21
ファンテーヌの街を発ったハレたちは、ファンテーヌの南側に連なる街道を南下していた。ハレたちの靴ほどの高さの芝が生い茂る平原が、見渡す限りには広がっている。
「でだ、トーマ」
「なんだ、ハレ」
アルバティクスとファンテーヌを繋いでいた土ざらしの街道とは違って、南へと続くこの道は、石畳となっており幾らか歩きやすい。また、海へと続いている為か、地形は進行方向に向けてなだらかな下りの傾斜を持っており、ハレたちの足取りは軽かった。
「スチルなんとかってのは、どんなところなんだ?」
「……出発してからそれを聞くのはどうかとも思うが」
用意周到なトーマには、これから自分たちが向かう場所が、どんな場所かも知らずに出発をするハレの行動が不思議だった。残念ながらその答えを聞いても、トーマの不思議が解消されることはなかったが。
「出発する前に聞いちまったら、出発もせずに飽きちまうかも知れねーだろ」
さも、それが全ての人に適用されるべき常識であるかのようにハレはそう言った。ハレにとってはそれ以上も以下もない回答であったが、二、三度その言葉を反芻しても、トーマにはその意味が理解出来そうにはなかった。呆れるような視線をハレに向けると、トーマは返した。「お前の辞書には、準備とか用意って言葉は載ってないんだろうな」
「バ、バカにしてんのか!? よく分かんねーけど、準備とか用意の意味くらい分かるぞ!」
二人の後方を歩くノアが、口元に手を当てて「ふふ」と笑うと、ノアの隣のドボロもそれにつられるように、横長の口をピッタリと閉じてニンマリと笑った。二人を振り返ると、顔を赤らめて恥ずかしそうに、ハレは怒鳴った。
「笑うな、ノア! ドボロまで!」
「すみません、面白くて」
「ごめんだ、ハレ」
「まったくよー」と不服そうにするハレに対し、トーマは一つ溜め息を吹き出すと、「バカにされてると分かっただけ上出来だ」と意地悪く言った。何故か自慢げになって、「そーだろ!」とハレは答える。
「ふ」と笑みを零しながら、仕方のなさそうに腰のポーチから一冊の本を取り出すと、或るページを開いて、「鋼の軍港・スチルバティクス」と、トーマは言った。
「このアンモス大陸に存在する街や村の中では、最も最近になって興ったものだな。二十年と少し前、有事の際に内陸にある帝都と直接連携の取れる軍港として開かれ、普段は普通の港町として機能している。ファンテーヌよりも更に東にはヴェッセルという港町があるが、それまではこのヴェッセルがほぼ全てを網羅していた、アンモス大陸近海における海上の保安、人や荷の運送などを、補うような働きをしているのがこの街だ。住んでいるのは基本的に、帝国騎士団の人間を中心に、船乗りや整備士と、その家族が中心となる」
現在、このアシリアには大きな戦乱というものはない。というのも、今から五十年ほど前、数年に渡って続いた戦乱を、何を隠そうハレたちの住むフォックシャル帝国が、世界最大の国家として終結に導いたからである。
当時、このアンモス大陸の全土を支配し、最早どの国も逆らうに敵わなくなったフォックシャルが、戦争の終結を宣言し、各国に平和条約への署名を求めた。条約の中には、条約締結国はフォックシャル帝国の傘下となる、という旨の一文も含まれており、多くの国の主導者がこれに署名した(そうせざるを得なかった)。結果として、四つの大陸と島々からなるこの惑星アシリアの土地、その四分の三程度は、フォックシャル帝国とその傘下の国々の領土となった、というわけだ。
それから現代に至るまで、国家間での大きな戦争というものは起きていない。戦時中、フォックシャル帝国の主戦力となったのが『帝国騎士団』と呼ばれる騎士の軍団であった。平和の約束された今でこそ、その役目は決して多くはないが、万が一が起こった際の軍事力、そして、万が一を起こさせない為の抑止力として、帝国騎士団はアルバティクスやスチルバティクスを中心に、今も存在し続けていた。
ほか、アルバティクスやファンテーヌのような大きな街には、治安維持のため騎士団とは別に、『帝都警察』、『ファンテーヌ警察』といった警察の組織が、そして小さな町々には、自警団と呼ばれるような小規模な部隊が存在し、街の中で起こる事件や事故の処理には、基本的に彼らが当たることとなっている。それが現代に於けるフォックシャル帝国の、国内外への警備体制のおおよそだった。
トーマの話は、今少し続いた。
「スチルバティクス、という街の名前は、古語で『剣神の都』というような意味だな。スチルバというのが、アシリア神話に登場する神の名前だ。聞いたことくらいはあるか?」
「聞いたことはあるけど……、どんな話だっけか?」
ハレの問いには、後方を歩くノアが答えた。「剣神スチルバ。炎の神ガイナスの、六人の弟子のうちの一人です。アシリアで初めて、鋼を打って剣を造ったと伝えられていますね」
納得、といった様子で「あ~~」と声を漏らすと、「それで鋼の軍港ってわけか」とハレは言った。
「そうだ。ティクス、というのが都を意味する語で、ついでに言うと我らが帝都アルバティクスは、『光の都』というような意味になる。これも神話由来だな。アルバトレという神は知っているか?」
