第十一章 独孤皇后と二人の乞食女 四
伽羅の尉遅熾繁に対する扱いは、宮女の域を超え、高位の妃にも準じていた。
「まあ、このような良いお部屋を……」
熾繁と元宮女はかしこまって頭を下げた。
「この宮殿の後宮は質素に造っておりますゆえ、貴女が後宮におられた頃のようには参りませぬが、御不自由の無いようにさせていただきますわ」
伽羅は熾繁に、にっこりと微笑みかけた。
なにしろ熾繁は麗華の友、いや、姉妹の契りを結んでいるのだから娘も同然。
元々彼女の境遇に対して申し訳なくも思っていたので、手慰みになるような楽器や書籍も部屋に運ばせ、衣裳も上等なものを用意した。
食事も好物などを聞いて、なるべく沿うように準備させたのである。
さて、皇后たる伽羅は、後宮の宮女や宦官たちを取りまとめる女主人である。
皆からの信頼も厚く、寵を競うような他の妃もいない。
極少数で団結して暮らしているので、尉遅熾繁とその従者を隠すなど容易いことであった。
そもそも後宮は広い。
伽羅が贅沢を好んだわけではなく、書庫として使う部屋が多いのだ。
隋の頃、幾度もの戦乱によって散逸してしまった典籍を広く天下から求めている。
書一巻を献上するごとに、絹一匹(匹は絹布の単位。絹1匹は幅約50cm、長さ約9m。全て手作業による製作なので大変に高価)を賜下することによって、私家に眠っている書籍を収集したのだ。
その一部は書き写され、いつでも皇帝皇后が手にに取れるよう、後宮にも置かれていた。
また、次代に明け渡すときのことを考えて、部屋は多めに用意してあった。
妃だけでなく、皇子皇女は成人するまで後宮で暮らす。
伽羅は九人の子を持った。
次代の皇帝の子供が多いなら、世話をする宮女もそれなりに必要となるだろう。
尉遅熾繁には後宮の端にある目立たないが快適な部屋を美しく整えて与えた。
彼女を届けた元宮女は世話係としてそばに置いた。
そうして、美しくはかなげな様子である彼女を――悲運の女性、二月生まれの蕭氏をそうしてきたように、優しく慈しんだのだ。
ただし、そのころには伽羅も老いて若さを失っていた。絶世の麗容も衰えた。
楊堅とは相変わらず睦まじくはあったが、さすがに伽をすることも少なくなっており、伽羅は心にふと不安を抱くことがあったのだ。
もちろん、楊堅は結婚の時の誓いを守り、後宮の女たちに手を付けたりはしなかったが。
そもそも後宮内には皇后やその子供たち、働き手である宮女や宦官しかいなかった。
基本、伽羅と子供たちの世話係さえいれば事足りたので、楊堅は美しい宮女を後宮に置かなかった。
美女を置いては浮気を皇后に疑われる恐れがある。
夫婦仲が壊れでもしたら大変だ。
質素を旨としていたので、下働きの宮女たちを着飾らせることもしなかった。
文献によると、宮女たちは皆、洗いざらしの質素な衣を着ていたらしい。
皇帝夫妻自身が質素を実践することはもちろんであるが、高官たちにも質素を重んじさせ、金玉の飾りのついた衣服を纏わせなかったというのだから、夫妻の倹約に対する心がけは相当なものがある。
そういう具合であったから、後宮をうろついたところで化粧の薄い平凡な女がいるだけで、老いたとはいえ、まだまだ十分に麗しい皇后に勝るような美女は一人も居なかった。
だがたまに、放蕩なる長男の隣にしなだれる、怪しの美女たちを夫がうらやまし気に見遣ったり、次男の美しい妃に見惚れていることを伽羅は知っていた。
もちろん、夫が我が子の妻妾に手を出すとまでは思っていなかったが、美しい未亡人である熾繁が、夫の目に留まることについてふと心配になった。
「わかっておりましょうが、貴女は非公式に後宮に入れた娘。
決して皇帝の前に姿を現してはいけませんよ」
そう言うと、熾繁も心得たようにうなずく。
「もちろんでございます、皇后様。
誓って陛下の前にこの身を晒したりはいたしません」
熾繁にとっても、皇帝は会いたい相手ではない。
皇帝堅は、尉遅一族の討伐を『直接指示した男』である。
そもそも悪皇帝に嫁すことによって麗華同様『男嫌い』になっている上、今回も悪人に売られかけ、もう男はこりごりであった。
皇后一筋と噂に高い皇帝が、今更自分に惑いはしないと思っても、ここは後宮という特殊な場所である。やはり心中に不安が無いわけではなかった。
隠れて住めるなら、その方が良い。
取り立てて野心を持つような質でもなかったので、姉とも思う麗華に面影の似た伽羅の計らいに感謝して静かに暮らすようになった。
伽羅は、宮女や宦官たちに対しても『陛下が後宮に戻られたら、すぐに尉遅氏を隠すように』と命じた。
それで後宮の平和は保たれるはずであったのである。




