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エンデラの森の黒き魔女  作者: 暫定とは
五章『相克』
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 地理の知れない集落の中で、進行方向と背後を交互に見交わしつつ、何者かも分からない人物から逃げ惑う――そんな命からがらの逃避行からハレが解放されたのは、開始から五分ほどが経過した後のことだった。たかが五分、されど五分。そう広くはない集落とは言え、何処に他の敵が潜んでいるか、何にぶつかって音を立ててしまうかも分からない状況下での逃走は、地獄のような時間であったとハレは思う。そして勿論、一種の極限状態で右往左往を繰り返したハレにはもう、元の場所に戻る順路は分からなくなってしまっていた。

 六度目に身を隠した場所から、ようやく別の方向に曲がってくれた男を、ハレは見送る形となった。が、次にハレがやるべきことはもう決まっていた。今度は再び男を追い、何らかの情報を入手した上でシンたちと合流し、この集落を脱出することだ。「危険が伴うなら深追いはしないこと」――そんなシンとの約束事は、ハレの頭にはもうなかった。地獄のような五分間が終わった瞬間、それを楽しかったと思えてしまうくらいには、ハレの頭のねじは(良い意味で)足りていないのだ。焦りと緊迫感の呪縛から一転、興奮と高揚感に包まれながら、ハレはローブの男の背中を追った。再びの地獄が訪れたのは、更に数分の追跡をした後のことであった。

「ゔ」

 物陰からの立ち上がりざま、頭上にあった住居の出窓に頭をぶつけたハレは、そう呻(うめ)き声を漏らしてしまった。痛みに蹲(うずくま)り、後頭部を摩りつつ、ハレはその声が、男の耳にまでは届いていないことを祈った。が、そんなハレの祈りも虚しく、男の足音は止んだ。こちらを振り返るような気配があったかと思えば、湿気た土を踏む男の足音は、ハレのほうへと向かってきた。

「に、ニァ~~オ」

 苦肉の策だった。身を隠せる場所も、それを探しに行く時間もハレにはなかったのだ。が、ハレの策が功を為してか、男は再び立ち止まった。五秒程度の沈黙があった。ハレにとっては永遠にも感じられる五秒間だった。ふん、と小さく鼻で笑うと、男は向こう側に踵(きびす)を返しながら言った。

「――なんだ、猫か」

 その瞬間、ハレの心は青天の霹靂に晒された。

 男が二人組で歩いていた時、右側の男が発した声が誰のものであったのかを、ハレは未だに思い出せないままでいた(逃避行の最中(さなか)、ハレは思い出すことすらも忘れていた)。が、今度の声ははっきりと分かった。それはハレがこの数年間、自分自身の両耳を以て、常に間近で聞いてきた声だったからだ。その声色を聞くだけで、声の主が如何(いか)にスカした表情で物を言っているか、ハレには想像することが出来た。彼は――。

 ハレは急いで立ち上がる。今度は出窓に頭をぶつけないように。そして男の後ろ姿を、見失うことのないように。彼がそこにいる。足音と呼吸により一層の気を遣いながら、ハレは男の追跡を再開した。

 男の正体が彼だったとして、自分は一体どうすればいいのか、ハレには分からなかった。本当は彼に話しかけて、その真意をハレは問い質したい。然し、集落内での隠密行動はシンとの約束でもあった(冷静になったハレはそのことを思い出していた)。それを遵守しなければ自分だけではなく、シンやノアまでをも自分は危険に晒すことになる。それはハレにとっても不本意だった。とはいえこの機を逃すことを、ハレの心はそう簡単に許せそうにもなかった。男の後を追いながら、ハレの魂は揺れ動いた。が――。

(夜明けの月光がまだ何人もここに居るとしたら、悔しいけど今の俺の実力じゃ、ノアを守り切ることは出来ねえ。やっぱり隠密は徹底だ)

 数分間に渡る思考の末、ハレは改めてそう心に決めた。その直後、ハレの前を往く男が足を止めた。先と同じような大通りに、再び小路が合流したところだった。

 住居の影に身を潜めて、ハレは男の様子を伺う。ここで誰かと会う約束でもあるのか、それとも何か別の目的かとハレは考える。が、男は何もしなかった。大通りの中心ほどまで歩いた男は、何かを始めるわけでもなく、ただそこに立ち尽くして、何もしなかったのだ。思わず眉間を顰(しか)めながら、ハレは通りを覗き込んだ。男の周囲に誰かが現れる気配はない。その時、ハレのすぐ真後ろに、水滴の滴る音が響いた。

