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トーマやノア、そしてアーロンのような立場の者から見たこの世界について、ハレは考えてみる。
トーマやノアやアーロンのような立場の者とはつまり、『その出生により、人生に於けるあらゆる選択肢が必然的に絞られてしまう者』という意味だ。また同時に、『その出生により、極めて高い確率で、各々の意思とは無関係に差別や迫害の対象となることが運命づけられている者』という意味でもある(そもそも差別や迫害というものが、対象者の意思とは無関係に発生するということは言うまでもない)。もっと本質的で直接的な表現をするのであれば、『特殊な身体的特徴を生まれ持ったことにより、不自由で不名誉な人生を送らざるを得ない者』ということになる。
自身の身近に存在する、『特殊な身体的特徴を生まれ持った』三人の中でも、とりわけトーマのことについてを、この時ハレは考えていた。
トーマにはこの世界は、どのように見えているのだろう。
ハレ自身、『生まれて間もなく親に捨てられ、孤児院に拾われて育った』という点に於いては、人生に於けるあらゆる選択肢が必然的に絞られてしまう人間の一人でもある。しかしながら幸か不幸か、身体的特徴という点に於いては、ハレはハンデを背負わされることはなかった。ハレの身体はその外見については、(出生が分からない以上その詳細は不明だが)どこからどう見ても通常人種のそれだし、肉体的にも精神的にも、ハレは基本的には、常に極めて健康だ。そして自身の境遇について、不幸だとか、不運であったという風に感じずに済むような性格にも、ハレは恵まれた。寧ろ、孤児院に拾われてアーロンやトーマと知り合えたことは、自分にとって結果的に幸運だったとすら、ハレは思っているのだ。
ハレの目から見たこの世界は、多少の生きづらさや、時折襲い来る孤独感というようなものはあれど、基本的には明るく楽しい、選択の自由に満ち足りたものであった。またこれまでのハレは、自分の周りにいる人々(主にトーマやアーロンということになるが)についても、性格による多少の差異はあったとしても、概ね自分と同じように、この世界は見えているのだろうという認識を持っていた。否、意識してそう認識していたというよりかは、当然のようにそういうものだと、ハレは疑っていなかったのだ。
しかし、この旅路についてからというものの、ハレが凡そ常識として抱いていたその認識は、むなしく打ち砕かれる事態へと陥っていた。どうやらこの世界の実情は、自分の印象と比較すると幾ばくか、暗く、また醜い方向へと傾いているようなのだ。
とはいえ世界というものは、どこから見るかによってその姿を変える、多面性を孕んだ概念でもある。ここでいう世界とはあくまでも、ハレの主観によってハレが見る世界、或いは、ハレの主観によって、ハレが想像する上述の三人が見る世界、ということになる。
自分がトーマの立場だったら、とハレは考える。ハレはこういうことを考えることが、あまり得意ではない。少ない想像力を少しでも豊かにする為に、ハレは瞼を閉じた。目の前にある世界は、一時的に塞がる。
自分は生まれつき白い爪を持っている。物心つく頃か、その後になってかは分からないが、その爪の色を理由に、自分たちの種族が迫害の対象となっていることを知る。両親から知らされたかも知れないし、シスターから知らされたかも知れない(トーマが孤児院に入った年齢をハレは覚えていない)。どのような経緯があったにせよ、それを知る時の衝撃というのは、生半可なものではないだろう。自分なら怒鳴って反抗してしまうかも知れないとハレは思う。何に反抗すればいいのかは分からない。
以来、人前では爪を隠して過ごすようになる。それまではきっと、傍にいる何者かの配慮によって、爪は隠されてきたのだろう。青いグローブを、来る日も来る日も嵌める。初めのうちは少し手間取る。生活のリズムも微妙に崩れる。何かを持ち上げるとき、扉を開けるとき、食事を摂るとき。常にその手には何某かの違和感が纏わりつく。ただし、それを誰にも伝えてはいけない。「外せばいいのでは」と思わせてはいけない。そう聞かれたとき、トーマは何と答えるのだろう。今までに自分は、そのような配慮のない質問をしなかっただろうか。
