31
マドラインへと戻ったハレたちは、取り急ぎギルド本部を訪れた。怪我人の手当てや、他にも盗まれたものがないかの確認で、塔の中はひどく混乱していた。ルチカたちと合流しようと、ハレとトーマ、そしてドボロは、ひとまず港の方面へと足を運んだ。巨大な帆船が停泊する桟橋の上で、ルチカとヨークは長身の男と話をしていた。
「ルチカ、ヨーク」
二人へと、ハレは声をかける。
「ハレ! トーマにドボロも! 無事でよかった」
安堵に胸を撫で下ろした後で、ルチカはハレとトーマの間に流れる、僅かながらも不穏な空気に気付いたらしい。眉を八の字に歪めながら、「何かあったの?」とルチカは尋ねた。
「ちょっとな。それは後でいいよ」とハレ。「今どういう状況だ? その人は?」
「ああ」とルチカは思い出したように、後方の男を手で指し示して、ハレたちに紹介した。
「こちら、ピエトロさん。ピエトロさん、さっき話したハレとトーマと、アーツのドボロです」
ピエトロは四十代後半ほどで、二メートルはありそうながっしりとした体格を持つ男性だった。焦げ茶の髪は腰の辺りまである長髪で、ドレッドロックスになっている。彫りの深い顔は、もともとそうなのか日に焼けているのかは分からないが、褐色の肌をしていた。
「ルチカから聞いたよ。俺に用があるんだって?」
獣が唸るように迫力のある、然し優しげな声色で、ピエトロは言った。
「あ、ああ」とハレ。クリスと同じような雰囲気の人間が出てくると思っていたハレは、予想していたものとは正反対だったピエトロの風貌に戸惑いを感じつつも、「とりあえずこれ、先に返しとくな」と、懐から取り出したアビスシルクをピエトロに手渡した。
岩のようにがっしりとした手でそれを受け取るなり、ピエトロは目を見開いて喜びを露わにした。
「アビスシルク! まさか本当に取り返してくれるなんて。ヨークが君たちを最高だって言ってたけど、最高も最高だよ。なんてお礼をしたらいい? 見ての通り、モノなら幾らでもあるところだ。旅をしてるんだろ? 必要なものがあったらなんでも言ってくれ」
「お礼なんてそんな!」とハレは言いつつも、ルチカへと目配せをした。ハレにしか見えないように、ルチカはピエトロの手の中の黒い布を、顎でくいくいと指し示す。
ハレとて言うべきことは分かっていた。寧ろ、(礼を受け取るのであればその内容について)迷う余地など何処にもない。いまこの場でそれを欲するのが、躊躇いの極みであるというだけだ。
意を決し、「はあ」と台詞のような溜め息を吐き出すと、眉間に皺を寄せて口元を歪めながら、ハレは今しがたピエトロに渡したばかりのアビスシルクを、そっと指差した。
「すげえ言いづらいんだけどさ――」
すべての事情を話すのには途方もない時間がかかるので、ざっくりと掻い摘んで、『仲間の病気を治すのに必要なのだ』という旨の説明を、ハレはした。一度は「うーん」と唸ったピエトロだったが、彼の思索はそう長くは続かなかった。十秒ほどの黙考の後、「うん、持っていきな」とピエトロは再び、ハレの手にアビスシルクを戻した。
ハレの説明が始まってから、沈黙に徹しつつも苦い表情を浮かべていたヨークだったが、ここにきて流石にまずいと思ったのか、「ピ、ピエトロさん」と言いづらそうに声をかけた。
「良いんだ、ヨーク」とピエトロ。「損得勘定するわけじゃないが、ハレやルチカたちがいなけりゃ、マドラインはもっと酷い被害を受けていたかもしれない。それに、そもそもハレたちがあの白ローブを追いかけてくれなきゃ、ここに戻ってくることはなかった代物だ。ハレたちは俺たちを助けてくれた。で、彼らにはまだ助けなきゃいけない仲間がいる。こういう時は助け合いだ。そうだろ? ヨーク」
強い力を持った言葉だと、ハレは思った。ピエトロの低い声や屈強な風貌が、聞く者にそのような印象を与えるという部分も、或いはあったかも知れない。然し、修練を積んだ達人の剣技が強力であるのと同じように、彼の言葉はそれ自体が、丹念に鍛え上げられており、一つ一つの語が内包すべき意味性に富んでいた。また、それは彼がまだ四十代でありながらも、密度の濃い人生を送ってきたのであろうことを、聞く者に物語っているようでもあった。
