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ルドニーク到着から二日間、ハレたちはこの鉱山の街で休養を取った。分厚い雲が空を覆ったお陰で、二日目は前日ほどの暑さにはならなかった。三日目の朝、ルドニークを発つハレたちを、ジャンヌは相棒である土のアーツのデルセンと共に街の出入り口まで見送ってくれた。
弟のデュランについて「あんまり可愛げのある奴じゃないから、気を悪くさせたら済まない」とジャンヌは言った。「一応、客人を向かわせることは伝書鳩で伝えておくよ。読むかどうかは分からないけど」
「デュランって人はどんだけ信用ないんだよ。ジャンヌさんの十倍くらいのヤンキーを想像しとけば平気か?」
ハレの問いに少し考えてから、「不良か不良でないかで言ったら、まあ不良だね」とジャンヌは答えた。「あたしの十倍かどうかは分からない。あたしは仕事も割に丁寧だし、人相だって悪かないだろ? それこそあいつの仕事っぷりは、良く言ったって獰猛な獣の縄張り争いみたいなモンだからね」
獰猛な獣の縄張り争いとはどういうものだろう、と考える一方で、ジャンヌの家を探して尋ね回っていた時、鉱山作業員が口にしていた言葉がハレの脳裏をよぎった。
『長の仕事っぷりったらないよ。作業始まりに、ざっくりと大まかな指示を出すだろ? 細かい説明があるのかと思ったら、もう次の現場に行っちまうんだ。狂暴な魔物が狩った獲物を食い散らかすみたいにさ。それで実際に現場を回してるからすごいんだけどね』
獰猛な獣が縄張り争いをする様と、狂暴な魔物が狩った獲物を食い散らかす様を、ハレは並べて頭上に思い浮かべてみる。どちらがより野蛮で近寄りがたいか、ハレには甲乙つけがたいものがあった。比較を諦めて苦い笑みをその頬に浮かべると、「へへへ」とハレは誤魔化すように笑った。
「何かおかしいかい?」ジャンヌは平気な顔で問う。「いや、何でもねえ」とハレ。「今日もジャンヌさんは良い人相だなと思ってよ」
ハレの皮肉を疑う素振りも見せずに、「そいつは良かった」とジャンヌは微笑んだ。作業員の多くは『あれでいて天然なところもあるから、鉱山長は憎めない』とも言っていた。自分も天然と言われることはあるが、彼女には敵わないとハレは思う。
「それじゃ、ジャンヌさん。またいずれ」
左手を上げてバーンズは言った。ジャンヌが頷く。「また来とくれよ。アンタたちならいつでも大歓迎さ」
「ありがとう」
各々が一言ずつの挨拶をジャンヌと交わすと、ハレたちはルドニークを出発した。先頭をバーンズが歩き、その後ろにハレ、バロン、ノア、トーマが並ぶ形となって、一行は灼熱のルドニ火山を下山し始めた。
学生ランダ風の白い衣服の下に、バーンズは黒のタンクトップを着用していた。下衣にはぴっちりとした黒いパンツと、同じく黒の革靴を履いている。腰のベルトには三十センチ大の赤黒い岩石のようなものを提げており、これが(バーンズの相棒であり火のアーツの)ヘルズのドルミールであることをハレたちは昨日、紹介してもらって知った。左手には黒の指無しグローブを付けているのに対して、バーンズは右手の指先から肘の辺りまでを、白い包帯で覆っていた。そして、ハレたちとバーンズが初めて会った時から現在まで、その右手は殆ど微動だにしていない。首や耳から提げられた、ネックレスやピアスなどのアクセサリーみたいにだ。然し、そこにアクセサリーのような華やかさはない。あるのはごつごつとした、職人らしい男の腕が一本のみだ。物々しい雰囲気を放つこの右腕が、ハレは気になって仕方がなかった。
「シンからも断片的な情報しか来ていないから、細かいことまではよく分かっていないんだが」とバーンズは喋り出しながら、首だけで後方のハレたちを振り返る。「結局のところ今現在、お前たちの目的は――」というところまで言いかけてバーンズの言葉は止まった。自身の右腕をまじまじと見つめる、ハレの視線に気付いたからだ。
「あ、ああ、ごめんごめん。つい気になってよ」とハレ。「構わないさ」バーンズは微笑みながら答えた後で「やっぱり気になるよな、この腕」と、左手で右腕を掴んでひょいと持ち上げながら言った。動かないとはいえ、自身の肉体の一部である右腕を、まるで棒切れでも拾うような手つきで扱うバーンズの仕草は、ハレの額に好ましくない種類の発汗を齎した。バーンズは続ける。
「俺の右腕が動かなくなったのは、約三年前――前回の旅が終わったあとのことだな」
