22
「ハレ、ドボロ! 行け!」
前方から、ハレとドボロを振り返りながらトーマは言った。隣に立つカレントと共に、その身には煙のような水色の光を、トーマは纏わせている。
「おっ、おう!」
スチルバティクスへと続く平原の途中で、一行はオオサンショウウオほどの大きさもあるトカゲ型の魔物――ランドラの、四頭の群れを相手に戦っていた。
「い、行くぜ、ドボロ……!」
「ンだ!」
ハレの右隣に立ったドボロは、そう言って頷き返しながら、左手をハレへと差し出すようにしてみせた。ドボロの左手を見つめながら、ハレはごくりと唾を飲み込む。自身の右手をそこに重ね合わせるべく、震える右の掌を、ハレはドボロの左手の上に翳すようにした。ハレの手には、シンから託された黒い指無しのグローブ――新型フォルスチェインが着用されている。
「チェ、チェッ……!」
『ハレが〝共鳴〟と唱えながら、二人がが互いの身体に触れることによって、新型フォルスチェインは作動し、疑似的な〝共鳴〟状態を発生させる』
数日前、シンから聞いたその言葉が、ハレの頭の中にはこびりつくように、繰り返し残響していた。
(なんでもねーだろ、こんなこと! ただ触ればいい! そんでチェインって言えばいいだけだろうが! ビビるな! 動け! 俺!!)
自身にそう言い聞かせながらも、あと少しのところで、ハレの決心は鈍った。
そうこうしているうちに、その見かけからは想像も付かない足の早さで、ハレたちへと駆け寄った一頭のランドラが、吸い込んだ空気の圧を衝撃波として、その口からハレへと放った。胴体に直撃を受けたハレは、呻き声を上げながら後方へと強く吹き飛んでいく。
「うがっ!!」
地面を転がされながらも、体勢を立て直そうとハレは試みる。が、ハレを吹き飛ばしたランドラは、ハレへと追撃を加えるべく、凄まじい速度でハレへと迫っていた。
「何やってる! ハレ!」
トーマの声が響く。すぐそこまで迫ったランドラは、ハレへと牙を剥かんとしていた。顔の前で腕を交差させて防御姿勢を取ったハレだったが、それには及ばなかった。ドスン、という鈍い音と共に地面から突き出した土の柱によって、ランドラの肢体は宙へと突き上げられたのだ。ドボロが地を殴り、それを出現させた音だった。
「さ、サンキュー! ドボロ!」
「大丈夫だか! ハレ!」
立ち上がったハレが、ランドラとの距離を取って体勢を立て直すまでの間に、ドボロがその一頭を、残る三頭をトーマとカレントが打ち倒し、ランドラとの戦闘は終了した。
ファンテーヌを発って、既に数日が経っていた。ここまでの進捗は悪くなく、明日の夜にもハレたちは、スチルバティクスに到着する見込みだった。が、ハレはここまでの道中に於ける戦闘の中で、まだ一度も、ドボロとの〝共鳴〟を成功させることが出来ないままでいた。
「焦る必要はないがな、急ぐ必要は、或る程度はあると思うぞ」
夕方ごろから雲行きが怪しかったので、小高い山の麓に見つけた小さな岩窟の中に、この晩ハレたちはテントを張った。夕食に、強い弾力を持つランドラの肉を齧りながら、焚火の向こう側に座るトーマはそう言った。
そんなことは分かっている、とハレは思ったが、言葉にすることはしなかった。分かっていながらも出来ないのだから、それは紛うことなき、自分の弱さなのだ。なにもトーマは、自分を挑発して言っているわけではない。彼なりに忠告をしてくれているのだ。それが事実である以上、反論せずに受け入れるほか、ハレにはなかった。
夕食後、岩窟から程近い小さな丘の上に寝転がって、ハレは一人、物思いに耽っていた。
「ここにいただか。探しただよ、ハレ」
丘の下から、そう言いながら登ってきたのはドボロだった。やはり、少しだけ身体を震わせてハレは反応した。
「ド、ドボロか。びっくりした」
「驚かせただか? ごめんだ。こんなところで何してただ?」
のそりのそりとハレへと歩み寄ったドボロは、仰向けに寝転がるハレの隣に、ずっしりと腰を下ろした。それに合わせて身体を起こすと、ハレはそこに胡坐の体勢を取った。
「いやさ、お前に連いてきてもらったはいいものの、見ての通りてんでダメだ。やっぱ俺ってば、アーツと一緒に戦うなんて向いてないのかなって思ってさ」
その言葉に、「ハレは正直だな」とドボロは笑った。「あ、ごめん」とハレ。
「別に、ドボロがどうのってわけじゃねーんだ。寧ろ、ドボロで良かったと俺は思ってるよ。ただこのまま、〝共鳴〟も出来ない状態でずっとついて来てもらうんじゃ申し訳ねーし、シンにもノアにもトーマにも、示しがつかねーなと思ってよ」
飽きっぽい自分の性格を、ハレは嫌いではなかった。が、口先だけは格好のいいことを言うだけ言っておきながら、既に諦めかけている自分の弱さにはうんざりとしていた。変えなくては、変わらなくてはと、ハレは今しがたドボロが現れるまで、念じるように繰り返し、心の中で自分自身に言い聞かせていた。
