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大通りの南側でモナトと対峙するシンとクーランは、やはりというべきか、モナトが使役する二体の風の精霊の、ぴったりと息の合ったコンビネーションに苦戦を強いられていた。戦いの最中、巨大な蝶の姿を持ち、モナトの両肩に止まる二体の精霊について、当時ハレやトーマから共有された情報を、シンは脳裏に思い起こしていた。
厳かな黄緑の翅を持つ左肩のリタは、高速且つ強力な雷撃による攻撃を得意とし、艶やかな青緑の翅を持つ右肩のレニは、竜巻を起こす能力で、モナトの肉体を覆う空気の層を作り出している。また、レニは時折羽ばたいては、前方に放出した竜巻で攻撃も行った。リタの雷撃に比べて威力は低かったが、風圧を伴ったこの攻撃に、シンは度々足元を崩されかけた。どちらの攻撃も厄介ではあったが、両者に共通して言える弱点は、彼らは基本的には自らの意思ではなく、モナトが指定したタイミングで攻撃を仕掛けてくる、ということであった。
(それで『爽やか指パッチン野郎』、か。あいつらしいネーミングだ)
レニの竜巻をバックステップで躱しながら、シンはハレの報告にあった単語を思い出した。そう、モナトは精霊たちに攻撃を指示する際、必ず指を鳴らして合図を出してきたのだ。これにより、実際に彼らの攻撃がシンの元に届くまでには、僅かなタイムラグが発生した。戦闘の序盤にこれを見極めたシンは、モナトの指鳴らしを見切りつつ、二種の攻撃の中でもより速い雷撃が、自身に到達するまでに確実に避ける(或いは防ぐ)ことの出来る間合いを、まずは導き出すことに専念した。それから数度の攻防を繰り返し、やがてシンはその間合いを見出すに至った。
(――ざっと見積もって十五メートル。それ以上の近接戦は避けるべきだな)
雷撃を紙一重で避け、ざざ、と土の地面を擦りながら、シンは現在の距離感を目に焼き付けるべく、モナトへと睨むような視線を向けた。
数秒間無言で向かい合うと、モナトはふと、ここまで防戦に徹してきたシンの行動理念に気が付いたらしい。苦い笑みを浮かべ、ふん、と鼻を鳴らすと彼は言った。
「成程ね、流石に彼らとは違うようだ。年の功、と言ったところかな」
「敢えて言わせてもらうが」とシンは構えの体制を崩さずに答える。「あいつらとじゃ踏んできた場数が違う。それにお前ともな、モナト」
「そういう自信家なところは、あの少年――ハレによく似てるよ。それで、間合いを測ったまでは良いけど、そこからどうやって僕に攻撃する?」
モナトの問いに対し、シンは自身の左手側で同じく構えの姿勢を守るクーランへと、目配せをしながら呼びかけた。「クーラン!」
「おう!」とクーランは答えながら、シンと背中合わせに並ぶ。シンは左手の掌底を、クーランはくるりと翻して上を向けた右手の掌底を、それぞれモナトのほうへと突き出しながら、二人は吼えた。
「〝――白虎、穿天牙!!〟」
突き出した二人の掌から放たれた風のフォルスは、空中で巨大な虎の形を取るなり、空を裂くような凄絶な速度で、モナトと二頭の蝶へと襲い掛かった。轟音と共に地を削り、虎を模したフォルスは間もなく飛散したが、その場には凄まじい量の土埃が舞い上がった。少しずつ晴れていくその土埃の向こう側で、モナトが倒れていてくれることをシンは願った。が、そう簡単には行かないであろうことも、シンはここまでのモナトとの戦いを通じて、心の何処かに悟ってもいた。
パチン、と指を弾く音が響き渡ると同時に、モナトが立っていた丁度その位置から、一陣の風が放射状に吹き渡った。風は土埃を吹き飛ばし、程なくして明らかになったその路上に、モナトは無傷で立ちはだかっていた。わざとらしくゆったりとした拍手をシンへと送りながら、モナトは口を開く。
「良い技だね。彼らの保護者というだけのことはある。でも――」
