51
「事情は分かった。その上で聞くが、ハレ」ハレの瞳をまっすぐに見つめて、シンは問う。「お前はこれから、どうするつもりなんだ?」
バーンズとは違い、トーマを失ったハレの辛苦を労うような言葉を、シンはかけたりはしなかった。然し、彼の言葉の節々には、ハレへの気遣いを含んだ表現を少なからず垣間見ることが出来た。シンらしい気の遣い方だとハレは思った。
「トーマは絶対に連れ戻す」とハレ。「それにアーロンもだ。その為にも、まずはエンデラの森に行く。眠ってるプリマギアを目覚めさせて、ノアを助ける。すべてはそれからだ」
ハレからの回答を得たシンは、暫し慮る様子を見せた。情報の整理が、彼の中では行われているらしかった。それもそのはずである。当事者であるハレからしても、『すべて』と表現するほかにはないほどに、事態は複雑化しているのだ。それに加えてシンにはシンで、ハレたちと(今のところは)無関係ではあるものの、物事の全容を把握する上で考慮に含めなければならないことが幾つもあった。それは時間的な問題であったり、技術的な問題であったり、位置関係的な問題であったりするほか、組織的な問題でもあり、個人的な問題でもあった。
自分の頭の中でどのように情報が整理されているのかを、他人に説明することはシンには難しかった。例えるならそれは、この宇宙とは根本的に仕組みの異なるもう一つの宇宙について、何も知らない人物に解説をするようなものである。そんな機会からは出来得る限り距離を取っておきたいものだと、シンは考える。
自分の内側に於いてのみ、この宇宙の秩序を保つことで現状シンは手一杯だった。言い換えるとすればそれは、『自分の内側にあることこそが、この宇宙の秩序を保っている』ということにもなる。外側に情報が漏れることは、同時に秩序の崩壊をも意味していた。然し、いずれはこの宇宙の全容を、誰かに話さなければならない時が来ることをも、シンは何処かに予感はしていた。その時までに、事態をある程度にまで収束し、状況をある程度にまで整頓し、外側に出しても秩序の崩壊を招かないくらいのものにしておく必要が、シンにはあった。そしてシンはこうも予感する。自分が最初にその話をすることになる人物は、きっとリリなのだ、と。
三十秒ほどで情報の整理を終わらせたらしいシンは、改めてハレとバロン、そしてノアの三人へと視線を渡しながら、「分かった」と答えた。「バーンズからの手紙を見て、どうなることかと思っていたが、三人とも思っていたよりも元気そうで安心した」
「これでも落ち込んでたんだぜ」とハレが言うと、「ハレ、泣いテた」とバロンはいつもの棒読みみたいな口調で言った。「そうなのか?」シンは少し笑いながら問う。
「ばっかバロン! そういうことは言わなくていいんだよ!」
恥ずかしそうに声を荒げるハレに対し、「ごメん」と謝った後で、バロンは尋ねた。
「ばっか、ドういウ意味」
あまりにも純粋無垢な語調で訊いてくるバロンに対し、そのままの意味を伝えることはハレには躊躇われた。「うーん、うーん」と首を捻りながら暫く唸ってから、笑顔を浮かべてハレは答えた。
「可愛いおっちょこちょいめ、ってことだよ」
ハレの言葉に、バロンは心なしか嬉しそうな表情で頷いた。先だってのハレの台詞に、今しがた学んだ意味を当て嵌める要領で、バロンは復唱する。「可愛い、オっちょコちょイめ、バロン」
この日の昼前にファンテーヌへと戻ったハレたちは、久方ぶりに訪れたシンの部屋で諸事の報告を行っていた。部屋の中は以前に訪れた時よりも、若干散らかっている様子だった。忙しそうに迎え入れられたかと思えば、ハレたちはテーブルに備え付けのベンチに通されて、そのままそこで一時間弱を待たされた。テーブルの上には見覚えのあるアシリアの世界地図が広げられていた。ハレたちが初めてここを訪れた時に見たものと同じもののようだった。暫く待っていると、シンの相棒である、鳥類を思わせる風貌を持つ風のアーツのクーランが、コップに汲んだ水を申し訳なさそうに運んできた。同じ室内で作業用の机に向かっていたシンは、ハレたちを待たせる一時間弱の間、常にぶつぶつと何かを呟きながら、恐ろしい速度でノートにペンを走らせていた。
