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シオンの家に泊まった翌日、私は気分転換を兼ねて散歩に出ることにした。
「リゼット、本当に大丈夫? 疲れたら言ってよ。すぐに帰るからね?」
「大丈夫よ。外の空気を吸いたい気分なの」
シオンと二人で、いつもの商店街へと出向いた。
通りには、焼きたてのパンや、仕込み中の料理の香りが漂い、街行く人々の食欲をそそっていた。
いつもなら心が浮き立つような光景も、今は気分が晴れない。
それでも、日常の風景の中をシオンと並んで歩いていると、少しだけ前向きな気持ちになれた。
「あ、新しいお店ができてるわ。可愛い外観ね」
「焼き菓子のお店だよ。オーナーが西国で学んだレシピなんだってさ」
店のガラス越しに、色とりどりのお菓子が並んでいるのが見えた。
「色が綺麗で美味しそうね」
「マカロンだよ。少し、中をのぞいてみようか?」
彼が微笑み、私も笑顔で頷いた。その時だった。
「……リゼット?」
聞き覚えのある声に、身体が凍りつく。
振り返ると、眉間に皺を寄せたグレアムが立っていた。
その隣には、赤い髪の美しい女性が腕を絡めている。二人は恋人同士であることを見せつけるかのように、身体を寄せ合っていた。
グレアムの金色の瞳が私を捉え、そのまま隣に立つシオンへと滑った。
「俺の前に二度と姿を見せるなと、言ったはずだ!」
「偶然です。私はただ、散歩に来ただけです」
「偽物の分際で、見苦しいとは思わないのか」
「そんな……」
「まさか、パルミナに危害を加えるつもりではないだろうな!」
私を睨みつけながら、グレアムが一歩前に出る。
そこへ、シオンが私を隠すようにして間に立った。
「ただの偶然ですよ。リゼットも、そう言っているではありませんか」
それでも睨み続けるグレアムに、赤髪の女性がしなだれかかりながら声をかけた。
「グレアム様が守ってくださるから、私は大丈夫ですわ」
そう言ってから、彼女は私に微笑みかけた。
「リゼットさん、でしたか? 私はパルミナ、グレアム様の番です。お辛いかとは思いますが、グレアム様のことは、もうお諦めください。私たちの絆は、誰にも崩せませんわ」
「……分かっています」
「それならよいのですが」
今度は、彼女の視線がシオンへと移った。
「あなたにも、もう新しい方がいらっしゃるようですし、安心しましたわ」
シオンは私を背に庇ったまま、いつもの飄々とした笑顔で答えた。
「僕は、彼女の友人ですよ」
「そうなのですか? かなり親密そうに見えましたので……」
含みのある笑顔を見せるパルミナに、シオンは肩をすくめた。
ふと、パルミナは数回瞬きをし、改めてシオンを見つめる。
「あなた……どこかで会ったことがあるかしら……?」
「さあ? 今日みたいに、どこかで偶然、すれ違ったことがあるのかもしれませんね?」
興味がなさそうに答えるシオンに、パルミナは少し考え込むような素振りを見せた。
そんなパルミナを腕の中に抱き寄せ、グレアムは目を細めてシオンを見た。
「シオン・カブラギか。相変わらず、リゼットの周りをウロチョロしてるんだな」
「そんな言い方をしないでください……」
声が震え、涙が滲む。
そんな私の肩を、シオンが優しく抱いた。そして、グレアムに冷えた視線を送る。
「そこまでにしてもらえますか?」
「何をっ」
「番が誰であろうと、リゼットを傷つける理由にはなりません。僕たちに構わないでもらえますか」
「貴様……。平民風情が……」
さらに一歩、グレアムが踏み出した。その腕を、パルミナが掴む。
「もう行きましょう、グレアム様。これ以上の騒ぎは禁物ですわ」
パルミナの言葉に、グレアムの動きが止まった。
いつの間にか、街行く人々が遠巻きにして、こちらの様子を窺っていた。
「リゼット、行こう」
シオンは私に向き直ると、私の手を強く握り、そのままグレアムたちとは逆の方向へ歩き出した。
彼に引かれるようにして、私もその場を離れた。
一瞬だけ、シオンの視線がパルミナへと移る。
パルミナの胸元では、銀の鎖に繋がれた小瓶が揺れていた。
それを確認したシオンの唇の端が、わずかに持ち上がった。
それから数日が過ぎても、私は外出する気になれなかった。
グレアムには、もう私への気持ちが残っていない。その事実をはっきりと自覚したことが、思いのほか辛かった。
憎みたい気持ちもある。
けれど、ふとした瞬間に彼の眼差しや声が蘇り、恋しくてたまらなくなる。
同時に、あの冷たい声も思い出され、冷水を浴びせられたような気分になった。
グレアムを思う心に、私は少しずつ疲れていった。
心を乱されるのは、もう限界だった。
彼への気持ちに胸を締めつけられるのも、心のどこかで期待してしまうのも、もう終わりにしたい。
私の好きだったグレアムは、もういないんだ。
私だけが番の絆に囚われていても、彼はすでに別の道を歩んでいる。
それなら、番の絆なんてもういらない。
思い出も愛も、全部いらない――。
心を決めてすぐ、私はシオンを訪ねた。
彼は机の上の書類から顔を上げ、私を見つめた。
「どうしたの、リゼット?」
私は一度、深呼吸をして、シオンを真っ直ぐに見つめた。
「薬を飲みたいの」
シオンの手が止まり、手にしていたペンが机に落ちた。
「番の絆を切る薬?」
「ええ」
彼は私の真意を探るように、目を細めた。
「本当にいいんだね?」
「決心したの。もう迷わないわ」
「リゼットが決めたのなら、僕は何も言わないよ」
シオンは、強く握りしめた拳に爪が食い込んでいることにも気づかず、目の前の私を見つめていた。
「すぐに手配するよ」
「ありがとう、シオン。あなたには迷惑をかけっぱなしね、私」
困ったように笑う私に、シオンは首を横に振った。
「迷惑だなんて、思ったことはないよ」
シオンは立ち上がると、私の頭をそっと撫でた。
「君が自分の人生を取り戻せるなら、それでいいんだ。なに、アイツに会う前のリゼットに戻るだけだよ。なんの問題もないね」
そう言って、シオンは泣き笑いのような表情を浮かべながら、私の頭を撫で続けた。
「シオン、髪が乱れるわ」
「ちょっとぐらい、我慢しなよ」
シオンはくしゃりと相好を崩し、目を細めた。
そんな彼を見つめながら、脳裏に浮かんだグレアムの姿に、そっと蓋をした。




