第十一章 独孤皇后と二人の乞食女 五
ところが運命とは皮肉なものである。
数年たったある日、極めて健康な体質であった伽羅が、数日間寝付いて後宮の采配が出来なくなってしまったのだ。
妻が寝付くなど、珍しいこともあるものだと楊堅は思ったが、それも四日目を過ぎると段々と不安になってくる。
楊堅が仕えていた名君・皇帝邕も心身壮健であったのに、原因不明の熱が続いて三十代の若さで崩御したのだ。
当時のことである。高度な医術を受けることが出来る皇帝はもちろん、頑健な武将でさえも病に寝付いたかと思うとあっという間に亡くなることが度々あった。
まして、女子供などはなお多い。
ここはひとつ、たまには政務を休んで愛妻の看病でもしようかと楊堅は思い立った。
しかし、伽羅は頑として許さなかった。
「わたくしたちは、まだ幼い先帝様を廃しました。
先帝様に連なる皇族の方々も、国内をまとめ上げるために弑し奉りましたわね。
覚えていらっしゃるでしょうか?
薄幸な少女であった尉遅熾繁を。
彼女の一族を滅ぼして、孤児にも致しました。
わたくしたちは、そこまでして帝位を我が物としたのです。
それもこれも私心からではなく、国民の父母となってこの国を外敵から守り、彼らに安寧を与えようと願ったからでございましょう?
わたくしのことなど、捨て置いても良いのです。一番後回しとされますよう」
そう言って、拒絶は許さぬという風に微笑むのだ。
楊堅は、それを少し寂しく感じていた。
少年の頃は、ひたすら強いおなごを求めていた。
熱烈に焦がれもした。
今も伽羅の強さを愛しく思う。その内に秘められたる優しさも、もちろんわかってはいる。
しかし楊堅はもう皇帝で、立派な『男』である。
病床の時ぐらいは遠慮せずに頼ってほしかったのだ。
そうは思いつつも、楊堅は妻の望み通りに後宮を出た。
妻が頑固であることは、楊堅が一番よく知っていたのだ。
そうして政務を次々とこなしていく。
北周の悪皇帝は政務嫌いで、即位してからは、ほとんど楊堅が取りまとめていた。
その次に即位した幼帝は、そもそも難しい漢字は読めもせぬ。
朝臣であった頃と業務はそう変わらぬ上、皇帝となってからもそれなりの月日が流れたので作業もすっかり慣れたものである。
しかしながら、その慣れもあるので、皇帝が決裁をせずとも良いような懸案は、右から左へと文官に流して時間を作ることも可能だと知っていた。
むしろ、礼部尚書の楊尚希(楊堅の一族とは別系統)などは皇帝の負担を減らすため、そうするよう、日頃から強く勧めてきていたのだった。
「ふむ。おおまかなところは全て済ませた。
たまには楊礼部尚書の言うことでもきいてみるか。
この中華は広い。どれほど努力しても、多少の難事が日々上がってくるものだが、災害の報告も、外敵の不穏な動きの報告も無く、今日は実に平穏な日である。
天候すら素晴らしき、この良き日。もう何事も起こるまい。
細部は文官たちに任せても問題は無かろう」
自らの考えに、ひとつうなずいて後を頼むと、楊堅は後宮へと再び足を向けた。
愛しい妻のもとに、少しでも居てやりたいという男心である。




