第三章 新帝と一人目の独孤皇后 五
しかし幸せとは長くは続かないものであるらしい。
「伽羅、変事が起こった!」
裾を蹴散らして部屋に飛び込んできたのは、楊堅であった。
武成二年四月。西暦にして五六〇年の事である。
もう大概のことでは驚かぬ自信のあった伽羅であるが、夫の形相はただ事ではない。
「少々お待ちを。これ、麗華を別室に」
心得たように、母にすがっていた幼子を乳母が優しく抱き取る。
しかし麗華は、父の様子を不安に思ったようだ。声高く泣き始めた。
それを乳母がなだめつつ連れていく。
子供と乳母が部屋から遠ざかったのを確認すると、伽羅は覚悟を決めて楊堅に向き合った。
夫のこの取り乱しようは、これまでの変事以上である。
此度はいかなることが起こったのであろう。
「陛下が……陛下が……ご崩御あそばされた。
ああ、もうどうするべきか私にはわからぬッ」
楊堅は髪をかきむしるようにしてしゃがみこんだ。
長身の楊堅だが、今はなんと小さく見えることか。
まるで小さな子供が泣いているようであった。
「陛下が……やはりそうでありましたか。
お若い陛下が亡くなられたということは、ただの病死ではございませんね。
宮中に病がはやったという噂も、そもそも聞いてはおりませぬ」
「そうだ……毒殺だ……陛下は弑逆されたのだ!!」
楊堅は涙を落としながら声を振るわせた。
「手を下したのは、またしても宇文護でありましょうか」
感情を押さえつけたような、抑揚の無い伽羅の言葉に楊堅は頷いた。
「そうだ……私はそのとき陛下の所用により席を外していた。
しかし宮伯(皇帝を警護する衛士)でありながら陛下の毒殺を防げなかった責任を負わされて自邸での謹慎を申し付けられたのだ。
その『所用』とて、宇文護が陛下にそう行動させるよう、謀ったのに違いない。
衛士を全て謹慎させた後、宇文護や奸臣共が良いように筋書きを書くだろう」
楊堅はがっくりと肩を落とした。
「やはり……そうでございましたか」
臣下、民衆に広く慕われた、優しい賢君・皇帝毓。在位は実にたったの二年半であった。
はかなき事、夢のごとしとはこのことである。
「ああ、あやつを引き裂いてやりたい。地獄に落としてやりたい。
陛下は警護役として仕える私にも本当にお優しい方であった。
いや、私に限らず、身分低い給仕係や庭師にまでいたわりの言葉をかけるようなお方であった。
宇文護のような悪臣に対してさえも礼を尽くされていたのに、どうしてこのような非道な真似が出来るのか……」
うなだれて涙を流す夫の背を、伽羅はただ優しく撫でさすった。
けれど伽羅は涙を流さない。
今度は、伽羅が夫を支えねばならない。強くならねばならない。
心からそう思ったのである。
また、今度は悲しみよりもむしろ『怒り』が沸き上がってきた。
それは炎となって燃え広がった。




