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シンの解説は数十分に及んだ。
四年前の旅のことを、『アーツとの共存を願った自分たちと、人類とアーツの破滅を望んだ男との戦い』だったと、シンは言った。
男は特別に強力なアーツを連れていたほか、四人の支持者を従えていた。支持者もそれぞれアーツ使いであり、そのうちの一組こそが、シンの語りの中心となるミドという少年と、バロンというアーツだったという。
男への恩があったミドは、男の思想が間違っていることを心の何処かでは理解しながらも、(バロンを守る為にも)圧倒的な力を持つ男に従い続けるほかなく、迷いながらもバロンと共に、シンたちと何度か剣を交えることとなった。戦いの最中、ミドはシンたち(というよりもリリとドボロ)が持っていた『男へと対抗し得る可能性』に賭けることを決意。男へと反旗を翻し、シンたちに訪れた危機を救ってくれた。その代償として、ミドは命を落とし、バロンは使役者であったミドとの繋がりを絶たれた為、一度は消滅し、フォルスの流れへと還ることとなった。
生前、ミドは自らの生死云々ということよりも、自身の死後、バロンが新たな使役者と巡り合えずに眠り続けることや、新たな使役者と巡り合えたとしても、その人物とうまくやっていけるのかどうかということを、酷く心配していた。そしてその死に際、「バロンの生きる世界を救ってくれ」と、彼はシンたちに懇願したのだという。
ミドとバロンの出会いや、その半生、そしてミドの想いを聞き届けたシンたちが、(当初は敵対していた間柄とはいえ)彼の願いを成就させてやりたいと考えるのは至って自然的な発想であった。そしてシンたちは、幾つかのミドの願いのうち、その一つへの回答として、人類とアーツを滅ぼさんとする男との戦いに勝ち、人類とアーツが今までと同様に共存する、今の世界を勝ち取ることとなった。然し、ミドの願いは未だ、その全てが成就されたわけではない。
半年と少し前、王立学院が各地のフォルススポットに定期派遣する部隊が持ち帰ったドルミールの中に、たまたまバロンのそれを発見したシンは、事情を説明してバロンのドルミールを個人的に所有する許諾を得、今日までそれを大切に保管してきた。バロンの使役者足り得る人物が現れた時、その人物にバロンを目覚めさせてもらい、新たなパートナーとなってもらう為だ。そしてもう一つ、(ミドが危惧していたように)その人物がバロンと上手くやっていけそうにはないと判断した時には、バロンを目覚めさせることを諦める為だった。
「ハレの顔を見て、ルチカはどんな反応をしていた?」シンが問う。
リヴィールの市場で初めてルチカに会った時のことを、ハレは脳裏に思い浮かべる。「そういえば、やたらと驚いてたよ。まるでお化けでも見ちまったみたいな顔してさ。ああ、初めて会った時のシンと、丁度同じような具合によ」
ふ、と笑みを零すと「お化けか」とシンは言った。「そうだな。まさにその通りだ。俺もハレを初めて見た時、何かが化けて出てるのか、自分の頭がおかしくなったのかと疑ったよ。でもそのどちらでもなかった」
「一体どういう意味なんだよ?」とハレが聞くと「ハレ、お前の姿はな」とシンは言った。
「亡くなったミドにそっくりなんだ。そして、お前がこのファンテーヌに近付いてくるとその都度、バロンのドルミールは僅かだがフォルスを放出して反応している。前回お前たちと初めて会った時も、昨夜もだ。俺がお前たちの帰還を予測出来たのはそのお陰さ」
一拍を置くと、シンは続ける。「ハレ、お前こそが、俺たちの探し求めている人物――……ミドの後継者なんだ」
初めて会った時、ハレにバロンを託すべきか、シンは迷ったという。シンの印象として、前回も今も、ハレは決して悪い人間ではない。寧ろ、人の良し悪しを段階的に判断するような基準があるとしたら、シンから見たハレの人間性は、限りなく最上位に近いと言ってもいいくらいだった。然し、『バロンと上手くやっていけるか』という観点に於いては、前回当時は難しいと言えただろう。ハレはアーツ全般に対し、強いトラウマを抱いてしまっていたからだ。そういう意味では前回の時点で、ハレはバロンの使役者足り得る人物とは言えなかった。
バロンを目覚めさせる前のワンクッションとして、シンはハレにドボロを託すことを選んだ。慈愛の心に富んだドボロなら、ハレの心を開くことが出来るのではないかと考えたからだ。その結果、シンの予測は的中し、ドボロの努力の甲斐もあって、ハレはアビスシルクを入手して戻るまでの間に、アーツ嫌いを克服するに至った。満を持して、ハレはバロンの使役者足り得る人物になった、というわけだ。その為のカード(新型フォルスチェインの開発を終えていたことや、カオスライト入手の為にハレたちが一度はシンの下に戻ってくる必要があったこと)が、偶然にも手元に揃っていたことが、結果的には幸いしたとシンは言った。