行動を変えることは、そこまで難しいことではない。一瞬でも気合を入れてドボロに触れ、〝共鳴〟と唱えればいいだけなのだから。然し、それが何の解決にもならないであろうことはハレには勿論分かっていた。変えるべきは行動ではない。意識なのだ。
意識の中で芽を吹き根を張る、アーツへの不信感。それを摘み取ることが出来なければ、例え行動としての〝共鳴〟を再現出来たとしても、問題の解決にはならない。では何によって、自分は自分の意識を改革することが出来るのか。ハレにはそれが分からなかった。
「三年前の旅をしてた時」
懐かしむような視線を宙へと向けて、ドボロは言った。青黒い夜の空気に、野太くも優しいその声は溶けていくようだった。
「旅も大詰め、もう少しで目的達成ってところで、オデと、オデのパートナーのリリは、でっかい壁にぶつかったことがあっただ。怖い、嫌だってリリは泣いてた。オデも怖くて泣いてただ。でも、リリにはなんとしてでも目的を達成したいって、信念みたいなもんがあった。オデもそれを信じてただ。だから、オデもリリもその怖さを乗り越えられた。お互いを信じられたから、乗り越えられたんだと思うだ。……オデは、ハレのことも信じてるだよ。ハレはきっと、ノアをエンデラの森まで連れていくことが出来るだ。その為なら、どんな困難も乗り越えることが出来る。ハレがそれを信じられないんなら、ハレを信じてるオデを信じればいいだ」
横目にハレを見つめて、ドボロは尋ねた。「ハレは、オデを信じられないだか?」
「俺は、……俺はよ」と、逃げるように視線を泳がせて、ハレは口ごもった。ハレの表情を伺うように覗き込むと、次いでドボロは、次のように言った。
「……ハレ、オデが怖いだか? オデはハレのことなんて、ちっとも怖くなんかないだよ」
ドボロの言葉に、ハレは考えた。
俺は、怖い。怖いし弱い。それに、情けない。
アーロンを攫ったのは、俺を突き飛ばしたのは、確かにアーツだったかも知れない。でも少なくとも、ドボロではない。そんなことは分かっているのに、どうしようもなく怖い。トーマやみんなの前でわざわざ口にすることはなくとも、俺の記憶や、身体に刻み込まれた感覚が、アーツは悪だと言っているのが、確かに聞こえるんだ。ただのトラウマなんだと分かっているし、知っている。それなのに怖い。身体が震える。いつかきっと、ドボロも俺から何かを奪っていくんだと、心の何処かでは、確信すらしている。
ドボロを信じられないか、と聞かれたら、勿論俺は信じたい。でも実際には、どうしようもなく信じられないのが実情だ。ドボロはこんなにも優しいのに、トーマやノア、シンにも気を遣ってもらっているのに、信じることすら出来ないのが現実だ。ドボロやドボロのパートナーが、苦悩して乗り越えた壁がどんなに高いのかは分からない。でもさ――。
(自分の前に立ちはだかる壁ほど、何処までも高く果てしなく、大きく見える壁はねーのよ)
そう思ってしまった途端、ハレは酷く惨めな感情に見舞われた。
怖いか、という質問に対し、ドボロが望む答えはノーだ。然し、自分はイエスの答えしか持ち合わせてはいない。ドボロはそれをどう思うだろうか。恐らくは鬱陶しく、そして女々しく思うだろう。もしくは、既にそう思っているのかも知れない。ただただお情けで、自分の旅について来てくれているのかも知れない。一度そう思ってしまうと、救えないほどの悔しい気持ちに、ハレは包まれた。
「……ドボロ、俺はさ」
砕けそうなほどに噛み締めた奥歯の隙間から、零れ出るようにその言葉は出てきた。涙が落ちることはないように堪えたが、声はどうしようもなく震えた。
「怖ェんだ。ごめん。自分のこと、怖いなんて言われんのは嫌だよな。でも怖ェ。俺が弱いからそう思っちまうんだ。どうしたら、怖くなくなっかなあ。どうしたら、お前のホントのパートナーみたく、俺も強くなれんのかなあ」
俯いてそう言ったハレを、ドボロは守ってやりたかった。自身の右手を、ドボロは見つめてみる。リリや仲間たちを何度となく守ってきた手だったが、今この場所においては、ドボロのその手も無力であった。
再度ハレへと視線をやると、「ハレ」とドボロは呼びかけた。と、その時である。
辺り一帯に地響きと共に、轟音が鳴り響いた。二人は一斉に顔を上げて、素早く辺りを見回した。何かに気付いたドボロが、立ち上がりながら丘の下を指差した。
「ハレ、あそこだ!」
ドボロの指差す先には、つい先ほどテントを張って夕食を食べた、小さな岩窟が認められた。岩窟は何らかの衝撃を受けてか、入り口の岩盤が僅かだが崩れ落ちており、辺りには土埃が舞い上がっている。岩窟の出入り口付近には一人の人影が立っており、その人影の傍らには、浅緑の光を纏った鳥のような生き物が二匹、羽ばたいているように見える。
土埃の向こう側へと、ハレは目を凝らすと、その人物が白いローブに身を包んでいることに気が付いてハッとした。
(――夜明けの月光!)
