、あの森からはなんというか、他とは違うフォルスの流れを感じるんだ。プリマギアや第五フォルスの存在が関係してのことなんだろうが、まず、途轍もなく濃い。そして……」

 的確な言葉が見つからない様子で、シンは視線を外した。或いは、的確な言葉はあるが、それを口にするのが憚られる、といった具合にだ。「なんだよ先生」とハレはじれったそうに言う。「ここまで来たんだ。もう何が出てきても動揺しねえ。勿体ぶらないで教えてくれ」

 テラスの手すりに背中を預けて、右手で口元を覆い隠しながら、「邪悪」とシンは呟くように言った。

「……邪悪?」

「いや、俺がそう感じたというだけだ。実際のところ、フォルスに善も悪もない。ただ、あの場所に流れるフォルスからは、そういう情動的なものを感じるんだ。憎悪というか、怨念というか、とにかく、少なくとも感じのいいところではない。それがノアの身体にどう影響するか、正直なところ俺には分からない」

 ハレは考える。これまで見た中で最悪、とまではいかないが、ハレから見ても、昼間のノアはかなりつらそうな状態ではあった。

 今まではノアの体調が悪い時、街には近づかないようにしたり、街中では人混みを避けるなどの対策をハレたちは取ってきた。が、その場所ごとのフォルスの濃度というものを気にしたことはなかった。そもそもの話、今回は精霊術に精通し、フォルスの流れや濃度を感じ取ることの出来るシンが一緒だったからこそ、そのことに気付くことが出来ただけであり、ハレにもトーマにもノアにも(勿論、ルチカやバーンズにも)、そのような能力がない以上、気にすることが出来なかったというのが実情だ。

 途轍もなく濃く、そして邪悪なフォルスの流れ。人間に封印されたプリマギアの恨みが、そこに染み出しているとでも言うのだろうか。そこを訪れた時、ノアの肉体はそんなものを受け止めることが出来るのだろうか。

 「ノアの体調が落ち着いたら、ノアと相談してみるよ」そう言って、ハレはシンを家の中へと見送ろうとした。ハレへと頷き返して、テラスから室内に続く階段を下り始めたところで、シンは階段の下に立っていたノアの存在に気が付いた。「ノア、居たのか」

 「はい」シンの顔を見て、ノアは申し訳なさそうに微笑んだ。彼女が何処から何処までを聞いていたのか、その上で、自分の口から何か言うべきことはあるか、シンは一瞬迷って、考えるのをやめた。自分が口を出すべきことなどない。これはハレとノア、そしてトーマの旅なのだから、と。

「ハレから、相談したいことがあるみたいだ」

「はい」

 シンを家の中へと見送ると、ノアは階段を上がって、ハレのいるテラスまでやってきた。ハレはベンチに浅く腰掛けていた。ハレの隣に静かに腰を下ろしながら、「すみません、盗み聞きするつもりはなかったんですけど」とノアは笑った。太陽の光は地平線に飲み込まれて、夜の闇と星の光が、鳥と虫の声と共に世界を覆い尽くしていた。

 「いや、こっちこそ。本人のいないとこでごめんな」ハレは頭の後ろを掻く。「えーっと、どっから聞いてた?」

「最初から全部です」

「ああ、ダメだな、俺。ノアには心配かけねーように説明しようって、たった今考えてたとこなのに」

 ノアは小さく首を振るう。「ダメなのは私のほうです。もうご迷惑かけないようにって思ってたのに、また倒れちゃいました」

 華奢な身体に、ノアは薄手の毛布を巻き付けていた。ベンチから立ち上がりながら、ノアは毛布を脱ぎ去って、柔らかく折り畳んだそれをベンチの座面へと置いた。ハレには見慣れた、巫女服を思わせる黒い衣装を身に纏ったノアの姿が、そこには明らかになった。

 テラス北側の手すりのほうへと、ノアは歩いていく。星明かりに照らされる彼女の姿は、御伽噺(おとぎばなし)に登場する妖精や女神のようであり、ハレは思わず、その後ろ姿に見惚れて言葉を失った。手すりまで歩くとこちらを振り返り、「でも、もう大丈夫」とノアは言った。