目を細め、挑戦的な笑みをその頬に浮かべながら、「その程度の威力じゃあ、僕を倒すことは出来ないよ!」とモナトは言うなり、共鳴術技の詠唱を開始した。
「シン、やはりあの蝶を引き剥がさなければ!」そう声を荒げながら、クーランはモナトへと駆け出していく。クーランへと頷き返すと、シンは背後のノアにも一瞬だけ視線をやってその無事を確認しつつ、モナトの術による攻撃に応じるべく、自身も共鳴術技の詠唱を行った。
詠唱をしながらも指を鳴らして、モナトはクーランの動きを牽制した。やがて時を同じくして、二人の詠唱が終わる。
「〝昏冥に閃く彗星よ。ここに降り注ぎ、輝煌纏いて猛き旋嵐と成せ――〟」
モナトが天上へと手を伸ばすと、その上空には巨大な青緑の魔法陣が現れた。魔法陣からは色とりどりの輝きを持つ、握り拳大の光の弾が次々と現れては、モナトの周囲を舞うように漂った。
「〝吹き荒べ! 厄災を祓いし幻影の科戸風――〟」
一方のシンがモナトのほうへと左手を向けると、そこには深緑の色彩を呈し、モナトのものよりも一回り小さな魔法陣が出現した。魔法陣の表面からは、淡い青磁色の光を放つ風のフォルスが放出され、その場で竜巻のように渦を巻く。
「〝――コメット・ストーム!!〟」
「〝――ファントム・ゲイル!!〟」
二人が揃って叫ぶと共に、モナトの側からは無数の光弾が、シンの魔法陣からは凝縮されて密度の高まった竜巻のような光線が、互いに放たれた。それぞれの術は空中でぶつかり合い、そこに激しい力の拮抗を生んだ。光が爆裂し、辺り一帯に暴風が巻き起こる。数秒間に渡る鬩ぎ合いの末、二人の術は相殺し合って消えた。
シンとクーラン、そしてモナトの間を沈黙が通り過ぎると、通りの北側からも別の人間が争い合っているのであろう剣戟が、三人の耳には届いた。結局、ハレもあの男に見つかってしまったようだ、とシンは思う。暫し黙してモナトを睨み付けた後で、「確かに、この程度の威力では倒れてはくれないようだな」とシンは構えを解きながら言った。
「分かってく――」
分かってくれたみたいだね、とモナトは言おうとしたらしい。その発言を遮って、シンは続ける。
「それじゃ、ここからは手加減無しで行かせてもらおう。但し、お前を倒してしまう前に、一つ確認しておきたいことがある」
シンの言葉に好ましくない種類の表情を浮かべつつ、「清々しいくらいのビッグマウスだね、君は」とモナトは呟いた。「いいよ。答えられるかは分からないけど、一応聞いてあげるよ」
何も言わずに頷きながら、ここまでは漕ぎ付けた、とシンは心の中に思う。
元々このオラシオンに立ち寄ったのも、シンには夜明けの月光について、どうしても知っておきたい情報があったからだった。彼らについて不明瞭、不明確な部分はまだ多いものの、これだけは早急に明らかにしておく必要が、シンにはあった。それが明らかでないことについて、シンは(珍しく)焦りすら感じていたのだ。これに関して後手に回るようなことがあれば、彼らとの最終的な決着について、自分たちに勝機はないのかも知れない、というような。
「お前たち夜明けの月光には、いずれはその力を借りる手筈となっている、スポンサー的な人物がいるはずだ。構成員は勿論、組織のリーダーである筈のアーロンすらも、『あのお方』と呼び慕っていると聞く。その人物の名前は――」
少なくともイエスかノーの回答が得られるよう、シンは慎重に言葉を選んだ。そしてその回答がノーであることを、シンは願わずにはいられなかった。
言ってしまえば自分たちには、夜明けの月光の動きに対して、既に後手を取っている可能性だって十分にあるのだ。然し、シンが最も直視したくない現実は、自分たちが後手に回っているかも知れない、ということではなかった。後手に回ろうが回るまいが、その男がまだ生きていて、再び自分たちの前に立ちはだかろうと言うのならばその時点で、自分たちに勝機はないのかも知れない、ということだった。
「……――ジークフリードか?」
