12
季節が巡り、周囲の木々も色づき始め、少し冷たい風が吹くようになっていた。
シオンと商会の裏口から庭へと出ると、中央の花壇には、紫苑の花が満開を迎えていた。
「……あら? 紫苑って、八重の花もあるのね」
「ああ。他にも、白やピンクの八重咲きもあるよ。リゼットがこの花を好きだと言っていたからね。品種改良した苗を取り寄せてみたんだ」
「それは素敵ね。シオンが色々な花を植えてくれるおかげで、この庭は綺麗な花が沢山咲いていて、とても癒されるの」
紫苑の花壇の奥には、木立のバラも咲いていた。春に比べると花の数は少ないが、秋のバラは色あいも深く、甘い香りが漂ってくる。
私はシオンに笑顔を向けて、口を開いた。
「春もまた、こうやって一緒に庭を眺めようね」
「春は……」
シオンは口元を引き締め、ゆっくりと私の正面へと向き直った。
「リゼット」
「なあに?」
「僕は、近いうちに東国へ戻ろうと思っている」
「え?」
思いがけない話に、私は言葉が見つからなかった。
「父さんからも言われているんだ。本部の仕事を覚えてほしいってね」
「……本部の仕事……」
シオンはそこで、何かを深く考えるように目を伏せた。
私はどう答えていいのか分からず、ただシオンを見つめることしかできなかった。
彼は静かに息を吐き、覚悟を決めたように目を開いた。
そして、ポケットから小さな箱を取り出すと、私の手のひらにそっと乗せた。
「これは?」
「リゼット、開けてみてくれる?」
戸惑いながらも言われるままに、私は箱に結ばれた綺麗なリボンをほどいた。
そんな私を、シオンは息をのんで見守っていた。
箱の中から深い紺色のケースを取り出し、ゆっくりと蓋を開ける。
中には、大粒の無色透明な石をあしらった指輪が収められていた。
「シオン、これ……」
目を見開き、輝く指輪を見つめたまま、私は固まってしまった。すると、シオンが指輪を手に取り、私の左手の薬指にそっと通した。
指を動かすたび、石の奥から眩い輝きがこぼれる。
「リゼット」
アッシュグレイの瞳がまっすぐに私を捉える。
「これからも、ずっと一緒にいたい。僕についてきてほしい」
私は息を吸うことも忘れ、シオンを見上げた。
「リゼット、僕と結婚しよう。東国で一緒に暮らしてほしいんだ」
「シオン……」
彼の瞳の奥に、熱く甘やかな光が揺れる。私は瞬きも忘れ、その眼差しに惹き込まれた。
「リゼットが慣れない土地で、苦労するかもしれない。けれど、僕がずっと傍にいる。君を守る」
彼の言葉を聞きながら、私は薬指にはめられた指輪へと視線を移す。
——シオンと一緒に東国へ行く。
考えたことがなかったわけではない。
彼は元々東国の人間で、私のためにこの国に来てくれた。
いつか、故郷へ帰る日が来るかもしれない。
その時、私はどうすればよいのだろう。
シオンのいないこの場所で私は生きていけるだろうか。
ううん、シオンと離れることなんてできない。
答えなんて、とっくに決まっていた。
私は指輪をはめてもらった手をシオンへと差し出した。彼の手をゆっくりと取ると、その目を見つめながら微笑んだ。
「シオンと一緒に、東国へ行きます。前にシオンがこの国に来てくれたように、今度は私がシオンの国に行きたいです。……行かせてください」
私の言葉に、シオンが唇を震わせる。
「一緒に来てくれるの? 僕と? この国を離れて?」
そんな彼にはっきりと頷いた。
「私の居場所は、いつだってシオンの隣だから」
すると、シオンは珍しく顔を真っ赤に染め、安堵したように大きく息を吐いた。
「……よかった……」
「シオン?」
「もし断られたらどうしようかと思ってたんだ。こんなに緊張したのは、生まれて初めてだよ……」
もう一度、ふぅっと息を吐くと、彼は私の手を強く握りしめた。
「君が隣にいてくれるなら、僕はすべてを捧げるよ」
「私もあなたにすべてを捧げるわ。これまで、シオンにはいっぱい気持ちをもらってきたもの。私も同じぐらい、ううん、それ以上に返していきたいの」
「リゼット……ありがとう。大切にするから」
「ねぇ、シオン」
「うん?」
「私と出会って、私を好きになってくれてありがとう……」
彼は一瞬、目を見開いた。
そして、いつものように笑った。
「僕もだよ。あの時、声をかけてくれてありがとう。リゼット……」
シオンは、まるで私を自分の中に閉じ込めるかのように、力強く抱きしめた。その腕の中で、私はそっと目を閉じる。
以前にも、シオンにこうして抱きしめてもらったことがある。
……あれは、確かお母さんが亡くなった後だった。
あの時も、シオンは私の隣にいてくれた。
寂しさに押し潰されそうだった私に、彼はずっと傍にいると約束してくれた。
家族になってくれると、そう言ってくれた。
どうして、こんなにも大切なことを忘れていたんだろう。
目の奥が熱くなり、じんわりと涙が込み上げてくる。
「……ずっと、傍にいてくれたんだね。家族になってくれたんだね」
涙でかすむ瞳で、シオンを見上げた。
「……あの時の約束を守ってくれて、ありがとう、シオン」
私のつぶやくような声に、彼の肩が小さく震えるのが伝わってきた。
「ああ……。これからも、ずっと傍にいるよ。ずっと」
肌寒い晩秋の陽射しの中、私たちはしばらくの間、お互いの温もりを感じていた。
東国への異動を前に、シオンはリーを連れ、倉庫で商品の確認をしていた。
「正直、もう少し時間が欲しいのですが。あまりにも性急すぎて、スケジュールに余裕がありません」
「ああ。それは悪いね」
責めるような口調のリーに、悪びれる風もなく、シオンは軽い口調で謝罪を口にした。
「早くこの国を出たくってさ。善は急げって言うだろう?」
「付き合わされる方の身にもなってください」
はあっと深い溜息を吐くリーのことは気にせず、シオンは在庫の確認を続ける。
諦めたようにもう一度息を吐き、リーは倉庫の奥へ向かった。
しばらくすると、リーが無地の箱を持って戻ってきた。
「シオン様、こちらの商品化はどうしますか? 一年もかけて、熱心に作らせていましたよね」
リーが差し出した箱の中には、小瓶が数本入っていた。
以前、シオンが職人に作らせた香水の試作品だった。
「ああ、それね」
いつもの飄々とした表情で、小瓶に入った香水を一瞥する。
「作ってはみたけれど、需要もほとんどなさそうだし、商品化は難しいかな」
「まあ、そうでしょうね。では、処分しましょうか?」
「そうだね。よろしく」
倉庫の隅にある廃棄物の集積場所へ、リーが香水の入った箱を置いた。
その様子を眺めながら、シオンは静かに目を細めた。
「もう、僕には必要ないしね」
いつもの笑顔を浮かべ、シオンは何の感慨もなく呟いた。
倉庫の隅では、色の無い液体が小瓶の中で静かに揺れていた。