一人で語るには余りに長いから、と言って、バーンズはヘルズのドルミールを目覚めさせた。
ルドニ火山を下り、再びのアレーナ砂漠を更に北上し、この日の野営地点を決め、夕食を食べ終わるまでの間、バーンズとヘルズはゆっくりとした口調で、四年前、自分たちの周りに巻き起こった事件の顛末を語った。シンやドボロ、ルチカの口から部分的に聞いてはいたものの、未だその全貌を知ることのなかったハレたちは、想像を絶することの大きさに、終始開いた口が塞がらなかった。「自分たちが平凡な日常を過ごしていた裏側で、そんなことが起こっていたなんて」とトーマはまるで感想文みたいに述べたが、それはハレも同じ気持ちだった。
「然しまあ、最後のヴェイグとの闘い、あれはちょっと無理をしすぎたよな。あそこまで腕を酷使することはなかった」とバーンズは笑って言った。食事を済ませた一行は、燃え残った焚火の赤い光を囲んで話をしていた。晴れ渡った砂漠の夜空は異様なまでに広い。ハレたちの背後にはバロンが建てた砂色の岩窟が聳えている。砂漠に入ってからハレたちは、夜毎バロンに岩窟を出現させてもらい、その中で夜を過ごしていた。柔らかい砂の上ではテントを張るのも一筋縄ではいかないし、砂漠での夜の冷え込みを防ぐのにも、薄いテントでは不十分だった為だ。
「気を抜けば殺されていてもおかしくない相手だった」とヘルズ。「お前の判断は、間違っちゃいなかったさ。腕が動かなくなったことを嘆くのは、時間が経過しての結果論ってだけだろ」
獣が唸るような低い声を、ヘルズはしていた。言ってくれるな、とでも言いたげな視線だけで、バーンズはそれに応える。
曰く、旅立ちの前に大火傷を負い、完治を待たずに酷使を重ねたバーンズの右腕には、麻痺の症状が残ってしまったのだという。今はまだ指先くらいなら動かすことが出来るが、完全に動かなくなる日も遠くはない、とバーンズは言った。前回の旅では大剣を武器として携行していたバーンズだったが、右腕が使えなくなってしまった現状、武器を持つことを彼は諦め、今では左腕や脚を使った肉弾戦を主体として、魔物との戦闘を行っていた(日中魔物と出くわした時も彼はそうしていた)。
「じゃ、バーンズさんの右腕は世界を守り抜いた男の勲章ってワケだ! イイなあ、そういうの! 俺もこの旅が終わる頃にゃ、一つくらいそういうもんを引っ提げていたいね!」
嬉々として言うハレに対し、「勲章じゃないし、良いことなんてないよ」とバーンズは優し気な語調で諭すように言った。「悪いことは言わないから、そんなことを考えるのはやめてくれ。片腕が使えないってのは想像以上に不便だ。俺はこの身体になってそれを痛感したよ」
両腕を組んで「うーん」と唸りながら、ハレは片腕の使えない生活を想像してみる。着替えなどの身支度に始まり、食事、運動、戦闘、入浴。旅の最中であればテントの設営だってある。しかも使えないのは利き腕である右腕だ。確かにそれはなかなかに不便かも知れない。引き気味な笑みを浮かべながら「そうだな。片腕はちょっときついわ」とハレは言った。
「珍しく物分かりが良い」とトーマが言うと、「俺はいつだって物分かり良いだろ」とハレは言葉を返した。数秒間黙して無表情にハレを見つめた後で、「そうだな」とトーマは頷いた。「膝小僧のカサブタくらいが、お前にはお似合いだよ」
目を見開いて顰め面になったハレが、「なんだとォ!?」と声を荒げると、「物分かりが良いんだろ? 他人の意見は真摯に受け止めるべきだ」とトーマは涼しい顔で言った。「うぐ……、ズルいぞトーマ」とハレ。「ふふ」とノアが微かに笑う。
「笑うな、ノア!」
「すみません、おかしくてつい」
バロンがハレの背中を、太い指先でちょんちょんとつついた。「ハれ」
「なんでェ! ボス!」
「ひザこぞう、ドういウ意味」
下唇を突き出して、細めた目でバロンを数秒見つめてから、「まずよ、膝があるだろ?」とハレは説明を開始した。「この膝っつーのが曲者でよ~」
「くせモの、どうイう意味」
「曲者ってのはまあ諸説あるけど、最近の研究ではクセー奴のことを指して言うってのが一般的だな」
「しょセつ、どういウ意味」
どうしたものか、とハレは頭を抱える。「うーん……。それは後で教えるから、一旦膝小僧に戻ろうぜ!」
「わカった」とバロンが答える。ハレは説明を再開する。
二人の会話を微笑ましそうに聞いていたノアだったが、何かを思い出したように突然バーンズへと視線を向けると、彼に質問を投げかけた。