「?」

 背後の足元をハレは振り返る。この暗闇で、土の地面に水滴が落ちているのかどうか、ハレの肉眼では確かめることは出来ない。そして今、本当にここに水滴が落ちてきたのかどうかということは、さして重要な事柄ではなかった。わざわざしゃがんでまでそれを確認することよりも、しゃがんだ際に音を立ててしまうリスクを避け、男の観察に集中しているほうが、余程重要で、尚且つ意味がある。ハレは通りのほうへと向き直った。そこにはもう、男の姿はなかった。

 不意の出来事に、ハレの頭は混乱した。冷静さを欠いたハレは、慌てて物陰から飛び出すなり、通りの中心へと走った。男が立っていた場所までやってくると、ハレは男の姿を探して、ぐるりと辺りを見回した。先ほどまでの危機感はもう、ハレの中からはなくなってしまっていた。その代替(だいたい)として、困惑と焦りがハレの思考回路を占拠していた。

 さっきまで、ここに彼が居たのだ。あれは間違いなく彼だった。彼に関する何かしらの情報を得られる、最高のチャンスだったのに――。

 水滴などに気を取られなければ、という後悔に駆られるハレの耳に、背後上空からその声は届いた。

「――こんなところまで追いかけてくるとはな」

 驚愕と共に、ハレは声のするほうを振り返る。一軒の家屋の煙突の上に、白ローブの男は立っていた。青いグローブを嵌めた手で、男はゆっくりとフードを外す。ブロンドの髪を持つ、眼鏡をかけた少年の姿が、ようやくそこに明らかになった。

「つくづくお前も物好きな奴だよ。……ハレ」

 今夜、アシリアの空は満月だった。ハレを見下ろす彼の姿は、麗しく輝く白き月を、背負って立っているようにも見えた。その姿は、或る種の抗えぬ宿命性というものを、ハレの心には印象付ける。否、それに抗い、そして覆すだけの矜持が今や、ハレの中にはあった。

「――トーマ……!!」


 ハレを見送ったシンとノアは、またしても短い思考の末にシンが導き出した答えに従って、右側を歩いていたもう一人の男を追いかけていた。集落中央の大通りを、男はまっすぐに北上した。

 大通りは基本的には緩やかな上り坂になっており、一部には幅広の階段が設けられている箇所もあった。通りは一メートルほどの幅を持つ小川によって、中心から左右に区切られている。小川には木で出来た小さな橋が、ところどころに架けられていた。

「……いつまでコソコソと後を付けてくるつもりだい?」

 或るところでピタリと足を止めると、男はシンたちに背中を向けたままそう言った。先の発声時には唐突過ぎて気付けなかったが、この男の声には聞き覚えがあることに、今度はノアも気が付いた。

 こちらへと身を翻しながら、男は続ける。「安心しなよ。僕ら夜明けの月光は少数精鋭。このオラシオンにも、僕のほかにはあと二人ほどいるだけだ。君たちが姿を現した途端、わらわらと湧いて出て拘束するような真似は僕たちには出来ない」

 シンは考える。男の口調は嘘を吐いているという風ではなかった。恐らくはこの男の言う通り、夜明けの月光はオラシオン内にあと二人しかいないのだろう(そしてやはりここはオラシオンということらしい)。とはいえ正直なところ、こちらの侵入が悟られてしまっている時点で、それが嘘か本当かということは、シンにはあまり関係がなかった。

 シンには今、二つの選択肢が提示されている。諦めて男の前に姿を現すか、或いは身を隠したままゆっくりと後ずさりをして、この場を凌ぐかのどちらかだ。

 前者を選び、且つ男の(夜明けの月光がオラシオン内に三人しかいないという)発言が嘘だった場合、自分たちは男の言葉通り、わらわらと湧いて出た夜明けの月光に拘束されることになるのだろう。そうなれば自分はクーランを活動体化させ、力の限りは彼らと戦うことになる。男の発言が本当だったとしても、自分はやはりクーランを活動体化させ、その場合はこの男一人と、ひとまずは戦うことになる。

 また、言うまでもないが後者を選んだ場合、男の発言が嘘にせよ本当にせよ、ノアを連れた状態でこの男の射程から逃げ切り、何処にいるかも分からないハレを回収し、オラシオンを脱出することは九割九分不可能だ。少なくともどこかのタイミングでは自分たちは見つかり、或いは拘束され、その時点を以て自分は彼らとの戦いに身を投ぜざるを得なくなる。つまり、どれを選んだとしても自分たちには、戦闘を避けてここを出ることは出来ないのだ。