そんなピエトロの言葉に、「そうですね」とヨークも納得の表情を浮かべて頷いた。「それに」とピエトロは続ける。
「今回アビスシルクが手に入ったのは本当にたまたまだったんだ。で、ギルド長にもまだ仕入れ報告を上げていない。物品リストは俺が適当に誤魔化しておくから、長にはこのことは、くれぐれも内密でな」
口の前で人差し指を突き立ててピエトロが言うと、「分かりました」とヨークも仕方なさげな笑みを浮かべた。
それからしばらく、ハレたちはその場で談笑していた。「なんで俺がアビスシルクを持っていることを知ってたんだ?」とピエトロが不思議そうに尋ねるので、「まさか丁度持ってらっしゃるとは思わなかったんですけど」とルチカは答えた。
「私がわけあって、今デザイナーのクリスさんのところでお世話になっていて、彼女にピエトロさんのことを教えてもらったんです。クリス・ジルプライドのクリスさん。ご存知ですよね?」
クリスの名前を出すと、ピエトロは一瞬表情を歪めた。普段のピエトロであれば、到底見せることはなさそうな表情だった。彼の中に封印されていた別の生き物が、クリスの名前をきっかけに目覚めてしまった、とでも言うような。
表情を元に戻すと、ピエトロは無言のまま、ハレたちの顔を順々に(一同の年齢を推測しながら)見つめた。震えるように小さく首を振るってから、「昔の知り合いだ」と苦い笑みを浮かべてピエトロは答えた。
「悪い奴じゃない。とても良い奴だ。でも俺から色んなものを奪っていった。その多くは、もう取り戻しようがない」
その言葉の意味するところを、深く考えることはハレはやめておいた。ピエトロが取っておいたデザートを、きっとクリスがこっそり食べてしまったのだ。そういうことにしておけばいい。
「皆さん! お帰りなさい、ご無事でよかった」
ピエトロやヨークと別れて宿に戻ったハレたちを、ノアは心底ホッとした表情で出迎えた。
白ローブの男を追いかけた先で起こったことを、ハレはノアとルチカに説明すべく、無言のまま室内のチェアにどっしりと腰を据えると、何から話したものかと十秒ほど考えた後で、前置きなく口を開いた。
「白ローブはアーロンだった」
勿論、二人は驚きに表情を歪める。分かりやすく言葉にして驚いたのはルチカだった。
「アーロン!? アーロンって、ハレとトーマが探してるっていうアーロン!? 悪い人だったの?」
「そうだよ。いや違うよ」と、ハレは不満そうに答える。
自分たちの旅立ちからここまでの経緯について、ハレは道中、ルチカにざっくりと説明をしていた。『孤児院からいなくなったアーロンを探す為に旅立ったが、その途中でノアと出会い、現在は彼女を助ける為に動いている』という具合にだ。ノアの住んでいた家を襲った白ローブが、アーロンと同一人物である可能性があるということまでは、わざわざ伝えてはいなかった。こんなところで、そしてこんな形でアーロンと邂逅することになろうとは、ハレとて思っていなかったからだ。
「良い奴だった。良い奴のはずなんだ」とハレは自分にも言い聞かせるように繰り返した。「……ノアの黒い爪と同じようなもんで、あいつは白い爪を持って生まれる、ネルナントカって種族らしい」
「ネルビアンコだ」とトーマが補足する。
「そう、それだ。これまであいつは、通常の人種から逃げ隠れしつつ、差別や迫害に苦しみながら生きてきたんだと。聞けばその内容もひでーもんだった。そりゃ俺だって同情するよ。俺には理解出来ねえほどの苦しみだろうしな。んでもって、それだけが原因かは分からねーが、あいつはおかしな方向にスイッチが入っちまってる。いつスイッチが入ったのかも分からねえ。せめて孤児院を出た後だと信じたい。孤児院にいた頃のアーロンの言動が、演技なんかじゃなかったと俺は思いたい。でもそれも分からねえ。……ネルナントカの国を作って、世界を改革する。あいつはそう言ってた。痛みを世界に返さなければならない、とかなんとかって」