驚きに目を見張り、ハレはドボロと顔を見合わせる。お互いに頷き合うと、二人は立ち上がり岩窟へと駆けた。トーマとカレント、そしてノアが、あの岩窟にはいるはずだった。
ハレたちが岩窟へと走っていく間、白ローブの人物は緑の光を纏う何かと共に、岩窟のほうへと何やら攻撃を仕掛けていた。ハレたちが辿り着いた時、そこには岩窟の外へと逃れ出たトーマとカレント、そしてその後方にはノアが、白ローブの人物と対峙していた。トーマとカレントは既に〝共鳴〟をしているが、(前回の少女との戦いの時と同様、やはり力の差があるのか)毅然として立つ白ローブに対し、二人はぜえぜえと息を切らしながら、地に手を付いてしゃがみ込んでいる。
「トーマ!! カレント!!」
後方から駆け寄ってくるハレに気が付くと、「来るな! ハレ!」とトーマは叫んだ。
「でもトーマ! こいつは――」
「俺とカレントがここは引き受ける。お前はドボロと、ノアを連れて逃げろ!」
何が最適な行動かを考えながら、傷だらけのトーマと、(深く被ったフードの向こう側で)余裕の笑みを浮かべるローブの男に、交互に数度目をやると、改めてハレはトーマへと駆け寄った。
「カッコつけんじゃねえ。俺とお前なら、まだやれるだろ、トーマ」
ハレに抱き起こされながら、「馬鹿野郎」とトーマは呆れるような笑みを浮かべた。その光景を嘲るかのように、白ローブの男はわざとらしく、ゆったりとした拍手をしながら言った。
「お熱くて結構。巫女を引き渡してくれればそれでいいんだけど――」
ハレやトーマよりは年上だろうか、その体格や声色からは、男が二十代前半ほどであるように、ハレには感じられた。大人のものとはいえ若々しく、美しい男声と、(ローブの上からなので正確には分からないが)男にしては細くしなやかな体格を彼はしているようだった。
拍手を止めると、「そんなに戦いたいのなら、容赦はしないよ」と男は続けた。
先日戦った少女が着ていたものと同じく、男の着用するローブは白地に青いラインの入ったものであった。『巫女を引き渡してくれれば』という発言からも分かる通り、聞くまでもなく夜明けの月光の一員だろう。
また、彼の傍らに羽ばたく、浅緑の光を纏った二匹の生命体は、近づいてよく見てみると鳥ではなく、蝶のような姿をしていることがハレには分かった。とはいえそのサイズ感は、ハレたちが普段見聞きする蝶のそれとはかけ離れており、広げればその翅の端から端までは、男の肩幅ほどもある。男の左右中空に滞空する二頭の蝶はそれぞれ、右側のものは優雅な青緑の翅を、左側のものは厳かな黄緑の翅を有しており、二頭はそれを緩やかな速度で羽ばたかせていた。
す、と男は右の手を天へと伸ばす。パチンと音を立てて指を弾きながら、静かな声色で唱えるように、彼は言った。
「――風霊、招来」
男の声を合図にするように、二頭の蝶はふわりとその身を翻し、光を振り撒くようにして男の周りを素早く旋回すると、男の両肩にそれぞれ止まった。光を浴びた男の身体からは、蝶と同じく浅緑の光が、風を巻き起こしながら煙のように立ち込める。強風に足元を踏ん張りながら、〝共鳴〟にも似ているが違う、とハレは思った。
「やはり精霊術師……! なら、あの女が連れていたデカブツも精霊か!」とトーマ。
くい、と首を傾げると、「ユニのことかい?」と男は尋ねた。
「ユニからの報告にあった、二人の男の子ってのは君たちのことだね。アーツ使いは一人だって言ってたような気がするけど……、まあなんでもいいや。ガルダバム川に飛び込んだって聞いてたけど、ちゃぁんと生きてたんだね。まあ、その生命力の高さに免じて答えてあげよう」
一拍を置くと、フードを脱いでその顔付きを明らかにしながら、男は続けた。
「僕はモナト。風の精霊を操る精霊術師だ。右肩のはレニ。左肩のはリタ。以後、お見知りおきを。もう気付いてる通り、君たちを襲ったユニと同じく、夜明けの月光の一員だよ。ハレにトーマに、巫女はノアって言ってたっけ。まあ、君たちの天敵、ってとこだね」
ネイビーの瞳を持つ、外側に向けて垂れ下がった優しげな目と、ペールラベンダーのおかっぱ頭を、その男――モナトはしていた。顔付きからもやはり、彼が二十代前半ほどであることが伺える。また、その肌には透き通るような白さを、彼は持っていた。
「寝込みを襲う決まりでもあるのか? モラルってものはないのかよ」
お陰で痛めたとでも言いたげに、トーマは首をぽきぽきと鳴らしながら、冗談めかしてそう言った。
「失敬。僕たちもそこまで余裕があるわけではないのでね。発見次第連れていく。それが基本だ。僕もユニも、たまたまそれが夜だっただけさ」
