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「そこまで登れば、街が見えるはずよ」とルチカが言うので、すっかり重くなった身体に今一度力を込めると、「ヨッシャ!」と吼えながらハレは走り出した。「躓いて転ぶんじゃないぞ」と後ろからトーマが声をかける。
「わーってるよ! ホラ競争だ、ドボロ! 負けたほうが勝ったほうに食後のデザートを奢るゥ!」
ハレからの呼びかけに、「負けないだ!」と頷き返しながらドボロはその背中を追いかけた。「ドボロはお金持ってないでしょ」という溜め息交じりのルチカの声は、駆けていく二人の耳には届くことなく、吹き抜ける風の中に消えた。
空は青々と澄んでいる。いま、十四時を過ぎたところだった。
小高い丘の頂上まで、五〇メートルほどはあった。絶え絶えの息でその天辺に辿り着くと、ハレはまず膝に手をついて呼吸を整えた。苦虫でも噛み潰したように、その表情は疲弊に歪んでいる。数秒を以て本来のリズムに近い呼吸を取り戻すと、ハレは顔を上げて、丘の向こうに広がる風景に目をやった。後方から「速いだよ、ハレ~!」とドボロの野太い声が届く。
眼下に広がる圧巻の大パノラマに、ハレはまず驚愕した。辺りがしんと静まり返るような感覚すら、ハレにはあった。驚愕が感動に変わると、ハレは緑青色の瞳を輝かせ、その目を大きく見張りながら思わず叫んだ。
「すッッッげ―――!! こんなにデッカい街だったのかよ!!」
メーディウム珊瑚廊を抜けてから、一日と少しのあと。
珊瑚廊の先に連なる長大な砂浜を超えた先には、海岸沿いに緩やかな丘陵地帯が広がっていた。傾斜はなだらかながらも、ある程度の高低差と、幾重にも重なる波形の尾根を持つこの丘陵に、ハレたちの体力は思った以上に削られた。ほぼ丸一日をかけてこれを踏破した一行の前に現れたのは、お椀型に窪んだ地形に沿って形成された、宏大な都市の姿だった。
息を切らしながら登頂したドボロも、ハレの隣に立って呼吸を整えると、丸くした目をその街へと向けて、「本当に広いだ……」と掠れた声を漏らした。
「流通要塞・マドライン」
後方から、ハレに追いついたルチカが言った。長い溜め息を吹き出すと、両の手を腰に当てて彼女は続ける。「世界でも類を見ない、商人たちの聖地よ。話には聞いてたけど、あたしもこの目で見るのは初めて。帝都にも匹敵する広さだって聞いてはいたけど、本当にそうね」
街の中央に聳え立つ、(円錐台型で寸胴の)巨大な塔を見つけると、「あれね」とルチカはそこを指差した。ハレたちの背後から、トーマとノアがそこに合流する。「あれですね」とトーマ。
「あれは、なんなんです?」
ノアの質問に、ポニーテールを結び直しながらルチカは答えた。
「この街が要塞と呼ばれる所以でもある、歴史ある塔よ」
「あっちを見て」とルチカは、街に向かって左手側を指さした。「海のほうからは入り江みたいに浸食されてるでしょ?」
ハレたちのいる位置から見て、左手側は海、右手側は陸地だった。陸側には、丘陵の尾根がお椀の縁を模るように、遥かに霞む街の向こう側まで、三日月形に連なっている。海側からはルチカの言うように、入り江状になった海が陸地を浸食しており、これは街の凡そ中心地にまで及んでいた。入り江の先端の細まった部分に、まるで蓋でも被せるみたいに、その塔は建てられている。遠巻きに眺めるハレたちの目には、サラダボウルの中央にショットグラスが伏せられているような具合にも、その地形は見えた。
「あの塔は、この街を取り仕切る商人ギルドの本部、兼港になっていてね、入り江から塔の内部へ、船のまま直接入っていけるようになってるのよ。何隻もの船を収容出来るように、縦には勿論、横には特に広い造りになっているの」
言いながら、ルチカは目の前にある街の入出門をくぐった。門は木で出来たアーチ状で、煌びやかな装飾などはない。また、マドラインの街は木製の(ハレたちの腰の高さほどの)柵で囲まれており、柵は丘陵の尾根に沿って、街の向こう側まで続いていた。柵の途中には、ハレたちが辿り着いた街の西側の門のほかにも、幾つかの同じような門が確認出来る。