一つ一つの情報を、頭の中で整理しながらハレは話した。いつもはこういう説明はトーマが行うのに、と思いながら。然しながら少なくとも、今のトーマに何が起こったかを説明させることは、流石のハレにも憚られた。
今のトーマが、自身の爪について、そしてアーロンとのことをハレに隠していたことについてをどう考えているのかは、ハレには分からない。然し、アーロンが喋ろうとした時に、トーマはそれを差し止めようと努めてはいた。隠しておきたかったことを明るみにされてしまったのだ。唇を一文字に結んで、先程からトーマは基本的には(簡単な相槌などを除いて)無言を貫いているが、その胸中を少なからず、精神的ダメージが駆っていることは想像するに容易かった。
隠されていたことに文句を言いたい気持ちも、もちろんハレにはないではなかった。が、殊更それを口にすることも、今のハレには躊躇われた。
「それが単純に、武力的な革命を示してるのかは分からねえ」とハレは続ける。「でも少なくとも、ノアを攫おうと追いかけ回すことも、今回みたいに街を襲うようなことも、そもそもそれ以前に、ノアの家を焼いてノアを天涯孤独の旅に追いやったことも、絶対に許されることじゃねえ。その先にどんなに立派な目的があったとしても、こんなくだらねーことはやめさせなくちゃいけねえ」
ハレの話を聞きながら、ノアとルチカはどこか寂しげな表情になって、斜め前方の地を見つめていた。「それから」とハレは更に続ける。「モナトって言ったか、例の指パッチン野郎が後から現れて、アーロンに向かって『リーダー』と呼びかけてた。わざわざ説明してもらわなくても、夜明けの月光のリーダーってことで間違いねえと思う。俺の気分は最悪だよ。連れ戻そうとしてた人間が、悪事の片棒担いでるどころか、片棒を担がせる側の人間になってるなんてな。で、去り際にはあいつ、『エンデラの森で会おう』なんて言い残しやがった。俺にはもう、何が何だかわけがわからねえよ」
ゆっくりと物事を考える時間はハレには与えられなかったし、与えられたとしてもその時間を、有効活用出来る気はハレにはしなかった。提示される情報は、一見してちぐはぐで繋がりを持たず、考察のしようがないし、そうでなくとも考察をするには、ハレの精神状態は劣悪すぎた。そもそもの話、こういう生真面目な考察や解説はハレの性には合わない。旅立つ前からそれを理解していたから、自分の代わりにそれをしてくれる人間を、ハレはこの旅に同行させていたのだ。
「あとはトーマ」と、ハレはトーマへと視線をやる。「補足と総括してくれや」
敢えて濁した言い方に、ハレはした。トーマに関して起こったことを、話すも話さないも、一部のみ話すも、トーマ自身に託す、という意味で。
一度だけ、トーマは唇を内側に引っ込めた。乾いた唇を舐めたのかも知れない。トーマが行う所作の中では、ハレはあまり目にしたことがない種類のものだった。それから彼は、唾を一つ飲み込むと、壁に預けていた背中を起こして、皆に見えるようその中心に立った。
一体何が始まるのかと、ノアとルチカはキョトンとした顔になる。「驚かせたらすまない」とトーマは呟くように言った。
「ハレ、これまで黙っていてすまなかった。配慮に感謝する。アーロンが言った通り、俺も奴らと同族だ。俺も――」
右の手で左の手袋を、トーマはゆっくりと外した。その手は、そしてその声は、痛ましく震えている。どのような過去が、人前に手を晒すことに対して、彼にこのような恐怖感を齎すのか、ハレには想像もつかなかった。やがて明らかになったトーマの爪は、雪のような白をしていた。
「――ネルビアンコだ」
ハレとドボロは何も言わずに、その爪を無表情で見つめた。ノアとルチカは驚きに目を見張ったが、やはり何も言わなかった。そのまま幾らかの沈黙が流れると、トーマは再び、左手の手袋を嵌めた。