 その一方で、シンには彼らの口から引っ張り出しておきたい情報があった。こちらの存在に気付かれることなく、彼らの会話の中からそれを聞き出せるのが理想的な形ではあったが、今やそれは出来なくなってしまった。万に一つ、無傷で逃げ切れる可能性に賭けてここを立ち去り、そのまま手ぶらで帰るよりは、男の前に姿を現し、彼らと直接対話するチャンスを得るほうが有意義であり、尚且つ現実的でもある。そう考えたシンは意を決し、ノアにはここを動かないようにと手の動きだけで伝えると、物陰から立ち上がり、男の前へと躍り出た。

「……気付かれていたというわけか」

「僕には優秀なしもべが居てね。遥か上空から二十四時間体制で、僕の周りを監視している。……もう一人いるだろ? 出てきなよ」

 小手先の誤魔化しは無用だと判断したシンは、諦めてノアへと目配せをした。ノアは無言で立ち上がると、シンの隣までやってきて、ローブの男へと身体を向けた。

 フードの先端を摘まみ上げてこちらを覗き込みながら、「誰かと思えば件の巫女様か。狙われていると分かっていて、のこのこ自分からやってくるとは。案外呑気なもんなんだね」と男は言った。姿を隠す必要がないと判断してか、そのままフードを外しながら、男はシンに向かって尋ねる。「で……、お前は誰だ?」

 ペールラベンダーのおかっぱ頭と、濃紺の瞳を男はしていた。アビスシルクを探し求め、リヴィールを目指してドボロと共にファンテーヌを旅立ったハレたちを襲った、夜明けの月光の一員、モナトだ。その見た目の特徴などについて、ハレたちから受けた報告をシンは覚えていた。

 「シンさん、この方は」とノアが言いかけると、「分かっている。モナトだな」とシンは言った。意表を突かれたように目を丸くするモナトを尻目に、シンは続けた。

「答える義理はない、と言いたいところだが、一方的に知っているのも気持ちが悪い。とはいえ正直に言って、俺の存在はお前たちからしたら、『名乗るほどの者ではない』というのが本当のところだ。お前たちが本当に気にしなくちゃいけないのは、ハレやノアのほうだよ。俺は裏方だ。保護者と言ってもいい。級友に親の名前を尋ねる趣味があるというのなら、一応覚えておくといい。……――シンだ」

 「シン。面倒な言い回しが好きということは分かった」とモナトは頷いて微笑んだ。「職業柄な」とシンは皮肉めいた笑みで答える。

「単刀直入に聞くけど、何の目的があってここに来た? ことと次第によっては……、ま、ことと次第なんて関係ないか。そっちも覚悟の上のようだ。……遠慮は要らないね」

 そう言いながら、モナトは両の掌を、前に差し出すようにして天へと向けて広げて見せた。

「そのつもりだ。……ノア、俺の背中を離れるなよ」

 モナトから目を離すことはなく、シンは腰から提げた柳葉刀(りゅうようとう)の柄へと右手を、クーランのドルミールへと左手を添える。二人の声と共に、迸(ほとばし)らんばかりの浅緑の光が、一帯の天と地を激しく焚いた。

「風霊(ふうれい)、招来!」

「〝共鳴(チェイン)〟!」


 通りの地面と、家屋の煙突の上にそれぞれ立ったハレとトーマは、暫し黙して互いに睨み合った。その沈黙は、かつての二人の間にあったものとは、まったくの別物となってしまっていた。

 何も言わなくても、目を見ればトーマの考えていることは分かる――かつて、ハレにはそんな風に考えていたことすらあった。そしてトーマにも、自分の考えは手に取るように分かっているのだろう、と。然し今は違う。冷酷なまでのトーマの視線からは、ハレは何を感じ取ることも出来なくなっていた。そしてその眼差しは、非常に純度の高い苦痛となって、ハレの胸を刺すように襲った。何もかもが変わってしまった、とハレは思う。

 通りの南側から、ぼんやりとした浅緑の光が届くと、二人は共にそちらへと顔を向けた。「お前のお仲間か?」とトーマが問うと、「てめーにゃ関係ねーだろ」とハレは啖呵を切った。実際のところ、それがシンのフォルスによる光かどうか、ハレには断定は出来なかった(シンが風のフォルスを扱うこと自体は、ここまでの道中に於ける魔物との戦闘などで見てハレは知っている)。

