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「ミドってのはどんな奴だったんだ?」
大通りのパン屋で購入したチュロスを齧りながら、ベンチにかけたハレはバロンへと問うた。空は少し曇っている。樹上から聞こえてくる小鳥のさえずりは、曇りの日にだけ聞こえてくる種類のものに、ハレには感じられた。
三年ぶりの目覚めとなったバロンは、久々に操るフォルスの感覚を思い出すように、先程から足元の地に手をついて、土の地面を隆起させたり、陥没させたりを繰り返している。ハレの質問に、立ち上がってこちらを振り返りながらバロンは答えた。
「ミド、優しクて、ツよい。でもチいさい。ハれに似てル。ズっと、一緒にイた」
「そんなに似てるのかよ」
ミドのことを知る人物が口を揃えてそう言うばかりか、シンとルチカに至っては本人と勘違いして驚くほどなのだから、ミドなる人物と自分は相当に似ていたに違いない、とハレは思う。「そこまで似てるなら、俺も会ってみたかったな。俺からしたら、遠縁とはいえ血の繋がった肉親に、初めて会えるかも知れない機会だったわけだしよ」
ハレの言葉に、バロンは斜め上空へと視線をやって、暫し黙った。バロンにしか見えない言葉の海がそこにはあって、彼はそこを自由に泳ぎ回りながら、他人から与えられた言葉の意味を探すのかも知れないとハレは何となく思った。まずいことを言ったのかも知れないとハレが気付いたのは、数秒の沈黙の後だった。
「ごめん、悲しくなること思い出させたか?」
バロンは今度はハレを向き直って、目を閉じて静かに首を振るった。
「悲しくナい。ミド、イるから」
ミド、いるから。この文脈に於ける『いる』は、恐らく『居る』と変換して間違いなさそうだ。ミドは居る。ハレは自分の言葉の海を見渡してみる。
三年前にミドは亡くなったとシンは言っていた。居るか居ないかで言えば、居ないということになる。こと人の生き死にという話題に於いて、シンが嘘を吐いているとは考えにくい。とすれば『居る』という言葉に考えられる意味は二つだ。自身の記憶や思い出の中、或いは心の中に存在するミドを指して、『ミドは居る』とバロンは言っている。もしくは、ミドが亡くなったということを、残念ながらバロンは理解することが出来ていない。
後者の可能性があるのなら早めに潰すべきだ。仮にも家族同然に過ごしてきたパートナーの死を、あとになって理解するのでは悲しすぎる。発言を躊躇う気持ちを振り払って、ハレは告げた。「バロン、ミドは死んだんだ。もう居ない。だから俺が来た」
すると、そんなことは分かっているとでも言いたげに、バロンはゆっくりと、然し強かに頷いた。「ミド、シんだ。でも、居ル」
「うーん」と唸った後で、「……うん。居るかも知れない」とハレは返した。
ハレの返事を聞き届けると、バロンはやはり表情一つ変えなかったが、無言で地面を上下させる作業に戻った。どうやら納得がいったということらしい。
少なくとも死を理解していないわけではなさそうだったので、ハレはそれ以上を追求することはやめておいた。前者の可能性もあるし、或いはバロンには、本当にミドの幽霊か何かが見えているのかも知れない。それこそ、シンやルチカが見たら跳び上がって驚くだろうとハレは思う。
丁度、ハレがチュロスを食べ終える頃になって「沼、できなイ」とバロンが言った。「沼?」とハレが尋ねると、ゆったりとした動作で頷いた後に、「わープ沼」とバロンは答えた。
「ワープ沼? ワープって、瞬間移動とかそういうワープのことか?」
バロンは黙った。多分、言葉の意味を理解出来ていない。そしてハレも『ワープ沼』が何を指しているのかは分からない。お互いに意味の分からない言葉を提示し合ってしまったのだ。黙るほか、ハレたちにはなかった。うーん、うーんと唸った後で、「シンに聞いてみよう」とハレは言った。バロンは頷いた。ベンチのある公園を後にして、ハレとバロンはシンの部屋へと向かった。
道中、ハレはバロンへと何気なく尋ねた。
「なあ、ミドとはどれくらい一緒にいたんだ? ずっと一緒だったって言ってたけど」
「セんねん、ト、少し」