「……アーロンの話は、概ね本当だ。俺たちネルビアンコは、何も言わなくてもお互いが同族だとなんとなく分かる。そういう独特の空気感を持ってる」
静かな声色で、トーマは語った。山間の集落の語り部が、その土地にまつわる伝説じみた歴史を語るみたいに。
「とはいえ、俺は気付かなかった。気付いたのはアーロンだ。孤児院で暮らしていた頃、アーロンが突然話しかけてきた日があった。俺があいつとまともに会話をしたのは、後にも先にもその時だけだ」
一呼吸を置くと、トーマは続ける。「『ネルビアンコの国を作って、通常人種に反旗を翻さないか。ネルビアンコが陰でこそこそ隠れることなく、堂々と胸を張って生きられる世界を作りたい』。アーロンはそんなことを言っていた。冗談だろと思ったよ。今やネルビアンコの絶対数は、四桁を切ってるとまで言われてるんだ。その上それが世界中に散り散りになってると来てる。仮に生き残りを片っ端からかき集めることが出来たとして、反逆なんて以ての外だ」
トーマの言うことは尤もだと、ハレにも分かった。千人にも満たない、しかもろくに戦闘訓練も積んでいない(であろう)集団に、易々と制圧されるほどこの世界はやわではない。街の一つも攻め落とせずに終わるのがオチだろう。
「とはいえ」とトーマ。「出来る出来ないはさておきとして、そんな世界が本当に実現されるのなら、そこに住んでみたいと思ったのも事実だ。だが断った。アーロンの話は俺にとって、余りにも現実離れしすぎていたからな。然しその数日後になって、ハレも知る通り、アーロンは孤児院から姿を消した。本当に行ってしまったと思った。ハレ、お前に近付いたのは、アーロンと親しかったお前が、アーロンの思惑について何か聞かされていないかを確かめる為だった。が、実際のところお前は、アーロンがネルビアンコだということすら知らなかったし、アーロンは旅立ったのではなく、攫われたのだと勘違いしてすらいた。俺とてその場に居合わせたわけじゃない。いなくなる現場を目撃したハレには攫われたように見えたんだから、理由は兎も角、アーロンは本当に攫われただけなんだと思おうとした時期もあった。然し、奴が俺にかけた言葉を思い返せば思い返すほど、俺の中では、アーロンは攫われたのではなく、野望の実現の為、何者かの力を借りて孤児院を抜け出したのだという考えが強くなっていった。確信と言ってもいいくらいにだ」
ハレの緑青色の瞳を、トーマは静かな目で見つめた。その視線からは、あらゆる感情が意識的に排除されているのが、見つめられるハレには分かった。ハレに対する申し訳なさも、後ろめたさも、そこには含まれていない。その視線は紛れもなく、ハレを試していた。『俺はお前を利用していた。騙していたことを黙っていた。そんな俺を、お前は許せるか?』。トーマの視線がそんな風に問いかけてくるのが、ハレには感じられた。
「どんな方法で、そしてどんな形でアーロンが野望を実現するつもりなのかが気になった俺は、アーロンを探しには行かないのかとハレにけしかけた。同行を求められたのは想定外だったが、自分の目でも確かめられるという意味では好都合だったから、それも受け入れた。そして今日、ハレと同様に念願だったアーロンとの再会を、俺も果たすことになった。結局アーロンがどんな方法を取ろうとしてるのかは、分からないままだがな」
トーマの語りが終わると、一同の間には暫しの沈黙が流れた。重い沈黙だった。太古の遺物を取り囲んだ専門家たちが、そこに手を触れることなく、その詳細を吟味するみたいな沈黙だ。それを破ったのはハレだった。短い溜息を吐き出した後で、「それで、今のお前はどう思ってんだよ」と、疑問符を付けずにハレは尋ねた。
「トーマが俺に近付いてきた理由は分かった。アーロンの捜索に俺を仕向けたのも分かった。利用されてたってのは正直むかつくけど、俺にとって重要なのは、今だ。きっかけはどうあれ、俺はトーマと仲良くなれてよかったと思ってるし、この旅を始めて、ノアやドボロたちと出会えたこともよかったと思ってる。これまでもこれからも、トーマは俺にとって友達だし、大切な仲間だ。アーロンが最終的に何をするつもりかは分からねえが、俺はノアも助けるし、アーロンも止める。トーマ、お前にはこれからも、一緒についてきてほしいと俺は思ってる。こうしてアーロンと再会した今、お前はどう思ってんだ?」