不気味に光る青白い月が、夜のオラシオンを照らしていた。それは眼差しのようでもあった。その眼差しに見つめられる限り、自分たちはそこから逃げ出すことは出来ない。宿命は、この世界のどこかで今も歯車を回し続けているのだ。
「ぐあッ、がァ!!」
トーマとカレントが繰り出した共鳴術技に、ハレは呻きながら地を転がった。戦況は芳しくない。五分五分で始まった二組の戦いは、情け容赦のないトーマとカレントの猛攻により、あっという間にトーマ側の優勢へと転じてしまっていた。
仰向けに倒れたハレの元へと歩きながら、トーマは腰に携えた鞘から、白銀に輝く一本の刀を引き抜いた。ハレには見覚えのない刀だった。ハレと共に行動をしていた頃、トーマは後方からの援護や回復に専念し、近接戦闘はカレントに任せていたはずだ。トーマがその手に武器を持っている姿自体、ハレの視覚には(孤児院で行われていた武術の授業を除いては)真新しかった。
「口ほどにもないな」残念がるような口調でそう言いながら、身体を起こしかけていたハレの喉元に、トーマは刀の刃先を向ける。「結局、お前はこの程度か」
「くッ」とハレは声を漏らすと、然し次の瞬間には挑発的な表情を浮かべながら、強気にトーマを嗤って見せた。
「はっ、やるならやれよ。そんなモンで、本当に俺を殺せると思ってんならな」
「……どういう意味だ?」
細めた目で問うトーマに対し、ハレは答える。「分からねえか? 俺は死なねえって言ってんだよ。少なくとも、ノアを助けて、テメーとアーロンを改心させるまではな!」
「戯言を……!」
怒りの形相で、トーマは刀を振り被る。ハレは恐怖に目を閉じたりはしなかった。自身の窮地に気付き、必ずや助けてくれるであろう相棒の存在を、ハレは信じていたからである。
「ハレ!」バロンの声と共に、仰向けに倒れたハレの股の間から、拳を模した土柱が突き上がる。カレントと拳を交えながらもこちらに気を配ってくれた、バロンによる攻撃だ。すんでのところで土柱を躱したトーマは、舌を打ちながらハレとの距離を取る。ハレは素早く立ち上がるなり、カレントの反撃によって後方に吹き飛ばされたバロンのほうへと、バックステップで退いた。
「サンキューバロン! 大丈夫かよ」
「ウん……! ちょっト尻餅つイた」
「すまない、トーマ」とカレント。「構わないさ。負けることはない」とトーマは頷き返す。
バロンの無事を確かめたハレは、次いでトーマとカレントに目をやった。どうやら体中が裂傷に塗れているらしく、ハレの四肢はもう、何処が痛むのかすら分からなくなっていた。そしてハレの体躯を駆っているのは、この戦いで負った傷による痛みだけではなかった。変わり果ててしまったトーマへの悲しみ、それを止められなかった自分自身への怒り、そして、深まるばかりの謎に対する苛つき。ぎり、と奥歯を噛み締めるが、状況は何一つとして変わらない。この場所に存在するのはただ、互いに相容れることのない二つの意志だけだった。
せめて、わざわざここまでやって来たのだ。何か一つでも謎を明らかにしなければ、と考えながら、ハレはびし、とトーマを指さすと問うた。
「やいトーマ! 答えやがれ! 夜明けの月光は、ノアを攫ってどうするつもりなんだ! それにお前ら、この場所で一体何をしようとしてるんだよ!」
「ノアをどうするかは教えられないが」とした上で、両手を差し出すように広げながら、トーマは続けた。「ここオラシオンは、そもそもネルビアンコが暮らす隠れ里だ。俺たちが俺たちの里にいて何が悪い? それを言うなら、アウェーなのは通常人種でありながらここにいるお前のほうだ。誰の差し金でここを知った?」
「けっ」とハレ。「それは俺も言えねーよ。けどこの大陸には、エンデラの森があるんだろうが。俺はプリマギアを目覚めさせて、ノアを助ける! これ以上、ノアをお前たちの好きなようにはさせねェ!」
双剣を鞘へと納めながら、ハレは走り出した。「そんでもって、つまんねー殻に閉じ籠ってるお前たちのことも、助け出してやんよ!!」