「マドラインっていうのは、古語で『一つの道』、『究極の道』っていうような意味があってね。この場合の『一つの』っていうのは、複数のものが集まって一つになった、というような意味合いになるんだけど。意訳するなら『集結する流通路』ってところかしらね。この街を作った人たちが、いつかこの場所を、世界中の都市と流通で繋がる街にしたい、という思いを込めてつけたんだって」
ひとまずは今晩の宿を確保すべく、ハレたちは街の中心部に向かって歩いた。道中ルチカは街の成り立ちについて、ハレたちに解説をしてくれた。
「アシリアに現存する都市の中でも、マドラインは特に古い歴史を持つ街でね。今から八百年くらい前、まだ更地だったこの海辺に、商人たちが集まってギルドとして始めたのがその興りなんだって。ちなみにこの頃、まだフォックシャル帝国は影も形もない。初めのうち、ここはあくまでも拠点の一つとして使う予定で、定住するつもりはなかったから、当時は塔もなかったし、拠点はただのテントだった。外界からの侵入を受けにくい、お椀型の地形と入り江状の湾は都合が良かったんだって。徐々にギルドに所属する人が増えて、その家族が増えるにつれて、商人の男たちが仕事に出ている間、その奥さんや子供たちが生活する為の家屋が建てられるようになった。拠点はテントから塔に変わり、商人たちの集会所兼港として使われるようになる。それからは時代の流れと共に、塔は上に伸び、街は横に広がり、長い時間をかけて現在のような姿になったと言われているわ」
ルチカの話に「八百年ってのは大したもんだな」とハレは目を丸くさせて言った。
「でもよ、俺たちが生まれる前って、デカい戦争があったんじゃなかったっけか? フォックシャルが停戦させて、平和条約をテーケツさせたとかっていう。こんな海辺の街が、よく持ち堪えたもんだよな」
「第二次アシリア戦争ね」とルチカ。「この街とギルドは当時も今も、どこの国の領土にも属していないのよ。だから戦争には参加していなかったし、戦争の被害も受けなかった。むしろ当時は、武器や武装の流通拠点として、相当潤ったと聞くわ。それが良いか悪いかは別として、そのお陰でマドラインは、ここまでの大都市として発展を遂げることが出来た。戦前は不明瞭だったその存在も、平和条約をきっかけにして、マドラインは正式に、『国家に類しない商人ギルドの自治区』として、世界から認められるようになったのよ。その頃を境に、成り行き任せだったギルドの運営体制も、しっかりとしたものに整えられるようになったみたい」
「なるほどな~」とハレは納得した様子で頷いたが、それから宙へと視線を投げると、「判断が難しい話だわな」と続けた。
確かに、戦争によって資金や物資が潤うというのは素直に褒められたことではない。然し、戦争の被害を受けなかったとはいえ、八百年もの長きに渡って、国家の支援も受けずに一つの街が生き長らえるということは、決して簡単なことではないはずだ。自分には想像もつかないような苦労や挫折も、きっとこの街にはあっただろう。そして何よりも、ここに住む者たち(或いはその先祖たち)はそんな茨の道を自ら拓き、苦難の末にこの都市を造り上げた、生粋の商売人なのだ。彼らには彼らのルールがある。稼げるときに稼ぐというのは、商人にとっての基本的な本能だ。簡単に褒めることが出来ないのと同じくらいに、彼らの生き方を思えば、それを否定することも、ハレには簡単には出来なかった。
周辺の風景に、ハレは目を向ける。街に入ってすぐのところには、広大な田畑が広がっていた(ハレたちは畦道のように形成された、飛び石の敷かれた小径を歩いてきた)。ルチカ曰く、ここの作物は出荷を想定したのものではなく、流通による収益が滞ったとしても、自給自足の生活を送る為のものであるとのことだった。
田畑の一帯を越えた先には、赤い煉瓦造りの建築を主としたマドラインの街並みが現れる。帝都やファンテーヌのように美しく整えられたものではなく、木造や石造の建築もところどころに入り混じった、不揃いでちぐはぐな街並みだ。街の広がりと共に、その時代毎の有り合わせのもので街造りが進められてきたのだろう、とハレは思う。切らしたバジルの代わりにオオバを使う、一流というよりかは機転の利いた料理人みたいにだ。