「関係ないとは随分な言い草だな。他人様(ひとさま)の組織の一拠点に、勝手に忍び込んでおいて」

 トーマの言葉に、ハレは思わず表情を顰めて、「うぐ……」と声を漏らす。

 何処か嘲笑的な笑みを浮かべると、「ちなみに」とトーマは続けた。「一応教えておくが、この辺りの標高は凡そ二六〇〇メートル。猫は生息していない。それから、今後もその方法で窮地を切り抜けていくつもりなら、猫の鳴き方というものをもう少し研究したほうがいい。相当無理があったぞ」

 「う、うるせー!」とハレは頬を赤くしながら、吠えるように言った。「そんなことより、トーマ! お前、本当に奴らの仲間になっちまったのかよ! その爪のことを話してくれた時、お前言ったよな! 始めは俺を利用するつもりだったけど、今では友達だと思ってるって! 同じネルビアンコとして、自分もアーロンを止めたいって! それもこれも、全部嘘だったて言うのかよ! それに、カレントはどう思ってんだよ! お前がそんなんなっちまって、悲しんでるんじゃねーのかよ!」

 トーマは押し黙って、眼鏡越しに澄む勿忘草色(わすれなぐさいろ)の瞳でハレを見つめた。その視線に込められているのは、憐れみ、或いは侮蔑とも取れる何かだった。それが何なのかを考えるのは今ではない、とハレは思う。その答えを求めようとするならば、導き出した答えを受け入れる為の覚悟と時間が、ハレには必要だったからである。その二つはいずれも、今ハレの手元にはない。

 一つ溜め息を吹き出すと、トーマは煙突の上から跳び、ハレの正面へと着地した。そのままハレへと向かって歩き出しながら、トーマは言った。

「それこそ、お前には関係のないことだろう。それが嘘でも本当でも、俺は今こうしてこちら側にいる。お前の対岸に立っている。それだけが、唯一にして無二の事実だ。ハレ、人は変わるのさ。お前みたいに、誰もがまっすぐに生きられるわけじゃない。カレントがどう考えているのかは……、直接本人に聞くといい」

 「ああ」水中で聞くようなくぐもった声に、ハレは後方を振り返る。トーマと同じくハレへと歩み寄ってくる、一体のアーツの姿がそこにはあった。二メートルほどの高さを持つ体躯は、その全体が水棲生物を想起させる、紺と白のぬるりとした光沢のある皮膚に覆われている。トーマが使役する水のアーツ、カレントだ。

「俺の心は使役者と――トーマと共にある。例え誰かを傷つけようが、世間を敵に回そうが、使役者の力であり続けるのがアーツの務めであり、俺の願いだ。そこに悲しみはない」

 ハレの前後二メートルほどの位置で、二人はピタリと足を止めた。二人から発せられる威圧感に、思わず腰を屈めて構えながらハレは声を漏らす。「カレントまで……」

 ハレの腰に携えられたバロンのドルミールが、またしても勝手に活動体化したかと思えば、バロンはカレントの瞳を見つめて、「カレント、モう、仲間じゃナいの……」と寂し気な声で言った。

 「すまない、バロン。同じアーツ同士、お前と敵対したくはなかったが……」カレントの言葉に、バロンは答えなかった。

 「それで、お前はなんだ?」トーマは改めてハレへと問う。「何をしにこんなところに来た? ここがどういう場所だか、お前は理解しているのか?」

「知るかよ! お前ら夜明けの月光がいるかも知れねえってんで、調べに来たんだ。お前たちの計画とか、少しでも分かればと思ってよ」

 「そうか」とトーマ。「で、夜明けの月光がいることは分かった。残念ながら情報を得る前に、お前は俺に見つかってしまった。それからどうする? バロンの力で穴でも掘って、ここから逃げ出すかそれとも――」

 一拍を開けると、無にした表情でハレを見つめながら、トーマは続きを引き取った。

「いまここで、このまま俺に殺されるか」

 息が詰まりそうになるのを、ハレは必死で堪えた。聞き間違いであることを願おうとして、ハレはやめた。そこには最早何の意味もない。受け入れる為の覚悟と時間があろうとなかろうと、現実は無慈悲に牙を剥いてくるものなのだ。悲しみと怒りが入り混じった感情に駆られ、俯いて瞼を閉じ、ぎり、と奥歯を噛み締めながら、ハレは考えた。