トーマへと駆けながら、ハレは跳躍する。トーマを守るような形で跳んだカレントが、ハレの真正面に現れる。空中でその身を捩りつつ、ハレは上級の共鳴術技を放った。
「〝拿離揮奔岩!!〟」
捩った身体を解き放ちながら、ハレは両の掌から、サッカーボール大の岩塊を出現させると共に、それを山吹色の光の綱で掌と結んだ。綱に結ばれた岩塊を、ヨーヨーのような感覚で操作することが出来るのがこの技の特長だった。左手の綱をあっという間にカレントに巻き付けると、手を握ることで綱を断ち切り、岩塊が持つ遠心力に任せて、ハレはカレントを地上へと放った。右手の綱を引き寄せながら、ハレはそのままトーマを目掛けて落下していく。やがてその右手に岩塊を掴み、それを振り下ろしながら迫ってくるハレに対し、トーマは水の盾を出現させる共鳴術技で応じた。
「〝衛水晶!!〟」
トーマの左掌から現れた水の障壁と、ハレの右手に握られた岩塊は、激しく打ち合うなりそこに強い衝撃波を生んだ。山吹と水色の光の中で、ハレとトーマは互いに睨み合った。トーマの靴が土の地面を抉って僅かに沈む。その刹那、ここまで涼しい顔だったトーマの表情が僅かに歪むのを、ハレは見逃さなかった。技は効いている。好機だ。
「バロン!!」トーマと技をぶつけ合いながらも、ハレがその名を呼んだとき、バロンはもうこちらに向かって走り出していた。振り被った右の拳に、ありったけのフォルスを込めたメリケンサック状の岩を纏わせると、バロンは助走で付けた勢いのままに、トーマを横から思い切り殴り付けた。
「ふンッ!!」
バロンの攻撃がヒットする間際、空いていた右手で水の壁を作り出したトーマだったが、左手に集中させていたフォルスコントロールを両手に移行させるには僅かに及ばず、不完全な水の壁を出現させるのみで、その打撃を受けることとなった。衝撃に、トーマの身体は激しく吹き飛び地を転がっていく。
着地するなり「へへ」と笑って、ハレはバロンとハイタッチを交わす。腰に手を当て、地を這うトーマとカレントに向かって鼻を鳴らすと、「どんなもんだい!」とハレは自慢気に言い放った。
ゆっくりとした所作でそこに立ち上がると、トーマは土に汚れたローブを脱ぐなり、それを後方へと放り投げた。白いローブは風に乗って、何処かへと飛んでいく。セーラーカラーにも似た白い立ち襟を持つ、薄青のボタンシャツと、白いパンツを身に纏った、ハレにも見慣れたトーマの姿がそこには明らかになった。グローブを嵌めた両の手をはたき合わせながら、トーマは言う。
「確かに、この短期間で少しは腕を上げたようだ。どうやら本当に、手加減は必要ないようだな……!」
眼鏡の奥からこちらを睨むトーマに対し、「あたぼうよ!」とハレは吼えた。「いつまでも格下だと思って、舐めてんじゃねェ! 行くぞ、バロン!!」
再び双剣を抜き取ると、構えの姿勢を取るトーマとカレントに向かって、ハレはバロンと共に駆け出した。
ハレとバロンの連携攻撃が尾を引いてか、それからの戦いはほぼ互角の状況で続けられた。ハレにとって、それはトーマとカレントの強さを改めて思い知らされる戦いでもあった。トーマの扱う共鳴術技の強力さも然ることながら、トーマの詠唱時間を確保する為に、ハレとバロンの動きを一挙に封じるカレントの動きには一切の無駄がない。腕や脚など、身体の一部を自由自在に伸縮させるカレントの能力が、トーマとのコンビネーションには一役を買っているのだった。味方の時はあれほど心強かった二人が、敵に回るとこうも厄介になるなどと、ハレは考えたことすらなかった。
カレントの妨害をどうにかかいくぐり、ハレはトーマへと接近すると、振り被った右手の剣で切り下しながら、叫ぶように言う。「どうしてッ!」
流石のトーマも詠唱を中断し、彼は白銀の刀でこれに応じた。刃と刃が重なり合い、ぎちぎちと金属音を立てる。
「どうしてお前はそう分からねーんだよ! 結局夜明けの月光に入るなら、俺と一緒に旅立つ必要なんて――」
