23
一歩を踏むごとに、鈍い音で鳴く鉄の板が、その街には敷き詰められていた。
最近になって出来た街だとトーマが言っていたので、まだ工事中なのだろうか、と思ってノアは尋ねたが、トーマの答えは違った。
「最近とは言っても、二十年以上も前の話だ。街の建設は流石に一通り終わってる。工事中というわけじゃなく、これがこの街の完成した姿だ。街の入り口に、長い上り階段があったろう」
「はい」
「この街の地上は、実質三階なんだ。この下には更に二階層の構造が設けられていて、それぞれ、一階部分は騎士団の武器や船の部品などを管理する機材区、二階部分は街の人々が暮らす居住区、そしてこの三階部分は、海側には複数の港と船工場、陸側には役所や商店、市場などを抱える市街区となっている。構造上、最低限の重みを支える簡素な骨組みになった、といったところだな。更に言えば、この鉄の踏み板を含めた街の設計こそ、ここが『鋼の軍港』と呼ばれるようになった所以でもある。街自体が鋼の構造を持ち、そこの住まう騎士団も、何があってもこの国を守る、という鋼の意志を以て職務に当たる――だから鋼の軍港、というわけだ」
感心に目を丸くすると、「なるほどです」とノアは言った。
頭の後ろに手を組んで歩きながら、「へ~~」とハレも続く。「すごいけど、四人も並んで歩いてると、流石にちょっとうるさいな、この音」
「確かにな。夏場には熱を持ってしまって更にきついらしい。それでもこうせざるを得なかったのだから、背に腹は代えられないということだ」
「そういうこったな」
夜明けの月光のモナトと、その精霊レニ・リタの襲撃から、更に数日が経過していた。アンモス大陸の南海岸に位置する港町に、ハレたちは到着していた。街の入り口には大きな市場が賑わっており、昼前にこの街へと到着したハレたちは、その喧騒に出迎えられた。
広大な街の全体には、鼠色に鈍い金属光沢を放つ、鉄の踏み板が敷き詰められている。トーマの言うように、ハレたちの歩く鉄の地面はその下に別の階層を持っているらしく、踏板の隙間からはその下の階層を往く人々の姿をも、ハレたちには垣間見ることが出来た。
それぞれの階は、これも鉄で出来た強靭な骨組みによって支えられており、またその最下層となる一階部分もが、やはり土の地面ではなく、鉄の板をその土台としている。一階部分の更に数メートルの真下には、すぐに海面が広がっているのが、三階部分を歩くハレたちにも分かった。元よりこの街は、陸の上には造られていないのだ。
海上に形成された、鉄の構造を持つ『鋼の軍港』――それが、このスチルバティクスの特徴であった。
「でも、面白い形の街だよな。なあドボロ!」
右後方を歩くドボロの表情を仰ぎながら、ハレは言った。
「ンだな。街なのに幾つも階層があって、でっかい一個の建物みたいだ」
「ドボロさんも、ここへ来たことはないのですか?」とノアが尋ねる。
「前の旅の時には、オデたち専用の船があっただよ。いつもヴェッセルの街の港を使わせてもらってたから、この街に来るのは初めてだ」
「専用の船!? スゲー!」
驚きと羨望の表情でそう言ったハレに、ドボロは恥ずかしそうな笑みを浮かべると、然し少しだけ自慢げになって答えた。
「そんなに大きな船じゃないだよ。木で出来たちっちゃい船で、ドボロ号って言うだ」
「ドボロ号! 良い名前じゃん! いいなあ、自分たちの船で海を渡るなんて! まさに冒険、って感じでさあ! なあドボロ、いつか俺もドボロ号に乗せてくれよ!」
「勿論いいだよ。この旅が終わったら、みんなで乗りに行くだな」
「言ったなドボロ? 忘れねーぞ! 約束だかんな!」
ハレはそう言うと、ドボロに向かって右手の小指を突き出した。手の大きさが違いすぎたので、ドボロは指を握り返すことはなく、自身も右の小指を突き立てた状態で、ハレの小指にちょこん、と触れた。
「ンだ。約束だ、ハレ」
満足げな笑みをその頬に湛えながらも、それを微笑ましく見つめるノアと、仕方のなさそうに見つめるトーマに気付いたハレは、「お前らもだろ、ノア、トーマ」と、二人の手を順に引っ張り寄せた。
「そ、そんな! 良いんですか? 私まで」
「なんで俺が! そういうのはお前たちだけでやれ!」
「ごちゃごちゃうるせー! ほら小指出せ!」
半ば無理矢理に、ノアとトーマの小指を差し出させると、ハレはそこに自分の小指をも重ねて、ギュッと握りしめると、ドボロの小指に突き当てた。これでよし、とでも言わんばかりに、再び満足げな笑みを浮かべると、ハレは言った。