アーツとしてのバロンを、シンは次のように語った。
「喋ることと走ることがあまり得意ではないが、パワーとスタミナならドボロに勝るとも劣らない土のアーツだ。そして何よりも、フォルスの属性、波長共にハレのものと合致している。新型フォルスチェインを用いて行う疑似的な〝共鳴〟ではなく、本物の〝共鳴〟が出来るようになるのはハレにとっても相当に心強いはずだし、トーマたちを含めたパーティ全体の戦力増強にも繋がるだろう」
す、と撫でるようにトランクに手を乗せると、「勿論、バロンを目覚めさせることを強要はしない」とシンは言った。「いや、そもそも強要する権利など俺にはない。俺たちにはミドやバロンへの恩があるが、お前にとっては見ず知らずの他人だ。ましてや、無理矢理連れて行かされたドボロを、折角仲良くなったのに今度は置いていけと言ってるんだ。虫のいい話をしているという自覚はある。ただ――」
言いながら、シンは立ち上がると、ハレへと向かって頭を垂れた。普段はどこか高圧的で独善的な振舞いのシンが取るには、それは幾分、不釣り合いな行動であった。
「お前の心がそれを許すのなら、是が非でも俺は頼みたい。お願いだ。バロンを目覚めさせてやってほしい」
シンの話を聞きながら、ハレの胸中ではいくつかの感情が絡まり合っていた。
自分自身のアーツと旅が出来るのは、シンの言うように単純に戦力として心強いばかりではなく、ハレの心に一種の喜びをも齎した。数週間前まではアーツへのトラウマを抱いていたハレだったが、ドボロやカレントとの関り合いの中で、今やその意識は、アーツ好きと言っても過言ではないほどのものへと変化を遂げていた。そんなハレにとって、今この時、改めて自分自身のアーツを目覚めさせることが出来るというのは願ってもいないことだった。
然し、新たなるアーツ――バロンとの出会いは、同時にドボロとの別れを意味していた。実際的な意味合いに於いては、ドボロは自分の本当のパートナーではない。然し、自身の意識の奥深くに根付いていた、今となっては忌むべきアーツへのトラウマを克服させてくれたという点に於いて、ドボロもまた、ハレにとって特別なアーツであることには違いなかった。特別すぎると言ってもいい。それほどまでに、ハレはこの短期間でドボロへの信頼を寄せていた。
とはいえ、ここでバロンを目覚めさせようが目覚めさせまいが、ドボロが他人のアーツである以上、ドボロとの別れはハレにとって、いつかは受け入れねばならない事柄でもあった。ハレが迷っているのは、単にその別れへの惜しさによるものだけではなく、「今このタイミングに於いてバロンを目覚めさせること」が、ドボロには「ドボロとの別れを自分が迷いなく受け入れられること」と取られるのではないか、ということでもあった。
ドボロへと、ハレは視線をやる。「ドボロは、それでいいのか?」
煩雑なやり取りを、ハレは望まなかった。だから簡単な言葉に留めた。ドボロもそれを理解してくれたようだった。ハレの視線に込められた意味を紐解くように、ドボロはキョトンとした表情になって、それを見つめ返した。一見して判別に難しい一文を、何度か読み返して理解するみたいにだ。数秒間そうした後で、横長の口を縫い合わせるようにぴったりと閉じると、ニンマリと口角を上げてドボロは笑った。
「オデも、バロンを目覚めさせてやってほしい。ハレならバロンとも仲良くなれると思うだ。それに、ハレとは二度と会えなくなるわけじゃない。また何度でも会えるって、オデは思ってるだよ。約束したこと、ちゃんと覚えててくれてるだか?」
スチルバティクスで交わした会話を、ハレは脳裏に思い浮かべる。半開きの口から零れる涎みたいに、それは無意識に声になっていた。「この旅が終わったら、みんなでドボロ号に乗せてもらう」
頭の中で二、三度それを反芻すると、納得がいった、というような表情になって、ハレはドボロへと微笑んで頷いた。「俺たち四人の約束だ」
柔らかな笑みを浮かべて、ノアが頷く。「ふん」とトーマは仕方なさげに鼻を鳴らした。二人に呼応するように、ドボロも頷く。「ンだ」
満足げな笑みを浮かべるドボロへと頷き返すと、今一度シンを向き直って、「開けてくれよ」とハレは言った。「ミドって奴のこたぁ正直分からねーが、俺もシンとドボロには助けられてる。二人が望むならそれを叶えたいし、俺自身のアーツなんて聞いたら、目覚めさせずにはいられねえだろ? こんな世界に生まれたからにゃ、寝かしたままなんて可哀想だしよ!」
首から提げたゴーグルのアイカップを両手で摘まみ上げると、ハレはそれを額へとかけた。ここ一番という時に、ハレが行う所作の一つだ。
「礼を言う、ハレ」とシンは返しながら、トランクの前面に備えられたダイヤルのロックを外した。トランクはロックが外れると、内側に備えられたバネか何かの機構によって、自動的に開く仕組みになっているらしい。気の抜けるような空気音を立てながら、テーブルに置かれたトランクはゆっくりと大口を開いた。