半年もすればそれらの動作は、自分の身体に不思議に馴染んでくるだろう。朝起きて、顔を洗い、手袋を嵌める。まるで生まれた時から繰り返してきた日課みたいにだ。生活にも不自由がなくなってくる。不自由だったことを忘れてしまったとも言える。半年前の自分は何をあんなに手間取っていたのだろう、と思う。
トーマは毎朝、日が昇るよりも早く起きて、朝日を拝んで祈りを捧げる。彼はそこに何を祈るのだろう。生活の平穏だろうか。両親との再会だろうか。差別や迫害のない、新しい世界の実現かも知れない。自分なら祈っても祈り切れないほどに、それを祈るだろう。毎朝泣いて喚きながら、自分は嘆いてしまうかも知れない。
「どうしてこんなに惨めに生きなきゃならねーんだよ」
孤児院の一室から、朝日に向かって咆哮する自分の姿を、ハレは想像する。誰も、それに答えない。世界は何一つ変わらない。そして世界を変える為の力を、自分は持たない。この世界に於いて、白い爪を持つ自分には如何なる発言権も許されてはいないのだ。
友人との深い親交は持てない。もちろんそのような関係を、欲していないわけではない。意図して友好関係を築かないのは、共に過ごす時間が長くなればなるほどに、白い爪のことを隠し通すのが難しくなっていくからだ。孤児が集まる孤児院の中でも、とりわけ孤独な場所を自分は選ばなくてはならない。
日の当たる場所で、皆は楽しそうに遊んでいる。日陰をひっそりと這う雑草のような自分に、気を使って遊びに誘ってくれる者もいる。傷つけすぎないように、しかし次回からは誘われないように、自分はそれを断らなければならない。
「一人でいるのが好きなんだ。ごめん」
手元の本から視線を動かさずに答えるトーマの姿を、ハレは想像する。その胸を、一体どれだけの虚しさが駆っているのだろう。一体どれだけの孤独が、そこには募っているのだろう。トーマはその感情に、どのような名前を付けているのだろう。
寂しさ。つらさ。妬み。苦しみ。怒り。憎悪。怨恨。鬱憤。
それでもそのような嫌悪感が、はっきりとした形を取って目の前に立ちはだかるのは初めのうちだけだろう。いつからかそれは、空虚さ、無関心、そして完全なる無へと変わる。それが自分にとっての当たり前になって、そのうちに何も感じなくなるのだ。本を読むだけの日々が、意味もなくひたすらに繰り返す。
時折、自分のいる場所がどうしようもなく深く暗い、孤独の海の底であったことを思い出す。途端に息が苦しくなる。涙を流すこともあったかも知れない。或いは、彼なら取り乱すことなどなかったかも知れない。時間が解決してくれることを、トーマはこれまでの経験によって、嫌と言うほどに思い知らされているのだろうから。
心の中にぽっかりと空いた穴。それはどす黒く、底のない穴であるとハレは想像する。穴の中からは黒い霧もやが、そろりそろりと立ち込めている。こんなにも悍ましく、禍々しいものが他にあるだろうか。あるとすればそれは、深淵と呼ぶに相応しい。いや、この心に空いた底なしの穴――或いはこれこそが、深淵そのものなのかも知れない。
それが心に居座る間、この世界のあらゆる事柄への興味が失せる。食事、読書、清潔、考えを巡らせること、眠ること、起きていること。空っぽの心で、生きていく意味について考える。今なら死んでしまってもいいとすら思う。死んだところでそれを嘆く家族も友人も、自分にはいないのだから。差別と迫害が蔓延るこの世界で、自分は永遠に一人ぼっちなのだ。
しかしトーマは、それが一時的な気の迷いなのだと知っている。だからそれが過ぎ去るのをじっと待つ。意味を感じられなくても、味が分からなくなっても、少しだけは食事を摂る。自ら死を選ぶことはない。