千年と少し。そんなバカな話があるか、とハレは思う。少し考えてから、「それ、ジョーク?」とハレは尋ねる。「ちょっとだけ面白いぜ。でもぶっ飛びすぎだろ」
バロンは答えなかった。多分、言葉の意味を理解出来ていない。
この日の午前中から、ハレとバロンはこの公園でフォルスを操る特訓をしたり、お互いの話をしながら時間を過ごしていた。ハレが喫茶店のテラス席でバロンを目覚めさせてから二日が経った。二日前の出来事へと、ハレは記憶を遡る。或る意味で衝撃的な出会いであったとハレは思う。
「すまない……、すべて弁償する」
ツボに入ったハレの笑いは、暫くは止まらないのがその常だ。店のオーナーがやってきて、シンと弁済云々の話をしている間も、ハレはバロンが目覚めた時の光景を繰り返し思い出しては、その都度笑いを零していた(オーナーの厚意により、結果としてシンがテーブルや食器を弁償するということにはならなかった)。
「バロンって言ったよな? 最高だよ、お前は最高だ。これからよろしくな」
「バロン、サいこう。ミドも言っテた。ハれ、よロしく」
「おう! よろしく」ハレが右手を差し出すと、その意味が分からなかったのか、バロンは一瞬硬直した後で、鏡みたいに左手を差し出した。
「ちょっと違う。こっちだ」
左手でバロンの右手を引っ張って、ハレとバロンは右手同士で握手をした。「ああ、コれ」と、バロンは何かを理解した様子で握手を解くと、空になった右手をハレへと広げて見せた。ハイタッチのポーズだ。
「ミドはそうやってたってことか? イイね! ハイタッチ大好き!」
言いながら、ハレはバロンの右手に自身の右手を打ち合わせた。乾いた衝撃音が打ち上げられた矢のように、空の向こうまで突き抜けていく。「これからはこれが、俺たちの合図だ」ハレがそう言うと、ほんの少しだけ嬉しそうに、バロンが頬を綻ばせたようにハレには見えた。
粘土を思わせる柔らかな光沢を持った土の身体は、その全身がベージュで革製のローブに覆われている。三メートル弱の身長は、ドボロと同じくずんぐりむっくりとした体格をしているが、肥満体形のドボロとは異なり、どちらかというとがっしりとしており筋肉質だった。頭部は非常に大きく、背丈は三頭身ほど。顔のパーツはそのどれもが個性的で、協調性というものに欠けていた。主張の強い柄物の上衣に、主張の強い柄物の下衣を合わせてしまったみたいだとハレは思った。
前頭部には枯草色の頭髪が、前方に枝垂れるように生えている。側頭部からはドボロと同じような、先の尖った長い耳が斜め上に向かってついていた。大きな下顎は異常にしゃくれており、半開きの口からは並びの悪い歯が覗いている。鼻筋はなく、鼻の穴だけが顔面の凡そ中心に、小さく二つ並んでいた。丸く大きな二つの目は、そこに白い瞳をもっており、白目と瞳の境界線は見受けられない。一見して、彼の目はただの白い円だった。
接続詞や語彙に飢えた独特の喋り方も相まって、ハレは初め、バロンに対して少し不気味な印象を抱いた。然し、それは最初のうちだけだった。よく見れば愛嬌のある顔をしているし、常にボーっとしているところなんかはドボロによく似ている。喋り方に慣れるまでに少し時間はかかったが、慣れてしまえばその喋り方も、新鮮で面白いとハレには思えた。バロンが自分のことをバロンと呼ぶのが、ハレは気に入った。
バロンを目覚めさせたハレたちは、(シンとオーナーの示談が終わるのを待ってから)シンの部屋へと場所を移して、ハレたちがアビスシルクを入手して戻るまでに起こったことを、改めてお互いに報告することとなった。まずはハレたちのことを、とシンが言ったので、ハレたち三人はファンテーヌを旅立ってからの出来事を、ハレが中心となって順を追って説明した。
リヴィールでのルチカとラメールとの合流、クリスとの出会い、メーディウム珊瑚廊を通って辿り着いた商人ギルドの街・マドライン。ギルド本部でのヨークとの出会い、夜明けの月光の襲撃、戦闘、そして思わぬ形でのアーロンとの再会。アーロンの口から明らかになった、夜明けの月光の目的。