「私、プリマギアさんに会ってみたいんです。私が助かりたいからってだけじゃなく、私が苦しんでるときに、もしかしたら一緒に苦しんでくれてるのかなって、ずっと思っていたんです。ここに来て確信しました。多分私なんかよりもずっと、彼女は長い間苦しんできた。私はプリマギアさんのことも助けてあげたい。だから、彼女の憎悪も怨念も、私はすべて受け止めるつもりです。負けませんよ、私」

 彼女の変化への感心に、「ノア」とハレは思わず声を漏らした。次いで小さく笑いながら「でもよ」とハレは言う。「精霊にまで『さん』付けなのかよ。プリマギアも驚くんじゃねーか?」

 恥ずかしそうに笑いながら、「お、おかしいですか?」とノアは問う。

「いや、いいんじゃねーか? 誰にでも丁寧なのは、ノアのいいとこだよ」

 そう言いながら立ち上がると、ハレはノアの隣へと歩いた。「褒められてるのか分かりません」ノアは頬を膨らませて言う。「褒めてる褒めてる」とハレ。

「まあいいですけど」

 柔らかな風が二人を撫でるように吹いて、ノアの髪をふわりと翻した。「それに」とノア。「こんなところで諦めてたら、トーマさんに怒られちゃいますから。やってみる前から諦めるな、って」

 驚きと感心に、ハレは今度こそ、言葉を失いかけてしまった。トーマの離脱後、ハレは出来得(う)る限り、ノアの前でトーマの話をすることは避けてきたつもりだったのだ。トーマのこと、トーマと自分のこと、延いては夜明けの月光のことで、ノアにこれ以上の心配をかけたくはなかったから。それを察してか、ノアも今日まで、トーマのことを口にすることは殆どしなかった。ノアの口からトーマの名前が、それも肯定的な意味合いを持って出てくるのは、ハレにとっては青天の霹靂だった。

「トーマさんは、私のことも仲間だと言ってくれました。ハレさんもトーマさんのこと、諦めたりしませんよね。だから私も、トーマさんを信じます。いえ、ハレさんが諦めたとしても、私がトーマさんを連れて帰ります。多分、仲間ってそういうことだと思うから」

 「ノア……」ノアへと頷き返しながら、ハレは言う。「うん、そうだよな。今はちょっと違う場所に居るだけだ。俺たちは仲間だ」

 前日の戦いで、トーマに冷たい言葉を投げかけられて落ち込んでいた、ハレの心に空いた穴を、ノアの言葉は優しく埋めてくれるようだった。そうだ。あの日、自分を信じているとトーマは言ってくれたのだ。ノアもまた、トーマを仲間だと言ってくれている。自分が落ち込んでいても仕方ない。

 ハレがノアへと視線を向けると、彼女は困ったように笑いながら、ハレのことを見つめていた。「ハレさん、少し落ち込んでますか?」

 「げ、バレた」とハレは顔を顰(しか)める。

「もう、ハレさんがそんなんでどうするんですか。ちゃんと元気を出して、私とトーマさんを引っ張っていってくれないと困ります。あっ、そうだ」

 何かを思い出した様子で上空を見上げると、「えーっと~、うーん」と唸りながら、ノアは首を捩(よじ)らせて、星空のあちこちへと視線をやった。やがて北の空に目的のものを見つけると、「あ、ありましたよ。ほら」と手すりに左の手をついて、右手の人差し指でそれを差した。

「ちょっと前に見つけたんです。あの星――」

 ノアが指し示す指の先よりも、星空を映すノアの瞳に、ハレは思わず見惚れてしまった。

「――ハレさんみたいじゃないですか?」

 死ぬ前に思い出すのはこの横顔かも知れない、とハレは直感的に思う。どうしてそんな風に思うのか、ハレにはそんなことはどうでもよかった。ただ死ぬ前まで覚えていて、死ぬ前に思い出せるのなら、それは幸せなことだろうと、ハレには思えたのだ。

