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エンデラの森の黒き魔女  作者: 暫定とは
三章『深淵』
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 このアシリアの最高峰であるラトモス山を筆頭に、峻嶮たる雪の山々を抱えるヒュペルボレイオス山脈。年間を通して白雪に覆われるこの山脈によって東西に隔てられるのが、ヒマロス大陸最大の特徴だった。ハレたちが辿り着いたヒマロス大陸の海の玄関口『繁華の港町リヴィール』は、ヒュペルボレイオス山脈から広大な森林地帯を挟んで、大陸西側の沿岸に位置している。

 ヒュペルボレイオスより湧き出る幾つもの水源の一つで、大陸最大の流域面積を持つ『リヴィール川』の河口部分に造られたこの町は、様々な文化が入り混じった特殊な街並みと空気感を持っていた。リヴィール川が抱える幾つもの支流に沿って形成された、異なる文化を持つ複数の民族によってこの町が形成されてきた、という背景がそこにはあった。

「へー! なんだか色んなものを売ってんのな」

 港を降りてすぐのところから、リヴィールの市場は広がっていた。数え切れないほどの露天商が軒を連ねる昼過ぎの市場は、大量の人や物でごった返している。アルバティクスでは見たこともない商品の数々(鰐肉や蛇肉の瓶詰や、やたらと色彩豊かでサイズの大きい衣類など)に、目を見張って感心しながらハレは歩いた。

「本当ですね。見て、ハレさん。あそこのお店では隕石を売ってるみたいです」

 ノアの華奢な指が差す先を、ハレは細めた目で追った。そこには確かに、『隕石商(いんせきしょう)』と旗を出した露店が、青い布の上に幾つもの石を並べて商いをしている。「ホントだ、すげえや」

 ハレたちに気付いた歯抜けの店主が、こちらに向かって手を招く。「アンちゃん、今日は良いのが揃ってるよ! 見ていきなや!」

 途端に目を輝かせて、ハレは腕捲りをしながら隕石商の露店へと歩き始めた。が――。

「よっしゃ! ちょっくら見てみ――」

 見てみようぜ、とハレが言い終える前に、ハレが着用する焦げ茶のジレの後ろ裾を引っ張ったトーマが、「やめておけ」とそれを差し止めた。

「なんでだよ~、見るだけだろ~いいじゃんかよ~~~」

 唇を尖らせて文句を垂れるハレを無理矢理引きずって、トーマはその場を離れた。或る露店の前で立ち止まって、そこの看板商品である巨大なフランクフルトを三本買うと、ハレとノアへと一本ずつ渡し、手元に残った一本を大きく一口齧ってから、「隕石商なんてのは」とトーマは言った。市場の喧騒を再び歩き出しながら、十数回の咀嚼の後にそれを飲み込むと、トーマは続ける。

「大抵がそこらへんの石ころを並べてぼったくる、イカサマ商売なんだそうだ。前に本で読んだことがある。本物の隕石は小さいものでも十万ベイは下らない。少なくとも、歯抜けの老人がまっとうに出来る商売じゃないってことだ」

 「それは分かったよ。それじゃなんだ、これは餌付けか? 俺は犬かっつーんだよ!」とハレはふざけ半分、眉間を顰(しか)めて声を荒げた。

「要らないのなら俺が食う」

「嫌だね! これァもう俺のモンだ。断固食う!」

「勝手にしろ」

 「ああ勝手にするよ」といじけた口調で言いながら、ハレは顰めたままの表情で、口をあんぐりと開けてそれを齧った。口の中で噛み砕くと、程よい弾力と脂っこさ、そして何とも形容しがたい絶妙な塩加減が、ハレの舌の上には広がった。途端に表情を緩めると、「う、うめえ……」とハレは唸った。

 犬か、とはトーマは言わないでおいた。ノアとドボロはくすくすと笑って、その様子を見ていた。


 それから一時間ほど、ルチカを探しながらハレたちは市場を練り歩いた。シンからの鳩が飛んでいるとは言え、自分たちはどこかで待ち合わせをしているわけではない。もう少し探して見つからなければ、町の宿屋を当たってみようかとハレたちは話していた。その矢先であった。

「あ、ドボロじゃない!? おーい、ドボロ!」

 自身を呼ぶ女性の声にドボロは後方を振り返った。ハレたち三人もそれに倣って、声のする方を振り返る。こちらに向かって走ってくる声の主に気が付くと、ドボロは嬉しそうな表情と上ずった声で反応した。