「まあ、なんだかんだでアーロンとも会えた。想像してた再会とはかけ離れた形だったけどよ。で、俺たちはアーロンとの激闘の末、盗まれたアビスシルクを見事奪還! マドラインを襲った夜明けの月光も一網打尽! これにて一件落着、ハレ一行の旅はまだまだ続く~~ってとこだな。あとなんかあったか?」
満足そうな笑みを浮かべるハレに対し、「奪還はしてない」とトーマは溜め息交じりに言った。「あれはアーロンの気まぐれでこちらに返ってきただけだ。夜明けの月光を一網打尽にも出来てない。奴ら、マドラインでの任務は全うしたから撤退する、というような空気だった」
「ちょっとくらい盛ったほうが、シンだって退屈せずに聞けるだろ?」
「報告には退屈するかどうかよりも、正確性を追求してくれ」
「まあまあトーマさん、細かいことはお気になさらず」
「……」
「……怖い顔すんなよ。怖くなるだろ?」
続けて、夜明けの月光やアーロンについて分かったことを、トーマが以下のように説明した。
ネルビアンコに生まれたアーロンは、夜明けの月光を統率してネルビアンコの国を作り、革命を起こそうとしている。現時点では明らかではないが、アーロン以外の夜明けの月光の構成員も、恐らくはネルビアンコの一族と思われる。また、現在までに於ける夜明けの月光の一連の行動は、あくまでも革命を起こす為の準備段階のようなものであり、彼らは革命を起こす為に、夜明けの月光のスポンサー的な存在である『或るお方』の力を借りるべく、現在は『或るお方』の手足として動いているようである。
トーマの解説を片耳に聞きながら、トーマもがネルビアンコであるということを、シンに伝えるべきかハレは迷った。然し、その必要があるのならばそれは、トーマ自身の口から直接シンへと語られるべきだし、少なくとも自分がああだこうだと言うようなことではない。そう判断したハレは、それを自ら発言することは控えた。結果的にこのやり取りの中で、トーマがそれを語ることはしなかった。
ハレの危惧するところは、トーマは本当に変なことを考えていやしないか、ということだった。ハレはトーマを疑いたいわけではない。然し彼の境遇を思えば、彼がアーロンについていきたいと考えるのは、何も不自然なことではない。そして、器用なトーマと不器用な自分のことだ。仮にトーマがそんなことを考えていたとして、彼はそれを顔や行動に漏らすようなことはしないだろうし、一方の自分はそれに気付くわけもない。だからハレには彼の変化について、必要以上に注意を払うことが求められたのだ。万が一ということがあれば、ハレは兄貴分として敬愛していたアーロンのみならず、無二の親友であるトーマにまで、剣を向けなければならない事態へと陥るのだから。
ハレたちからの報告が終わると、次いでシンがカオスライトについて、現在までに判明している事柄を語った。
宏大な砂漠に陸地面積の半分以上が覆われる、熱帯のクラスィア大陸。その地下深くを巡る、膨大なエネルギーの流れである『地脈』。クラスィアの大地の細部にまで張り巡らされた、この地脈の収束する場所こそが、カオスライトが生まれ、育まれる場所であるらしい。
前回初めてこの部屋を訪れた時と同じく、机の上にアシリアの世界地図を広げながら、シンは視覚的に分かりやすく、それを解説をしてくれた。
「アビスシルクの時と同様、ハレたちをサポートしてくれるガイドとなる人物を手配した。まずはクラスィア大陸に渡ってくれ。ルドニ火山の中腹に、鉱山で栄えるルドニークという街がある。そこでガイドの男と合流出来る手筈になっている」
細かい情報はまだこちらにも回ってきていないので、ルドニークに到着し次第、ガイドの人物から直接話を聞いてほしい。シンからの報告は、そんな言葉で結ばれた。
「ハレとバロンにはフォルスチェインが必要になる。ノアの体調もすぐには回復しないだろう。しばらくはファンテーヌに滞在するといい。この部屋に寝泊りしてもいいし、どこかに宿を取るなら代金はこちらで持つ。街の北側にバルド教の教会があって、フォルスチェインに施す精霊のまじないはそこで受けることが出来る。フォルスチェイン自体は、ブーラスク通りの宝飾店街辺りで見繕うのがいいだろう」
シンの言葉に「教会か」と、ハレは少し憂鬱そうに言った。「教会がどうかしたのか?」とシン。
