JRおでかけネット
チヅルさんは母親譲りの旅好きだったのは後で知ったことだ。
彼女は『JRおでかけネット』で観光列車にもいろいろあって、
エトセトラはその一つであることに気づいたようだ。
彼女の語りは一晩続いた。
「車中で一日過ごせそうでもないし、過ごすとなると便数がないから途中下車しなくなるでしょ?」
「じゃあ各駅に電車を配置してピストン輸送したら?」
「それはお金がかかるじゃない。
カイさんって経済感覚ないよね」
「海岸線を走るスポットあるじゃない、そこだけ徐行するのはどう?」
「景色を楽しむって話ね」
もともと生活の足として発展してきた鉄道だから。
誰も観光資源として見ていないし、
彼女のアイデアも、生活している人達からしてみればいい迷惑だよ。
自動車使えって話だよね。
まあ調べるだけはタダだから、僕はGoogleマップを開いた。
「カイさんIT得意だもんね」
「チヅルさんよりね」
広島から福山方面へ伸びてる路線をたどってみた。
「景色が良いポイントは……仁方町、安浦町、安芸長浜」
「一番なのは呉線臨海展望ポイントってところね。
ここ車で行けないところじゃない?
そこから有竜島のあたりから須波までぐらいが楽しめそうね」
「今の停車駅の設定だとダイヤに問題出るんだったら、
絶景ポイント以外は通過しちゃえばいいんだよ。
景色を楽しみたいんだから、
観光列車みたいに内装にお金かけなくていいんじゃない?」
「都市部だとたまに駅じゃないところで停車するもんね。
止まった電車って意外に静かじゃない?
その時に景色が良かったらウケるかもね」
僕はチヅルさんの話に合わせながら、
鉄道は安全第一だからその案はないよ、そう思った。
彼女の妊娠が分かったのは、この後のことだった。
つわりがひどく、彼女は精神的にまいっていた。
カレーやご飯の匂いだけで嘔吐してしまうらしい。
あまりにもひどかったので巷で言われているきれいごとは、
文字通りきれいごとだったのだと当事者の側に立つことで理解できた。
産みの苦しみとかお腹を痛めるとか、そういう次元を越えた、
まさに命がけなのだと思った。
* * * * * *
僕は少しでも紛らわせようと思い、せとうちの音を撮りに呉線に乗った。
今は良い時代で臨場感を音で表現するために必要な機材は、
スマホと数千円のピンマイクを二つ用意するだけだ。
最後にネットで拾った編集アプリで映像と音を合わせて出来上がり。
「カイさん、ありがとう」
「いいんだよ」
「でも……映像と音がなんかズレてて気持ち悪い」
「ごめんね」
「撮り直してきて」
「えっ?」
この企画自体、彼女の好みだったらしい。
僕は呉線を何回か往復して、編集の腕も上がっていった。
夕日を撮ってはみたものの、
肉眼で見る大きさと映像に収まったそれでは迫力が違っていた。
やっぱり機材は二桁万円、超えないとダメみたいだ。
僕は諦めて砂浜を歩くだけの動画や、
灯台までの歩道をのぼってゆく動画を彼女に渡した。
裸足で砂浜を歩くのはいつぶりだろう。
日差しはせとうちの海に反射して眩しかった。
「今日はどうしたんなら」
気付けば老人が隣にいた。
持っていた機材が釣り道具に見えたのだろう。
最近はトコブシが採り尽くされる話を聞いたことがあった。
平たく言ってしまうと漁業権のことだ。
「これ、釣り道具じゃなくって……」
どうしよう……持ってる機材をわかりやすく伝えられない。
「われ、ユーチューバーか?」
「そうなんです、これはその機材です」
「ふーん、暇人じゃのう。
うちの孫もスマホでいろいろやっとったわ」
その老人はじろじろと僕を見て去っていった。
釣りと言えば呉でオコゼを釣り上げ、
誤って背びれの触れてしまい、
手の感覚がなくなったことを思い出した。
歩き続けると他愛もない記憶が波のように、
僕の意識に打ち寄せた。
夏のクラゲが流れに身を任せて漂っているのを
見とれてしまい防波堤から落ちそうになったこと、
渦潮を近くで見れると言われボートに乗ったはいいものの
風に飛ばされて危うく投げ出されそうになったことだ。
更に歩き続け、チヅルさんのことを思った。
体を動かせないのはとても窮屈だ。
僕もあと数十年もしたらまともに歩けない人になってしまうのだろう。
肉体は魂の牢獄だと言った人がいるけれど
今のチヅルさんは、まさにそんな状態なのだろう。
ナギさんはどんな思いで過ごしていたのだろうか?
『せとうち日記』が蓄えている文字量から察するに
かなりの時間を費やしたはずだ。
いつの頃から閉じ込められてしまったのか分からないけれど、
誰かがそばにいて話し相手に……
「早く帰ろう、チヅルさんのために」