ここに住む人々にとっての豊かさが、今まで自分の見てきた世界とは違うところにあるような気が、ハレにはしていた。そしてその豊かさが、自分の生き方や考え方にも通じるところがあるものだという感覚が、ハレにはあった。
国に守られることなく、自分たちの力のみで生き抜いてきた彼らには、戦争助長の道義如何よりも優先して、守るべき自分と家族の生活がある。ハレたちが送ってきた孤児院での暮らしと比較するなら、それは幾分原始的、或いは根源的な営みと言ってもいいかも知れなかった。そこに約束された明日はない。今日、何を食べるか。明日、どう生きるか。そういうことを問われる世界に彼らは生きているのだ。ハレはそういう種類の生活に、一種の憧れのようなものを抱いていた(無論、ハレは戦争を助長する生活に進んで身を置きたいというわけではない)。この街とギルドのことを、ハレは今のところ、嫌いになれそうにはなかった。
正面の通りを進んだ先――塔のほうへと視線を落とすと、嬉しそうな笑みをハレは浮かべた。
「でも、ギルドってのは良いよなあ! 誰にも縛られない自由な暮らし! なんだかワクワクしてきやがった!」
呆れ顔で眼鏡のブリッジを抑えながら「昨日の夜ギルドのことを知った人間とは思えない発言だ」とトーマは言った。「自由には責任だって付いてくる。そんなに楽しいものじゃないと思うぞ」
昨晩、丘陵の緩やかな斜面に張ったテントの前で夕食を摂りながら、ハレにギルドのことを教えてくれたのはトーマだった。孤児院の授業でなんとなく聞いた覚えはあったが、その詳細までを記憶してはいなかったハレは、そこで改めて、ギルドについての知識を得ることとなったのだ。
「わかってらー」とハレ。「大変は大変だろうが、夢があるだろ? 夢なら見るだけタダだ。それを実行に移すかどうかってのは、また別の話。それに、知識ってなァ先に持ってたからって、それでそいつが偉いってもんじゃねェ。そうだろ? トーマさん」
唇を尖らせて目を細め、納得がいかない(或いは、納得はしているが認めたくない)という表情を浮かべたトーマだったが、数秒間そうした後でそれを崩すと、「そうだな」と仕方のなさそうに彼は笑った。
街の中央に向かって傾斜の緩い下り坂を歩きながら、昨晩のトーマによるギルドについての解説を、ハレは頭の中で反芻した。鳥型の魔物の肉を焼いたものと、道中で採れた野草を煮込んだスープを夕食に食べながら、凡そ以下のような内容のことを、トーマは語っていた。
「ギルドってのは、商工業者同士の組合みたいなものだな。二次戦争よりも前、世界中には現代の十倍以上の数の国家が存在していて、その多くは君主主義を掲げていた。君主主義の下では、一般市民は慎ましい生活を余儀なくされ、高い徴税のせいで商人は儲からなかった。そんな中、或る国の商人たちが結託して、国から独立し、一般市民を相手に、自分たちだけで商売が出来る体制を作った。これがギルドの始まりだ。国家が規制を敷くまでの間に、ギルドはそれまでの鬱憤を晴らすように急成長し、その総数はうなぎ登りに増加した。最盛期には世界中で五百を超えるギルドが存在していた時期もあったそうだ。規制後は緩やかにはなったものの、それでもギルドはじわじわと成長を続け、食物や生活必需品を安価で取り扱う商人ギルドの存在は、一般市民の中でも生活に欠かせないものになっていった。二次戦争の勃発、そして停戦まで、ギルドの天下は千年弱続いた。それから先はギルドにとっては下落の時代だ。フォックシャル帝国の台頭と平和条約の締結により、民主主義の国家が急増し、君主主義は古い時代の遺物になる。君主主義の衰退は、同時にギルドの衰退でもあった。ギルドに頼らずとも、一般市民が安価な品物を手近で揃えられるようになったからだ。弱小ギルドはみるみるうちに空中分解。中堅ギルドは一部が国の傘下に入って生き延びるが、ほとんどが消滅。自分たちの力だけで生き延びることが出来たのは、マドラインのように独自の流通路を造り出していたような、強大なギルドだけだった、ってところだな」
例によって、前もって用意してあった原稿でも読み上げるように、吃ることもなくすらすらと解説をし終えたトーマに対し、「いつも思うけど、お前はそれ、百科事典の暗記でもしてんのか?」とハレは尋ねた。