「いやさ、俺たち、シスターたちに何も言わずに修道院を飛び出してきちまっただろ? それから連絡の一つも入れないで旅を続けてるから、みんなどうしてるかなって思ってよ」
「俺たちは死んだことにでもなってるかもな」とわざとらしい真顔でトーマが言うと、「やめてくれ。笑えねえよ」とハレは頬を引き攣らせながら返した。
掛けていたチェアから立ち上がりながら、「そのことなら心配ない」とシンは言った。戸棚の引き出しから一通の封筒を選んで取り出しながら、シンは続ける。「前回お前たちがファンテーヌを発った後、念の為アルバティクスの修道院に鳩を飛ばしておいた。シスターガーベラから、すごいスピードで返事が来たよ」
封筒の中から丁寧な手つきで、シンは二枚の便箋を抜き出した。そこに認められた文面へと静かな視線を落とすと、シンはその内容を掻い摘んで読み上げた。「心配しながら怒っていたけど、シンのところにいるのなら心配の必要はなくなった。二人には怒っていると伝えてほしい、だそうだ。読むか?」
ギョッとした目で、ハレはトーマに視線をやった。トーマは無言で首を振るった。伝言ゲームの要領で、ハレはシンへと首を振るう。「いや、やめとくわ」
「そうか。それがいいと思う」とシンは言った。
それから、自身のフォルスチェインについて、今現在身に着けているゴーグルを素材として使うことは出来るだろうかと、ハレはシンへと聞いた。いつか自分のアーツを持つ日が来たら、このゴーグルをフォルスチェインにしたいとハレは考えていたのだ。問題ないはずだとシンは答えた。勿論、そこにハレとバロンの名前を彫る必要は出てくるが、という注釈をして。
それから二日後の現在。
ハレたちは結局、シンの部屋の一部を借りてこの二日間を過ごしていた。ノアの体調は僅かずつではあるが快方へと向かっている。昨日、街の加工屋に預けたハレのゴーグルは、今日の夕方には『ハレ=バロン』のアシリア文字が彫られた状態で、加工屋から引き取りが出来る手筈になっていた。次なる旅立ちへの準備は、着々と進んでいる。
「ただいま」シンの部屋の扉を開きながらハレは言った。返事はない。いま、昼の二時だ。アパートの扉をくぐることの出来ないバロンは、階段の下でハレの戻りを待っている。
リビングへと入っていくと、作業机に向かったシンが、沈黙を貫いたまま素早く鉛筆を走らせていた。今朝、今日は学校が休みなので、基本的には家にいると彼は言っていた。家にいてもやることは勉強か、とハレは苦笑いを浮かべる。自分では考えられないことだ。
トーマとカレントは、どうやら出掛けているらしい。買い物か、或いは二人も何処かで特訓でもしているのかも知れない。
寝室では安らかな寝顔を浮かべたノアが、柔らかく開いた薄い唇の隙間から、か細い寝息を吐き出している。こんなにも微かで頼りない寝息を立てる生き物がいるものか、とハレは感心する。と同時に、ハレの心臓はまた、誰かの手の平にくいと包まれた。その手は細くてしなやかな指をしているとハレは思う。或いは、それはノアの手なのかも知れないとハレは考える。
背後から、疲れを孕んだシンの溜め息が聞こえるまで、ハレは黙してノアの寝顔に見惚れていた。一分ほどそうしていたと思うが、その間自分が何を考えていたのか、シンに話しかけられたハレには、もう思い出せなくなっていた。「早かったな。どうかしたのか?」とシンは言った。「あ、ああ。えーっと、なんだっけ?」とハレ。「俺に聞くなよ」とシンは困ったように笑みを浮かべた。
十秒間ほど唸ってから、ハレは聞きたかったことを思い出した。「ワープ沼? ってのが出来ないってバロンが言ってるんだけど、何のことだか分かるか?」自分でも何を言ってるのか分からない、という感じを醸しつつ、ハレは聞いた。
ピンと来たように目を見張った後で、睨むような視線を斜め下方の床に落とすと、「やはりそうか」とシンは言った。続けて、シンは次のように説明した。
