13
東国への移動を前に、私は自分の荷物を整理していた。
家族と過ごしてきたこの家を離れるのはとても寂しいけれど、思い出はちゃんと私の中にある。
それに、これからもシオンがずっと傍にいてくれるから大丈夫。
前向きな気持ちで、東国へ旅立つ準備をしていた。
「リゼット、持っていく荷物はそれだけでいいの? 少なくない?」
「ええ。家具とか食器とかは、持っていけないし。服もそんなにないしね。あとは、思い出の品や、本ぐらいかしら」
「身の回りのものは、全部向こうで用意するから問題ないよ。……あれ?」
シオンが本棚に置いてあった栞を手に取り、言葉を止めた。
「あ、それ? 覚えてるかしら? 昔、シオンからもらった紫苑の花で作った栞なの」
「……ああ、覚えてるよ」
「私、紫苑の花が大好きで、こうやって栞にしてみたのよ。可愛いでしょ?」
栞を手にしたシオンが、眉を下げて私を振り返った。
「……僕は?」
「え?」
「僕のことはどう思ってるの?」
「もちろん、シオンのことも大好きよ。……今のシオンは、可愛いというよりも格好いいわね」
私が片付けの手を止めないまま、笑いながら答えると、シオンが背後から抱きついてきた。
「僕もリゼットが大好きだよ。いや、それだけじゃ足りないな。愛しているし、大切だし、僕の命みたいな存在だし……」
「ちょっと、シオン。嬉しいけれど、今は作業に集中してよ」
文句を言いながら腕をほどこうとしても、シオンは私を解放することなく、何やらぶつぶつと呟き始めた。
こうなると、しばらくは私にくっついたまま離れようとしない。
そんな彼に、大きな溜息をついた。
「もう。最近のシオンは甘えん坊だよね」
すると彼は、私の頭上に顎を乗せてきた。
「リゼットを甘やかすのが趣味だったんだけれどね。リゼットに甘えるのも楽しいって、気付いたんだよね」
呆れながらも、私は彼の手に自分の手を重ねた。
「シオンが東国に行っている間、寂しくなると、この栞を見てたの」
「この栞を?」
「ええ。紫苑の花がシオンの代わりだったの」
「代わり、ね。少し妬けるんだけれど」
「ふふ。相手は栞じゃない。……シオンがいなかったから、とても寂しかったのよ」
「……これからは、ずっと一緒だから。もう、離れたりしないよ。代わりなんて必要ない」
「そうね。私も離れないし、離れたくないわ」
絡みついていたシオンの腕が緩まり、彼は私の正面へと向き直った。
そのまま私の頬へ手を添え、優しく唇を重ねてきた。私も、彼の背中にそっと手を回す。
一度離れた唇が、再び重なる。
彼の手が後頭部に添えられ、口付けが少しずつ深まっていく。
いつもは余裕のあるシオンが、激しく、焦っているかのように求めてくる。
そんな彼の熱に、私は身を委ねた。
しばらくして唇が離れると、シオンは私の額に自分の額をそっと寄せた。
「……荷造り、終わらなくなるかも」
「ふふっ。そうね」
彼の腕の中に包まれ、額を寄せ合ったまま、私は小さく笑った。
窓から差し込む陽射しが、二人の影を静かに包み込んでいた。
東国へ旅立つ準備も終わり、船で旅立つ前日。
私たちは二人で両親の墓を訪れ、結婚の報告をすることにした。
この街の外れにある丘には、広大な墓地が広がっていた。その一角に、両親の眠る墓がある。
墓石の前に膝をつき、持ってきた花束を丁寧に供える。それから、両親に語りかけるように、静かに祈りを捧げた。
「お父さん、お母さん。私はシオンと結婚して、東国へ旅立ちます。必ず幸せになるから、二人も見守っていてね」
そう告げて祈りを終え、ゆっくりと立ち上がった。それを見届けると、シオンも墓石の前に跪いた。いつになく真剣な面持ちで、静かに両親へ語りかける。
「……おじさん、おばさん。リゼットと結婚し、家族になります。お二人の分までリゼットを愛し、生涯守り抜くと誓います。これからも、どうかリゼットのことを見守っていてください」
目を閉じ、墓石の前で跪いたままのシオンの肩に、私はそっと手を置いた。
「ありがとう、シオン。きっと、二人とも喜んでいるわ」
「……そうだと嬉しいね」
「今日は一緒に来てくれてありがとう。次にいつ来られるか分からないから、しっかり挨拶したかったの」
シオンは穏やかな表情で頷くと、立ち上がって私に向き直った。
「また、この国にも一緒に来よう。……その時は、家族が増えているかもしれないね」
その言葉に顔を染める私を見て、彼は少し笑うと、私の手を優しく握った。
「リゼット。東国に着いたら、新居に入る前に一度、実家に寄って両親に会ってもらえるかな?」
「ええ、もちろん。私もご挨拶したいわ。おじさんやおばさんにお会いするのも久しぶりだから、ちょっと緊張してるけれど」
「二人とも、リゼットのことを娘みたいに思っているから、大歓迎だよ。……それどころか」
「それどころか?」
彼は眉を下げ、気まずそうに髪をかき上げた。
「実家にリゼットの部屋を作ってあるんだよ。それこそ、僕がこっちに引っ越した後、すぐに用意したらしい」
「ええっ!?」
「僕がリゼットを連れて、すぐに帰ってくると思っていたんだって。『リゼットちゃんを早く連れてこい』って、何度も急かしてくるから、本当に参ったよ」
「なんでまた……」
「周りは皆、気付いていたからね。僕の気持ちに」
「なっ……」
「気付いてなかったのは、リゼットぐらいだよ」
「そうだったのね……。ごめんね、シオン」
「いや、大丈夫だよ。今はこうして二人でいられるし、結婚もするしね」
シオンは、何でもないことのように目を細めて笑った。
けれど、その笑顔を見ていると、少しだけ申し訳ない気持ちになる。
彼はずっと、私との未来を考えてくれていたのだ。
「ただ、リゼットのおばさんには直接、報告したかったかな」
「そうね……。生きている間に伝えたかったわ。お母さんはシオンのことを気に入っていたから、きっと喜んでくれたでしょうね」
「おばさんにはよく言われたよ。『リゼットは鈍いから、シオン君はもっと直球で行きなさい』ってね」
「お母さんがそんなことを……。私にはそんな素振り、少しも見せなかったのに……」
私は思いがけない話に、目を見開いて墓石を見つめた。
「アドバイスをもらったのに、僕がなかなか踏み出せなくて、あんなことになってさ。もっと早く行動していればと、何度も後悔したよ」
「そんなことないわ。シオンが傍で見守ってくれたから、私は自分の気持ちに気付けたし、こうして幸せでいられるのよ」
「リゼット……」
「お母さんが亡くなった後も、ずっと支えてくれたでしょう? シオンがいてくれたから、今の私があるのよ」
私は墓石にそっと手を添えた。
「お母さんは、シオンと結婚することを分かっていたのかもね」
口にすると、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「これからは東国で暮らすことになるけれど、きっと幸せになるわ。だから、安心してね」
シオンと二人、墓石を見つめながら、在りし日の母の姿を思い浮かべる。
優しく笑う母の顔。私を呼ぶ声。そして、シオンと一緒に過ごした幼い頃の思い出。
思い出の中の母は、まるで私たちを祝福するかのように、優しく微笑んでいる気がした。
本編はこれで完結です
番外編を明日更新します