「すまない。待たせたな」
シンの作業が片付いたところでハレたちからの報告が始まり、そこから十分ほどで、冒頭のシンの問いへと繋がった。以降に続くハレたちの話が一通り終わったところで、「では、こちらからも報告をしよう」とシンは改めて切り出した。次いで彼の口から飛び出した朗報に、ハレの心臓は高鳴った。
「――エンデラの森の場所を特定した」
「本当かよ!?」とハレは椅子を立ち上がりながら声を荒げる。「ああ」とシンは答えると続けた。「第五フォルスが観測されたフォルススポットと、そこに通じるフォルスの流れを辿り、位置関係から予測を立てて追跡したところ、未開拓地の広がるパラム大陸西側の或る地点に、不可思議な森を発見した」
「……不可思議、というと」とノア。頷いてからシンは答える。
「地質学や生態学の観点から考えて、森が成り立っていること自体が凡そ有り得ない。専門分野の教授にも確認して、意見をもらったので間違いはないと思う」
作業机の上から、シンは一本の鉛筆を取り上げる。テーブルに広げた世界地図上の、パラム大陸の或る一部を、軽い筆圧で繰り返し丸く囲みながらシンは尋ねた。
「パラム大陸の西側に、グィオン荒野と呼ばれる広大な荒れ地が広がる地域があるのは知っているか?」
ハレとノアは首を横に振るう。更に頷いてシンは続ける。「川の流れもなく、植物が育たないので人が寄り付くこともない、正真正銘の不毛の地だ。獲物となる動植物がないために、魔物すら生息していない。何もない荒野。何もない荒野の筈だった。俺がこの森を発見するまでは」
言いながら、シンは今度は机の上から一枚の写真を拾い上げて、それをハレたちに見えるようにテーブルの上に置いた。「学院に二台しかないカメラを、無理を言って借りて撮ってきた」とシンは写真に注釈を添えるみたいに言った。
一見して、その写真が映すものが何なのか、ハレには判別がつかなかった。初め、芸術的なデザインの皿の上に、ブロッコリーでも乗せて撮ったのかとハレは思った。灰青を背景としたその写真の中心には、植物的な緑色をした球状の何かが、ぽつりと配置されていたのだ。しばらくその写真を見つめていると、それが荒野の真っただ中に突如として現れる〝不可思議な森〟を、上空から映したものだということがハレとノアには分かった。
「これが件の森でないとするのなら、本格的に手詰まりだ。ほかに目ぼしい森もないし、学院内での俺の立場も危うくなるだろうから、今まで通りに調べ物をすることも難しくなる。だが――」
二人は写真から顔を上げて、シンへと視線をやる。頼もしい笑みを浮かべる彼の姿が、そこにはあった。
「森の近くで計測を行ったところ、第五フォルスの反応は異常な高さの数値を示した。このことからも、こいつがエンデラの森ということでまず間違いはないだろう。そして伝承が本当なら、ここには――」
シンの言葉の続きを、ノアは引き取る形で言った。「……――プリマギアがいる」
そういうことだ、と言わんばかりに口角を上げて、シンはノアへと頷き返す。今一度、彼は真剣な表情を浮かべると、ハレの瞳をを見つめて続けた。
「もう一度確認するが、ハレ。ここに行くということは、お前たちと同じくプリマギアを目覚めさせんとする夜明けの月光と、お前は再び対峙するということだ。アーロン、モナト、ユニ、そしてトーマ。誰が出てくるかは分からないが、向こうもお遊びでやってるわけじゃない。総力戦という可能性も十分に考えられる。……それでも行くのか?」
「モチ!」とハレは例によって、右手の親指を突き立てて笑った。「男に二言はねえ。この世に悪がある限り、それを断ち切る正義もまたここにあり、ってな! それに俺たち、それなりに戦えるようにもなってきたんだぜ! なあバロン!」
右後ろに立つバロンを、ハレは仰ぎ見ながらそう言った。白い目をギョロリとハレに向けて、バロンはゆっくりと首を縦に振るった。「戦えルようニ、なッた」
ハレの回答に対し、十秒ほどの思案を巡らせた後で、「分かった」とシンは頷いた。「俺も行こう」