「そういえば、バーンズさんはこの辺りのご出身なのですか? ルチカさんと同じコントゥリで暮らす村長さんと聞いていたので、てっきり肌の白い方だと思っていたのですが……」
バーンズの回答が気になったトーマもが、二人の会話に耳を傾けた。無論、バーンズの肌は通常、どちらかというと白に近い。黄味がかった薄橙、というのが適当な表現だ。ルチカやリリも含め、コントゥリのあるアンモス大陸の西側に暮らす人々はその多くが、バーンズと同じ色の肌を持っている(リ・ウェンの生まれであるシンは三人と比べると多少白い)。が、今現在のバーンズの顔や腕は、ルドニークの人々と並んでいても和感のない、褐色の肌をしていた。ルドニークで初対面を果たしたノアやトーマが、そのような勘違いをしてしまうのも無理はないほどにだ(勿論ハレはそんなことを気にしてはいない)。
「あ、ああ。これはな……」とバーンズは、新しく買った服に初めて腕を通したみたいに、自身の左手や左腕を改めて観察した。自分では気にならないが、言われてみれば確かにコントゥリにこんな肌を持つ人間はいない、という具合にだ。そんなバーンズの左隣で、ヘルズが鼻を鳴らして笑う。「バーンズのはただの日焼けだよ。正真正銘、こいつはコントゥリ生まれコントゥリ育ちだ。生まれた時から一緒にいる俺が言うんだから間違いない」
「ひ、日焼け……!?」とノアは驚きを露わにする。恥ずかしそうに頭の後ろを掻きながら、「まあ、そういうことだ」とバーンズは笑った。「わけあって、俺はこの一ヶ月弱の間、ルドニークに滞在してたんだ。まあなんだ。観光で数日くらいならいいが、長居する場所ではないな」
「な、なるほどです……」
丸くて大きな目を更に大きく見開きながら、ノアは感心するように繰り返し頷いた。
ノアの右手側では、未だハレがバロンへの説明に悪戦苦闘している。とはいえハレも楽しんでやっているのであろうことは、傍目に見ているノアにも分かった。砂の地面に木の枝で図を描きながら、ハレは今度は『個性』という言葉について解説をしている。膝小僧からどうしたらそこまで話が発展するのか、途中を聞き逃したノアには分からない。然し、その話の内容が何であれ、(ハレがノアに笑っていてほしいと思うのと同じように)ノアはこのごろは、ハレが笑っていてくれるだけで、そこに無類の安心感を抱いて止まなかった。そういえば、とノアは思う。
『ハれ、のアのこと好き』
砂漠に入って間もなく、バロンがそんなことを口走った日、ハレは凄まじい勢いの身振りと手振りで、それを誤魔化していた。熟れた林檎みたいに顔を真っ赤に染めながら、「友人として! 友人としてな!?」と彼は必死に繰り返していた。友人、という畏まった言葉をハレが使ったことが面白くて、その誤魔化しが何を意味しているのか、深く考えることをノアは忘れてしまっていた。とはいえ、それを思い出し、深く考える時間を与えられたとして、その答えはノアには分からなかった。
父はなく、母は死に、祖母と二人で暮らしてきたノアには、異性に対して抱く特別な好意という概念がそもそもない。男女間の恋愛というものが存在すること自体は本などで読み何となく理解してはいたが、自分が異性に対しての恋愛感情を抱くことになるなどと、ノアは寸分たりとも考えたことはなかったし、生粋のネガティブ思考の持ち主でもあったノアは、誰かが自分を好きになるというという発想に関しても同様に、夢見によぎったことすらなかった。然し、本人も気付かないほどの無意識化に於いて、それは確かに芽を吹いて、柔らかな蕾を付けてすらいた。
ハレが笑っている。小さな微笑みかも知れないし、トーマをからかう為の悪い笑みかも知れない。或いは、誰かとの掛け合いの中で生まれた大笑いだっていい。その話し相手が誰であろうと、幸せそうに笑うハレの顔を見れば、今やその笑みはノアの胸に、幸せな温かさを齎すようになっていた。
これはなんなのだろう。ノアは考える。然し答えは分からない。ハレが自分に対して抱いてくれているものと、同じものであるような気はする。であればこれが、『友人としての好意』というものなのだろうか。しばらくの間考えてみるが、やはり回答を得るには至らない。ノアは考えることをやめる。
焚火の炎が消えかけると、そろそろ寝ようかと誰かが言う。真っすぐな姿勢で寝袋に包まれて、瞼の裏の暗闇にノアは願う。夢の中でも、その微笑みを見られたら、と。