 ワンテンポ遅れてノアの指と視線を追うと、そこには一際強く輝く、金色(こんじき)の星が光っていた。

 「左下に青い星が見えるでしょ。あれがトーマさん」ノアの指差す先を追う。青色の星を、ハレはそこに見覚える。

 「その右側の小さい星が、私みたいだなって」視線を右にずらす。そこには小さな白い星が、微かな光を放っていた。

 三つの星は金色の星を頂点とした、縦長の二等辺三角形のように並んでいた。遥か天上を目指して飛ぶ、矢尻のようにもそれは見える。ノアは続ける。「私とトーマさんが進んでいく道を、ハレさんはいつだって、力尽くみたいに明るい光で照らしてくれるんです。だからどんなに暗い未来でも、きっと大丈夫って私は思えるようになったんですよ。多分、トーマさんも同じように感じていると思います。ハレさんと話している時のトーマさんって、言葉には出さないけどとても嬉しそうなんですよ。それに……」

 ノアは少しだけ俯いて、言葉を濁した。ノアの中で、それは複雑な感情でもあったからだ。「それに?」とハレに尋ねられると、伏せていた顔を上げてノアは言った。

「それはアーロンさんも同じだったんじゃないかなって、私は思うんです」

 アーロン。ノアにとって、それは自分の祖母を殺した人間の名前でもあった。トーマのことは兎角としても、ノアがアーロンの名前までを、〝自分たちと同じ側に属する者〟として扱うことが持つ意味というものを、多分ハレは、取り分けこれから先の未来に於いて、考えていかなければならなかった。ノアとトーマの、そしてアーロンの行く道を、照らす者であろうとすればこそ。

「……うん」

 星空を見つめる目を柔らかく細めると、ノアは続ける。「でも、時々やっぱり不安になるんです。眠れない夜、こうして星空を見つめていると。私たちを取り囲む闇も、今はそのすべてが見えていないだけで、実際にはこの空と同じくらいに大きいのかも知れない。もしそうなら、私みたいな小さな星は、一番初めに闇に飲まれてしまうんだろうなって」

 或る意味に於いてその言葉は、ノアの持つ人間性というものを、くっきりと浮き彫りにさせていた。

 確かに彼女は大きく変わった。よく喋り、よく笑い、考え方も明るくなった。然し、その根幹にある大いなる闇は、すべてが取り除かれたわけではないのだ。それを取り除くことこそが、多分ノアとの関係性に於いて、自分に与えられた使命なのだとハレは考える。延いてはハレ自身の、これから先の人生に於いても。

 大いなる闇を断ち切ること。それは夜明けの月光との戦いを終わらせ、世界と自分たちに平穏な日々を取り戻すことであり、世界から差別や迫害をなくし、ノアやトーマやアーロンのように、生まれた境遇を呪わねばならないような人々を、これ以上生み出さないようにすることでもある。そして何よりも、ノアが抱える数々の悩みによって、彼女が過ごさなければならない眠れぬ夜と、そこに蔓延るすべての闇を、この世界から取り除くこと。ハレに課せられた一番の使命はこれだった。

 彼女との出会いが、きっと自分をこの旅に導いてくれたのだ。それが運命でも偶然でもいい。ただ、彼女の世界を守れないのなら、彼女の世界を変えられないのなら、自分には生きている意味などない。ノアを守りたい、守らなければならない――、ハレはこの時改めて、そう強く感じた。

「どんなに大きな闇だろうと、どんなに不条理な世界だろうと、俺が何とかする」

 手すりに置いたノアの右手に、ハレは左手を覆い被せた。驚いて、ノアはハレの横顔へと視線をやる。緑青色(ろくしょういろ)のハレの瞳は、まっすぐに夜空の星へと向けられていた。

「どんなにつらくて苦しい夜も、俺がノアの傍に居て、ノアを守るよ」

 死ぬ前に思い出すのはこの横顔かも知れない、とノアは直感的に思う。どうしてそんな風に思うのか、ノアにはそんなことはどうでもよかった。ただ死ぬ前まで覚えていて、死ぬ前に思い出せるのなら、それは幸せなことだろうと、ノアには思えたのだ。

 一拍を置いて、ノアへと顔を向けながら、「……それじゃダメかな?」とハレは恥ずかしそうにはにかんだ。

 柔らかな笑みをその頬に浮かべると、「約束ですからね」と悪戯っぽくノアは言った。一筋の流れ星が、矢尻の行く道を照らす閃光のように、北の夜空を切り裂いて飛んだ。

「ああ、……約束する」

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