「俺たち四人の約束だ!」
その晩、港に面した商店街に建つ宿屋の一室を、ハレたちは借りた。
昼間、港に立ち寄ったハレたちが聞いてみたところ、一行の次なる目的地であるヒマロス大陸、リヴィール行きの定期連絡船の出航は四日後、ということであった(シンの言った通り、連絡船は一週間に一度この街から出ていた)。ハレたちは少なくとも四日間は、この街に滞在せざるを得ないというわけだ。
すぐにでも動き出したい衝動に駆られながらも、勿論ハレは、たまの休息を嬉しく思わないわけでもなかった。宿屋の浴場で久々に身体を流した後、明日以降の食糧などの買い出しがてら、ハレはトーマと共に夜の商店街へと繰り出した。飲み屋のテラス席では、船乗りらしき男たちが楽しそうに騒いでいる。トーマの巻取り時計は、午後の七時半を指していた。
「風が涼しくて気持ちがいいねェ。夜の港町ってのも、なかなか風情があるじゃねーの」
風呂上がりで火照った身体を冷ます、海からの風に吹かれながらハレはそう言った。
「中年みたいなことを言うな。俺まで老ける」とトーマ。
「何をう。風情があるのは事実だろ」
「それは分かるが、言い方と言葉選びが中年なんだよ」
「達観してると言ってくれよ、トーマ少年」
「……勝手にしてくれ」
右手側に港を抱えるこの通りからは、海の様子までもがよく見えた。ハレたちの歩く三階部分からは、緩く長い下りの階段を下りた先に、スチルバティクスの港はある。両手両足を使っても数え切れないほどの船着き場は、篝火によって明るく照らされていた。
船着き場には中型から大型の、旅客船と思しき船舶を中心として、ボートのような小さな船や、軍艦のような厳めしい見てくれの大型船もが、所狭しと並べられている。何千、何万という人や物の流通を、この街が担っているのだということをその風景は物語っていた。或るところでぴたりと立ち止まると、ハレは船着き場のほうへと視線を向けるなり、暫し黙してその光景へと見入った。
「……もう、大丈夫なのか?」
感嘆に声を漏らしながら、港を見つめて動かないハレの後ろ姿に、トーマは静かに尋ねかけた。
「あん? 何がだね、トーマ少年」
「その呼び方はやめろ、癇に障る」と嫌そうに言うトーマを振り返りながら、「にしししし」とハレは目を細めて笑う。ハレの隣までやって来て、同じく港へと視線をやると、トーマは続けた。「……アーツのことだよ」
「あ~」
そのことか、という風な声色で、ハレは言った。その目は依然として、港とそこに並ぶ船舶に、興味深く向けられている。が、その瞳の色が僅かに変わったことが、トーマには分かった。
考え込むように口を噤んで、ハレは暫し沈黙した。「うーん」と唸りながら、目を細めたり、眉間に皺を寄せたりを数秒間繰り返した後で、観念した、とでも言うように、ハレはゆっくりとその口を開いた。
「……ドボロには、感謝しなくちゃいけねえ。お前やカレントにも、謝らなきゃいけねえ」
す、とトーマを向き直ると、納得のいかないような表情で「本心じゃねえぞ」と断ってから、ハレは頭を下げた。
「すまんかった」
その光景に、口の端から「ふ」と小さく笑みを零すと、「やめろ、気持ちが悪い」とトーマは言った。真っ赤に染めた顔を上げると、「ンだと人の真剣な謝罪を!」とハレは怒鳴った。
「本心じゃないんだろ?」
「ほ……、本心じゃねーよ」
「じゃあ、本心じゃない謝罪の意味を、こちらも不本意ながら聞いておこう」
トーマを睨み付けながらも、ハレはゆっくりと、港の方へと視線を移した。と、念を押すようにもう一度、ハレは言った。
「本心じゃねーからな」
「それはもう分かった。さっさと言えよ」
再び、数秒間の沈黙を挟んで、「ドボロはよ」とハレは呟いた。「あいつはすげーよ。出会ってからたった数日で、俺の中のアーツのイメージを、簡単にひっくり返しやがった。いや、俺が馬鹿だっただけかも知れねえけどよ」
「ほう」
「最初はやっぱ、スゲー怖かった。知っての通り、〝共鳴〟も出来なかったしな。モナカとか言ったっけ? あの指パッチン野郎。あいつとの戦いの中で、ドボロはテメーに触ることすら出来なかった俺を、パートナーだと言ってくれた。自分の身体張ってまで、俺を守ってくれた。そんで分かったんだ。当たり前なんだけどよ。ドボロは、アーロンを攫ったアーツとは違うんだって」