数秒間黙考した後で、「許されるのなら」とトーマは言った。
「俺はハレと共に行きたい。信じてもらえなくてもいい。不純な動機で近付いたとはいえ、俺も今ではハレのことを、無二の友人と思っている。アーロンが理想とする、ネルビアンコが堂々と生きられる世界ってのは俺にとっても勿論魅力的だ。俺だってこの爪のお陰で、これまでに少なくない苦労を強いられてきたからな。でも、その理想の実現までの過程で、自分たちがされてきたのと同じように誰かを陥れたり、街を襲うというようなことがあっては何の意味もない。俺も、同じネルビアンコとしてアーロンを止めたい。然し、これまでハレを騙していたのも事実だ。同行するにせよ、しないにせよ、ハレが望むだけの仕打ちは受ける」
先にトーマが自分に対してしたのと同じように、ハレはトーマの眼鏡のレンズ越しに、彼の勿忘草色の瞳を、じっと覗き見た。バケツの底に沈んだ石が、どんな形をしているのかを確かめるように。暗い深淵の根源に、どんな生き物が潜んでいるのかを見定めるように。
ハレの思案はそう長くは続かなかった。或る意味に於いて、それはトーマを疑うことでもあったからだ。トーマへと疑念の目を向けるのは、ハレにとっては苦痛に他ならなかった。
緊張を解いてあっけらかんとした表情になると、「なら答えは簡単だな」とハレは言った。
「仕打ちなんてねーよ。俺にそんな権利もねェ。一緒に行こうぜ。ドボロもノアも、それでいいよな?」
「ンだ」とドボロ。「もちろんです」とノア。二人が頷き返したのを確認すると、ハレは再度トーマへと目をやって、「だとよ」と笑った。
安堵の笑みを浮かべると、「ハレ、みんな、ありがとう」と、トーマは言った。張り詰めた空気感が解け、普段の雰囲気を取り戻した一同に、ルチカも微笑みながら頷いた。
改めて一つ溜め息を吐き出すと、「辛気くせーのはやめだ!」とハレは頭の後ろを掻きながら、鬱陶しそうに言った。否、鬱陶しそうなのではなく、ハレはこの重苦しい空気感を、アーロンを見送った辺りからずっと、実際に鬱陶しく思っていたのだ。
トーマが良い返事を聞かせてくれて本当に良かった、とハレは思いながら、悪い気の籠った部屋の空気でも入れ替えるように、先程までとは一転、普段の声量と声色に戻して次のように尋ねた。
「でだ、トーマさんよ。革命とやらを起こす為に、アーロンがどんな方法を取ろうしてるのかは分からねーと言ったな」
「ああ」とトーマ。「俺が聞かされてたのは、ほんの触りの部分だけだ。さっきも言ったように、ネルビアンコへの迫害がない世界を作る為に、通常人種への反逆がしたい、というような内容だな」
トーマの言葉に頷き返すと、ハレは指を折りながら言った。
「少なくとも今日までに明らかになっていることとして、アーロンはまず、ノアを必要としてる。アビスシルクもだ。でもってエンデラの森に行こうともしている。この三つは、俺たちの目的達成に必要とされているものと一致してる。俺が思うに、これは偶然の一致なんかじゃねェ。トーマはどう思う?」
トーマとの話が一段落したハレの頭は、霧が晴れたようにすっきりとしており、先程までちぐはぐに思えていた断片的な情報は、正答とまでは行かないものの、一つの点に集結しつつあった。種類の異なる複数の木々が、寄り集まって一つの森を織り成すみたいにだ。
「同感だ」とトーマ。「奴らもまた、俺たちと同じようにエンデラの森に入り、プリマギアを目覚めさせようとしているように見える。然しその理由が分からない。俺たちはノアを助ける為に動いてるが、少なくとも奴らの動機はそこにはないはずだ」