「おう!」とハレは答えてから、シンの言葉への違和感を覚える。頭の中でその言葉を、二、三度繰り返して初めて、ハレは違和感の正体に気が付いた。「ってマジかよ! シンが一緒に!?」
「――不満か?」とシンは何処か高飛車な口調で尋ね返す。「目的地に夜明けの月光がいることが分かっているのなら、俺も奴らとは直接話して確かめたいことがある。幾ら戦えるようになったと言っても、トーマが離脱した今、お前たちだけに行かせるのには不安もあるからな。自分で言うのもなんだが、俺とクーランはそれなり以上には戦えるぞ。足手まといにはならないはずだ。賭けてもいい」
シンの白衣の左肩を弱い力で殴りながら、「バカ言え!」とハレは満面の笑みで言った。シンの肩に腕を回しながら、ハレは続ける。
「今まで散々助けてもらっといて、俺がシンを疑う余地なんて何処にもねーだろっての! シンが来てくれるなら百人力だ。頼りにしてるぜ~、先生! うん? 教授って言うのか?」
首に絡みつくハレの腕を払い除けながら、「どっちでもない。ただの研究員だ」とシンは鬱陶しそうに返した。
「そうなの? ま、なんでもいいけどよ!」とハレ。「そうと決まれば善は急げだ! 今すぐにでも出発しようぜ! なんだかワクワクしてきやがった!」
一つの旅が終幕に向かっていくことへの高揚感が、ハレの中にはあった。いよいよ自分たちは、こんなところまで来てしまったのだ、というような。ここから先、きっともう本当に後戻りは出来ない。否、後戻りをするつもりなど、ハレには毛頭ないのだが。
然し、気合いを入れかけたハレの出鼻は、早々に挫かれることとなった。この数ヶ月間、シンが開発を進めてきたとある武装具の、シンによる解説によって。
「まあ待てハレ、俺にも準備ってものがある」
「なんだよ、先生。男たる者その身一つで旅立てるよう、いつ何時も心の準備をしておくべしって、冒険戦士ガイナも言ってただろ~?」
冒険戦士ガイナは、ハレが愛読する冒険小説の一つだった。主人公ガイナの男らしい名言の数々で、アシリア男児の心を掴んで離さないベストセラー小説だ。知らない者は少ない。シンも例外ではなかった。
「それは本の中の話だし、俺がするのは心以外の準備だよ。ついでに、俺は先生でもない。それにお前たちには、渡しておかなくちゃならないものもあるんだ」
そう言いながら、シンは戸棚の引き出しから、小さなトランクを取り出した。テーブルの上にトランクを置くと、そこにかけられた三桁の数字によるロックを、シンは慣れた手つきで解除した。ガチャリ、と音を立てトランクが開く。クッション材が保護するトランクの内部には、柔らかな金属光沢を放つ、銀色で腕輪大のリングが二つ、鎮座していた。
「これって?」とハレ。
シンがその一つを持ち上げると、リングの外周に沿ってその中心を、緑色をした一本のラインが走っていることがハレには分かった。ハレとノアは揃って興味深そうに、シンが持つリングへと視線を注ぐ。二人の後ろからはバロンもが、そのリングを不思議そうに見つめている。
「これは――」
今は故きシンの生まれ故郷、リ・ウェンは、国土自体は小さいながらも、高い技術力と戦闘能力を併せ持った国家だった。軍によるクーデターから発展した内乱によって自滅の道を辿ることにはなったものの、そこで研究されていた独自の技術の数々は、今もその価値を高く評価され続けている。そのうちの一つ、晩年のリ・ウェンで開発されていた『共鳴武装』の技術にシンが目を付け、その資料を持ち帰ったのはもう一年ほど前のこととなる。共鳴武装は未完の技術だった。
あくまでも元素機構の研究を中心とした生活の中で、夜明けの月光やエンデラの森についての情報収集、第五フォルスや反フォルス物質、〝第二共鳴〟の研究などと並行して、シンはこの一年間、共鳴武装の完成を目指した研究をも進めてきた。そして先日、ついにそれは叶った。失われるはずだった技術は、シンの手によって新しい命を吹き込まれることとなったのだ。転生を経てようやく日の目を見ることとなった、古くも新しいこの技術に、シンは新たな名前を付けた。この技術の名は――。
「――〝共鳴武装〟」