「こんないつ使うかも分からない長文を、幾つも暗記していて堪るか」とトーマ。「自分の頭の中にある情報を、整理しながら喋ってるだけだよ」
ぽかん、と間抜けな顔をしばらく晒した後で、目を閉じてうんうんと頷きながら、ハレは言った。
「偉い。お前は偉いよトーマ。これからも色んな街とか地形とか、その歴史とか、ゲンソキコウとかアシリア神話とか、あと隕石商のこととかを、俺に教えてくれな」
眼鏡のブリッジを押さえながら、「それは構わないが」と断った上で、トーマは返した。
「一つ訂正しておく。知識ってのは、先に持っていたからといって、その人物の偉大さを無条件に向上させるものじゃない。偉大な人物が偉大なのは、知識を持っているからではなく、知識をもとに正しい行動を取ることがが出来るからだ。記憶するだけなら誰だって出来る」
悟り切った表情でそう言ったトーマに、「でも」とノアが珍しく口を挟んだ。「そういう風に、驕ることもなく私たちに知識を与えてくれることは、私もすごいことだと思います。トーマさんはすごい方だと、私も思っていますよ」
「あー!」と声を張り上げると、悔しそうに顔を顰めてノアを指さしながら、「いま俺がそう言おうと思ってたのに! ずりーぞノア!」とハレは言った。「す、すみません」とノア。「勝手にしてくれ」とトーマは言うと、皿の底に僅かに残った野草のスープを、喉に流してごくりと飲み込んだ。
「あんたたち、ホントに仲が良いわね」とルチカは呆れ半分の笑みを浮かべながら、会話に落ちを付けるみたいに言った。それが昨日の夜のことだ。
街に入ってから四十分ほど歩くと、ハレたちはマドライン中央の塔――ギルド本部に隣接する繁華街へと辿り着いていた。塔の外周は、花壇やベンチなどが設置された広場のようになっており、視界は開けている。繁華街の通りには様々な商品を取り扱う商店や飲食店、宿屋などが軒を連ねていた。宿屋の一つに部屋を取ったハレたちは、ピエトロなる人物の情報を手に入れるべく、ギルド本部である塔へと、足を踏み入れようとしていた。これだけ大きい建物なら、情報も集まるだろうというのがトーマの読みだった。
「遠くからでもそうだけど、近くで見ると尚更でけェな、この塔……。ていうか、塔って呼ぶにゃ、ちと巨大すぎやしねーか、こりゃ……」
目の前に聳え立つ、鼠色の巨大な石材が無数に積み上げられて出来た建造物を仰ぎ見ながら、ハレはそう言った。
塔というからには筒状(細かく言えば円錐台型)にはなっているが、その外周は恐ろしく長く、ぐるりと回って戻ってくるのに、三十分では足りなさそうだった(実際には塔の北側は海なので、外周を歩いて回ってくることは出来ない)。少なくともハレの知る中では、塔と呼ばれるものの中で間違いなく、これは最も大きい。
ハレたちの正面には、塔に入る為の両開きの扉があったが、これは開け放たれていた。今も多くの人々が、その開いた扉を通じて、塔の中と外とを行き交っている。見たところ、塔には誰でも自由に出入りが出来るようだった。
「行ってみましょ」と、ルチカは言いながら扉をくぐり、その内部へと足を踏み入れた。トーマとノア、ドボロはこれに続いたが、呆気に取られていたハレがそれに気付いたのは、こちらを振り返ったドボロが、自分の名前を呼んでからのことだった。
「ハレ~! 置いていくだよ~!」
ハッとして前を向き直ると、「うおっと! 待ってくれ~!」と、ハレは彼らを追って塔の内部へと進んだ。
まず、ハレの目に飛び込んできたのは大きな二隻の帆船だった。帆船があることに驚いた後に、そのマストの先を見上げたハレは、帆船を収容できる広さを持ったこの塔の、天井の高さにまた驚いた。
塔の内部は吹き抜けのホールのようになっており、ホール中央には壁と同じ石材を積んで造られた太い柱が立てられている。ホール内にはその内壁に沿って螺旋状に、塔の上方へと上がっていく幅広の階段と通路が設けられていた。通路の途中にはところどころに、広くなった踊り場のような部分や、対岸の通路に繋がる架け橋のような直線状の通路も見受けられる。壁沿いの通路からは、更に外側へと入っていくトンネル状の通路も多数存在したので、単純にこの大ホールだけが、塔の全容というわけではないようだった。