トーマの言葉に、口元を押さえて「うーん」とハレは唸った。同じくトーマも、眼鏡のブリッジを押さえて思考を巡らせる。数秒間に渡る思案の後で、「これは俺の推測だが」とトーマは言った。
「去り際にアーロンが口にしていた、夜明けの月光のスポンサー的存在である『或るお方』が関わっている可能性はないだろうか? 例えばだが、プリマギアの目覚めは夜明けの月光の直接の目的というわけではなく、『或るお方』の力を借りる為の条件として設定されている、とか」
トーマの仮説は、ハレには一定の説得力を感じさせた。アーロンの言葉を、ハレは脳裏に描き起こしてみる。
『俺たちには力が必要だ。或るお方の力をお借りする代わりに、俺は俺を連れ出してくださった、そのお方の手足として動いている』
トーマの仮説をこの言葉に当て嵌めて考えるのであれば、現在の(ノアへの接触を主とする)夜明けの月光の活動は、あくまでもアーロンが理想とする世界を作る(アーロンの言葉で言えば『改革』ということになる)為の準備段階に過ぎず、この準備段階を経て『或るお方』の力を借りた上で、アーロンはを世界を改革するつもりでいる、ということになるだろうか。
仮説を決定づけるような発言が他にもなかったか、ハレは記憶を探ったが、多分それ以上には、それらしきものはなかった。
「可能性はあるけど」とハレが言うと、「断定するには材料が少ないか」と、トーマが続きを引き取った。
どうやら会話が一つの段落を迎えそうだったので、眉を顰めて頷き返した後で、「しかしまあ」とハレは明るい声で言った。
「何はともあれこうしてアビスシルクが手に入ったんだ! まずは一歩前進! 焦らず次に行くとしようぜ」
「そうだな」とトーマ。
「次っていうと」とルチカが口を開く。「もう行く当ては決まってるの?」
苦い笑みを浮かべながら、「いや、実はまだなんだ」とハレは答える。「エンデラの森に入る為に必要なもう一つのソーショクヒンを手に入れなきゃならねーんだが、その場所が分かってねえ。ま、一旦はシンのところに戻ってみるだな」
「そっか。それなら、このマドラインから出てる貿易船に乗るといいと思うわ。スチルバティクス行きもヴェッセル行きも出てるみたいだけど、ファンテーヌに行くことを考えたらスチルバティクスからのほうが近いかな?」
ルチカの提案に、虚を突かれたように目を丸くしたのはノアだった。「ルチカさんは、一緒には行かれないのですか?」
「あたしはこの街で、もうちょっと見ておきたいところもあるから。それにあたしが戻るのはリヴィールだしね」
どうやらノアはそのことを失念していたらしい。ハッとした表情を浮かべた後で、「そっか、そうですよね」と寂しげな様子を見せたノアに対し、「もーっ」とルチカも寂しそうになって、彼女はノアの黒髪の頭を、ガシガシと乱雑に撫でた。
「そんな顔されたら一緒に行きたくなっちゃうじゃんか~!」
「わ、私、そんな顔をしてましたか!?」
「してたしてた」とルチカが笑うと、「またどこかで会えるだよ」とドボロが言った。
ノアの表情は、出会った頃よりも幾らか豊かになったものだとハレは思う。そしてその多くは、彼女がしばしば見せる愛想笑いとは違う、本物の感情を持った表情だ。自分たちの存在が、そこに僅かでも良い影響を与えているのなら喜ばしいことだとハレは思った。
トーマはどうだろう。彼との付き合いも、もう短いものではなくなってきている。一方で彼の存在は自分にとって当たり前のものになりつつあり、日常の中で彼の表情や、その変化に着目する機会というのはあまりない。然しながら、今日こうして明らかになったように、自分の知らないトーマというのは、意識の外では確かに存在しているのだ。それも、自分にとっては素直に祝福の出来ない方向性に於いて。
(……信じていいんだよな、トーマ)
友の目へと、ハレは視線を向ける。元の穏やかな表情に戻って、トーマはノアたちのやり取りへと意識を向けていた。アーロンと対峙した時や、先程までのような張り詰めた感覚はもう、どこにも見当たらない。ここにある世界は平常で、どこまでも平和であった。