「四年前の戦いで、俺たちの前に立ちはだかった男が従えていた、四人の支持者の話は覚えているか? そのうちの一人、ハウルは天才的な研究者だった。新型フォルスチェインの原型となった、アーツを意のままに操るグローブを造ったのもこの男だ。ハウルが生前開発していたのは件のグローブだけではない。通常の〝共鳴〟の何倍ものフォルスを使役し、更にフォルスが本来持つ属性の性質を変化させて顕現することを可能とする技術、〝第二共鳴〟。並びに〝第二共鳴〟を発動させる為の装飾品、謂わばセカンドフォルスチェインをも、ハウルは造り出していた」
〝第二共鳴〟についての詳しい情報を入手することが叶わないまま、自分たちは戦いを終えることになってしまったし、ハウルも亡くなってしまっている現状、その仕組みや効果の多くは謎に包まれたままではある、とした上で、シンは続けた。
「一つだけ、使役者本人の口から内容が明らかになっているのは、水のフォルスを氷に変化させていたリザという女の能力だ。そのほか、ヴェイグという男は火のフォルスをマグマのように変化させ、ハウルは風のフォルスを用いて、アーツの肉体を空気のように透明化させて戦っていた。恐らくはこれらが〝第二共鳴〟による性質の変化ではないだろうかと俺は考えている。同様に、ミドとバロンは土のフォルスを使い、地面を沼のように変化させた上で、その沼に入ることによって別の場所へとワープする、という芸当を使って見せていた。バロンがワープ沼と言っているのはこれのことだろう」
一拍の沈黙を、シンは設けた。話についてきているかを確認するように、その視線はハレの瞳へと向けられている。今のところ、ハレはなんとか理解することが出来ていた。ハレが頷くのを確認してから、シンは更に続ける。
「ワープ沼が〝第二共鳴〟の性質変化によるものなのかどうか、ということも、これまでは憶測の域を出なかった。然し、現状バロンがワープ沼を発動させることが出来なくなっているのならば、ほぼ間違いない。やはり、ということにはなるが、ワープ沼は〝第二共鳴〟によって齎されていた能力だったということだろう。同時に、〝第二共鳴〟の開発者であるハウルが亡くなっている以上、今後バロンはワープ沼を使うことは出来ない、ということになる」
意味のある一秒間の沈黙を挟んでから、「基本的にはな」とシンは告げた。
「そうか」とだけハレは残念そうに答えると、右手で口の辺りを覆い隠して、暫し黙考した。どんな言葉を選ぶのが最善か、ハレには考える必要があった。
自分とバロンは、フォルスの属性と波長が合致した正真正銘のパートナーだ。フォルスチェインが完成すれば、新型フォルスチェインを使用した疑似的な〝共鳴〟ではなく、本物の〝共鳴〟を発動させることが出来る。それ自体は単純に心強い。それはハレにとっても、明確で間違いのない事柄であった。然し――。
(本物の〝共鳴〟程度じゃ、夜明けの月光には敵わねえ。剣技や共鳴術を磨いたとしてもだ。いや、究極に磨き抜いたとしたら、可能性くらいはあるかも知れねえ。でも今の俺たちに、そんな時間はねえ。力が必要なんだ。ノアを、――みんなを守れる力が)
そして、それを叶えてくれるのはきっとシンなのだと、ハレは心の何処かで確信していた。意を決すると、(シンの話を聞きながらハレはソファへと座っていた)ハレは両膝に手をついて、シンへと向かって頭を下げた。
「シン、頼む。そのセカンドフォルスチェインとやら、シンの力でもう一度造ってくれ。シンが滅茶苦茶忙しいのは、何となく分かってる。忙しい中で俺たちの為に情報集めたりしてくれてるのにも、滅茶苦茶感謝してる。だからこんなこと、本当は頼んじゃいけねえんだけどさ」
顔を上げ、シンの黒い目をまっすぐに見つめると、ハレは続けた。「俺、強くなりてえんだ。ノアを守りたい。アーロンのことも、出来ることならどうにかして助けてやりてえ。でも、今の俺は悲しいくらいに無力だ。バロンと〝共鳴〟しても、多分アーロンや夜明けの月光にゃ敵わない。頼む、俺に力を貸してくれ」
簡潔で短くはあったものの、シンはそんなハレの言葉の中に、彼の成長を垣間見た。前回初めてこの街で出会い、ドボロを連れて行けという話をした時、「剣技を磨いて強くなるから、アーツの力は必要ない」とハレは言っていた。そんな彼が、今は自分の弱さと限界を認め、そして仲間を守るべく、更なる力を求めている。ハレの変化と、その力強い言葉に、シンは不本意ながらも心を打たれ、「ハレ」と言葉を漏らしていた。