「そうか。それじゃあ」と、トーマは改めて体勢を立て直すと、腰のポーチから一冊の本を取り出した。題目には、アルバティクス流共鳴術、とある。カレントもまた、それに応えるように立ち上がると、構えの姿勢を取った。
腰の鞘から、ハレは細身の双剣を抜いて構える。後方から、ドボロがハレの視線を待っていることが、ドボロを背にするハレ自身にも何となく分かった。が、ハレには怖くて、ドボロへと目配せをすることが出来なかった。トーマやノアの手前、格好をつけたはいいものの、自分はつい先程、ドボロのことを否定してしまったばかりだからである。
「無理するなよ。こいつら相当の手練れだ。いざとなったら、俺を置いてでもノアと一緒に逃げろ」
数歩前方へと詰めながら、ハレにしか聞こえないような小さい声で、トーマはそう言った。突然の出来事に、ハレは言葉を返すことが出来なかった。
ぱらぱらとめくった本を或るページでぴたりと止めると、トーマは吼えた。その声を合図とするように、カレントとドボロはモナトへと駆け出した。一歩遅れて、ハレがそれに続く。
「――続きと行こう!」
初動はカレントだった。空気中の水のフォルスを顕現させ、彼は手元に一本の水のロッドを出現させると、それを手に右手側から、モナトへと襲い掛かった。ドボロもまた、左手側から距離を詰めると、モナトへと掌底を叩き込む。掌底自体は届く距離ではなかったが、突き出したドボロの掌からは土柱が出現し、それは勢いよくモナトへと伸びた。
左右から同時に放たれたカレントとドボロの攻撃は、見事に命中したかに見えた。そのまま数発に渡って、二人は連撃を見舞った。が、不思議な手応えのなさに、カレントとドボロは妙な違和感を覚えた。自分たちの攻撃が、まるで紙一重で躱されているか、彼の身体を撫でるように、ぬるりと滑っていくかのような。
「ふん、筋は悪くない。けど……」
二人の連撃に見舞われながらも、モナトは隙を見て、右手の指をパチン、と打ち鳴らした。すると――。
「うわっ!」「ぐおっ!」
指の音に応えるように、突如モナトの足元から出現した緑色の光を纏う竜巻によって、カレントとドボロは吹き飛ばされた。
「僕の足元にも及ばないね」
ふ、と微笑みを浮かべて僅かな隙を見せたモナトに、正面からハレが素早く詰め寄る。
「――そいつはどうかなッ!」
その刹那、ハレはモナトの右肩の蝶――レニが、男の肩を離れて翅を羽ばたかせているのに気が付いた。その様子から察するに、竜巻はどうやらこの蝶の能力であるらしい。両手に握った双剣で、ハレはモナトへと斬りかかる。
「ラァッ!! ――ッ!?」
そしてまた、ドボロやカレントが覚えたものと同じ違和感を、そこにはハレもが感ぜざるを得なかった。モナトの左半身に、確かに攻撃は当たったはずだった。然し、モナトは傷を負うばかりか、そのローブには切り込みすら入っておらず、やはり余裕の笑みを、彼はその頬に湛えていた。
「なんだッ! このッ!」
違和感の正体を探るべく、ハレは数度、双剣による連続斬りを放った。始めは避けるような素振りを見せたモナトだったが、数発目からはそれすらもしなくなり、ただそこに立って、むざむざとハレの攻撃の的になって見せた。勿論その間、彼は傷の一つも負ってはいない。
「ほらほらどうしたの。僕はここだよ」
仕舞いには、『種も仕掛けもありません』とでも言わんばかりに、彼は両の手を広げて見せた。攻撃をやめて狼狽えるハレに対し、モナトは今度は左手の指を力強く弾いた。今度は左肩の蝶――リタが羽ばたくのを、ハレは見逃さなかった。
「がァッ!!」
リタの羽ばたきから放たれた、電撃を纏った衝撃波に、ハレは後方へと大きく吹き飛ばされた。空中で体勢を立て直し、ハレはどうにか両の足で地面へと着地する。とその時、トーマの共鳴術技の詠唱が終わった。モナトの足元に、水色の光を放つ巨大な魔法陣が出現する。
「〝穿て水流、其は荒れ振るう魔斬りの一太刀――〟」
モナトを取り囲むように、魔法陣からはその先端を天に向けた、六本の巨大な剣を模した水のフォルスが、次々と出現した。モナトの頭上の空中にも、こちらは地に立つモナトへと先端を向けて、一本の剣が現れる。
「ワオ」と頭上を仰いでわざとらしく驚くと、「流石の僕にも避けきれないかも」と困ったような笑みを浮かべて、モナトは言った。トーマの声を合図にするように、六本の剣は一斉に、モナトへと振り下ろされた。
「――〝ハイドロ・セイバー!!〟」
青白い光を放ちながら、激しく弾ける水の音と共に、攻撃は命中したかに見えた。最後に、頭上の一本がモナトを目がけて、彼の身体を貫くように落下する。弾けた水が霧のように舞って、数秒間、モナトの姿は見えなくなった。
(当たったか……!?)