左手の剣を、ハレは横に振るう。「なかっただろうが!!」
頭上で打ち合う刃をトーマは押し返しつつ、流麗な身のこなしでこれを躱した。矢継ぎ早に、トーマは刀を振り下ろしてハレを斬りつける。「俺は――」
横に構えた右の剣で、ハレはこれを打ち返した。更に一撃、二撃と剣戟が続く。
「俺には確かめなければならないことがあった。その為に、お前を利用させてもらった……――それだけのことだ、自惚れるな!」
トーマの刀による横薙ぎを、ハレは交差させた二本の剣で受け止めた。金属が立てる鈍い振動が骨にまで伝わってくる。汗で湿った掌が滑らぬよう、ハレは握った手に、一層強く力を込めようとした。が、その瞬間に最大までに強まったトーマの刀による薙ぎ払いに、ハレの身体は押し返された。微かによろめいたハレの腹部に、トーマは容赦なく、強いフォルスを込めた蹴りの一撃を打ち込んでくる。
「がはァッ!!」
凄まじい衝撃に、ハレは後方へと吹き飛んだ。二本の足でどうにか着地するも、強烈な痛みはハレの足元を覚束なくさせた。跪くことだけはないように、ハレは両の脚にしっかりと力を込める。
「お前こそ」とトーマは刀を下ろして言う。「どうしてそう俺なんかに入れ込む? 俺みたいな疵物に取り合って、お前に何のメリットがあると言うんだ?」
ハレの腹部を襲う痛みは、すぐには治まってくれそうになかった。それどころか、どうやら時間が経てば経つほど(ハレが痛みを認識すればするほど)、それは強まっていく種類のものらしい。歯を食いしばり、腹に力を込め、唾を飲みながらも、ハレはそこに立っているのがやっとだった。が、立っていなければならない理由が、ハレにはあった。トーマと戦う為ではない。トーマの攻撃から身を守る為でもない。トーマの口から放たれた聞き捨てることの出来ない言葉に、自身の言葉で答える為だ。
「疵物だ……? テメー、誰のことを言ってるんだよ……」
双剣を握る両の手に、ハレは今一度強く力を込める。
「取り合うとか、メリットとか、バカな俺には分からねーけどよ。俺がお前を助けたい理由はハッキリしてる……。お前は、俺の……――」
霞み掛けている緑青色の瞳で、ハレはトーマの姿を強く見据える。「大切な友達だからだ」
その言葉に、一瞬トーマが怯んだようにハレには見えた。
「爪が黒いとか白いとか、ンなこた俺にはどうだっていい。世界を変えるだ変えないだのも、勝手にしてくれ。でもな――」
この怒りが、この悲しみが何なのか、ハレにはもう分からなかった。自分に対してのものなのか、彼に対してのものなのか。多分そのどちらでもない。この怒りと悲しみは、何故なのか零れ落ちてくる一筋の涙は、こんな風に考えざるを得ない人々を生み出してしまったこの世界と、その歴史に対してのものなのだ。
「――俺の友達を疵物呼ばわりする奴は、死んでも許さねえ……!!」
そのことを、自分は決して許してはいけない。その為にきっと、自分はあの孤児院を抜け出す定めだったのだ。この気付きは終わりではない。自分という名の物語が、世界を正しい方向に導いていくという結末を迎える為に辿り着いた、一つ目の折り返し地点なのだ。
力強く握った双剣を、思い切り地面へと叩きつけながら、ハレは咆哮する。
「〝巌宕、覇道断!!〟」
双剣が打った地点からまっすぐに、地を裂くような一閃の光が迸る。その線上に立っていたトーマは、突如走ったその閃光に、目を眩まされて立ち竦んだ。次の瞬間、猛烈な光と共に地を突き破って出現した、牙のように鋭く尖った巨大な岩にトーマの身体は強く打ち上げられた。次いで、四方八方の空中から現れた無数の岩塊による追撃に、トーマは晒されることとなった。
岩塊による攻撃が止み、トーマが再び地に立った時、息を切らして立つハレの身体から山吹色の光は消えていた。力を使い果たし、バロンとの〝共鳴〟が解けてしまったのだ。その一方、打ち上げられた後の一瞬で、身体の周囲にフォルスの膜を張ることが叶ったらしいトーマは、受けた攻撃の激しさの割には、疲弊しつつもまだ余裕のある表情でそこに立っていた。
