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「ドボロ」
時は遡り、ハレたちがファンテーヌを訪れた、一昨日の夜。
「――頼みがある」
自身の暮らすアパートの屋上に設けられた小さな庭園スペースで、シンはドボロと共に夜風を浴びていた。残念ながらそこからは、良い眺めと呼べるようなものは見られない。部屋選びをするときに、シンにとって重要だったのは学院との距離だ。そしてそれは今も変わっていない。アパートの屋上からいい眺めが見られないことについて、シンは思い悩んだことはなかった。
「ンだ」
ドボロが頷き返すのを確認すると、シンは数歩歩いた先にあるベンチの前でしゃがみこんだ。木で出来た小さなベンチには、トランクケースが一つ置かれていた。屋上を訪れる際に、シンが自室から持ち出したものだ。ケースは重厚な質感を持つ金属製で、ダイヤル式の鍵がついている。一級品とまではいかないが、少なくとも町の商店で手に入るような安物ではない。
ダイヤルのロックを解いてトランクを開くと、その中からシンは、一つの楕円体を取り出して、ドボロへと差し出して見せた。
楕円体の表面は、粘土を思わせる柔らかな光沢を放ちながらも、ざらざらとした質感を持っており、鈍色をしていた。サイズ感と形状から考えて、ドルミールであることには間違いなさそうであった。また、ドボロにはそれが、誰のドルミールで、何故シンがそれを取り出して見せたのか、ということまでも、瞬時に理解することが出来た。ドボロにとってもシンにとっても、それは或る種、思い入れのあるアーツのものだったからだ。
「先日、アルバティクスでリリたちにも話した通りだが」
と、シンは断った上で、続きをこう引き取った。
「バロンのドルミールだ」
その言葉に、ドボロは感慨深そうに、静かに一度頷いた。
四年前の旅の中で、一度はシンたちの前に立ちはだかり、その最期には自らの命を賭して、シンたちに太陽王の時代の真実を教えてくれた、一人の少年がいた。少年の名前はミド。そして、彼の連れていた土のアーツ――それがバロンだった。
「ファンテーヌからは、ドルミールの回収部隊が世界各地のフォルススポットに定期派遣される、という話は覚えているか?」
バロンのドルミールを、再びトランクの中へとしまいながらシンは続けた。
「ンだ」
「半年ほど前、或るフォルススポットからこのドルミールは持ち帰られた。たまたま学院内で、安置室に運ばれようとしているのを見つけたから、事情を話して特別に預からせてもらったんだ。あいつは……――ミドはバロンと次の使役者とのことを、酷く心配していたからな」
三年と少し前、ミドとバロンを見送った日のことを、ドボロは脳裏に思い浮かべた。
通常、使役者が死に、使役者との繋がりを絶たれたアーツは、活動体として存在することが出来なくなり、フォルスの流れへと一度は還る。数年から数十年をかけてフォルススポットから再生すると、次の使役者との出会いを、ただひたすらに待つこととなる。
あの日――ミドが死んだ日。バロンも一度、シンやドボロの前から姿を消した。最期の時、ミドはこんなことを語っていた。
反旗を翻すことによって、自分が死ぬのは厭わない。然し、兄弟や子供のいない自分の波長に合わせて造られたバロンを、もう一度目覚めさせることの出来る人間は、ほぼほぼ存在しないに等しい。バロンがドルミールのまま永遠に眠り続けることや、奇跡的に波長の合う人間に目覚めさせられたとしても、その人物と上手くやっていけるのかどうか、それだけが気掛かりだ、と。
「今朝、ハレたちがファンテーヌを訪れた頃から、バロンのドルミールは僅かだが、フォルスの反応を示している。使役者足り得る人物が近付いていることを、バロンは無意識下で感知しているのだろう。最早実証する必要もないほどに、ほぼ間違いない」
やはり、とドボロは思った。
この日の昼過ぎに、初めてハレの顔を見た時、ドボロも確かに驚いた。シンほどの人物が、見間違えて焦りを露わにするのも無理はない、とも思った。菜種油色の髪も、緑青色の瞳も、少年らしいその顔付きまでも、その全てが、シンやドボロの記憶の中の、ミドの姿と重なったからだ。そして二人の想像を裏付けるように、バロンのドルミールは反応を示している。
「――ハレは、ミドの血縁だろう」
兄弟や子供がいない、とミドは言っていた。だからバロンが次の使役者に出会えるとしたら、それは天文学的な確率の低さだろう、とも。
確率が低い、ということは、確率がないということではない。寧ろその逆で、僅かながら確率があることだ。そして宛ら運命の悪戯とでも言うように、その天文学的な低さの確率を、ハレとバロンは引き当てた、ということになる。然し、これが運命なら天上には、どんなに捻くれた運命の女神がいるのだろう、とシンは思った。奇跡のように現れた次の使役者は、アーツを手にするその前から、アーツが嫌いだ、と言い張っているのだから。
「でもシン、ハレは、……アーツが嫌いだって言ってるだ」
「ああ、そうだ」とシンは頷いた。
そもそも、シンがバロンのドルミールを個人的に保管しているのには、二つの目的がある。一つは単純に、新しい使役者となり得る人物が現れた時、その人物にバロンを目覚めさせてもらう為だ。そしてもう一つは、その人物がバロンと上手くやっていけなさそうだと判断した時には、目覚めさせることを諦める為だった。
その二つはいずれも、ミドの願いだった。自身とそのアーツを犠牲に、自分たちに今の世界を残してくれたミドの最期の願いを、シンは成就させてやりたかった。
「だからこそドボロ。お前に頼みたい」
懇願するような眼差しを、シンはドボロへと向けて言った。
「ハレたちは、エンデラを目指して旅立つだろう。俺が同行出来ればそれに越したことはないんだが、俺にはファンテーヌに残ってやるべきことが、まだ色々と残っている。今持っている、エンデラの森に関する全ての情報と共に、俺はハレたちに、俺の代わりにエンデラへと向かうという役目も託すつもりだ。お前には……、そこに同行してほしい」
シンの話は、今少し続いた。
夜明けの月光がどの程度の戦力を持っているのかは分からないが、少なくともゆくゆくは、ハレにも自分のアーツが必要になる時が来る。ドボロにはその時の為に、ハレをアーツに慣れさせてほしいのと、〝共鳴〟を使った戦闘の練習相手になってほしい。勿論、本来のパートナーはリリだから、リリと相談して決めたい気持ちもあると思う。然し、恐らくハレたちは数日の間にはここを発つつもりだろうし、リリに鳩を飛ばして、その返事を待っていては間に合わなくなる。もしもリリがここに居たならば、同じ選択を促してくれると自分は思う。
凡そそのような内容のことを、シンは言った。
「正直、この上なく勝手なことを言っているという自覚はある。目覚めたばかりのお前をリリから預かった上で、今度はそれとは無関係に、違う人間との旅に出てくれ、と言ってるんだからな。勿論断ってくれても構わない。ただ……、出来ることなら頼みたい」
一分ほど黙考した後で、「ンだ」とドボロは頷いた。
「オデも、ミドの言葉を聞き届けた一人だ。ミドにはすっごく感謝もしてる。ミドやバロンの為にも、ハレの為にも、ハレたちについていくだ。それにオデも、リリがいたら同じこと言うと思うだよ」
ガッツポーズで笑って見せたドボロに、シンは安堵の表情で頷き返した。「よろしく頼む」
こうして翌々日、ドボロはハレたちの旅に同行することとなった。ミドやシン、そして自身の願いをも、その大きな背中に背負い込んで。