霧が晴れていく。彼が倒れてくれていることを、ハレは祈った。が、その祈りとは裏腹に、恐らくはモナトが倒れていないであろうことを、ハレは悟ってもいた。先に感じた違和感の正体に、ハレは気付いていたのだ。
数秒を以て、霧の中からモナトの姿は明らかになった。やはり、というべきか、彼の身体には傷一つついていない。それどころか、先ほどまでと同じく余裕の笑みを、彼はその頬に浮かべている。トーマに向かって微笑みかけると、モナトは言った。
「良い術だね。でも残念だ。僕には効かない」
「そのようだな。一体どんなトリックを使ってる?」
睨みを利かせながら尋ね返したトーマの顔色は、当然芳しくはない。何故こちらの攻撃が通用しないのか、トーマには分からなかった。トーマの疑問に答えたのはハレだった。
「竜巻だ、トーマ! 奴の右肩の蝶が、奴の身体の周りに薄っぺらい竜巻を作り出してる! 緑のフォルスに紛れてよくは見えねーが、要はそれが空気の層になって、あいつの身体を覆うバリアの役目を果たしてるってぇワケよ!」
言いながら、ハレは双剣の持ち手を握り直し、再度モナトへと駆けた。
「それがカラクリだろ! 爽やか指パッチン!!」
ハレの双剣の刀身は、先の攻撃の際にも、確かにモナトへと振り下ろされていた。然し、決まって彼の身に触れる直前で、見えない壁に阻まれるかのように、ぬるりと滑って空を裂いた。連撃の中でつぶさにモナトを観察したハレは、彼がその身体に、煙のような浅緑の光と共に、微かに渦巻く空気の層を纏っていることに気が付いたのだ。
ハレの言葉を疑いつつも、眼鏡のブリッジを押さえて、トーマはモナトへと向けた目を凝らした。離れた位置にいるトーマの肉眼では、流石に確認が出来なかったが、モナトがハッとした表情を見せたことははっきりと分かった。どうやらそれは、図星のようであった。
にやり、と再び笑みを浮かべると、「まさか」とモナトは言った。「たった一度の攻防でこれを見抜くとは驚いた。なかなか良い目を持っているようだね。でも!」
自身へと駆け寄ってくるハレに向けて、モナトは右の手と左の手で、交互に指を弾いてみせた。両肩の蝶が順々に羽ばたき、竜巻と電撃をハレへと放つ。「それが分かったからと言って、君たちが僕に勝てるってわけじゃない!」
走りながらしゃがみ、竜巻を紙一重で躱したハレだったが、電撃までをも躱し切ることが叶わずに、足元をすくわれてその場に転げた。地面を転がりながら、「クッソがよォ!!」とハレは怒鳴る。
再度、ドボロとカレントはモナトへと襲い掛かった。トーマもまた、次の共鳴術技の詠唱を開始する。が、やはりというべきかモナトを相手に、一同の攻撃の一切は、通用しなかった。
右肩のレニによる絶対的な防御と、左肩のリタによる強烈な攻撃――。戦いを続ければ続けるほどに、ハレたちはこの二頭の蝶の、全く隙のないコンビネーションに絶望させられざるを得なかった。突破口がないかを探りながら戦ったハレたちであったが、或るタイミングを以て攻守を一転させたモナトの、左肩の蝶リタによる強烈な雷撃の連続に、後衛に徹していたトーマを含め、ハレたちはその全員が、地に転がされることとなった。
「まあ、君たちは頑張ったほうだと思うよ」
地に伏すハレに、蔑むような視線を向けてモナトは言った。
息を切らしてしゃがみ込みながらも、ドボロはまだ、辛うじて動けそうではあった。が、トーマとカレントは憔悴しきって地に倒れ、〝共鳴〟すらも解けてしまっている。ハレにも最早、限界が近付いていた。地に倒れたハレの全身は、電撃と竜巻による火傷や裂傷に塗れているらしく、激痛に駆られていた。奥歯を噛み締めても、身体に力が入らなくなっているのがハレには分かった。
「ここまで諦めなかっただけでも上出来だ。でもこれで、一つ勉強になったろう。早々に諦めたほうが、余計な痛みを受けずに済むことも世の中にはある」
倒れたまま動きそうにないハレたちの前を通り過ぎると、彼らの更に後方で立ちすくむ、ノアへと歩を進めながらモナトは続けた。
「ノア、って言ったよね。君はアーツ使いってわけじゃないんだろう? 無駄な抵抗はしないで、もう大人しく、ついてきてくれるね」
固くその手を握り込むと、こちらへと歩み寄ってくるモナトと、地面に這いつくばるハレたちへと、ノアは交互に目をやって黙考した。
抵抗しなければ、ここまで戦ってくれたハレたちの意志を、自分は無駄にすることになる。然し、抵抗すればモナトは、自分を含めハレたちにも、更なる危害を加えることだろう。
自分の目的の為に、精一杯に足掻いたのなら、自分は死んでもいいとノアは思っていた。然し同時に、その為に自分以外の誰かが犠牲になることなどは、決してあってはならない、とも。意を決し、握っていた手を解くと、ノアは静かに口を開いた。
「分かりました。あなたの言う通りに――」
その言葉を、唸るようなハレの声が遮った。
