看板のないお寿司屋さん
「そろそろ行こうか?」
目当てのお寿司屋さんは線路を渡って海沿いに少し歩いたところ。
GPSはたまにズレるのでなかなか辿り着けなかった。
「素通りしてるよ、何回か」
僕らはスマホを見せ合って誤差ズレを楽しんでいた。
「あとワンブロックのところまで来てるから。
ここからはローラー作戦だ」
我が家は誰もが方向音痴……ではなくGPSジャミングにやられていた。
「ここ看板ないんだけど、ここなの? ここなんじゃないの? ここしかないよね?」
「ここ……多分、ここだと思う。もう思い出せないけど」
「こういうところってさぁ、
大人が大人を口説く時に使うお店だよね」
「どこでそういう表現仕入れてくるんだよ、
プロポーズって言えよ」
「あれっ、パパからまだ大きい光ものの指輪。
私、もらってないかも」
「ここだってことで、さっさと入店しなさい」
* * * * * *
「おっ、カイさん久しぶり」
「お久しぶりです。山さん」
「パパ、お知り合いだったの?」
「店舗立ち上げの時に手伝いで……って言っても
雑用ぐらいしかできなかったけどね」
「ご主人は関西で頑張ってた人らしいんだけど、
大人なおじさんにスカウトされて、
ここに出店って感じだったんだよ」
「……」
「無理にイメージ、生成しなくていいよ」
もう随分前の話だから詳しくは思い出せないんだけど、
地域のほにゃらら会とか、なんとか組合に入ったり、
ご近所付き合いが必要だったりで慣れないことも多かったみたい。
自分の思い通りに出来ないってストレスだよね。
その時に祖父が趣味でやってた烏城彫のお盆をプレゼントしたんだ。
みんな忙しくて山さんの歓迎会ってやってなかったからね。
その効果、あったのかなかったのか分からないけれど、持ち直してくれたみたい。
烏城彫は木目を活かした、ふき漆による素朴で温かい仕上がりがある。
日本文化らしいから外国人にも喜ばれると思うんだけどね。
「三色使いのやつだから、
今買ったら数万円みたいよ」
「パパ、また値打ち見ないであげたよね」
「まさか今になってそんな値段になってるとは思わないだろ?」
お店がオープンした時はそのお盆に和菓子をのせて出してくれた。
スマホとネットのお陰で都市部から離れてても日本は電車が発達してるし、
ここら辺の方が宿を取りやすいのかも知れない。
そんなこんなでお客さんが入るようになってからは僕の役目は終わり。
「っとまあ、そういう経緯があったんだね」
「パパは意外と顔が広いのね」
「おでこも広くなって来たけどね」
「遺伝子には逆らわないようにしてるからね。
僕のことはいいから食べることに集中しなさい。
もう二度と来れないかも知れないんだから」
「えっ、じゃあもっと単価上げてこう!
一番高いのと一番高いお酒下さい」
「じゃあ、子供にはぶどうジュースと、
僕にはかっぱ巻きで」
そんな一点豪華主義の尾道家族旅行がやっと終わった。
チヅルさんの気持ちも軽くなったようで、
ご機嫌は上々だった。
* * * * * *
更に数年が経って、子供は大学に進学すると言い出し勉強中だ。
僕は少しずつ自分の時間が増えていった。
僕は未だにナギさんの表現を越えることができていない。
ありふれた言葉を使って表現されたものって、
なかなか代わりが見つからない。
実はあの表現に至るまで、ナギさんが書いたかなり長い文章が
『せとうち日記』にはあるんだよね。
ちょうどまとまった休みになったから、その部分を僕は読み直していた。