実際には命を絶ってしまったほうがずっと楽なのだろうということも、トーマは当たり前のように知っている。しかし、白い爪を持った自分が、思い悩んだ末に自死を選んだとしたら、それはこの世界にとっての思う壺だ。それだけは避けなければならない。どれだけ苦しい日も、つらい夜も、歯を食いしばって耐える。それがこの狂った世界に対して自分が出来る、せめてもの抵抗なのだ。
意味のある日々と意味のない日々が、交互に繰り返される。将来のビジョンというようなものは、多分ないだろう。年齢だけが無意味に重なっていく。いつかはこの孤児院を出て、自立しなければならない時が来る。白い爪を持つ自分に出来る仕事が、この世界にはあるのだろうか。誰に聞けばいいのかも分からない。或いは、先読みの能力にも長けたトーマのことだ。シスターか誰かには、何かしらの相談をしていたのかも知れない。それによってトーマの不安が、少しでも和らいでいることをハレは願う。どんな未来も思い描けない人生というのは、生きていくには余りに希望がなさすぎる。しかし、誰かに何かを相談するトーマの姿というのは、残念ながらハレには上手く想像が出来なかった。彼はどんなことでも一人で抱え込み、一人で解決することの出来る能力を持っていたからだ。少なくともハレの目にはそういう風に、彼の姿は映っていた。
十歳か、十一歳頃のある日、自分以外のネルビアンコに出会う。同族と会うのは初めてだったかも知れないし、そうではなかったかも知れない。トーマの七つ上のアーロンだ。彼の存在は、トーマにとってどれだけ心強かったろうか。その邂逅は電撃のようだったかも知れない。暗い雲の隙間から差す、光のようだったかも知れない。しかし、ようやく現れた希望の光は、間もなくして再び、暗雲の向こう側に吸い込まれることとなる。彼は、ただの同族ではなかったのだ。この世界を変えようという意志を持った、無謀なる革命者だった。
「ネルビアンコの国を作って、通常人種に反旗を翻さないか」
激しい葛藤があったはずだと、ハレは推察する。今でこそ、(少なくとも三人の精霊術師が属している)夜明けの月光という組織を率いるアーロンの存在は、ノアを助けようと動く自分たちにとっては或る程度の脅威として、その目には映っている。その一方で、孤児院にいた頃のアーロンはといえば、少しばかり年齢が上というだけで、社会的な地位も能力も自分たちとそう変わらない、一人の孤児に過ぎなかった。そんなアーロンが、「世界を変える為に孤児院を出よう」と誘いをかけてくるのだ。その説得力は凡そ皆無に等しい。それでも、トーマは迷っただろうとハレは思う。
アーロンとの旅立ちの先に、トーマが見たのは恐らく死だ。アーロンと共に迎える、志半ばの死。悪意ある者の暴力によるものかも知れないし、魔物の襲撃によるものかも知れない。飢え死にという可能性だってある。いずれにしても、世界を変えることなどまるで出来ないまま、自分たちは死ぬだろうとトーマは考える。しかし、それもいいかも知れない、ともトーマは思う。そこに得られる死は、深い孤独に耐えかねた末に自ら選ぶ、意味のない死とは違う。この世界に抗った先にある、意味のある死だ。
自分たち二人が死んだ跡には、愚かでも穢れのない魂を宿していた、か細き二つの肉体が残る。血肉が滅んで消え失せても、白く美しい骨が残る。遥かなる未来、その骨すらも朽ち果てようとも、抗ったという事実は残る。そしてあわよくば、ということにはなるが、いつの日か何者かによって、それは発見され、憐れみを受けるかも知れない。ネルビアンコの青年二人が、何を思ってか旅をし、何を思ってか死んだということが、世界へと伝えられるかも知れない。世界はそれを嘲笑うかも知れないが、万に一つ、それが世界を変えるということもあるかも知れない。死人に口なしとは言ったものだが、人の死が何かを変えるということも、この世界では往々にして起こり得る。
そして何よりも、その道を選ぶことによるトーマにとっての最大の利得とは、人生最期の数週間か、数ヶ月間、或いは数年間を(そしてその死期を)、自身を同じ苦悩を抱える、同じ年頃の人物と共に過ごすことが出来るという点だった。