「ハレ!」カレントの隙を見計らって、バロンがハレの下へと駆け寄る。
「カレント!」トーマに呼ばれたカレントは、跳躍してトーマの隣へと着地した。
「ダイジョブだぜ、バロン……。この世界を変えるまで、俺は死なねえからよ……」
親指を突き立てたハレの声は、酷く弱っていた。が、直ちに意識を失うような様子ではない。ハレへと頷き返すなり、バロンはハレの身体を支えながら、トーマとカレントへと視線を向けた。
「大切な友達、か」
子供騙しの童話の感想でも述べるみたいに、トーマはそう言ってハレを見た。然し、その声調には何処かしら清々しいものが感じられ、これまで同様、ただ単にハレを蔑んでいるような物言いではなかった。共に旅をしていた頃の面影すら、ハレにはその言葉から感じ取ることが出来た。
「だったら尚更、お前に俺の目的を話すことは出来ないな。……カレント、これで終わりにしよう」
「ああ」とカレントが頷くと、トーマは天へと両手を伸ばして、共鳴術技の詠唱を開始した。その背後ではカレントもが、トーマの背中へと手を翳し、フォルスの生成に協力をしているようだった。特別な一撃が来る、とハレは思う。然し、一体どうすればこの状況からそれを防げるのか、或いは躱すことが出来るのか、ハレには分からなかった。
「〝海淵を喰らいし嫉妬の業魔よ、地に臥す愚族に終焉の咬痕を刻め。鰐竜出でよ――〟」
目を閉じて滾々と呪文を唱えるトーマの様子は、まるで小さな歌でも歌うような具合だった。一方で、その上空に現れた深い紺色をした魔法陣は、ハレがかつて見たこともないほどに大きい。そこから現れるや否や、空中に蜷局を巻いたのは、海底のように暗い青の鱗に身を包み、禍々しい黒の水蒸気を全身に纏った、巨大な竜のような生き物だった。
「〝――リヴァイアサン〟」
腕がなく胴のみの肉体は凄まじく長く、そして太い。頭部には鰐のように長い口と、この世の終わりを思わせる紅き瞳を、その生き物は有していた。見る者に恐怖を植え付ける為に、この竜はこんな姿をしているのだろうとハレは考える(そして実際に恐怖する)。その反面、荘厳で威風堂々としたその風貌は、何処かしら神々しさというものを併せ持ってもいた。
詠唱を終えたトーマはゆっくりと腕を下ろし、一呼吸を置いてハレを見つめた。その視線にどういう意思が込められているのか、ハレにはもう分からない。彼は本当に、自分を殺すつもりなのか、それとも――。
竜へと指示を出すように、トーマはハレへと右手を向ける。長大な身体を解きほぐすような動作で空中を舞うと、天地を揺るがすような咆哮を上げながら、竜は大きく口を開き、ハレのほうへと飛び込んできた。終わりの時というのは、こうも簡単に訪れるものなのか、とハレは思う。この竜はきっと、死という概念そのものなのだと、ハレは悟るような心で考え、そして目を閉じた。その時である。
「――風神、招来!!」
一人の男の声が響き渡ると共に、浅緑に輝く巨大な鳶が、何処からともなく現れては、翼を広げて竜の大口へと突っ込んでいった。翼で竜の口を裂き切りながら、鳶は天空へと飛翔する。悍ましい声で咆えながら、巨大な竜は消滅した。
「なんだと!?」トーマは思わず声を荒げて、鳶の飛んでいく方向へと目を凝らす。空中でくるりと旋回した鳶は、地上へと急降下するなり、通りの南側から現れた男――シンの身体へと溶け込むように消えていった。
「ハレ! 無事か!」駆け寄ってきたシンに対し、「へへ、先生、来てくれると思ったぜ」とハレは苦しそうな笑みを浮かべて言った。
「無茶をするなと言ったろ」普段は黒いシンの瞳は、風の大精霊・シルフをその身に取り込んだことで浅緑へと変わっている。「ごめんごめん」とハレ。
シンの背後から、ノアを片腕に抱えたクーランが、モナトの攻撃に追われながらバックステップでやってくる。「シン! こっちはもう限界だ! これ以上は引き付けられない!」