「ルチカ! ラメールも!」

 そこにあったのは、くすんだグリーンのサファリジャケットに身を包み、紺瑠璃(こんるり)の髪をポニーテールに纏めた少女の姿だった。果物の入った紙袋を片腕に抱え、もう一方の手はドボロに向かって振られている。その後方には、ゲル状で流動性のある青い身体を持つ女性型のアーツを、彼女は連れていた。ルチカと、そのアーツのラメールだ。

 「いえーい! 久しぶり!」と、ルチカはドボロにハイタッチをした。広げた右手をそのまま宙に留まらせて、「久しぶりだ。二人とも」とドボロは笑った。「変わりはない?」とラメール。「ンだ」とドボロは頷き返す。

「ルチカはいつもと服の感じが違うだ」

 ルチカのサファリジャケットを不思議そうに見つめて、ドボロは言った。恥ずかしそうに頭の後ろを掻きながら、ルチカは返す。「あ、ああ~、これには色々とわけがあってね……。あたしがこんな服着てたって、リリには言わないでね」

 「分かっただ」とドボロは頷くと、それ以上の詮索はやめておいた。

 ドボロから視線を外し、ハレたちの方へと目をやると、「会えてよかった!」とルチカは笑った。「今日辺りの便だとは思ってたけど、港に入航者リストを確認しに行くまでもなかったわね」

 シンからの手紙にあったのであろう情報と照合するように、ルチカは順々に、一同の顔を見回した。

「えーっと、眼鏡をかけたのがトーマで、真っ黒い服がノア。やたらと元気でダボダボの服が――」

 トーマ、ノア、と二人の顔を支障なく、そして首尾よく記憶に留めたルチカだったが、ハレの顔を視界に収めると、一瞬だけ、彼女の中で時が止まったような感触があったように、ハレには感じられた。

 ルチカにとっては長い一瞬だった。ハレの姿はルチカにとって、既に失われた存在だったからだ。本来ならばゆっくりと時間をかけて、ミドのことを思い出す時間がルチカには必要だった。然し、今はそうすべきではない。シンからの手紙の中でも、このことについては触れられていたのだ。涙と共に零れそうになる思いを律して、ルチカは頷くと、ハレへと手を差し伸べた。

「――ハレね。よろしく」

 不思議な違和感はあったものの、触れてはいけないことのように感じたハレは「おう! よろしく!」とその握手に応じた。「ルチカよ。それに水のアーツのラメール」とルチカは手を握ったまま言った。

 そういえばシンも初めて会った時、自分の顔を見て驚いたような反応を見せていた、とハレは思い出す。あれはなんだったのだろう。

 ハレはこのような『触れてはいけない』種類の沈黙や秘密が得意ではなかった。それを得意とする人間というのはあまりいないだろうが、とりわけハレはそういうものからは、常に取れるだけの距離を取って生きてきた。そして自身のそういう(普段ははっきりと物を言いたがるにも拘(かかわ)らず、いざという時に聞き質(ただ)すことが出来ない)生き方について、ハレはあまり好ましく思ってはいなかった。

 「もしも」とアーロンが言ったあの日も、自分はそれを追求することなく逃げてしまった。それが今、現実の結果としてこのような(アーロンがハレの前から姿を消し、ハレがそれを探し求める)状況を生んだ(とハレは心のどこかで思っている)のだ。

 とはいえハレの顔を見て驚いているのは、今のところシンやルチカだけだ。今この場でそれを追求することをしなくとも、ただちに大きな問題が発生することはあるまい。ハレの見立てが正しければ、シンは何らかの問題の兆候に僅かでも気付いているのなら、それを未然に防ぐ為の準備を怠らない種類の人間だった。そのシンがあえて触れていない話題なのだから、それをハレが看過したところで、少なくともハレたち、或いはシンたちにとって、打つ手がなくなるほどの問題は発生してこないはずである。ハレはそう、自分に言い聞かせた(シンやルチカが驚いているのは、ハレの顔や姿がミドと瓜二つであるという点に対してなので、実際にハレがそれを看過することによって、あとから問題が発生するというようなことはない)。

 立ち話もなんだから、と言って、ルチカはハレたち四人を、自身が世話になっているという人物の家へと案内してくれた。移動中ルチカは、シンとドボロを含めた自分たちの関係を、順を追って簡単に説明をした。