その一方で、それを選ぶことによる最大の不利益――デメリットは、反対の道(つまりアーロンとは行かずに、孤児院に残る選択肢ということになる)の先に、今は見えないが存在するかも知れない数多の可能性を、すべての意味に於いて捨て行くことになる、という点だ。可能性の一つとして挙げるのであれば、(何の根拠もない、あくまでも可能性だが)わざわざ命懸けの旅に出ずとも、安全な場所から世界を変える機会に恵まれる可能性、というものすらも、そこには含んで考えることが出来る。
すべての可能性を捨てて得る、意味のある死。或いは、日の当たらない牢獄のような世界で、微々たる可能性に賭けて生き長らえる日々。
何手先の未来までを、トーマが想定したかということまでは分からない。が、結果としてトーマは、二つある選択肢のうち、後者を選んだということになる。
すべてはハレの想像に過ぎない。アーロンの話を受けて、「嘘だろと思った」とすらトーマは言っていたのだから、初めからアーロンの話など真に受けず、冗談半分で断ったら、本当にアーロンが旅立ってしまったのだから驚いた、という可能性だって考えられる。然しトーマの性格からしても、人生を左右するレベルの重大な選択肢に、彼が深く考えることもせずに冗談半分で回答をするなどということは、ハレには信じられなかった。
その後、アーロンの行く末が気になったトーマは、アーロンと親しい間柄であったハレと接触し、ハレがアーロン探しの旅に出るように差し向けることとなる。一人で捜索の旅に出ることに不安を覚えたハレは、トーマにも一緒に行かないかと提案をする。旅の準備を進める中で親交を深め、ハレとトーマはお互いを、(トーマの言葉を額面通りに受け取るのであれば)無二の親友として認めるようになる。
トーマは自分に対して、馬鹿だから爪のことを隠しやすくて助かる、とでも思っていただろうか、とハレは考える(実際にハレはこの件の発覚まで、トーマのグローブについて不審に思ったりすることなどは微塵にもなかった。トーマには青がよく似合う、などと呑気に考えていたくらいだ)。仮にそう思われていたとしても、それに対しての嫌悪感や屈辱というようなものを、自分は感じることはないとハレは思う。寧ろ、そうであった可能性のほうをハレは願った。つまり、『ハレが馬鹿で助かる』とハレはトーマに思っていてほしかった、ということになる。何の役にも立たない自分の頭の悪さが、僅かでもトーマの救いになっていたのだとしたら、それは自分にとっての本望だ、と。
ロロキア旧水脈でのトーマとの会話を、ハレは脳裏に思い浮かべる。黒き爪の者についての説明を、初めてトーマから受けたときのことだ。黒き爪の者への差別や迫害、そしてノアを連れていくことについて、トーマ自身はどう思っているのか、とハレが尋ねた時、トーマは一度はその返答を濁した。その姿はあまりにも印象的だった。印象的過ぎたといってもいい。だから今日までずっと、その映像はハレの瞼の内側に、克明に焼き付いたまま消えることはなかった。
『ハレ、お前の言いたいことは分かってる。ただ……、今すぐにそれに答えることは出来ない。だからお前の答えに、今は相乗りさせてくれ。……頼む』
本質的な言葉に変えて質問をし直すと、トーマはそう言って、あからさまに視線を逸らした。あの時、彼の胸中にはどんな葛藤があったのだろうか。もっと早くにトーマが話してくれていれば、と考える一方で、何もあんな聞き方をしなくてもよかったと、ハレは自分を責めた。
(俺になら、言ってくれて良かったのによ……。一人で抱え込みやがって。お前はバカだよ、トーマ。……でもよ)
何故、自分は気付いてやれなかったのか。何故、あの時の違和感を見送ってしまったのか。もしも自分が初めからそれを知っていたのなら、察してやれていたのなら、あんな屈辱的な形で、アーロンの口から彼が秘密を暴露される必要など、なかったのに。
(……お前がバカなら、俺は大バカだ。ごめんな、……トーマ)
見えざる手によって、胸がぎりぎりと締め付けられるのをハレは感じた。そこには微かな体温の上昇さえ生じた。喉の奥から熱い唾が分泌される。痛みに耐えるみたいに、ハレは奥歯を噛み締める。その頬を、堪え切れなかった涙が一筋、零れ落ちていった。