モナカではなくてモナトだ、とトーマは思いつつも、口にすることはしないでおいた。
あれ以来、道中に於ける魔物との戦闘中、ハレは何度かドボロとの〝共鳴〟を実践していた。そしてその回数を重ねるごとに、その現象が自身へと齎す身体能力への影響と共に、ドボロというアーツとの不思議な繋がりのようなものをハレは感じ、その感覚に心を躍らせ、また甚く感心をしていた。
「〝共鳴〟したら、もっとよく分かったよ。ドボロの考えてることっていうか、感じてることっていうか、よく分かんねーけどそういうモンが、俺の中に流れ込んでくるんだよな。心とか、魂っていうのかな。ドボロの中には少なくとも、悪意とか、誰かを陥れようなんて気持ちはこれっぽっちもありゃしねえ。だから、トーマのパートナーのカレントだってそうなんだって、そん時にようやっと確信出来た。今まで俺、カレントに嫌な言い方したり、カレントを避けたりしてきたからよ。……悪かったなって思ってさ」
バツの悪そうにして、ハレは視線を泳がせた。腰のホルダーに備え付けられたカレントのドルミールに触れながら、「まあ」とトーマは仕方のなさそうに返す。「そういうのは、本人に直接言ったらどうだ」
光を放ちながらドルミールは肥大化し、(水棲生物を思わせる、ぬるりとした光沢を持つ)濃紺と白の肌を持つ巨人の姿となってそこに立った。優しげな笑みをその頬に浮かべて、カレントはハレのことを見つめていた。
ドルミールの状態でも、アーツの視覚や聴覚が機能することはハレも知っていた。今の話も、カレントはすべて聞いていた様子だ。そのつもりこそなかったが、言い逃れはどうやら出来ない状態であることを悟ると、苦い表情を一転、真剣な眼差しをカレントへと向けて、ふん、とハレは鼻を鳴らした。
「カレント」
「ああ」
「……俺のくだらねートラウマのせいで、嫌な思いさせちまってたよな。良いアーツがいることだって、お前やドボロが悪い奴じゃないことだって、分かってたのに、なかなか気持ちの整理がつかなくてよ……。正直、謝っても謝り切れねえ。許してくれなくたっていい。ドルミールにしといてくれだの、アーツが嫌いだの、酷いことばっか言ったと思ってる」
数秒間口ごもってから、「今までごめん」とハレは謝った。暫しの沈黙が、三人の間には流れた。
カレントは、どう思うだろうか。自分が逆の立場なら、きっと簡単に、それを許せはしないだろう。トラウマだろうがなんだろうが、客観的に見れば勝手な思い込みで、自分は今までカレントを、さも悪者のように扱ってきたのだから。
目を伏せていたハレは、カレントの表情を確認するべく、恐る恐る彼の顔を仰ぎ見た。カレントはなんでもなさそうに、柔らかい笑みを浮かべてハレのことを見つめていた。
「謝ることなんてない」
そう、カレントは言ってくれた。
「大切な人を、正体不明の存在に奪われたんだ。それだけの傷を心に負うのは当たり前だろう。自分に正直なのは、ハレの良いところだぜ。寧ろ、ハレの不安が払拭されて良かったじゃないか。疑念が晴れたなら、俺も遠慮なくこの姿でハレやトーマの傍にいられる。良いこと尽くめだ。……これからも改めて、よろしく頼むよ」
カレントの言葉に、目頭がじんわりと熱くなるのを、ハレは禁じ得なかった。
「カレント……、お前って……」
アーツに触れようとも、もう震えることのなくなった両の手で、ハレはカレントの右手を覆うと、ぶんぶんと縦に振りながら、大粒の涙をボロボロと零して叫んだ。
「イイ奴だな~~~!!」
困ったような笑顔で応じるカレントと、泣きながら叫ぶハレを見兼ねて、トーマは呆れるように眉間を顰めると言った。
「おい泣くな、むさ苦しい。公衆の面前だぞ」
「泣いてね~~~!!」
「いや、泣いてはいるだろ……」
額を押さえて溜め息を吐きながら、トーマもまた、二人の間に芽生えた新たな絆を、心中喜ばしく思ってもいた。嵐のような旅の中でも、こんな平穏が出来るだけ長く続けばいいと、トーマは強く願っていた。
この旅に於いてはあくまでも付き添い――自身をそう形容するトーマであったが、彼という歯車もまた、アシリアを巡る運命の輪の中に、巻き込まれ始めようとしていた。次なる邂逅が目前まで迫っていることを、少年たちはこの時、まだ知る由もない。
商店街からの賑やかな灯りが、ハレたち三人を照らしている。霞みがかった雲の向こう側から、白い月が顔を覗かせていた。




