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番に捨てられた少女を、幼馴染は逃がさない  作者: 崎子


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4

薬が届くまでの間、私はシオンのゲストルームで過ごした。


数年前に母を亡くしてから、私は天涯孤独になった。家に帰っても、誰もいない。

そんな私の傍で、シオンはずっと寄り添ってくれた。

仕事の話をしたり、一緒に食事をしたり、先日見かけたマカロンを買ってきてくれたりもした。

ただ、ふと何かを考え込むように目を伏せ、黙り込むことが何度かあった。


「シオン?」


私が声をかけると、彼はすぐに表情を和らげた。


「ああ、ごめん。何でもない。ちょっと、仕事のことでね」


そして、何事もなかったかのように話し始める。

仕事が忙しいのかと心配したが、シオンは問題ないと笑っていた。

そうして過ごすうちに、薬が手元に届いたと、シオンから報告があった。






「リゼット。まだ迷っているなら、慌てて飲まなくていいんだよ」


心配そうな彼の姿に、私は首を横に振った。


「大丈夫。もう、決めたの」


「……分かったよ」


彼は私の手を取り、強く握り締めた。


「何かあったら、すぐに言ってよ」


「うん」


「一人で我慢しないで。僕を頼ること」


私は眉を下げて小さく笑った。


「……シオンって、昔から世話焼きだよね。お母さんみたい」


「僕は、リゼットのお母さんにはなれないよ」


彼は肩をすくめ、苦笑する。


「ほら、早く終わらせるよ。全部終わったら、ケーキでもパフェでも、好きなものを食べに行こう」


「……ありがとう」


机の上には、透明な瓶が置かれていた。中には、琥珀色の液体が入っている。

私はそれを手に取り、ちらっとシオンの顔を窺(うかが)った。

彼が頷くのを見て、小さく息を吐く。

それから覚悟を決めて、薬を一気に飲み干した。

その様子を、シオンは瞬きもせず、真剣な眼差しで見つめていた。


薬を飲み干してしばらくすると、胸の奥に、鋭い痛みが走った。


「っ……!」


息がうまく吸えない。痛みに耐えきれず、立っていられなくなった。

まるで、胸の奥に絡みついた何かを、無理やり引き剥がされていくようだった。


「リゼット!」


シオンが私を抱き留めてくれた。

彼に身体を預けたまま、私の意識は遠のきそうになる。


瞼の裏で、グレアムとの思い出が走馬灯のように駆け巡る。


初めて出会った、あの日。

私を見た瞬間、目を見開いて固まってしまった彼。

番(つがい)だと告げられ、戸惑う私に、少し困ったように笑いかけてくれた彼。

いつも、私の歩幅に合わせて歩いてくれた彼。

私が番(つがい)だと認識できるようになると、太陽のような微笑みで私を包んでくれた彼。


『番(つがい)の絆に誓って、君を永遠に愛する』


その言葉を、私は信じていた。


「グレアム……」


呟くように漏れたその名前に、私を抱くシオンの腕に力がこもった。


「……大丈夫。今は何も考えなくていい」


私の額に浮かんだ汗を指で拭いながら、彼が声をかける。


「僕がいる」


私は彼の服を掴んだ。


「痛……っ、胸が苦しい……!」


「苦しいのは、もうすぐ終わるよ。終わるんだよ、リゼット」


「……グレ、アム……」


無意識にグレアムの名を呼ぶと、シオンの腕に力がこもった。


「大丈夫。僕がいる。ずっと君の傍にいるって約束したよね……」


優しい声が、遠くから聞こえるようだった。

胸を刺す痛みも、身体を支える腕の温もりも、少しずつ遠ざかっていく。


「ずっと、傍に……」


薄れゆく意識の中でシオンの声を聞きながら、懐かしい記憶が蘇った——。






あれは、私が七歳、シオンが十歳の頃。

シオンは家族とともに、東国からこの街へ引っ越してきた。


彼の黒髪と整った顔立ちは、当時から人目を引いた。

けれど、異国の子どもというだけで、周囲は彼を遠巻きにし、なかなか遊びに誘おうとはしなかった。

私は、公園の隅にあるベンチに、一人で座っている彼を見つけた。


「ねえ、あなた。どうして一人でいるの?」


彼は顔を上げ、アッシュグレイの瞳に私を映した。


「別に。一人が好きなんだよ」


「ふーん。一人で何をするの?」


「……それは、まあ。散歩したり、とか?」


彼は小さな声で、ぼそぼそと話した。私はそんな少年の隣に、遠慮なく腰を下ろした。


「私はリゼット。あなたは?」


「……シオン」


「シオンって素敵な名前だね」


「……花の名前から名付けられたんだ。『紫苑』の花」


「お花の名前なんだ! 私、お花大好きなのよ。どんなお花なの? 見てみたいな」


私が満面の笑顔で手を差し出すと、彼はしばらくその手をじっと見つめていた。

やがて、ためらいがちに手を伸ばし、私の手を握った。

それが、私達の始まりだった。




それから私は、シオンを遊びに誘うようになった。

最初は素っ気なかった彼も、少しずつ笑顔を見せてくれるようになった。


「シオンの髪って綺麗よね。黒くてツヤツヤしてる」


彼の髪に指を入れると、さらさらと指先からこぼれていく。

シオンはくすぐったそうにしながらも、私の好きなようにさせてくれた。