「これが、バロンのドルミールだ」
トランクの中には、黒いスポンジ状の緩衝材に包まれた、鈍色の楕円体が収められている。楕円体はその表面に、光沢のあるざらざらとした質感を持っており、見る者には雨上がりの泥土を想起させた。頭頂部、というべきか、その天辺からは枯草色の葉が数枚伸びているほか、側面からは骨の様に白い出っ張りが、左右に五つずつ並んでいる。
ハレがドルミールを視認すると、ハレの胸を叩く何者かの(精神的な)拳は、一層にその勢いを強めたようだった。否、今度はそこには何者かの意識のみならず、自分自身の能動的な胸の高鳴りもが加わっていることにハレには気が付いた。そして、何者かの声がハレの脳内に響き渡る。
(ミド……ニてる、けど……違ウ)
驚きに目を見張りながらも、ハレは条件反射的に、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
それが目の前のドルミールから聞こえてきており、且つ、恐らくは自分自身にしか聞こえていないのであろうことを、ハレは感覚的に理解する。ハレの目にはドルミールの姿は、淡く光り輝いているようにも、微かに振動しているようにさえ見えた。然し勿論、他の皆の目に映るドルミールは、先程から微動だにしていない。
「何か言ってるのか?」とシンが尋ねる。信じられないという表情でハレは頷く。「答えてやってくれ」とシン。再び頷くと、ハレは口を開いた。緊張で口内が酷く乾燥している。上手く声が出るか分からない。
「お、俺はハレ。……お前の新しいパートナーだよ」
(ハれ……、ワかった。バロン、はレまモる)
思わずシンへと視線を向けてから、シンには声が届いていないのだとハレは思い出す。「バロンはなんて?」とシンが問うと、「……俺のこと、守ってくれるって」とハレは答えた。
微笑みながら頷くと、シンはバロンのドルミールを手で指し示して言った。「フォルスの波長の合う人物に触れられることによって、ドルミールは目覚める。触ってやってくれ」
シンへと小さくと頷き返すと、恐る恐るゆっくりと、ハレはドルミールへと手を伸ばした。高まっていく心音が、自分の耳にまで届くような気がしてくる。あと一センチ。あと一ミリ。指先が自分でも分からないくらい微かに震えている。表面にハレの指が触れると、それを待ち望んでいたかのように、ドルミールは爆発的な山吹色の光と共に、肥大化を開始した。
「うわっ!」
眩しさに目を瞑ったハレの手は、不思議な種類の温かさに包まれた。ドルミールの目覚めによって齎される熱量なのか、アーツの体温によるものなのかということは、ハレには分からない。
ドルミールは肥大化に伴って、火にかけた薬缶が沸騰するような高音を上げてもいる。やがて、老朽化した家屋が上げるようなミシミシという音が聞こえたかと思えば、次いで高音に混じって「まずい」というシンの声が、ハレの耳に届いた。
まずい。驚きと混乱にはっきりとは回らない頭で、ハレはこの言葉の意味について考えてみる。ドルミールを目覚めさせる過程に於いて、通常は出てこなさそうな言葉ではある。それとも何か、自分はシンに頼まれてこのドルミールを目覚めさせたわけではあるが、何かしらの勝手を間違っていて、シンにとってまずいと言えるようなことをしでかしてしまったのだろうか。
そしてまた、木材の軋む音が鳴る。ミシミシ、メキメキ。音はどんどん大きくなっていく。ああ、こんな音を立てる建物が目の前にあるとするのなら、間もなく崩れ落ちるに違いないとハレは思う。やがて、耐え切れなくなった柱が折れる。バキバキと音を立てながら。
先程までの高音と光は止んでいる。自分の想像していた感じとは少しばかり違ったが、ドルミールの目覚めとはこういうものか、とハレは何となく納得しながら、閉じていた目を恐る恐る開ける。
「お、お客様……」
店内から飛び出してきたウェイターが、呆然とした様子でハレたちを呼んだ。ハレの手はバロンの巨大な両手に包まれている。
先程までハレたちが使っていたテーブルや食器を、粉々に粉砕してその上に立ったバロンは、特にどうとも思っていない、という表情でハレを見ていた。実際にはバロンは、ハレに対する深い興味を持ってその顔を見つめているのだが、表情というものが凡そ欠乏したバロンの顔色からは、それを読み取ることは難しい。
「はレ。ミドにそっクり」
ドボロを更に一回り大きくしたような巨体、鈍色の肌、枯れ草色の葉のような頭髪、茶色い革製のローブ、全面が白く大きな目。三年前と変わらない姿で、そしてドボロと同じく、どうやら消滅前の記憶を保持した状態で、バロンは還ってきてくれた。三年ぶりの再会の喜びを、シンはじっくりと時間をかけて噛み締めたかった。然し、残念ながら少なくとも、今はそんなことをしている場合ではない。伏し目がちな視線をウェイターへと向けると、申し訳のなさそうにシンは言った。
「すまない……、すべて弁償する」
数秒間の沈黙の後で、ハレの笑いが爆発した。