「すごい……」と初めに声を漏らしたのはノアだった。その声でようやく、ハレは上方に向けていた首を、前方に戻すことを思い出した。ノアは未だ、ホールの上部を見上げている。ハレは今度は帆船のほうへと目をやった。船体は確かに、水に浮かんでいる。そしてその背後には、巨大な帆船でも出入りが可能な大きさの、海へと続く大きな門が開いていた。この塔は本当に、入り江の先端――海と陸の境界に建っているのだ。自分たちの立つ地面には石畳が敷かれているが、石畳の先には、建物内にも拘らず海がある。海岸沿いには海に向かって、いくつもの桟橋が架けられているほか、桟橋の傍らにはヨット大の漁船が何隻か、海面にゆらゆらと浮かんでいた。
それはなんとも不可思議な光景であった。港を再現したミニチュアの模型でも見ているような気分に、ハレは見舞われた。否、これはミニチュアなどではない。本物のスケールを持った、本物の港なのだ。
「不思議な光景よね」と、ハレの心を読み取ったようにルチカは言った。「建物の中なのに船があるなんて。それにこの広さ、まるで要塞みたいでしょ。だから『流通要塞』ってわけ」
「ヴェッセルの船工場を思い出すだ」とドボロが言うと、「ね」とルチカは笑った。
ハレたちがギルド本部に入ってから、ピエトロの情報を手に入れるまでに長い時間はかからなかった。効率よく情報を収集すべく、一行は三手に分かれて行動をするつもりだった。トーマを上階に続く階段へ、ルチカを港の方面へ見送ったハレとノアとドボロの三人は、『とりあえず』ということで、塔に入ってすぐ右手のカウンターに立っていた、案内役らしき男に声をかけてみた。
「ピエトロさん? 知ってるよ、当たり前だろ?」
男はあっけらかんとしてそう言ったので、まさかこんなに簡単に手掛かり(寧ろ答えと言ってもいい)を掴めるとは思っていなかったハレは拍子抜けした。離れていくトーマとルチカの背中を、ハレは慌てて呼び戻した。
「なんだ、随分大所帯なんだな。ああ、あんたたち他所から来てるのか。そりゃ知らないのも無理はない」
「そんなに有名人なのか? ピエトロって奴は」とハレが尋ねると、「このマドラインじゃあ、ピエトロさんのことを知らない人はいないよ」と彼は言った。ピエトロについて、彼は次のように説明してくれた。
「ピエトロさんはこのギルドの副長だよ。あの人はすごいよ。数年前までは、小さなギルドを引き連れて各地を渡り歩いていたみたいだけど、なんでも旅の途中で足を骨折したとかで、ギルドのメンバーと一緒に、しばらくこの街に滞在してたんだ。その時に、このマドラインのギルドに興味を持ってくれてね、仕事を手伝わせてほしいって彼のほうから願い出たらしい。そっから先はトントン拍子さ。ギルド時代に作り上げていた独自の流通路を最大限に活用して、ピエトロさんは僅か一年足らずで、マドラインギルドの収益を倍近くにまで膨れ上がらせた。ギルド長もピエトロさんをすごく気に入ってね、その頃には彼の足も治ってたんだけど、ギルド長はピエトロさんに、『元のギルドのメンバーも一緒に、是非ここに残ってほしい』と頼んだわけさ。で、ピエトロさんは副長に抜擢。他のメンバーもそれなりの重役を与えられたみたいだよ。それが二年くらい前かな。ま、それもこれも、ピエトロさんの人当たりの良さがあってのことだね」
成程ピエトロという人物は、クリスの言うように元は渡りの商人だったようだが、今ではこのマドラインのギルドの副長を務める、街の英雄的存在らしい。道理でギルドの案内役である彼でも、ピエトロのことを知っているはずである。
「で、俺たちはそのピエトロに会いに来たんだが、彼にはどうしたら会える?」
トーマの質問に、男は眉間を顰めると「生憎だな」と申し訳なさそうに言った。
「ピエトロさんは丁度取引に出ててね、もうそろそろ戻る頃だとは思うんだけど、どうだろうね。ことが首尾よく進んでいれば、一週間以内には帰ってくると思うよ。どこかの宿に滞在してるなら、ピエトロさんが戻り次第知らせに行こうか?」