木造の貿易船のブリッジから、海の向こう側を静かに見つめながら、ハレは繰り返し、トーマの苦悩へと思いを馳せた。彼の十六年の人生と共にあり続け、今もその心に居座り続けているのであろう、孤独なる苦悩へと。
声を上げて泣いたりは、ハレはしなかった。が、一粒目の涙が乾き切る頃になると再び、実在しない嗚咽がその胸を襲った。零れゆく数滴の涙を手の甲で拭いながら、「トーマ」と虫が鳴くような声で、ハレは思わず呟いた。その直後、背後から突如として聞こえてきた大きな溜め息に、ハレは慌てて涙を拭い取った。
「意味深に他人の名前を呼びながら泣くな。気持ちが悪い」
ハレの後方から現れたトーマは、呆れた様子でそう言いながらハレの隣に並ぶと、ブリッジの柵へとそっと手をかけた。
「あ!?」とハレはいつもの調子で声を荒げるなり、「かっゆ! かっゆ! くっそー潮風で目が痒いぜ! 新手のアレルギーか!?」と、閉じた瞼をごしごしと擦った。目が赤くなっていても不自然ではない(と自分では思える)くらいに、両の目を一頻り掻き終えると、あっけらかんとした顔になって、ハレはトーマへと視線をやった。
「おう、トーマ。いつからそこにいた?」
「十分前くらいだな」
「……言えよ」
「珍しく感傷に浸ってるみたいだったから、そっとしておいてやったんだろ。名前を呼ばれたから反応しただけだ」
「そうかよ」とハレは唇を尖らせながら、再び海の向こうへと顔を向けた。晴れ渡った空を反射して、海の青はどこまでも拡がっている。その表面には、丸めた銀紙を広げ直したみたいな細かい煌めきが、星の瞬きのように現れては消えていく。
トーマをどうにかしてやりたいと考えてはいても、いざトーマを目の前にしてみると、ハレには何も言えなくなってしまった。自分にかけることの出来る言葉などは、あまりにも無力であるようにハレには思えたのだ。
自らの不甲斐なさに、ハレは思わず溜め息を零す。と、トーマはそれを鼻で笑った。ハレは無表情な視線だけで、それに答えた。しばらくの沈黙を設けた後で、トーマは尋ねた。
「なあ、俺の人生は、お前が泣きながら思い悩むほど哀れに見えるか?」
身も蓋もない言い方をすれば、そういうことになる。然し、それをそのまま口にするのは、流石のハレにも躊躇われた。が、それ以上に適当な言葉を見つけることも、ハレには出来そうにはなかった。黙考の後で、「まあ、そういうことになる」とハレは仕方なく答えた。
「なら良かった。俺はお前が思ってるほど、哀れじゃないってことだ」
自分が思っているほどには、トーマは哀れではない。トーマの言葉を、ハレは頭の中で反芻してみた。その言葉の意味について、ハレは何も言わずに考える。一分間ほど考えても、その答えは得られなかった。「どういう意味だよ?」とハレが尋ねると、「理由は二つある」とトーマは言った。
「泣きながら思い悩んでくれる友人がいること。その友人が、適当に誤魔化すこともなく、俺を哀れだと言ってくれること」
「うーん」と唸りながら、ハレは今度の言葉の意味を考える。ハレの思考回路に於いて、それらの言葉が明瞭な意味を以て結合するのには少しの時間がかかりそうだった。そして、トーマはハレが答えに行き着くまでにかかる時間を知っていた。トーマが背中を向けた瞬間に、言葉の意味を理解したハレはハッとした表情へと変わる。それを尻目に、ブリッジの上を船内に向かって、トーマはまっすぐに歩いていった。
「お前がそんなんじゃ調子が狂う。写真でも見て元気出したらどうだ」と、トーマは右手をふらりと掲げながら言う。その背中を、ハレは駆け足で追った。ハレの顔にはもう、先程までの憂いはない。追い付きざま、ハレはトーマの脇腹を、両側から両の手で、勢いのままにくすぐった。
「素直じゃねーなァ、トーマさん!」
海の底にいても聞こえてきそうなトーマの怒号が、貿易船中に轟いた。深淵を片腕に抱えたまま、ハレたちの旅は続く。次なる目標は、エンデラの森に入る為に必要となるもう一つの装飾品――混沌石・カオスライトだ。
「――脇腹を触るな!!」