「あたしとリリは、アンモス大陸の西の端にある、コントゥリって村で生まれ育ったの。四年と少し前になるかな。当時はラメールもいなかったんだけど、或る時リリが、ひょんなことからドボロのドルミールを目覚めさせた。ちょっとした事情があって、リリとドボロとあたしは急遽、帝都の納物祭に出ることになったんだけど、あたしたちはそこで、とある事件に足を突っ込んじゃったの。当時はアーツ泥棒だ~なんて、結構話題になってたから知ってるかな? そこから先はもう滅茶苦茶よ。わけの分からないアトラクションに乗っけられたみたいな一年だった。帝都で出会ったシンと一緒にファンテーヌを訪れて、そこでラメールと出会って、リリのお父さんがあたしたちを連れ戻そうと迎えに来たんだけど、結局そのお父さんも一緒に旅をすることになって。あーでもない、こーでもないとやってるうちに、なんだかとんでもないものを敵に回してることが判明した。リリとドボロがこれまたとんでもない力を手に入れて、なんとかそいつらは倒したんだけど、ドボロはその力を使うことによって、一度は消えてしまったの。で、それから早三年。今年の四の月中頃に、ドボロが再生した。五の月の頭に、あたしたちは帝都で久しぶりにシンと会うことになったんだけど、その時に、まあこれも複雑な事情で、シンはリリからドボロを預かることになった。で、今に至る」

 一通りの説明をし終えると、自分の説明に納得がいかないといった様子で、うーんとルチカは唸った。「簡単に説明しようとすると尚更わけ分かんなくなるのよね。まあ、あたしたちのことはまた時間のある時に、シンにでも聞いたらいいわ」

 先頭を進むルチカが、後方にいる自分たちに身体を向けたまま、進行方向には目もくれずに(おまけに彼女は会話の節々に、ジェスチャーまで挟みながら説明した)歩いていくので、誰かにぶつかるのではないか、躓いて転ぶのではないかと、特にノアは心配した。然し、実際に彼女が躓いたり、人にぶつかるということはなかった。「器用なもんだな」とハレが言うと「昔から悪い癖なのよね。こうやって歩くの得意になっちゃった」とルチカは自慢げに笑った。

「前の旅の時は、ルチカがそうやって歩いてたから、アルバティクスでシンに出会えただ」

 横長の口を閉じてニンマリと笑ったドボロに、唇を尖らせてルチカは返す。「そんなことは言わなくていいのよ」

 余談だが、十七歳になったルチカの身長は一六〇センチを超えており、ハレやトーマよりも僅かに高かった。なお、ハレたち一行は背の高さで並べると、トーマ、ハレ、ノアとなる。こうして複数人でいる時は特に、細身で小柄なノアは実際の身長よりも、尚更に縮こまって見えた。

 ルチカの案内で市場から十五分ほど歩いたハレたちは、パステルブルーの外壁を持つ、小綺麗な一軒家へと辿り着いた。川沿いに建てられた小さな家屋は、川岸に浅い芝の茂る庭を持っている。庭には白いガーデンチェアと揃いのミニテーブルが澄まし顔で並んでいるほか、ビオラに似た小さな花が色とりどりに咲いていた。こだわりのある人間がオーダーメイドしたのだろう、ポストや窓枠、玄関扉に至るまで、家屋を形作るパーツのそれぞれには細かい意匠が凝らされており、全体的に可愛らしく、そして無駄なく端正に整っていた。

 玄関のドアノブに手をかけたルチカは、そこで何かを思い出したように、ピタリと止まった。数秒間そうした後で、「すごく説明が難しいんだけど」と、ルチカはハレたちを振り返った。

「いきなりだとびっくりすると思うから、一応説明しておくね。この家に住んでる人を、あたしはママって呼んでるんだけど、実際には母親ってわけじゃないの。その人にそう呼びなさいって言われてるから、そう呼んでるだけ」

 ハレたち四人は各々、ルチカの言葉の意味を理解しようと努めた。が、四人はそれぞれ、頭上に浮かんだクエスチョンマークを、『ほとんど全く理解できない』とか『極めて特殊な主従(或いは歪んだ恋愛)関係と推察するが恐らく正解ではない』というような表情で表現するほかなかった。

 四人の(特にトーマの)疑念とも取れる視線に耐え兼ねたルチカは、一旦ドアノブから手を放して、ハレたちを身体ごと振り返ると、「いや、別に変な関係ってわけじゃないのよ」と続けた。

