第四話 兎耳の兜
兎耳を付ける。
兜に。
……。
レオノーラは、作業台の上に置かれた黒鉄の兜を見つめていた。その左右には、細長い金属板が二枚、仮止めされている。星うさぎの耳を模したものである。
もちろん、原典の意匠をそのまま再現することはできない。あの柔らかく優美な耳を、無骨な黒鉄の兜へ取り付けるのだ。
実戦では、突出した装飾が敵に掴まれる危険もある。そこでレオノーラは、一定以上の力が加われば耳だけが脱落する構造を考案した。重量も極力抑えた。視界への影響もない。
実用上の問題は、ほぼ解消できた。
……。
解消できたのだ。
レオノーラは、完成した兜を手に取った。
兎耳は、頭頂から左右へ向かって伸びている。
どう見ても、兎耳である。
……。
彼女は、兜をゆっくりと回した。
やはり、原典の頭飾りとは似ても似つかない。金属板で作った耳など、あの柔らかな曲線を再現するには限界がある。
しかし。
この先端の、わずかに内側へ垂れた形状。
元となったあの星うさぎの耳の、なんとも言えぬ愛らしさを思い起こさせる。
……。
……いや、今考えるべきはそこではない。
兜だぞ。
それも鬼の猛女隊長と恐れられる私の兜だ。
その兜に私は、いったい何を付けているのだ。
レオノーラは、兜を被って姿見の前に立った。
黒鉄の重甲冑。桃色の胸飾り。そして、頭頂から伸びる二本の兎耳。
……。
彼女の脳裏に、いつもの訓練場が浮かんだ。
『貴様ァ! そのクソみたいなうさぎ耳は何だ!!!』
……うっ。
今度は、声だけではなかった。
腕を組み、仁王立ちし、憤怒の形相でこちらを睨みつける自分の姿が、はっきりと見える。
『貴様は兎か!? それとも騎士か!!!』
……。
『何だその耳は! 敵に自分の頭の位置でも教えてやるつもりか!!!』
……。
『そもそも貴様ァ! 兜に耳を生やす暇があったら剣の一本でも磨かんか!!!』
……。
レオノーラは、無言のまま鏡を見つめていた。
想像上の自分は、実に生き生きとしている。怒鳴る際の顔の皺。唾を飛ばさんばかりの勢い。相手の装備の欠点を、瞬時に見抜いて罵倒するあの手際。
どれも、あまりにも自分らしかった。
……。
しかし、その直後、いつもの言葉がよみがえる。
『いいか!! 貴様らに必要なのは、立派に見える装備ではない! 生き残るための装備だ! わかったか!!!』
……。
レオノーラは目を閉じた。
兎耳を取り付けることで、祝福の効果は確かに向上している。剣を握る力も、身体の反応速度も、鎧の強度も。すべてが向上する。
ならば、これを外すことは、戦闘能力を自ら低下させることに等しい。
……。
理屈は明白である。何ひとつ、間違っていない。
……。
レオノーラは兜を脱いだ。そして、兎耳を固定している留め具に手を伸ばした。
……。
その手が止まる。
……。
しばらくして、彼女は留め具をしっかりと締め直した。
*
翌朝。
副官セルマは、隊長の姿を見て足を止めた。
「……隊長」
「何だ」
「その兜は……」
「……」
セルマは、兜を見つめた。
黒鉄の重甲冑。桃色の胸飾り。そして、兎耳。
……。
「……」
「……」
長い沈黙が流れた。
やがてセルマは、静かに視線を戻した。
「……本日の訓練予定について、ご報告いたします」
「……うむ」
レオノーラは頷いた。それ以上、何も言わなかった。
*
そして、その兎耳の兜は、実戦において驚くべき効果を発揮した。
以前にも増して鋭く振るわれる大剣。重甲冑をまとっているとは思えぬ俊敏な動き。通常ならば致命傷となる一撃を受けても、傷一つ付かぬ鎧。
魔王軍の兵士たちは、兎耳を生やした黒鉄の巨人が戦場を駆け抜ける姿に、恐怖した。
もっとも、恐怖した理由が兎耳そのものにあったかどうかは定かではない。
ともかく、レオノーラの戦果はさらに向上した。
そして、しばらくの間、事態は順調に推移した。
だが、魔王軍もまた、無能ではなかった。
レオノーラとの正面衝突を避け、各地へ戦線を広げるようになったのである。彼女の重装騎士隊が勝利を重ねる一方で、王国軍全体は徐々に劣勢へ追い込まれていった。
そして、ある日のこと。レオノーラは、魔王軍の有力な将と遭遇した。
その魔族は、それまで彼女が戦ってきた敵とは一線を画していた。巨大な戦斧を軽々と振るい、分厚い鎧を打ち砕くほどの怪力を持っていた。
レオノーラは激戦の末、これを討ち取った。
勝利である。無敗の戦歴は、また一つ積み重ねられた。
しかし、戦闘を終えた彼女の胸には、ある確信が生まれていた。
危うかった。
兎耳の強化がなければ、あの一撃を防ぎ切れなかったかもしれない。
そして、あの魔族は、魔王軍の最高戦力ではない。その上に、魔王がいる。伝え聞く魔王の力は、今回討ち取った敵将をはるかに凌ぐという。
現在の装備では、到底及ばないだろう。
*
その日の夕刻、王都から緊急の使者が到着した。
魔王自らが大軍を率い、王都へ向けて進軍を開始したという。
レオノーラは、報告を聞き終えた。そして、静かに目を閉じた。
現在の装備では、勝てない。
これまで積み重ねてきた改良では、まだ足りない。
……。
だが。
さらに強くなる方法を、彼女は知っている。
……。
知っているのだ。