「ああ!」とクーランへと頷き返すなり、シンはバロンへと、疑問符を付けずに問うた。「バロン、ハレとノアを守れるな」
「バロン、ハレとノアまもル」
力強く頷いたバロンへと、こちらまでやってきたクーランがノアを受け渡す。「すみません、大変なときに足手まといで」とノアが口早に謝ると、「だイじょうブ。ハレがいる」とバロンは言った。その言葉に、ノアは目を見張り、嬉しそうに頷き返した。「はい!」
シンの存在に気が付いたトーマは、無にした表情をそこに浮かべて、暫しその姿を見つめていた。そのことに最初に気が付いたのはハレだった。朦朧としかかった意識の中で、そんなトーマの様子について、どうにも不可解な表情である、とハレは思う。というのも、数年間を共に過ごしてきたハレにすら、それは見たことのない種類の顔色だったからである。次いで、シン自身がトーマの視線に気が付いた。シンはまた、同じく無にした表情でその視線に応えた。こちらもこちらで不思議なものだ、とハレは考えるが、それを言葉にするだけの気力は、この時のハレにはもうなかった。
通りの南側から、更にモナトが現れる。歩み自体はゆっくりとしており、また攻撃の手を一旦止めてはいるものの、その両肩に止めた二頭の蝶と共に、威圧的な雰囲気を彼は放っていた。
「風神……――成程ね。大精霊を従えているとは驚いた」
興味深そうにそう言いながら、モナトはこちらから或る程度の距離を保ったところで、ぴたりと足を止めた。ハレとバロン、ノアの三人を守るように中心へと配置し、シンはトーマと、クーランはモナトと、それぞれ向かい合うような陣形を彼らは取った。
「言ったはずだ。お前たちとは場数が違うと」トーマとカレントから目を離すことはなく、シンは背後のモナトへと言い放つ。
沈黙が、辺りの一帯を包み込んだ。誰がどう動くか、何処からどんな攻撃が飛んでくるのか、互いにそれを探り合うように、四組は共に押し黙って、それぞれの動きに注意を向けていた。誰からも何も仕掛けないまま、十数秒ほどが経ったところで、「確かにそのようだ」と構えを解きながらモナトは言った。
「トーマ、ここは一旦退こう。状況は二対二、幾ら先方の一人が戦闘不能状態とは言え、大精霊相手じゃ流石に分が悪い。……いいね」
モナトの言葉にすぐには答えず、トーマはまたしても不可思議な表情で、やはりシンのことをしばらく見つめてから、「分かった」と頷いた。何故、トーマは自分でもノアでもなく、シンを見るのだろうとハレは考える。そしてトーマとシンの間にある不可解な空気感、こういうものを何と呼べばよかったのか、それがハレには思い出せなかった。もう、喉の先まで出かかっているのにも拘らずだ。
「それがお互いの為だと思うけど、どうかな?」
優し気な笑顔でそう言いながら、モナトはハレたちに手を差し伸べるようにして見せた。『それ』とはつまり、この場は一時休戦し、モナトたちがここを退く、という意味になる。「ああ」とシンが答えながら武器を下ろすと、モナトは頷き、左肩のリタをトーマの下へと放った。〝共鳴〟を解いたトーマはカレントをドルミール化させる。トーマの肩に止まったリタと、モナトの肩のレニが羽ばたくと、二人の身体はふわりと宙に浮かび上がった。
「ま、君たちとはまた何処かで会うことになる気がするよ。その時まで、精々しぶとく生き延びるといい。それじゃ、またいずれ」
そう言い残して、モナトはトーマと共にオラシオンを発った。緊張と共に全身の力が抜けると、ハレはバロンへと倒れ込みながら気を失った。夢と現実が交錯する浅い眠りの中で、ハレは思い出す。トーマとシンの間に交わされる独特の空気感――それを的確に表現する為の言葉を。そして次に目覚める時には、ハレの頭からその言葉は、綺麗さっぱりに消えているのである。言わずもがな、それをもう一度思い出すべきだということも。
暗闇の今際に、ハレが手放してしまった言葉――『アイコンタクト』。




