第二話 神授の祝福
レオノーラ・フォン・ヴァルツハイムは、少女向け魔法劇『星うさぎの魔法少女プリムローズ』の熱烈な愛好家であった。
それも、並大抵の愛好家ではない。
彼女の自宅には、初演以来の台本、挿絵、衣装資料、舞台小道具、記念品などが所狭しと並んでいる。なかでも衣装に対する愛情は、並々ならぬものがあった。
あの絶妙な桃色。袖口から覗く純白のレース。星の意匠を散りばめた胸元の飾り。背中に結ばれた大きなリボン。そして、星うさぎの長い耳。どれを取っても素晴らしい。
とりわけ、初演時の衣装は傑作であった。
後年の再演では、素材の変更によって若干の光沢が加えられている。あれはあれで見事な仕上がりではあるのだが、初演版の生地が持っていた柔らかな陰影には、やはり捨て難いものがあった。
無論、再演版を一概に劣るとするつもりはない。そもそも、あの袖口の処理は再演版でこそ完成されたと言ってよい。特に第二幕でプリムローズが右手を掲げる場面など、レースの重なりが星明かりを受けて――
……。
ともかく。
レオノーラは、プリムローズの衣装を心から愛していた。
その熱愛は、彼女がまだごく幼い少女だった頃に始まる。初めて連れていってもらった劇場。きらめく星々を描いた舞台。悪者に立ち向かう、小さな魔法少女。
そして、あの日聞いた言葉。
「星うさぎのきらめきに誓って! わたし、もっともっと強くなって、だいすきなみんなを守るのっ!」
幼いレオノーラは、その言葉に心を奪われた。
自分も強くなりたい。大切な人たちを守れるくらい、強くなりたい。そう思った。
そして、彼女は本当に強くなろうとした。
剣を振った。走った。身体を鍛えた。さらに剣を振った。軍に入り、戦場へ出てからも、ひたすら強さを求め続けた。
その結果、三十余年の歳月を経て、身長六尺に迫る筋骨隆々の鬼の猛女隊長が完成したのである。
もちろん、レオノーラは現在の自分を誇りに思っている。幼い頃に憧れた魔法少女のように、強くなって人々を守る。その理想は今も変わっていない。
ただし、衣装に関しては話が別であった。
あの可憐な衣装は、可憐な魔法少女が着てこそ、その美しさを十全に発揮するのである。自分のような筋骨隆々の大女が着たところで、原典の素晴らしさを損なうだけだ。まして、鬼の猛女隊長として部下たちの前に立つ自分が、あの衣装を身につけるなど。
あり得ない。
断じて、あり得ない。
だからこそ、彼女はその趣味をひた隠しにしていた。自宅では資料を読み、衣装を鑑賞し、時には自ら針を取って再現衣装を製作する。しかし、それを身につけることはない。
彼女はあくまでも、衣装を愛する愛好家なのである。
*
そんなある日のことだった。
その日もレオノーラは、いつものように新兵たちをしごき上げていた。
そのときだった。
突然、世界が静止した。
訓練場を吹き抜けていた風が止まり、舞い上がった砂埃が空中に留まった。目の前の兵士も、飛び立とうとしていた鳥も、何もかもが動きを止めている。
「……何だ?」
レオノーラが空を見上げると、雲間からまばゆい光が差し込んだ。
光の中から、一人の女がゆっくりと降りてくる。純白の衣をまとい、長い白銀の髪を輝かせた、見る者を圧倒するほど美しい女だった。
その神々しい姿を目にした瞬間、レオノーラは悟った。
女神だ。
『レオノーラ・フォン・ヴァルツハイムよ』
声が響いた。耳から聞こえるというより、魂そのものに語りかけられているようだった。
レオノーラは直ちに片膝をついた。
「はっ!」
『汝は幼き日より強さを求め、たゆまぬ研鑽を重ねてきました。その力をもって多くの命を守り、今なお、より強くあらんと願っていますね』
「はっ! 身に余るお言葉でございます!」
『そのひたむきな願いに応え、汝に祝福を授けましょう』
女神が微笑んだ。
『その祝福の名は――《愛装》』
レオノーラの身体を、温かな光が包み込んだ。同時に、祝福の意味が頭の中へ直接流れ込んでくる。
『レオノーラよ。汝が最も深く愛する装いは、汝を最も強く守る力となるでしょう』
……。
レオノーラは固まった。
……最も深く愛する装い?
自室の衣装棚。ピンクのフリルが脳裏をよぎった。
……。
まさか。
見上げると、女神の身体は再び光に包まれ始めていた。
『汝に幸いあらんことを』
「め、女神様!?」
まばゆい光が広がった。
次の瞬間、風が吹いた。砂埃が舞い、鳥が飛び立ち、兵士たちが動き始めた。世界は何事もなかったかのように、再び時を刻み始めていた。
……。
レオノーラは訓練場に立ち尽くしていた。
……。
誰も女神の降臨に気づいていない。
……。
何ということだ。