「リゼットの髪の方が綺麗だよ。ふわふわしていてさ」


私は自分の髪を一房つまみ、持ち上げた。


「よくある色だから、つまんないわ。シオンみたいなさらさらの黒髪がよかった」


「黒髪なんて、周りのヤツらは気味悪がって避けてるよ。リゼットは物好きだね」


「こんなに素敵なのに……」


今度はシオンが、私の髪を一房、手に取った。


「リゼットの髪は、君が好きなミルクたっぷりの紅茶と同じ色じゃないか。好きだよね? ミルクティー」


「それもそうね! ミルクティーと同じ色だわ」


にこにこと笑い出した私に、彼もつられたように笑った。


「僕は、リゼットの髪が好きだよ。柔らかくて温かくて、君によく似合ってる」


そう言って、彼は私の頭を優しく撫でてくれた。


「ありがとう! シオン」


「どういたしまして。そうそう、東国から取り寄せたお茶とお菓子を用意してあるって、母さんが言ってたんだ。リゼット、今から食べに行こうよ」


「うん!」


差し出された手を握り、二人で他愛もないことを話しながら、歩いていった。




晴れた日はシオンと街を散策し、雨の日はシオンの部屋で東国の本を読んでもらう。

二人で過ごすことは、いつの間にか当たり前になっていた。




ある秋の昼下がり、シオンに庭へ行こうと誘われた。

シオンの家族が経営する商会と、その奥にある住居の間には、手入れの行き届いた庭がある。

そこへ、シオンに手を引かれながら、足を踏み入れた。


「リゼット、これだよ」


シオンが指し示す方向へ視線を送ると、そこには薄い紫色の小花が、一面に咲き渡っていた。


「前に見たいって言ってたから。紫苑の花だよ」


「わぁ……」


一本から枝分かれし、幾つもの小花を咲かせる紫苑の花は、バラやダリアのような派手さはない。

けれど、景色に溶け込むように控えめに咲いている。柔らかな雰囲気をもった、可憐な花だった。


「このお花、すっごく可愛いね!」


「母さんが、この紫苑の花を気に入っていてね。それで、僕の名前にしたんだよ」


私は紫苑の花の前にしゃがんで、花にそっと手を添えた。


「私も、紫苑が大好きになったわ。見せてくれてありがとう、シオン」


「……っ。……沢山あるから、何本か持って帰っていいよ」


「本当? じゃあ、少しもらうね。押し花にしようかな?」


笑顔で花を手折るリゼットの後ろ姿を、シオンは口元を押さえながら、甘い熱を灯した瞳で見つめていた。




そんな日々を送る中、シオンが家族とともに東国へ帰ることになった。

シオンが十四歳の時だった。


「シオン、行っちゃうの……?」


私は彼に駆け寄り、服の裾を掴んだ。


「……ああ。爺さんが倒れたから、本国の仕事を父さんが引き継ぐことになったんだ」


「東国って遠いの? ここからどれぐらい? 会いに行けるかな」


「会うのは……難しいかもね。船で数泊した先になるから」


「船……」


黙り込んで俯いた私の頭を、シオンは困ったような顔で撫でてくれた。


「……リゼット。僕がいなくても、泣かないでよ。もう、涙を拭いてあげられないんだから」


「そんなの無理よ。シオンがいないなんて寂しすぎて、毎日泣いて暮らすもん。私が泣きすぎて溶けちゃったら、化けて出てやるから」


「化けて出られるのは、勘弁してほしいなぁ」


「だったら、私の傍にいて! 私が溶けてしまわないように、シオンが見張っててよ」


溢れる涙を止めることもできず、私はシオンに縋りついた。


「どうしたら、行かないでいてくれる? 私が泣かなくなったら? シオンに甘えすぎないようにすればいい? ねえ、どうすればシオンはここに残れるの?」


自分でも何を言っているのか分からないまま、どうしてもシオンを引き留めたくて、夢中でまくし立てた。


「シオンは私と離れても寂しくないの?」


ここで別れたら、二度と会えない気がして、必死だった。

そんな私に、シオンは目を伏せた。


「……このまま一緒にいたら、僕は、ずっと君を離せないまま、君を縛りそうで怖いんだ……」


呟くようなシオンの言葉は、幼い私には少し難しかった。


「シオンも別れたくないってこと? なら、一緒にいるのが一番に決まってるよ。縛るとかよく分からないけれど、シオンがいてくれるなら、私は何でも嬉しいよ。私と一緒にいてほしい!」


「参ったな……」


シオンは諦めたように大きく息を吐くと、私の顔を覗き込んだ。


「リゼット、ちょっとだけ待っててくれる? しばらく会えなくなるけれど、また戻ってくるから」


「本当に? また戻ってきてくれるの?」


「ああ、僕が嘘をついたことがあったっけ?」


「……嘘はつかないけれど、冗談はいつも言ってるわ」


「リゼットは、からかい甲斐があるから、ついね」


困ったように笑ったあと、シオンは私の両肩に手を置き、表情を引き締めた。


「ちゃんと戻ってくるから、待っていてくれる?」


「分かったわ。シオンを待ってる」


シオンは一つ頷くと、肩に置いていた手を背中に回し、私を抱き寄せた。


「リゼットの元に、必ず戻ってくる。約束するよ」


「うん。待ってる。約束だからね? 私はシオンがいないと、寂しくて悲しくて我慢できないから、早く戻ってきてよ」


私はシオンの胸元で、速くなった彼の鼓動を聞いていた。

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