 何の為に、自分はトーマに会いたかったのか。自分は確かめたかったのだ。彼が本当に変わってしまったのかどうか。そしてたった今、それを確かめることは叶った。

「トーマよォ、冗談で言ってるんじゃねえよな。そんなつまんねー冗談、お前は言わねえよな」

 彼は、変わってしまった。自分の知っているトーマはもういない。ならば彼のことを諦めるのか。そうではない。

「俺はバカだよ。お前の変化にも気付けなかった。だけど、お前たちが陰でコソコソ生きなきゃならねーような世界は、あっちゃいけねェと本気で思ってる。本気で、この世界を変えたいと思ってる。でもよ、きっと世界を変えるなんて大それたこと、俺一人だけじゃ出来やしねえ。だから、頼む」

 緑青色の瞳で、ハレはトーマの目を見つめる。吟味するように細めた目で、トーマはその視線に応えた。

「もう一度、俺を信じてくれ。俺の隣に戻ってきて、俺に力を貸してくれ。俺とお前二人ならきっと出来るって、俺は信じてるんだよ!」

 僅かな沈黙があった。その間に、ハレは覚悟を決めざるを得なかった。それがきっと、ハレに与えられた最後の時間だったからだ。祈るようにトーマを見つめつつ、ハレはその心の内で、決めたくはない覚悟と向き合った。

 沈黙を破って、「嫌だと言ったら?」とトーマは細めたままの目で、そして冷めた語調で問うた。

 嫌だと言ったら――。それは問いであると同時に、「嫌だ」という意味の意思表示でもあった。諦めと共に溜め息を一つ吹き出すと、ハレは両の手で、首から下げたゴーグルのアイカップを手に取り、それを額にかけ直した。次いで双剣(そうけん)の柄を握り、抜き取り、バロンと共にそこに構えの姿勢を取ると、ハレは言った。

「――力尽くでも連れ帰って、その霞んだ目ェ覚まさせてやる」

 静かな風が、二人の間を吹き抜けた。通りの南側からは、シンが何者かと対峙しているのであろう剣戟(けんげき)と轟音が、ハレたちの元にも届いている。

 「力尽く?」トーマは呆れたように尋ね返す。「随分と大きく出たものだな。組み手で俺に勝ったこともない奴が」

 白いローブの懐から、トーマは一冊の本を取り出す。ハレに向かってその本を挑発的に掲げながら、トーマは嘲るように言った。「試してみるか? 力尽くで連れて帰れるかどうか」

「望むところだ。……バロン!」

 ハレの声に、「バロン、ハレまもル……!」とバロンは力強く答える。

 「カレント!」とトーマが呼ぶと、「ああ!」とカレントは答えながら跳躍し、ハレたちの上空を通過してトーマの隣へと並んだ。ハレとトーマ、バロン、カレントの四人は、向かい合って立ち、その信念を込めた眼差しで互いに見つめ合いながら、それぞれの思いの丈をぶつけるように、強く吠えた。

「〝共鳴(チェイン)〟!!」

 両者の中心から湧き上がるように、煙のような光が立ち込める。光が身体を覆うよりも先に動きを見せたトーマに応じるべく、ハレとバロンは正面へと駆け出した。

 バックステップで即座に距離を取ったトーマは、下級の共鳴術技の詠唱(えいしょう)を開始する。「行かせるか!!」トーマを守らんとするカレントの拳が、バロンの拳と光を爆裂させながら激しく打ち合った。

「〝翔(か)けよ! 星を撃ち抜く碧(あお)き弾丸――〟」

 バロンとカレントを跳び越えて突っ込んでくるハレに対し、トーマは掌を向け、そこに出現させた魔法陣から、光り輝く水の弾を連射した。縦に振るった剣から放つ渾身の共鳴術技で、ハレはこれに応じた。

「〝コバルト・バレット!〟」

「〝土破突天(どはとつてん)!〟」

 空中で穿(うが)ち合ったフォルスとフォルスが、猛烈な発光と共に爆風を巻き起こす。ハレは後方へと吹き飛ばされながらも、なんとか両足で着地した。輝きに目が眩(くら)まぬよう、トーマは目元を腕で覆い隠している。バロンとカレントもが一旦は距離を取ったことにより、両者の間には束の間の静けさが漂った。

 爆風と土煙が治まると、先に地面から湧き上がった煙のような光はその色を二分し、それぞれが使役者とアーツに吸い寄せられるようにして、ハレとバロン、そしてトーマとカレントの身体へと収束した。ハレとバロンは山吹色(やまぶきいろ)の光を、トーマとカレントは水色の光をその身に纏わせながら、両者は互いに向かって走り出し、二組の戦いは再開された。四者四様(よんしゃよんよう)、祈りのような光のかけらを、その瞳には宿しながら。

「手加減しねェぞ、トーマァ!!」

「受けて立ってやる、ハレ!!」

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