静かに頷くと、然しシンは驚く様子などは見せなかった。取り乱すこともなく、作業机の引き出しから大ぶりのリングを取り出すと、シンはそれをハレが座るソファの前のローテーブルに、ことんと置いた。「いずれはそう言うと思っていた」とシンは言った。
「え、……マジで? そんなすぐ出てくる?」
先程までの真剣な表情から一転、間抜けに口をぽかんとさせて、ハレは尋ねた。「落ち着け、ハレ」とシン。「これはミドのセカンドフォルスチェインを基に造った、形だけの模造品だ。まだ何の効果も持っていない」
シンの言葉に、ハレは落胆と同時に安堵をも覚えてホッとした。そこまで準備が良いとしたら、ハレには最早、シンが本当に人間なのかどうか、ということを疑わなければならなくなってくる。
「お前の言うように、俺はいま滅茶苦茶に忙しい。正直、自分が何をやっているのか自分でもよく分かっていないような状態だ。〝第二共鳴〟の研究もいつかはしなければならないと思って、こうして形にだけはしてあるが、残念ながら今のところ、何も解明させられてはいない。というよりも、形を造った以外にはまだ手を付けられてすらいない。優先度的にもかなり低いものだったが、お前に頭まで下げられたのなら仕方ない」
机上のリングを右手の指で摘まみ上げると、それを手中へと握り込めて、シンは言った。「期日を約束は出来ないが、必ず完成させよう。今まで通りの戦い方が出来たほうが、バロンにとっても望ましいだろうしな。最善を尽くすよ」
シンの言葉はハレの胸に、並々ならぬ信頼を齎した。それがどれほど困難なことなのか、ハレには想像することさえ出来はしない。それでもシンならば、確実にそれを成し遂げてくれるだろう、とでも言うような。
「頼りにしてるぜ、シン」
この日のうちから、シンは早速〝第二共鳴〟並びにセカンドフォルスチェインの研究に着手した。あわよくばハレたちが旅立つまでに、セカンドフォルスチェインを託せたら――そう思って研究にとりかかったシンだったが、始めてからものの数時間で、それが不可能であることを確信した。とはいえ、研究は全く捗らなさそうなわけでもなかった。調べ尽くすのには情報量が多すぎたのだ。一方で時間は絶望的に不足している。
日付を跨いだところで集中の途切れたシンは、夜風を浴びるべくアパートの屋上へと上った。外はほんの僅かな霧雨に晒されていた。気温や湿度も相まって、自分が植物なら最も好むべき気候かも知れない、とシンは思う。いや、然し実際には、そんなことは植物になってみないことには、どうしようもなく分からない。そしてシンは植物になる術を持たない。これは正答のない問いだ。然し意味が全くないわけではない。正答のない問いは時として、集中力を回復させるのに有効な場合がある。
「疲れているのかもな」右隣に立つクーランへとシンは言った。低く嗄れた声でクーランが答える。「もう何ヶ月間も、三、四時間程度しか眠っていない。当たり前だろう」
「心配しているか?」
「心配しても聞かないから、心配するのはやめた」
「それがいい」皮肉めいた笑みを、シンは浮かべる。「今は立ち止まってはいけない時なんだ。ハレたちの為にも、俺たち自身の為にもな」
ふと、シンは何者かの足音が、この屋上に向かっていることに気が付いた。廊下から屋上へと続く階段を、その人物は一段ずつ、確かな足音と共に上ってきている。足取りは軽くもないし重くもない。正体を隠すつもりはないらしいし、敵意のようなものも感じられない。
階段のほうへと視線を向けて、そこに誰が現れるのかを考えながら、シンは思案を巡らせる。こんな夜更けにアパートの屋上を訪れる人間は、多分自分がここにいることを知っていて、自分に会う為にここを訪れる人間だけだろう。或いはその人物は、他人に聞かせることの出来ない秘密の話を、自分とするつもりなのかも知れない。シンの予想は当たっていた。屋上に姿を現して、シンの姿を見つけるなり、「シンさん」と彼は呼びかけた。
霧雨に濡れたブロンドの髪が、街灯の光を反射して艶めいている。眼鏡のブリッジを人差し指で押さえながら、彼は言った。
「お話しておきたいことがあります」