すぐに会えないのは残念ではあったが、少なくともこの街で待っていればピエトロに会えることが判明したのは、ハレたちにとって大きな前進であった。彼の言葉に甘えることにして、ハレたちはギルド本部を後にした。去り際、彼が出してくれたメモ用紙に、ハレは自分の名前と宿屋の名前を書いて、「ハレだ。よろしく頼む」と手渡した。「俺はヨーク。よろしく、ハレ」と彼は――ヨークは言った。
ハレたちが宿屋に戻ったのは、十六時を少し回った頃だった。外はまだ明るかったので、ハレは荷物を置いて身軽になると、ドボロとトーマの二人と共に、再び街へと繰り出した。ハレの旅の本来の目的である、アーロンに関する情報を収集する為だ。
「アーロンも探さなくちゃいけないし、ノアもエンデラの森に連れてかなくちゃいけないなんて、ハレたちは大変だな。オデなんか、一個やってたらそれだけで頭がいっぱいになっちゃうだよ」
ドボロの言葉に、「ま、大変は大変だけどよ~」とハレは呑気な声で返した。かと思えば、一転して真剣な表情を浮かべるなり、ハレは続けた。「テメーで決めたことだからよ、弱音は吐いちゃいられねえ」
「ハレのそういうとこ、オデは好きだよ」
横長の口を縫い合わせるようにぴったりと閉じて、ドボロはニンマリと微笑んだ。「にしししし」と嬉しそうに笑いながら、ハレは右隣を歩くドボロの顔を仰ぎ見る。「な? 俺ってイイ男だろ~?」
「それがなければな」とトーマは溜め息交じりに、眼鏡のブリッジを押さえて言った。
新しい街に辿り着くと、ハレたちはこうしてアーロンについての情報を集めて回った。否、これまでに情報を入手出来た試しはないので、『集めて回る』というよりかは、『集めようとして回る』という表現のほうが、この場合的確かもしれない。情報収集は基本的に、以下のような流れで行われた。
ハレとトーマは二手に分かれて、街ゆく人々に聞き込みをする。これは大体夕方から始まって、夜の九時を迎える頃まで続く。九時を過ぎると、情報が一つも集まらないまま二人は合流し、何処かの屋台か飲食店で、この日の夕食を済ませる。食事中、二人はほとんど会話をしない。食事が終われば宿に戻って眠る。
この日も凡そ同じ流れで、ハレたちの情報収集は進んでいった。情報は何一つ集まらない。九時を過ぎたところでハレたちは合流し、この晩は繁華街から少し外れた路地に店を構える、焼きそばの屋台で夕食を摂った。食事を必要としないアーツであるドボロは、一足先に、と宿屋に戻っていった。念の為、ハレは店主の男にも、アーロンという赤い長髪の男について知らないか、と尋ねてみる。答えはこうだ。
「いやあ、アーロンってのは知り合いに一人いるが、あいつの髪は茶色だねえ。まァ、あれを赤って言えないこともないだろうが、あんちゃんが探してるアーロンは、六十過ぎた漁師のおっちゃんじゃあないだろ?」
「そりゃ流石にアーロン違いだわ。でもありがとよ、おっちゃん。焼きそば美味かったぜ」と、ハレは屋台の椅子を立つ。トーマは既に椅子を立って、屋台の傍らに立っていた。
(今日も収穫無し)とハレは頭の中で文字を書きながら、財布の金を探った。これもいつものことだ。しかし、間もなく終わりを迎えるこの日の情報収集のその最後に、いつもとは違うことは起こった。
「いや、待てよ」と、店主の男が言う。出来ることなら聞きたくなかったと、ハレが思ったのはそれを聞き終えた後のことだった。ようやく手に入れた、喉から手が出るほど欲しかったアーロンの手掛かりを、ハレはすぐにでも、何処かに追いやってしまいたくなった。暗雲が胸の中に立ち込める感覚を、ハレははっきりと覚えた。
「白いローブで身を隠した、赤い長髪の怪しい男がうろついてるって、どっかで誰かが言ってたな。ありゃギルドの遠征組だったか? 白いローブって言やァ、なんだか最近話題になってる、夜明けのナントカって奴かね? アーロンって名前かどうかは分からねえけどよ、こんなんでも手掛かりになりそうか? あんちゃん。…………あんちゃん? おーい、戻ってこーい」
途中から、店主の声はもう、ハレの耳には届いていなかった。ただ呆然と立ち尽くすほか、ハレにはなかった。その目はこの世界の何処でもない、何処かの場所へと向けられている。財布から落ちた何枚かの小銭が、マドラインの地を弾いて、虚しい金属音を立てた。