「うーん、それも名前は知ってる」
眉間に皺を寄せながらうんうんと頷くハレに対し、再びノアがその回答役となった。
「光芒神アルバトレは、アシリアに光を生んだとされる神ですね。この場合の光とは、太陽の光や火の光といった実際的な光とは違い、どちらかというと魂や心などの、命の光、というような意味合いのものとされています」
「へ~~」とハレ。後方から、ドボロもが感心するように言った。
「みんな色んなこと知ってるだな。旅してた頃を思い出すだ」
歩みを止めることはなく、ドボロを振り返りながらトーマは尋ねた。「確か、四年前にシンさんとも知り合って、それから一年くらい旅をしてたって言ってたよな。よかったら、ドボロのことも教えてくれないか」
「オデのことだか? うーん」
口元を押さえて首を傾げながら、何度か唸ったあと、「色んなことがありすぎて、上手く伝えられる自信はないだが」と断った上で、ドボロはそれに答えた。
「すっごい昔、オデは、一番最初に造られたアーツだったらしいだ。けど地震とか戦争とか、すっごい色々なことがあって、一度は消えちまった。四年前に今の使役者のリリに目覚めさせてもらって、一緒にすごい冒険をしただよ。最初はリリと、その幼馴染の女の子と三人で。アルバティクスでシンと出会って、それからリリの父ちゃんも合流して、みんなで一緒に旅をしただ。色んなところへ行って、色んな奴と戦っただが、最後の戦いで、オデはまた消えちまっただ。で、つい一ヶ月くらい前にまたドルミールになってたところを、も一度リリに目覚めさせてもらっただよ。リリ、すごい喜んでただ。オデも嬉しかった」
ドボロの言葉に、ハレは目を見張って驚いた。
「ドボロって一番最初のアーツだったのか!? だから言葉に訛りがあんのか!」
「そうみたいだ。訛りは~……、なんでか分からんだが、そうかも知れないだな!」
二人して、根拠のない説に納得して嬉しそうなハレとドボロに、「それは違うような気もしますが」とノアは苦笑した。
一方のトーマは、ドボロの話に或る違和感を覚えていた。通常、ドルミールとして再生するまでに消えてしまうはずの、生前(というべきか、アーツがフォルスの流れに還る前に活動していた頃)の記憶が、二度の消滅と再生を経ても、彼には残っているかのような口振りだったことである。
「なあドボロ」とトーマ。
くい、と眼鏡のブリッジを押さえると、トーマはドボロへと尋ねかけた。「ドボロには、前に活動していた頃の記憶があるのか?」
一瞬、キョトンとした表情を浮かべたドボロだったが、自分の説明に対してトーマが抱いたであろうその疑問の意味を悟ると、「あ~」となんでもなさそうにして、彼は答えた。
「一回目に消える前の話は、旅してる時に、或る人に教えてもらっただ。だからオデが覚えてたわけじゃないだよ。でも二回目の時の記憶は、はっきりと覚えてるだ。なんでかは分からないだが、シンはそれも調べてみるって言ってただ。シンは最近すごい忙しそうだから、分かるのはまだ先になるかも知れないだな。でも、オデは覚えてられるって思ってただよ。リリはそうは思ってなかったみたいだったが、オデが覚えてたことを、リリも喜んでくれてただ。だから覚えていられてよかった」
心底嬉しそうにそう語ったドボロに対し、「そうか。そんなこともあるんだな」と、トーマは興味深そうに、そして尚、不思議そうに呟いた。
羨むような口振りで、ノアは言う。「リリさんとドボロさんには、強い絆があるのですね。素敵です」
「リリはすごい人なんだ」とドボロ。「何も知らなかったオデに、リリは色んなことを教えてくれた。だからオデは、もっと知りたいとか、もっと強くなりたいとか、もっと色んなところへ行って、色んな人と出会いたいとか、思うようになっただよ。ハレたちとも知り合えて、オデはすごく嬉しい。ハレたちのことも、もっともっと知って仲良くなっていきたいだ」
ニッコリと微笑みながらそう言うと、ドボロは何の気もなしに、ハレの背中に手を触れた。勿論、ドボロには悪気などというものははなかった。が、触れられたハレはそれがドボロの――即ちアーツの手だということを認識すると共に、条件反射的に声を荒げながら、跳び上がるほどに身体を震わせた。
「うわぁっ!!」
ドボロの手を払い除けつつ、ぐるりと彼を振り返ると、ハレはバランスを崩してその場にドスンと尻餅をついた。
ハレの両手は、何を差し止めるわけでもなく、掌を広げる形でドボロへと向けられている。その腕は小刻みに震えていた。一同が沈黙する中で、やってしまった、とハレは俯きながらも、荒ぶる呼吸をすぐには抑えられずにいた。数度の深呼吸を以て、気持ちと共に息を落ち着けると、ピタリと震えを止めて、ハレは言った。
「す、すまねえドボロ。ちょっとばかし、驚いちまった」
ドボロはというと、彼は彼で、反省の念をその表情に浮かべながらも、シンからの頼みを果たすべく、自分はどうするべきだろうか、と考えていた。触れることすらままならない新しいパートナーに、どうしたら信頼してもらえるのか、ドボロには分からなかった。
「オデのほうこそ、ごめんだ。ハレ」