「――……めてねェ……」
驚きに、モナトはハレを振り向いた。
ボロボロになった身体で、ハレはそこに、立ち上がらんとしていた。両手を地に着き、「フンッ」と唸ると、力いっぱいにハレは身体を起こす。地に足を着き、それから数秒を以てようやく、満身創痍でハレは立った。
「俺はまだ、諦めてねェぞ……。指パッチン野郎、テメーのくだらねえ物差しで、この俺が諦めたかどうかを、勝手に判断してんじゃねえ」
は、と呆れるような笑いを、モナトは半開きの口から溢した。「諦めてないって言ったって、立ち上がるのがやっとじゃないか。そんなボロボロの身体で、一体何をするって言うんだい? 怪我人をいたぶるのは趣味じゃないんだ。控えさせてもらいたい」
モナトの言葉に、囁くような掠れ声でハレは答える。「うるせえ。戦え。……俺と戦え」
「ハレさん!」とノアが叫ぶ。「もういいんです! 無茶をしないで! それ以上戦えば、あなたが死んでしまう!」
「はっ」と乾いた笑いを上げると、「うるせーよ、ノア」とハレは言った。
「言っただろ、……俺はもう決めたんだ」
長い溜息を一つ吹き出すと、右手の人差し指でまっすぐにモナトを指差しながら、「この世に悪がある限り」と、絞り出すようにハレは呟き、そして続けた。
「それを断ち切る正義もまたここにあり。諸悪を裁く使者の名を、とくとその耳に刻み込め。正義を背負って立つ姿、とくとその目に焼き付けよ。我こそは、正義の使者ハレ。この俺と……――戦え」
モナトを指差した右の手を、グッと握ってハレは見せた。苦痛に歪みながらも鋭い眼光で、モナトを強く睨み付けながら。
明らかに無理をしているハレに、ドボロは危機感を感じつつも、その姿には甚大なる頼もしさをも覚えた。そして自らの中の闘志もが、ハレの強い言葉に奮い立つように、再び激しく燃え上がってくるのがドボロには分かった。痛む身体に力を込めると、ハレの隣へとドボロは立ち上がる。
「なるほどね」と仕方のなさそうに眉間を顰めると、ハレを振り返ってモナトは言った。
「君のことをバカだと思ってたけど、間違っていたみたいだ。どうやら君は、超弩級の大バカだね。おまけに言葉の意味を知らない愚か者だ。あまりにも愚かで可哀想だから――」
にこやかだった顔付きから一転、表情を消して目を見開くと、モナトは続きを引き取った。「正義だなんだと宣う口は、二度と利けないようにしてあげよう」
両の手を大きく振り被ると、その指を強く弾きながら、モナトは両腕を前へと振るった。清々しいほどの高音が、辺り一帯に響き渡る。
ハレにとって、判断の時間は一瞬しかなかった。間違いなく最大級の攻撃が来ることは理解出来る。が、それを避けたり、防いだりする方法は、今のハレにはなかった。
凄烈な光の閃きと共に、雷を纏った巨大な竜巻が、自身へと向かってくるところまでは、ハレには確認することが出来た。両腕で顔を覆うように隠し、ギュッと閉じた瞼の向こう側で、それが大きく爆裂するのも何となく分かった。風圧で、ハレは情けなくその場に尻餅をついてしまった。が、不思議なことに一頻りの爆裂が終わっても、ハレは無事だった。
恐る恐るハレが目を開くと、そこにはハレに身体を向けて、両手を広げて立ち塞がり、彼の盾となったドボロの姿があった。その表情は、痛みによってか激しく歪められている。
「――ドボロ!! なんで……!!」
「……なんで……? 不思議なこと聞くだなぁ、ハレ。いや、リリも昔は聞いてきたっけ。なんで、そうまでして自分を守るのか、って」
俯いていた顔を、ハレへと向けてゆっくりと起こすと、ドボロはニンマリと笑って見せた。笑う余裕など、今の彼にはないはずなのに。
「ハレは、オデのパートナーだからだ」
ドボロの言葉に、どくん、と心臓が強く脈打つのを、ハレは感じた。
『相棒がいるから強くなれる。誰よりもそいつを守りたいって思うからだよ』
愛読する冒険小説の主人公の、そんな台詞がハレの頭を過った。その瞬間、何かが吹っ切れたような気持ちに、ハレは包まれた。
「……ハレ。どうしたらホントのパートナーみたいに強くなれるのか、って言っただな。パートナーに、ホントも嘘もないだよ。ハレもリリも、オデにとってはホントのパートナーだ。そんなに難しいことだか? オデはハレを信じてる。ハレを守りたい。それだけで十分だって、オデは思うだよ」
ドボロはもう、そう思ってくれているのだ。自分がどう思っていようが、彼にとっては関係ないのだろう。守りたいとそう思った瞬間から、彼にとって、自分は相棒だったのだ。
理由があろうとなかろうと、何でもよかった。きっかけが一体何であろうと、どうでもよかった。ただ、ドボロは命を懸けて、自分を守ろうとしてくれている。こうして命を張られてしまった以上は、情けない理由でこれ以上、彼から逃げ続けるわけには、目を背け続けるわけにはいかない。自分をパートナーだと言ってくれる彼を、自分も命を懸けて守りたい。彼のことを本当のパートナーだと、自分も胸を張って言ってやりたい。そう、ハレは強く感じた。