「ここに住んでる人は、あたしの師匠にあたる人なんだけど、なんて言ったらいいのかな。ちょっと変わった人なのよね。まあ、説明するよりも実際に見てもらったほうが――」

 そこまで喋ったところで、ルチカの後方の玄関扉がガチャリと音を立てて開(ひら)いた。扉に背を向けていたルチカは、開いてくる扉に頭を打たれ、「あだっ!」と声を上げると、後頭部をさすりながらその場にしゃがんで丸まった。虹色の短髪をした(三十代後半から四十代前半ほどに見える)長身の女性が、扉の向こうから顔を覗かせる。

「あらルチカちゃん、帰ってたの? 話し声だけ聞こえるから誰かと思った」

 彼女の声を聞いて、ハレたちはルチカの言葉の意味を理解した。見た目は男性とも女性とも取れるが、どちらかと言えば女性よりなその人物が、声だけはどう聞いたところで、中年男性の嗄(しゃが)れ声そのものだったからだ。

 ルチカを見下ろしてそう言った彼女は、ハレたちの存在に気が付くと、一瞬、電撃が走ったように呆然とした表情を見せた。かと思えば次の瞬間には、宝物を見つけた少年のようにブラウンの瞳を輝かせて、彼女は捲し立てた。

「ちょっと~! 誰なの、このカワイイ坊やたちは! もしかして前に言ってたボーイフレンド!? ルチカちゃん年下好きだったのね~! ちょっとあなたたち! そんなとこ突っ立ってないでホラ、入った入った!」

 表情を歪ませながら、一八〇度方向転換をしてどこかへ走り去ろうとするハレの首根っこを、トーマは視線すら動かさず、左手で掴んで逃走を阻止した。

「俺は行く! 止めるなトーマ!!」

「何処へだ」

「んなこた走り出してから決めらァ!!」

 それ以上、トーマは言わなかったが、掴んだ手の力を緩めることもしなかった。後頭部を擦りながら立ち上がったルチカが、「ただいま、ママ」と泣きそうな声で言った。


「だから違うんだってば! この子たちはリリとシンじゃないし、リリとシンはあたしのボーイフレンドでもない!」

 部屋に通されたハレたちはまず、(キッチンに入って炒飯を作る)ルチカと(カウンターチェアに腰掛けた)ルチカの師匠でこの家の持ち主――クリスの、コントじみた押し問答を、ダイニングテーブルに備え付けのベンチで聞かされることになった。途中から面白くなったハレは、テーブルに突っ伏して笑いを堪えるのに必死だった。

「またまた照れちゃって~! 二人に挟まれて大変だったって、ルチカちゃんいっつも自慢してくる癖に~」

「挟まれるってそういう意味じゃないわよ! 二人とも言い出したら止まらなかったり、お互いに微妙にライバル視してたから、扱いが大変だったって話でしょ! リリもシンも、ただの旅の仲間!」

「分かってる、分かってるわルチカちゃん。男ってのは一度言い出したら、止まるってことを知らないのよね~。それにしたって、ただの仲間を二人もたぶらかして恋のライバルにさせちゃうのは、ルチカちゃんちょっと遊びすぎじゃない? 二人も大変だったでしょ?」

 細長い眉を八の字に曲げて、クリスは悩ましい表情をハレとトーマへと向けた。トーマは無表情で無反応だった。ハレはもう笑いが止まらなくなっている。

「それも違うし、二人はリリとシンじゃない! もう、あたしの話も聞いてよ!」

「何よ~怒っちゃって。じゃ聞くわよ。リリくんとシンくんじゃなきゃ誰なのよ」

 出来上がった炒飯を、ルチカはダイニングテーブルの中心に置かれたコルクで出来た鍋敷きの上に、ドスンと音を立ててフライパンのまま置いた。テーブルには既に、五人分の皿とスプーンが配膳されている。

「さっきも言ったでしょ! シンのとこからのお客さん。昨日の夜も、そろそろ来ると思うって話したじゃない」

 「お客さん~?」と不貞腐(ふてくさ)れたような形相で、クリスは言った。暫しの黙考の後でその話を思い出したのか、ハッとした表情を浮かべると、「ああ~!」とクリスは納得の声を上げた。彼女の頭上に電球が浮かんでいても、或いは不思議はないかも知れない。絡まった糸が解(ほど)けてスッキリした、というような面持ちで、クリスはハレに向かって、右手の人差し指を突き立てた。

「アビスシルクの!」

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