第18章 手術室
二度目の光景は、もっとはっきりしていた。
無影灯。マスクの人々。モニターの波形。
そして、開かれた胸の中で動く、自分の心臓。
二度目のフラッシュバックは、昼に来た。
田んぼ道を歩いていた。ゆりと並んで。空腹を感じる体で、夏の匂いを嗅ぎながら。昨日までとは違う、輪郭のはっきりした世界の中を。
不意に、視界が割れた。
砂利道が消えた。田んぼが消えた。ゆりが消えた。
代わりに、白い光が視界を埋めた。
無影灯だった。
巨大な円形のライトが、真上から優を照らしている。眩しい。けれど眩しさが、ちゃんと目に痛い。感覚がある。光が肌を焼いている。
自分の体を見下ろした。
いや、見下ろしたのではない。見えたのだ。天井の辺りから、自分の体を。
手術台の上に、自分が横たわっていた。
胸が開いている。青い手術用の布で覆われた体の中央に、赤い空洞が見えた。心臓だった。小さな、拳ほどの臓器が、鉗子で固定された空間の中に露出している。
周囲を、五人の人間が囲んでいた。マスク。手術帽。手袋。誰の顔も見えない。目だけが、集中している。
「バイパス、接続します」
若い男の声。執刀医の助手だろう。
「慎重に。この血管、壁が薄い」
年配の男の声。落ち着いている。手元は見えないが、細かい動きをしているのが、肘の角度で分かる。
「心拍、安定しています。血圧86の54」
女性の声。モニターを読み上げている。
「麻酔深度、問題ありません」
別の声。
優は、その光景を見ていた。天井から。浮いている。あるいは、ここにいるのに、あちらにもいる。自分が二つに分かれている感覚。
あれが、僕の体だ。
開かれた胸。動いている心臓。管に繋がれた腕。モニターに刻まれる波形。全部、僕だ。
死んでいない。
あの体は、死んでいない。心臓が動いている。血液が流れている。医師たちが手術をしている。生かそうとしている。治そうとしている。
「……先生、この患者、搬送時に心肺停止でしたよね」
若い声が聞いた。
「ああ。二十分以上、止まっていた。現場で蘇生処置をして、搬送中に心拍が戻った。奇跡的だったよ」
「遺伝性の心臓疾患。お父さんと同じ病気……」
「だから今、バイパスを作ってる。このままじゃ、また止まる」
優は聞いていた。全部、聞いていた。
心肺停止。二十分。蘇生。心拍回復。搬送。手術。
死んでいなかった。
あの夜、砂利道で倒れて、心臓が止まって。ゆりが走ってきて、救急車を呼んで。病院に運ばれて。「亡くなりました」と告げられて。
けれど、心臓は戻った。搬送中に。ゆりが泣き崩れた後に。誰にも気づかれないまま、拍動が戻った。
今、この瞬間も、あの体は生きている。
手術台の上で、医師たちに囲まれて、胸を開かれて。壊れかけた心臓を修理されながら。
「バイパス、完了」
「クランプ解除します。血流、再開」
モニターの音が変わった。ピッ、ピッ、ピッ。一定のリズム。安定した心拍。
「いい波形だ。うまくいった」
年配の医師の声に、わずかな安堵が混じった。
視界が揺れた。手術室の光が遠のいていく。白が薄れ、代わりに青い空と、緑の稲と、砂利道の茶色が戻ってくる。
「優くん!」
ゆりの声が聞こえた。目の前にいた。両手で優の腕を掴んでいる。触れている。はっきりと。
「また見えたの? 病院の」
「うん」
優は、息を吐いた。息を吐けることに驚いた。
「手術してた。僕の心臓を。先生たちが。……僕は、生きてる」
ゆりが、固まった。
「生きてる?」
「心臓が止まったのは本当だった。でも、搬送中に戻ったんだ。今、手術を受けてる。心臓のバイパス手術を」
ゆりの目から、涙が溢れた。堰を切ったように。
「生きてる……」
「生きてる」
「優くんが……生きてる……」
ゆりが優の腕を掴んだまま、膝から崩れた。砂利の上に座り込んで、優の腕にしがみついて、声を上げて泣いた。
「生きてるんだ。よかった。よかった。ああ、よかった……」
優は、ゆりの頭をそっと撫でた。
手が、髪に触れた。柔らかかった。温かかった。本当に、触れていた。
お読みいただきありがとうございます。
優は生きていました。
心肺停止から蘇生され、昏睡状態で手術を受けていました。
ゆりと歩いた優は、生き霊――生きている人間の、体を離れた魂だったのです。
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