「分かったよ、ドボロ」
仕方のなさそうな笑みを浮かべると、右手を差し出してハレは言った。「立たせてくれ」
ハレの言葉に強く頷き返すと、ドボロは左手で、ハレの右手を引っ張った。ハレが立ち上がると、その手を繋いだ状態のまま、ドボロはモナトへと向き直った。ハレの手は、もう震えはしなかった。
「ありがとな、ドボロ。……まだ動けるかよ」
「シンの言ってたこと忘れただか? オデ、こう見えて強いだよ。体力には自信があるだ!」
「よっしゃァ!」とハレは、右隣に立つドボロの表情を仰ぎ見ると、二人はお互いに頷き合った。
「行くぜェ、ドボロ!」
「ンだ!」
モナトへと向かって走り出しながら、ハレは唱えた。今度こそ、ハレは噛んだり、言葉を詰まらせたりはしなかった。久々に〝繋がる〟その感覚に、ドボロも高揚した。ハレの言葉に応えるように、高音と共に新型フォルスチェインが輝きを放つのがハレには分かった。ハレとドボロ、二人のフォルスの波長がいま、一つに重なる――。
「――〝共鳴〟!!」
二人の身体から溢れ出すように、煙のような山吹色の光が迸る。風圧を伴って閃いたこの強烈な輝きに、モナトは一瞬、身体に力を入れて、その場に踏ん張らざるを得なくなった。結んでいた手を解くと、左右の二手に分かれて、ハレとドボロはモナトへと迫った。体勢を立て直しながら、二人を迎え撃つべく、モナトは構えの姿勢を取った。
「どういう心境の変化だか知らないけど、今更〝共鳴〟をしても同じこと! 君たちに僕は倒せないよ!」
モナトへと向かって駆けながら、身体が嘘のように軽くなったのを、ハレは感じていた。そしてこれが、〝共鳴〟によって齎される身体能力の向上なのだろうと、ハレは感覚で理解した。
初めて手にする機械仕掛けのように、ハレは戸惑ったりすることはなかった。ハレの足の速さや跳躍力は通常時の数倍にも跳ね上がっているはずだったが、その状態に慣れるまでに、ハレは時間を要さなかった。心なしか身体の痛みも和らいでいるように、ハレには感じられた。アドレナリンがそうさせているのかも知れなかったが、ハレにはいっそ、どちらでもよかった。
「そいつはどうかなッ!」
強気で吼えながら、ハレは真っ直ぐに、モナトへと突っ込んでいく。ハレの性格も理解してきていたモナトは、それが囮やフェイントではないことを確信すると、カウンターの姿勢を取った。
右手の剣による横薙ぎの一閃を、モナトはしゃがみこんで躱した。次いでモナトはハレの足元を崩すべく、しゃがんだ姿勢のままで右手の指を弾いた。が――。
「そのまま突っ込むだ! ハレ!」
竜巻を読んで一旦引くべきか、ハレは迷ったが、ドボロの言葉を信じ、左手の剣で斬り上げを放った。竜巻は出現したが、ドボロが生み出した土のフォルスによる防御壁によって進行を阻まれ、ハレへと当たることはなかった。が、ハレの左の斬り上げもまた、〝共鳴〟が齎す能力の向上によってその威力は格段に上がったものの、モナトの竜巻による鎧を崩すことは叶わずに、虚しくも宙を滑った。
「クソっ!」
「さっきまでよりはマシな動きになったね! でもまだまだ!」
剣による攻撃がやはり通用しないことを悟ると、ハレはバックステップで距離を取った。悔しさに表情を歪ませるハレに、後方からドボロが声をかける。
「フォルスを使うだよ! ハレ!」
「そんなモン――」と、ハレは再度モナトへと向かって駆ける。「初めてだから分かんねーけど――」
身体の内側から漲ってくる力を、ハレは剣を握った右の拳に、そして拳から剣の刀身に、纏わせるように意識を集中させる。先と同じく、右の剣による力強い横薙ぎを、ハレは放った。
「――こんな感じか!?」
剣先は僅かにモナトまでは届かない。が、剣の軌跡を辿るようにして現れた、山吹色に輝く光の刃が、モナトの右半身を襲った。剣から放たれた、土のフォルスによる斬撃だった。
「――ッ!?」
斬撃には目を見張ったモナトだったが、やはり威力が足りていないのか、彼の身体を覆う空気の層を、破るには至らなかった。然し――。
(今のは――!!)
ほんの一瞬の出来事であったが、ハレは見逃しはしなかった。斬撃に驚いたモナトが、僅かだが身体を仰け反らせるのに合わせて、レニが彼の右肩を離れたのだ。一秒と待たずに、レニは再び彼の右肩に止まったのだが、その瞬間彼の身体からは、空気の層が消えてなくなっていた。
(竜巻を起こしているレニがその身を離れれば、あの竜巻による防御は成立しない……!?)
〝共鳴〟によって動体視力もが上昇していたことが、ハレの気付きには手伝ったのかも知れなかった。両手の剣を握り直しながら、ハレは考える。
(突破口にするにはちと心許ねーが、最早これしかねえ……!)
一旦距離を取る振りをして、ハレは数度のバックステップでドボロのいる付近まで下がった。
体勢を立て直すと、口元を手で覆い隠しながら、「ふむ」とモナトは言う。「〝共鳴〟は初めてというわけか。道理で戦いの始めから発動させなかったわけだ。……なあハレ、一つ取引をしないか」
モナトの話をハレは無視して、向こうまでは聞こえることのないように、小さな声で「ドボロ」と呼んだ。何も言わずに、ドボロは微かに頷き返す。
モナトが取引の内容を語る間、ハレは小声で、モナトの絶対防御を崩す作戦をドボロへと伝えた。突破口が見つけられたとは露知らず、モナトは悠々と続けた。
「君は確かに愚かで哀れだ。でもね、今日初めてアーツと〝共鳴〟した新米アーツ使いを、むざむざ殺してやれるほど僕の性根は腐っちゃいない。君たちには未来がある。そして僕も、同じく未来が欲しい。僕たちが、もう後ろ指を指されたり、隠れてコソコソ生活しなくて済むような未来がね。僕は君を見逃す。だからノアを引き渡して、大人しく引き下がってくれないか。どうしてそんな女を庇ってるのかは知らないけど、少なくとも家族とか、昔からの仲ってわけじゃないんだろう? そんな奴を守る為に、君の未来は破滅させられていいのか?」
ハレの考えた作戦に、ドボロは同意を示した。語り終えたモナトを、キッと鋭く睨み付けると、右手の剣だけを鞘へとしまい、ハレは左手の剣を握り直した。
「何度も言わせんな!」とハレは吼えながら、モナトへと向かって走り出す。哀れむような表情を浮かべながらも、迎え撃つ姿勢をモナトは取った。
「俺が諦めたかどうか――」
モナトの数メートル手前で、ハレは左手を手前に引きながら跳んだ。突きの構えだ。そしてその狙いは、モナト自身ではない。ハレの後方ではドボロがしゃがみ込み、地に両の手をついていた。
「――勝手に決めてんじゃねえ!!」
モナトの右肩、レニを目がけて、ハレは土のフォルスを込めた突きの一撃を放った。「なっ!」と驚きに声を漏らしながら、モナトは仰け反った。勿論、一番驚いたのはレニだろう。ハレの剣を避けるべく、彼女はモナトの肩を離れ、宙へと羽ばたいた。
「ドボロ!!」とハレ。
「ンだ!!」
その瞬間、モナトの足元の地面が瞬間的に隆起し、彼を空中へと打ち上げた。ドボロによるものだ。今度は驚きではなく、痛みによる呻き声を、モナトは上げた。「ぐぁッ!!」
何が起こっているのかも分からないまま、地上から数メートルほど隆起した地面の上で、モナトは急ぎ立ち上がった。数秒を以てモナトは、そこが巨大な土柱の頂上であることを悟る。彼を中心として、三メートル四方ほどの土の床が、そこには広がっていた。
焦燥に駆られながらも、そこから飛び降りようと試みたモナトは、崖の淵から見下ろす地上との高低差に一瞬怯んだ。せめて、風を起こして着地の衝撃を和らげられれば、とモナトはレニを呼ぶ。が、レニからの反応はなかった。
「レニ! おいレニ! 聞こえないのか!!」
選択肢を頭に巡らせるモナトの後方から、ゴウン、と鈍い音が響く。モナトが何事かと振り返ると、彼のいる柱と同じ高さまで、もう一本の土柱が伸びてきた音であった。人一人が居座れるほどのスペースには、ざまあみろ、とでも言いたげに、悪い笑みを浮かべるハレの姿があった。
「レニならドボロが造った岩の檻ン中で、ヒラヒラ楽しそうにやってるぜ~。このまま俺たちが飼ってやってもいいんだけどなァ。それよりも……」
と、笑い顔から一転、トーマさえも見たことのないような、怒りに満ちた鬼の形相を、ハレは浮かべた。凄み、とでも言うべきか、ハレの表情から放たれる異様な空気感に、モナトは言葉を失って慄いた。一歩、また一歩と、崖際のモナトへと詰め寄りながら、ハレは言った。
「そんな女だ、そんな奴だと、俺の仲間を随分好き勝手言ってくれたじゃねえか」
ハレの言葉に応えるように、ハレの身を覆う山吹色の光は、徐々にその輝きを増していく。そしてそれは、握り締められたハレの右の拳へと、少しずつ収束していった。拳からは凄烈なる光の迸りと共に、薬缶のお湯が沸騰するような高音が鳴り響き出している。
「この俺が、守ると決めた女だ。テメーのその、汚ねェ口で……」
崖の淵のモナトまで迫ると、ハレは右の拳を振り被った。ハレの放つオーラに、抵抗する気すらも消沈させられたのか、モナトは怯え切っている。「お、落ち着こうハレ」と消え入りそうな声で言うが勿論、ハレは拳を留めるつもりはなかった。モナトの左頬を勢いよく殴りながら、ハレは獅子の雄叫びのように咆哮した。
「――二度とノアを侮辱すんじゃねえ!!」
ありったけのフォルスを込めた打擲自体の威力は言わずもがな、ハレの拳が触れた瞬間、そこから現れた拳を模した巨大な岩塊もが、モナトの左頬を激しく襲った。悲鳴とも取れる呻き声を上げながら、モナトは崖の下へと吹き飛んでいった。
流石に殺しはしないよう、ハレは調整したつもりだった。どれくらい遠くに落ちたかは分からなかったが、少なくともその足で、再びノアやトーマのところへ行く気にはならないだろうとハレには思えた。
「ふーッ」と長い溜息を吹き出すと、両腕を組んで、遥か地上を睨み付けながら、ハレは言った。
「竜巻指パッチン男、破ったり!!」
「ナイスだ、ハレ!」と地上のほうから、ドボロの声がそれに続いた。ハレが見下ろすと、ドボロは地上から、土柱の上に立つハレに向けて、右手の親指を突き立てていた。「へへ」と笑って、ハレも右手親指を、ドボロへと向けて突き立てた。
「サンキュー! ドボロ!」




